ロスト・ソーサリー ~ 魔術の基本である魔力の扱いしか教えて貰えないまま破門されてしまった魔術師の弟子。意志を持つ魔導書に師事したことでやがて失われた魔法を使う魔導師となる ~
第21話 ウォールロックの魔術 キュアリスの魔法
第21話 ウォールロックの魔術 キュアリスの魔法
「聞いたぞ。お手柄じゃったそうじゃな」
「……いえ。僕は一人捕まえるだけで手一杯でした。むしろ師匠の邪魔になったくらいです」
ウォールロックの言葉を受けて、ディールは横に座っているキュアリスを見た。少年の声はどこか弱々しい。
「相変わらず自己評価が低いの。もう少し自信を持て」
呆れた様子でキュアリスが言った。
妹のシルクたちを助けてから二日後、ディールとキュアリスは城館の一室にいた。目の前にはウォールロックとメリッサが座っている。
四人の前にはティーカップが置いてあり、紅茶が注がれていた。
あの後、スローンたちは自警団に引き渡された。トリオスは王領ではあったが、新市街は商人や職人を中心とした組織による自治が認められている。自警団はその組織に属し、主に犯罪の取り締まりを行っていた。
今回の件は
「叔父様の相手は大変だったでしょう?」
笑いながらメリッサが言う。
「報告は父さんと兄さんがするらしいので、僕は会ってないんです」
父親でありシュタット商会の当主でもあるベルデスと兄のケルナーが、報告のために城館に来ていた。今頃二人は、執務室でゲイル将軍と話をしているだろう。
それに合わせて、ディールはウォールロックとの約束を果たす為にキュアリスを連れて来たのだ。
「お主の方は儂に、師匠を紹介してくれるというわけじゃな」ウォールロックはキュアリスを見る。「お初にお目にかかる。儂がウォールロックじゃ」
「お会いできて嬉しく思うぞ、
ウオールロックもキュアリスも立ち上がり、互いに挨拶を返す。
「しかし驚いたぞ。魔法の師というからケデルくらいの年齢の女性を想像しておったのじゃが、ディールと変わらぬではないか」
「これは仮初めの姿じゃ。本来ならもっと大人で〝ないすばでぃ〟なはずなのじゃが、なぜかこの姿での」
そう言ってキュアリスはにまりと笑った。
「仮初めとな?」ウォールロックが不思議そうに訊く。
「ディールから聞いておられぬのか。妾の本体は
そう言ってキュアリスは魔導書を取り出して見せる。革装丁の立派な本。本来なら厚い表紙には眠るように目を閉じた女性の顔が彫刻されているが、今はのっぺりとした革のままだ。裏表紙には
「……師匠」
ディールの少し困ったような声と表情。そんな弟子を見てキュアリスは柔らかい笑みを浮かべる。
「お主が妾のことを人として
「本が本体……というのはどういうことじゃ?」
ウォールロックが問うた。キュアリスの言葉の意味を計りかねているのだ。それは横に座るメリッサも同じようだった。
「妾は
「本に……人格と知識を。魔法とはそのようなことができるのか」
「簡単ではないが、可能じゃ。魔術ではできぬのか?」
「モノに人格や知識を与えることはできぬな。少なくとも儂は聞いたことがない」
ウォールロックの手が顎髭に触れる。撫でるような動作をしながら、じっとキュアリスと魔導書を見つめている。その視線はキュアリスの言葉の真意を確かめようとしているふうにも見えた。
「それに……魔術でもゴーレムを作ることは可能じゃが、あれは単純な命令をこなすだけの人形じゃ。表情やしぐさ。どれも自然でキュアリス殿は人間にしか見えぬ。なによりこうして儂らと話ができるのじゃからな」
「ふうむ。ディールから色々と聞いてはおったが、魔法と魔術は随分と違うようじゃな。
「魔術のゴーレムをかの? 構わぬがあれは準備に時間がかかる。すぐには無理じゃな」
「いや、呪文を使い魔力に直接形を与えるというのがどういったものなのか見てみたい」
そう言ったキュアリスの目は好奇に満ちていた。ウォールロックに会って欲しいと言ったディールの申し出を、二つ返事で受けくらいだ。よほど魔術が気になっていたのだろう。
「ならば……そうじゃの」
【我命ず。其は羽ばたく光なり。
右手の人差し指を立て、ウォールロックが言う。口からでるのは呪文。そして魔力を帯びた声だ。
指の僅か上に光りが灯った。それは最初玉であったが、すぐに柔らかな光の羽根を持つ蝶へと形を変える。光の蝶はゆらゆらと飛び、キュアリスの目の前へと辿り着いた。
キュアリスは手の平を上にして蝶を迎える。
「これは……見事じゃ。生き物を造るなど、魔法でもそう
蝶を見ながらキュアリスが言う。その表情と声から本気で感心しているのが分かる。
