第20話 キュアリスは怒る

 薄暗い倉庫のような場所にキュアリスたちは捕らわれていた。彼女は床に横座りしている。膝の上にはシルクが頭を乗せて眠っていた。キュアリスはそっとシルクの頭を撫でる。

 二人の横にはナイアが疲れた様子で座り込んでいた。


「……キュアリス姉様?」


 シルクが身じろぎし、目を開ける。


「起こしてしもうたか。どこか痛む所はないか?」

「大丈夫……です」シルクは首を横に振る。「ここはどこなのです?」

「分からぬ。じゃが新市街のどこかじゃろう。トリオスを出た様子はない」


 キュアリスは安心させるように微笑んでみせた。

 あれからキュアリスたちは拘束と目隠しをされて、馬車に乗せられた。乗ったのは自分たち三人と見張りが一人。一緒に移動したのは御者を含めて、襲ってきた男たちのうち二人から三人といったところか。


 馬車に乗っていた時間からしてそれほど遠くには移動していない。またこの場所まで止まることなく移動してきたところをみると、トリオスの外や旧市街へと移動したわけではなさそうだった。もしそうなら、門を通るために一度停まっているだろう。


 扉の向こうからは大勢の男たちの声が聞こえている。扉が開くと同時にその声も大きくなった。

 入り口から入ってくる明かりで倉庫内が明るくなる。暗がりに慣れていた三人が思わず目をしかめた。


「お前ら、飯だ」


 スローンと男がもう一人、倉庫の中に入って来た。男の方は盆を持ち、その上には小さなパンが三つとスープの入った椀が三つ乗せられている。男は盆をキュアリスたちの前に置いて去って行く。乱暴に置かれたせいで椀からスープが少し零れた。


「おい小娘。この本はどうやって開く?」


 一人残ったスローンが言う。スローンはその手に本を持っていた。キュアリスの魔導書ほんたいだ。


「お主らには無理じゃろうな」さも当然といった様子でキュアリスが言う。

「けっ。外れやしねぇ。何かしかけがあるんだろ?」


 本が勝手に開かないように留めているベルトを、スローンが外そうとする。だがびくともしなかった。


「切ってもいいんだが、無傷の方がより高く売れる。簡単に読めねぇ本ならなおさらだ」

「そのベルトを切ったところで開くことはできぬじゃろうの。もっともお主如きでは本を傷つけることすらできまいて」


 莫迦にしたようなキュアリスの言葉。スローンが近づいて彼女の目の前にしゃがんだ。片手でキュアリスの顎を掴む。


「お前を傷つけるなとは聞いていないんだぜ。痛い目をみる前にさっさと本の開き方を教えな」


 酒臭い息でスローンは言う。よく見れば顔はおろかスキンヘッドになった頭頂部まで赤くなっているのが分かる。キュアリスは冷ややかな目でスローンを見ていた。


「離すのです!」


 シルクが起き上がりスローンの手にしがみついた。引っ張ってキュアリスから引き離そうとするが動くことはない。どんなに力を入れても引きはがせないと分かると、シルクはスローンの手に噛みついた。


「痛っ。このガキっ! 何しやがる!」


 スローンがキュアリスから手を離した。同時に本も落とす。スローンはそのまま立ち上がるとシルクを掴みその頬を殴った。


「シルク様!」


 ナイアが立ち上がりスローンからシルクを奪い取る。スローンに背を向け守るように少女を抱きしめた。涙を、痛みを必死に堪えて、シルクは侍女の肩越しにスローンを睨みつけていた。


