第25話 初参入者と実践者

「お主、受ける講義は決めているのか?」

「えっと……古代語は受けようと思ってますが、他はまだ……」


 ディールとキュアリスは学舎の一階にある広間ホールに来ていた。広間ホールにはいくつも掲示板が並んでいる。

 そして掲示板にはどのような講義が行われるかを示す木簡が掛けられ、一覧になっていた。木簡には講義の名称と講師の名が刻んである。

 その横には記号が書かれた小さめの木札がいくつか並べられていた。受けたい講義があれば木札を持って広間の奥にある受付で申告することになっている。木札の数はその講義の定員を示していた。


 今、広間ホールは多くの学生たちで賑わっている。その殆どは今年入った実践者プラクティカスだ。

 ディールは別の掲示板を見ようと視線を移す。並んでいる掲示板の前に、見覚えのある人影を見つけた。鼻筋に白い線を引いた長髪の少年と、両側から三つ編みを垂らした頬に赤い線のある少女。先程まで一緒にいたビダジールとレオティエだ。

 掲示板を熱心に見ているレオティエの横で、ビダジールはつまらなそうに周りを見ていた。そのビダジールと目が合う。彼は忌々しそうな顔をしてすぐにレオティエへと視線を向けた。


「嫌われておるの」


 ディールの横で苦笑を浮かべながらキュアリスが言う。そして行き場をなくした視線をディールが彷徨わせたその時――


「おっと、この講義は定員だ」

「あっ。その札アタシが先に取ったのに!」


 目の端に、レオティエの伸ばした手から木札が奪われるのが写った。ディールは慌てて彼女を見る。

 掲示板に掛かっていた木札を取った瞬間、横から掠め取られたのだ。札を奪ったのは、彼女よりも背の高いほっそりとした栗毛の少年だった。

 悲鳴に近い声がレオティエの口から漏れる。


「おいお前、その札を返せ。レオティエが先に取っただろう」


 ビダジールが睨みながら言う。


「返すも何も先に取ったのは俺だ」少年が言葉を返す。

「フェルダ様が先に取りました」

「俺たち、見てました」


 フェルダと呼ばれた少年の後ろにいた二人が合いの手のように肯定する。どうやら三人組のようだ。皆、制服を着ている。

 三人の言葉を聞いてビダジールの表情が厳しくなる。取り巻きの二人は一瞬たじろいだ。


「ふん。三対二だな」


 フェルダはやや顎を上げて意地の悪い笑みを浮かべて言う。見下すような視線をビダジールに向けている。


「数の問題というなら減らすか」


 ビダジールは独り言とも、問いかけとも取れる物言いをする。低く紡がれた言葉は剣呑な雰囲気を醸し出していた。その迫力にフェルダの表情が引きつったものへと変わる。


「お、俺を脅すのか? 流民るみん風情が」


 フェルダの言葉にビダジールの表情が益々厳しくなる。


「ちょっとビダジール、手を出しちゃ駄目」


 慌てたようなレオティエの声。ビダジールの体が一瞬揺れたが、それ以上動くことはなかった。フェルダを睨み付けたままだ。一触即発の緊張感がその場に生まれた。

 雰囲気に感応するかのように、周りの学生たちの動きが止まる。

 レオティエが助けを求めて周りを見た。しかし彼女たちの間に割り込もうとする人間はいなかった。

 レオティエとディールの視線が一瞬だけ交差する。ディールは動こうとするが、しかし躊躇うようにその足を止めた。


「自分が行って何ができる……とでも思うておるのか?」


 ディールはキュアリスの言葉にハッとした表情になった。


「……そんなことは――」


 「ないです」とは言葉を継げなかった。ディールは俯いてしまう。


「世話の焼ける弟子じゃの。ほれ、行くぞ」


 師匠キュアリスの言葉に弟子ディールは顔を上げる。彼女はレオティエたちの方へと歩き出していた。ディールが慌てて追う。


「レオティエが札を取ったのを妾たちも見ておったぞ。のう、ディール?」

「なんだ、お前らは?」


 突然の闖入者にフェルダは戸惑いの表情を浮かべる。


「そ、その二人の知り合い……です。レオティエ……さんが先に札を取ったのを見ました」

 ディールが言う。声はやや小さいが、フェルダの方をしっかりと見ている。そんなディールの態度を見てキュアリスはにまりと笑う。

 それからフェルダの方を向いて口を開いた。


「これで三対四じゃな」

「なんのことだ?」

「お主が先に札を取ったと言っておるのが三名。レオティエが先に取ったと言っておるのが四名。こちらが一名多いの」


 フェルダは最初、呆気にとられた表情をしていたがすぐに顔を紅潮させた。


「よ、よくみればそいつも流民じゃないか」フェルダがディールを指さす。「流民どもがつるんで――」

「一緒にするな」


 ビダジールが口を開いた。思いの外強い口調にフェルダの言葉が止まる。


「そいつは〝捨てたる者〟だ。俺たちの仲間ではない」

「ビダジール! ディールたちは助けてくれようとしてるんだよ」

「助けなど必要ない」


 先程と違い、諫めるレオティエの言葉をにビダジールは受け入れなかった。今度はディールを睨み付けている。


「そ、そんなことはどうでもいい。数など問題じゃないんだ!」フェルダが言う。

「なんじゃ。最初に数を持ち出したのはお主じゃろう」

「っ」


 呆れたようなキュアリスの言葉に、フェルダは何か言い返そうとしてできず口を噤んだ。その顔がますます怒りで赤くなっている。そんなフェルダに、取り巻きの一人が恐る恐るといった様子で呼びかけた。


