第29話 噂の初参入者
「ディールは午後からはなんの講義を受けるのじゃ?」
「あ……っと、『古代語』の講義です」
キュアリスの問いにディールが答える。
二人がいるのは
「師匠は?」
「妾は『錬金術』じゃな」
「錬金術……?」
予想外の科目が出てディールは戸惑ったような表情になる。
魔術学院の学生の殆どは
それがディールの選択した『古代語』でありキュアリスが選択した『錬金術』だ。
「ウォールロック殿から聞いた話では、錬金術は万物の完全なる錬成を目指す学問ということじゃったからの。もしかすると、この時代でも形を変えて残っておるのかもしれんと思うての」
キュアリスがディールを見て言う。ディールは一瞬、考え込むような仕草をしてからハッとした表情になった。
「あ。まほ……」
「魔法」と言いかけて、ディールは慌てて口を噤んだ。魔法のことはなるべく秘密にする。それはウォールロックやメリッサたちと話して決めたことだった。
「ねぇ、ふたりとも食堂に行くんでしょ? 一緒に行こうよ」
レオティエが二人の元へやってくる。その後ろにはビダジールが立っていた。
キュアリスが頷いて立ち上がった。しかしディールは椅子に座ったまま、ぎこちない笑みを浮かべてレオティエたちを見ている。
「なんじゃ。ディールは行かぬのか? 妾よりもお主の方がお腹は減っておろう」
キュアリスの本体は腰のホルスターに収めている魔導書であって、肉体は本人曰くゴーレムのようなものだ。食べたり飲んだりは可能だが、生身の人間のように必要不可欠というわけではない。
「えっと……お腹は減っているんですが……その、いま食堂に行くと人が多いので……」
キュアリスの問いかけに、ディールは歯切れの悪い返事を返す。
「はて。お主、そこまで人見知りじゃったか?」
「あ、分かった! ディール、有名人になっちゃったもんね」
レオティエが得心した様子で両手を叩いた。
フェルダとの〝術試し〟の顛末は、翌日には魔術学院中へ広がっていた。そしてこの類の話には付き物の、大きな尾ひれまでつけられていた。それにはウォールロックの推薦で魔術学院へ入って来たということも影響している。
学院内を歩けば常に視線を感じるのは、なにもディールが自意識過剰になったからではない。今まで注目されることがほぼ無かったディールにとって、居心地のいい環境とは言えなかった。
「別に悪いことしたわけじゃないんだから、堂々としてればいいじゃない」
「それはそうだけど……また〝術試し〟を挑まれたら……」
幸いにも今日までディールに〝術試し〟を申し込んでくる学生はいなかった。教室まで見に来る者は何人かいたが。
「何を言う。挑まれるのは部族の戦士として誉れだぞ。その時は受けてたてばいい」
レオティエの後ろで頷いていたビダジールが口を開いた。真剣な表情からしてディールをからかっているわけではないようだ。
「えっと……僕は戦士じゃないし」
「大丈夫。大丈夫。ビダジールの仏頂面が近くに居れば、誰も寄って来ないって」
「おい、レオティエ。それはどういう意味だ」
ビダジールの抗議など何処吹く風。レオティエはディールの背後に回って立ち上がらせると、ビダジールの近くへと押し出した。
そして今度は二人の背中を押すようにして教室を出て行く。そんな三人のやりとりをキュアリスは面白がるように見ていた。
「何してるの? キュアリスも行くよ!」
教室の出入り口で振り返り、レオティエが声をかけて来た。キュアリスが後を追う。
四人は学舎を出ると、食堂へと向かった。食堂は独立した建物になっており、寮舎の近くにある。寮舎に住む学生達の食事を賄うようになっているからだ。そのため中は広く、朝早くから夜遅くまで開いている。
しかし本格的に講義が始まったこともあり、昼間の食堂はひどく混んでいた。そのおかげか、今のところディールの存在に気づく者はいない。
四人はなんとか席を確保して、それぞれの食事を取りに行く。
ディールとキュアリスは小麦粉を薄く延ばして焼いた生地に、牛肉や野菜を焼いたものを丸めた料理を持って帰ってきた。
レオティエとビダジールは寮舎に入っているので用意された食事がある。寮費の中に食費も含まれるのだ。もちろん別途でお金を払えば用意されたもの以外も食べることはできる。二人が持って来たのは鶏肉と野菜を煮込んだシチューだった。
そしてレオティエの後ろにはメリッサの姿があった。彼女は皿に敷き詰められた葉物野菜の上に、小魚や果物を包み込んだパイの載った皿を持っていた。