「おい、お主」


 感情を押し殺したような低い声がスローンのすぐそばから聞こえた。怒りのせいで興奮したまま、スローンが声のした方を見る。

 そこには銀色の髪をざわつかせながら翠眼で射貫くように見つめるキュアリスの姿があった。


「シルクに手を出しおったな」

「噛みつきやがるのが悪りィんだよっ」


 先程までとは違うキュアリスの雰囲気に気圧されながらもスローンは言う。そして自分を鼓舞するようにキュアリスへと手を伸ばす。


「手前ぇも痛い目みたくなきゃ本の――」


 だが台詞を最後まで言うことなく、スローンは文字通り吹っ飛んだ。派手に転がり壁へと激突する。

 キュアリスはそれを冷ややかな目で一瞥した。彼女の横にはいつの間にか魔導書が開いた状態で浮いていた。


「キュアリス姉様?」


 驚いた表情でシルクがキュアリスを見ている。シルクを抱きしめていたナイアも同じ表情でキュアリスを見る。


「シルク……お主は強いな」


 キュアリスはシルクへと近づきその頬に触れた。シルクの口元からはひと筋、血が流れている。


「口の中を切ったのじゃな」


 言葉と同時にキュアリスの手に光が灯った。手がシルクの頬を優しく包み込む。光が消えた後、キュアリスがゆっくりと手を離す。


「痛くなくなった……です」


 先ほどまであった痛みがすっかり消えていた。シルクは口の中で舌を動かす。切り傷があった場所には何もなかった。

 シルクの言葉を聞いてナイアが少女の顔を見る。殴られて腫れ始めていた頬骨のあたりが綺麗になっていた。


「シルク様……大丈夫なのですか?」


 壊れ物でも触るような調子でナイアがシルクの顔を触る。少しくすぐったそうにしながらシルクは頷いてみせた。


「おい、なんだ。でけぇ音がしたぞ」


 男が数人、倉庫へと入って来た。皆一様に酔いで顔が赤い。壁に崩れるように座り込んだスローンを見つけ、男たちが笑い声を上げる。


「なんでぇスローン。酔って転げたのかよ!」

「くそっ。うっせぇ」スローンが立ち上がる。「あの小娘に分からせてやる。向こうへ連れていくぞ」

「サラセールの旦那から連絡あるまでは手ぇ出さねぇんじゃなかったのか?」

「ガキさえ無事ならいい」

「なら今夜はあいつで楽しむか」


 男が下卑た笑いを浮かべスローンに言う。男たちがぞろぞろと倉庫に入ってキュアリスを見た。


「おい。あの小娘の横に本が浮いてないか?」

「がははは。お前酔いすぎだ。そんなんじゃ勃たねぇぞ」

「いや浮いてるだろ」


 キュアリスはそんな男たちを冷ややかな目で見つめていた。シルクとナイアを守るように、男たちの前に立ちはだかる。


「黙って出て行くつもりじゃったが、どうやらお主らにはきつい仕置きが必要なようじゃの」


 視線と同じくらい冷たい声でキュアリスは言った。


        ☆


 ディールは夜空を飛んでいた。眼下にはトリオスの街。旧市街を抜け新市街の上空を進む。街には人気ひとけもなく、暗いこともありディールの存在に気づく者はいない。

 思いつきだけで飛び出したが、街の様子を見てディールの気持ちがしぼみかけた。街全体が暗いのだ。明るいのは一部だけ。酒場や娼館などがある区画と城館。そして外郭の門と見張り塔などだった。

 普段ならその暗さも気にはならない。だが街中でキュアリスたちの手がかりを探すにはあまりにも暗すぎた。


「服飾店があったのは多分あのあたり……」


 三年前の記憶を元にディールは頭の中に地図を描く。新市街は旧市街と違って日々の変化が大きい街だ。

 空中で一度止まり目的地を見定める。そしてその場所へと向かおうとした瞬間、轟音がディールの耳に飛び込んできた。

 慌てて音のした方向を見る。思いの外近くに音の原因はあった。人気ひとけのなくなった建物群。その一つが崩れていた。


「あれは取引所……?」


 トリオスには搬入された商品を保管し、必要な者たちへと卸すための取引所がいくつか存在する。大きな商会は自分たちの取引所を。そうでない小口の商人や外から来る商人は共有の取引所を利用する。

 音がしたのはその取引所の一つ。サラセール商会の所有する取引所だった。

 ディールは所有者まで知っていたわけではなかったが崩れた建物へと向かった。一瞬、その場所にランプや松明とは違う種類の光を見たからだ。


「師匠!」


 ディールの見た光の近くに、キュアリスが立っていた。光は彼女の横に浮かぶ魔導書が放ったもだ。その後ろにはシルクを守るように抱きしめたナイアがいる。

 そしてキュアリスの前には男たちの姿があった。倒れているのが三人。立っているのが五人。ディールはその五人中に見覚えのある顔を見つけた。


「ディールか。よくここが分かったの」


 空から降りてきたディールに驚くことなくキュアリスが言う。


「探していたら大きな音がしたので……」

「ディール兄様?」


 キュアリスとは違い、驚いた表情を浮かべてシルクが言った。シルクを抱きしめているナイアも同様に驚いている。そんな二人を見てディールが笑顔を浮かべた。


「シルクにナイアさんも。無事で良かった」

「このガキ。空から来やがった!?」


 見覚えのあるスキンヘッドの男の声にディールが視線を向けた。


「スローンさんも――」


 言いかけてディールは言葉を止める。立っている男はスローンを含め五人。スローンが残り四人を相手にしているようには見えない。むしろ全員でキュアリスたちを捕らえようとしているかのようだ。ディールは笑顔を引っ込める。


「誰かと思ったら坊ちゃんか」そんなディールを見てスローンはにやりと笑った。「そういや魔術の修行をしてたんだったな。どうりで一緒にいた小娘が魔術を使うわけだ」

「魔術って……あの小娘、呪文を使わなかったぞ」

「魔術師は呪文がばれないように密唱をすることがある。多分それだろ」


 後ろにいる男の言葉にスローンは答える。


「あなたは最初からシルクを狙っていたんですか?」ディールがスローンに問う。

「おう。最初にそっちのガキと母親を襲ったのは俺の仲間だ」

「じゃあ、ホイスさんたちも……」

「けっ、誰があんな間抜け共と組むか」スローンが吐き捨てるよう言う。「お前らの懐に潜り込むために利用させてもらったんだよ。さて派手に壊してくれたな。じきに人が集まって来る。その前にそこのガキだけでも連れて行かせてもらうぞ」