「フェルダ様」

「なんだっ!?」


 フェルダの剣幕に取り巻きは思わず肩を竦める。それでも躊躇いがちにフェルダの耳元に何か囁いた。


「ん? 教室にいなかったからと言ってなんだと――」


 言いかけてフェルダは言葉を止めた。何やら思いついたらしくその顔に歪んだ笑みが浮かぶ。それからレオティエの方を向いて、手に持った木札を見せる。


「いいだろう。お前にこの木札を譲ってやらんこともない」

「え?」レオティエが驚く。

「だが条件がある。〝術試し〟で勝った方のものとしようじゃないか」


 そう言ってフェルダはニヤニヤと厭らしく笑ってみせる。〝術試し〟の言葉に、キュアリス以外の三人は押し黙ってしまった。

 〝術試し〟とは魔術師同士で行う力比べのことだ。私塾などで魔術師としての実践を積んでいるのならいざ知らず、初参入者ニオファイトでは勝負にならない。


「先に札を取ったのはアタシなのになんでそっちが条件なんてつけるのよ!」レオティエが叫ぶ。

「いや先に取ったのは俺だ……と、こんなふうに埒があかないだろう? なら魔術師らしく〝術試し〟で決着をつけようじゃないか。

 それとも木札を諦めるか、流民?」


 フェルダの厭らしい笑いが更に深くなった。


「僕たちが初参入者ニオファイトだから……ですか?」


 ディールが絞り出すように言った。両の拳を握りしめ、睨みつけるようにフェルダを見ている。


初参入者ニオファイトには〝術試し〟はできないから、無理な条件を言ったんですか?」

「んんん? それは気づかなかったな。流民どもを教室で見かけないとは思ったが、そうか、お前たち初参入者ニオファイトだったのか」


 フェルダはいかにも今気づいた、といった表情をした。その表情はあまりにもわざとらしい。


「〝術試し〟とはなんじゃ?」


 一人状況が飲み込めないキュアリスが、ディールを見て訊く。ディールはそれに答えようとキュアリスの方を向いた。


「魔術師同士の力比べのことよ」


 だがキュアリスの問いに答えたのは別の声だった。


「メリッサ。お主も来ておったのか」


 声のした方へディールとメリッサが目を向けた。メリッサがディールたちの所へ近寄って来る。


「人気のある講義はすぐに定員になるから、早いうちにとっておかないとね」


 そう言ってメリッサは手の木札をキュアリスに見せる。彼女の手にはすでに五枚の札があった。


「それより受けてあげたら」


 そう言ったメリッサの視線はディールに向けられていた。ディールが驚いたようにメリッサを見返す。


「メリッサ! なんで君が出てくる。それにこいつは初参入者ニオファイトなんだろう。〝術試し〟など受けられるわけがない。まさか魔術の常識を忘れたというのか?」


 フェルダが言う。メリッサは澄ました顔をしてフェルダの方を向いた。


「あらごきげんよう、フェルダ。教室では挨拶してくれなかったわね。久しぶりに会ったっていうのに」

「今それは関係ないっ。従姉だからって口を出すな」

「別にあなたがいたから来たんじゃないわ。そこの二人はわたしの友人なの」


 そう言ってメリッサは視線だけでディールとキュアリスを示した。


「流民が友人……だと? グートバルデ家の娘ともあろう者が……」

「流民? 今どきそんなことを言ってるの? ゲイル叔父様が聞いたら怒るわよ。それに――」そこで一旦言葉を止める。「わたしの大切な友達を莫迦にするのなら、怒るのは叔父様だけじゃないでしょうね」