「そこでメリッサに会ったから連れてきたよ。ビダジール、もっとディールの方へ寄って」
「別にわたしは……」
「あれ? メリッサ他に約束があった?」
「ないけど」
「じゃあいいじゃん。みんなで食べようよ」
強引なレオティエに半ば押し切られる形でメリッサは席についた。
「メリッサは午後はどんな講義を受けるのじゃ?」
「『呪文学・文法』よ。キュアリスは?」ナイフでパイを切り分けながらメリッサが答える。
「妾は『錬金術』じゃ」
「錬金術!?」
キュアリスの言葉にメリッサは驚いた表情を浮かべた。フォークに刺したパイを、口へと運ぶ手が止まる。
「随分と変わった講義を選んだのね」
「受付でも怪訝な顔をされたのじゃが、そんなに変か?」
「魔術とは直接関係のない学問だし、実際に錬成の実験をするには三年以上学ばないと無理よ。どちらかというと研究職を目指す人向けね。少なくとも
「…………いえ。僕は『古代語』です」
口の中のものを飲み込んでから、ディールは答えた。
「古代語……二人揃って変わったものを選ぶのね」
「なんじゃ。古代語も変なのか?」
「変ではないけど……」メリッサはパイを食べることを諦めたのか、フォークを皿に戻す。「どちらかと言うと嗜みの
「では、メリッサでも知らんのか?」
「お師匠様から少しは習ってるから全く知らないわけじゃないけど……わたしは使ったことないわね」
「なるほどのう。古代語はもう使う者はおらぬか」
キュアリスが納得したことで会話がひと区切りついたと考えたのか、メリッサは再びフォークに刺したパイを口へと運んだ。しかし――
「おい、あそこに座っているのってもしかして……」
「ああ、例の
聞こえてきた声に、口の中へ入ろうとしたパイが止まった。ため息を一つついて、またもや皿に戻す。それからディールの方を見た。
ディールにも聞こえたのだろう。声のした方向を見ないようにしているが、食べる動作はぎこちない。
「流民がウォールロック様の秘蔵っ子とはな」
「メリッサ・グートバルデもウォールロック様の弟子なんだろ? どんな気分なんだろうな」
「ビダジール、あいつらちょっと威嚇して」
「おいレオティエ。俺は番犬じゃないんだぞ」
不遜な会話は当然、レオティエたちにも聞こえていた。レオティエの言葉に文句を言いながらもビダジールは声のした方向を睨む。会話の主は制服を着た二人組の少年だった。話の内容や話し方からして貴族の子息なのだろう。
ビダジールに睨まれて、二人は固まった。自分たちを真っ直ぐに見つめ、視線を外さない。その無言の圧力に耐えられなくなったのか、二人は悪態をついて去って行った。
「レオティエ。それにビダジールもありがとう」メリッサが言う。「ディールだけでなくわたしのことも庇ってくれたのでしょ?」
メリッサの言葉にレオティエはニカリと笑ってみせた。
「そりゃ、友達だもの。ね、ビダジール」
「俺はお前に言われたから威嚇しただけだ」
誰とも視線を合わせずにビダジールは言う。ひたすらシチューを口に運んでいる。メリッサはそんな二人を見て笑顔を浮かべた。それからディールへと視線を移す。
「ディール。あんなの気にしちゃ駄目よ」
「……はい」
ディールは返事を返す。だが声に力はない。
「もし〝術試し〟を挑まれても、決して受けないようになさい。それからわたしの名前を出すといいわ。『話は全てメリッサ・グートバルデを通せ』って」
「そんなっ。それだとメリッサ様に迷惑が」ディールが慌てたように言う。「それに根も葉もない噂を……信じる人たちも出てきます」
「お師匠様の秘蔵っ子は
「っ。そんなつもりじゃ……すみません」
「冗談よ」
しゅんとなってしまったディールを見てメリッサは言う。
「フェルダに貴方をけしかけたわたしにも責任はあるわ。まさかここまで噂になるとは思ってなかったのよ。本当にごめんなさい」
申し訳なさそうにメリッサは言った。それを見てディールは益々恐縮する。
「いえ、そんな。メリッサ様には助けてもらいましたし」
「そうよ。メリッサもディールも堂々としてればいいのよ。別に悪いことしてないんだから。あいつらが失礼なだけよ!」
レオティエは本気で怒っているようだった。
「わたしは堂々としてるつもりだけどね」
そう言ってメリッサは苦笑する。それから食べそびれていた魚のパイをようやく口の中へと入れた。
「……すっかり冷めてしまったわね」
しっかり噛んで飲み込んだ後、メリッサはポツリと呟いた。
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