 キュアリスに警戒しているのか、男たちはじりじりといった様子で近づいてくる。


「ふむ。これで逃げぬのは評価してやろう。まぁ逃がす気もないがの」

「けっ。こちとら魔術師相手に何度もやり合ってるんだ。この人数なら手前ぇの方が逃げられねぇぞ?」


 キュアリスの言葉にスローンが凄んでみせる。警戒はしているが恐れている様子はない。

 涼しい顔でキュアリスはスローンを見返した。胸の辺りに浮かぶ魔導書が、銀色の光に包まれる。刹那、スローンを除く男たちの足もとから岩が現れ脚を覆い始めた。


「なっ!? おい。なんだこりゃ」


 男たちの中に動揺が走った。岩はまるで生き物のように這い上がり、瞬く間に腰までを覆ってしまった。自分たちの知っている魔術とは違う。それを確信することで今までなかった恐怖が男たちの中に生まれ始めた。


「ディール」

「は、はい。師匠」


 キュアリスの魔法に見入っていたディールが慌てて返事をする。


「ちょうど良い。魔法の練習じゃ。お主の思う方法であの禿頭を捕らえてみよ」

「え?」

「少々手荒でも良い。じゃが怪我はさせても殺すでないぞ。ここにはシルクもおるからの」

「え、師匠。殺……って」


 キュアリスの口から出た「殺す」という言葉にディールは動揺する。


「ふざけやがって!」


 スローンが激高した。最初は他の男たち同様、キュアリスの魔法に恐怖を抱きかけていた。だが二人の会話を聞いてその恐怖も消し飛んだ。

 キュアリスがディールに自分を捕らえるように言ったこと。それを練習だと言ったこと。まるで自分の方が目の前の少年より格下だと言わんばかりの言い様いいざまに怒りを覚えたのだ。


「お坊ちゃんごときにできるもんならやってみやがれ!」


 スローンがディールへと迫った。そのまま殴りかかる。ディールは咄嗟に両腕を上げて、顔に向かってくる拳を防いだ。だが衝撃でよろめいて、そのまま倒れそうになる。

 それをキュアリスが背後から受け止めた。


「どうしたディール。シルクを助けに来たのではないのか? お主が頼りないと兄として示しがつかぬぞ」


 ディールは慌てて体勢を立て直した。捕らえるどころか逃げるのもままならない。もともと喧嘩は得意ではないのだ。それでもディールは考える。どんな魔法を構築すればスローンを捕らえることができるかを。


「俺を捕らえるんじゃねぇのか? それともそっちの小娘に助けて貰うか?」


 スローンは悩んでいる様子のディールを見て嘲笑った。

 ディールが魔力廻炉まりょくかいろを展開する。使う元素はプリティヴィテジャス。キュアリスがしたのと同じように岩を使ってスローンの足を固定しようというのだ。


「そんな手くらうかよ」


 だが魔法を構築し岩が足もとに現れた瞬間、スローンは飛び退いた。そしてすぐに距離を詰めてくる。

 魔法の構築に集中していたディールの反応が遅れた。スローンに横方向に殴り倒される。


「ついでに手前ぇもだ!」


 ディールが倒れたことでキュアリスがスローンの目の前に現れた。スローンがキュアリスに向けて拳を放つ。


「師匠!」


 殴られたディールが咄嗟に起き上がりスローンに抱きついた。そのままもつれるようにして二人は倒れる。


「離せ、ガキ!」


 スローンがディールを殴る。だが倒れた状態では充分な打撃にはならない。

 痛みを感じながらもディールが体を離すことはなかった。起き上がろうとするスローンをなんとか抑えつける。だが力の差は歴然。すぐに払いのけられそうになる。

 ディールは慌てて魔力廻炉から元素を取り出して魔法を構築する。使うのはヴァユテジャスだ。そしてスローンごとかぜを纏い、一気に空へと飛んだ。


「なっ!?」


 突然のことにスローンの手が止まる。二階建ての屋根よりも高く浮いたことに驚き思考が一瞬停止した。

 ディールが抱きついていた腕を離す。今まで感じて居た浮遊感が消え、体が落下を始めた。


「ちょ、おい」


 手を伸ばすが何も掴むことができずにスローンは地面へ背中から激突する。強い衝撃を受け息が出来なくなる。

 ディールが上空から降りて来た。スローンの横に立ち魔法の構築を始める。スローンの体の腹部を岩が覆い起き上がれないように地面に固定される。

 落下の衝撃の痛みもあってスローンは動けなくなった。

 ディールがホッとした表情を浮かべる。殴られた部分は内出血で赤黒くなっていた。


「少々手間取ったの。このような状況で魔法を使うのは難しかろう?」


 キュアリスの言葉と同時に手がディールの顔の前に翳される。光と共にディールの傷が癒された。


「はい。最初、避けられたのには驚きました」

「一度見せた魔法じゃと、勘の良い者は逃げるからの」

「ディール兄様!」


 シルクが走り寄って来て、ディールに抱きついた。


「シルク。大丈夫だったか?」

「はい。キュアリス姉様が助けてくれたです。兄様もすごかったです」


 ディールは笑顔を浮かべ、妹の頭を撫でた。


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