 メリッサが強い視線をフェルダに向けた。フェルダとその取り巻きが思わず息をのむ。


「ち、父上は関係ないだろ。それよりも〝術試し〟を受けると言うのか?」

「ええ。但しハンディはもらうわ。あなたでも魔術師ですものね」

「くっ。ウォールロック様の弟子だからって見下しやがって」フェルダが唸るように言う。

初参入者ニオファイトに〝術試し〟を持ちかけたあなたに言われたくないわね」対するメリッサの物言いは呆れたふうだ。

「ふん。いいだろう。初参入者ニオファイトごときに何ができるかは知らんが、ハンディなどいくらでもくれてやる。

 なんなら四人全員でかかってきても構わんぞ」

「〝術試し〟の内容をこちらで決めさせてくれれば結構よ。あなたの相手はディール一人でするわ」

「メリッサ様!?」


 いつの間にかこの場を仕切り始めたメリッサの言葉にディールは抗議の意味を込めて名前を呼ぶ。しかしメリッサがそれに取り合うことはなかった。


「くっ。どこまでも俺を莫迦にして。いいだろ修練場に行くぞ。着くまでに〝術試し〟の内容を決めておけ!」


 フェルダとその取り巻きが広間ホールを後にする。

 ディールはどうしていいか分からず、メリッサとフェルダの背中を交互に見つめていた。


「おい、どういうことだ?」


 ビダジールがディールに近寄って来た。今にも掴みかかりそうな勢いだ。


「えっと……僕があの人と〝術試し〟をするみたい……です」

「なんでお前がするんだっ。レオティエの札だぞ!? お前が負ければあいつに札を取られるんだぞ!?」

「えっと……すみません」

「だからそのすぐに謝るクセを直しなさい」


 軽くため息をついて、メリッサは言った。そしてすぐにビダジールの方へと体を向ける。


「それにあなた。駄々を捏ねるだけのお子様は黙ってなさい」


 メリッサの言葉にレオティエが吹き出しそうになる。ビダジールは一瞬、言葉が出ずに口をポカンと開ける。そしてすぐにメリッサを睨んだ。


「なんだと――」

「その顔の化粧は一人前って認められた者に許されるのでしょう? あなたたちの部族の一人前は、助けて貰ったのに礼も言わないような人のことなの?」


 言葉を遮られたばかりか、何も言い返せずにビダジールは黙ってしまった。それを見て、今まで笑いを堪えていたレオティエがついに吹き出す。


「あははは。その少女ひとの言うとおりだよ」そう言ってレオティエはメリッサを見る。「アタシはレオティエ。〝疾風はやちかぜなる馬〟のレオティエよ。こっちは〝疾風はやちかぜなる馬〟のビダジール。

 助けてくれてありがとう」


 そう言ってレオティエはにっこり笑った。その後ろでビダジールは複雑な表情を浮かべていた。


「メリッサ・グートバルデよ。よろしくね」


 メリッサが言葉を返す。そんな彼女を見るレオティエの表情はすぐに不安げものに変わった。


「でも、良かったの?」

「何が?」

「〝術試し〟。アタシの事なのにディールが受けるって」


 心配そうに言うレオティエに対し、メリッサは不敵な笑みを浮かべて見せた。


「問題ないわ。ねぇキュアリス?」

「妾は〝術試し〟のことはよう分からん。じゃが魔術に詳しいお主が言うのなら問題なかろう」

「師匠まで!」


 誰も止めてくれる者がいないと分かり、ディールは情けない声を上げた。

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