「褒めてもろうて嬉しゅうはあるが、それは本物ではない。魔力に形を与えただけじゃ。呪文に込めた魔力が尽きれば消えてしまう」
老魔術師が言い終わると同時に、ゆっくりとその輝きを失うように光の蝶が消えた。
「でもすごいです。まるで本物の蝶のようでした」
キュアリスの横で、ディールが興奮したように言う。魔術とは呪文により魔力へ形を与える
だが通常は単純な形で顕現させる。そして複雑な動きを持たせるのは難しい。それを呪紋陣もなくやってみせるには、呪文を良く理解し、魔力の扱いに長けていなければできない。
「お師匠様なら当然よ。これが私の目指す魔術なんだから」
メリッサは自分が褒められたかのように、嬉しそうに言った。その表情もどこか誇らしげだ。
ディールはメリッサの台詞を聞いて、彼女の使った火系の魔術を思い出していた。方錐形の炎に螺旋の動き。四節の呪文を使ったとしても、作り出すのは
彼女ならこの先きっと優秀な魔術師となるだろう。
「今度は儂から一つお願いしてもよいかの。魔法を見せては貰えぬか?」
「見事な魔術を見せてもらった礼じゃ、断る理由はない。が……何をみせたものか」
キュアリスは小首を傾げ考え込んだ。
「師匠。水を。水を造ってみせては?」
何か思いついたらしく、ディールが唐突に言った。キュアリスは弟子の方を見る。
「水? そんなもので良いのか?」
「はい。多分、魔法と魔術の違いが一番出ると思うので」
そう言って、ディールは目の前に置かれた紅茶を飲み干した。そしてキュアリスの目の前にティーカップを差し出す。
「ふむ。よう分からんが、お主がそう言うのなら……」
本がキュアリスの横に浮かび上がった。本が開き銀色の柔らかい光に包まれる。
キュアリスの目の前、ティーカップの上に水の玉が生まれた。何もない所から突然に現れた水の玉は、そのままティーカップの中に落ちていく。
ディールは水を零さないよう注意しながら、ティーカップをウォールロックたちの前に置いた。
「これは……?」
「ただの……水じゃ」
ウォールロックの問いにキュアリスが答える。そして戸惑いながらディールの方を見た。
「これで良かったのか?」
「えっと……はい」
ディールは再びティーカップを持つと、中に入った水を飲み干した。
「なんと!?」ディールの行動にウォールロックは驚いているようだった。「それはまさか、飲める水なのか?」
「飲める? まぁただの水じゃからの。なんの仕掛けもないぞ?」
「ただの水じゃからこそ、驚いておるのじゃよ。魔術でも水を造ることはできるが、それはあくまで魔力が形を変えたものじゃ。先程の蝶と同じように込めた魔力が尽きれば消えてしまう。とても飲み水にはできぬ」
「……あっ」
老魔術師の言葉を聞いてメリッサが何か思い出したかのように小さく叫んだ。そして不機嫌な顔をしてディールを見た。
「貴方、大人しい顔して根は意地悪なのね」
「え?」
突然のことにディールはぽかんとした表情になった。そんなディールをメリッサは軽く睨み付ける。
「森で水のことで莫迦にしたのを根に持っているのでしょう?」
「あっ……す、すみません。そんなつもりじゃ」
メリッサが不機嫌になった理由を察して、ディールは慌てて謝った。魔法で水を造るように提案したのは、確かに大森林での一件を思い出したからだ。
しかしそれはメリッサを恨んでのことではない。あの件で魔法と魔術の違いを強く認識したから印象に残っていたのだ。
「なんの話じゃ?」
ウォールロックがメリッサ、ディールの順に見て訊いた。ディールはメリッサの目を気にしながら、しどろもどろに大森林であったことを話し始めた。
「ほほほっ。なるほどの。魔獣の件だけでなく、こちらでもメリッサから一本取ったわけじゃな」
「お師匠様!」
楽しそうに話すウォールロックを見てメリッサはむくれた顔をする。その様子は仲の良い祖父と孫娘が会話しているようにも見えた。
「貴方を莫迦にしたことは謝るわ。でもちょっと酷くない? あの時の私は魔法のことなんて知らなかったんですからね」
「い、いえ。本当にそんなつもりじゃ……すみません」
「貴方に謝られると余計に惨めね……まぁいいわ」メリッサが表情を和らげる。「魔法のような飲める水は造れなくても、魔術が劣っているとは思わない。貴方がびっくりするような魔術師になってやるんだから」
メリッサの機嫌は戻ったようだった。ディールがホッとした表情を浮かべる。
「うむ。お主の言う通りじゃ。妾も魔術が魔法に劣るとは思わん。そもそも魔法と魔術では目的が違おう」
「目的というと……世界の真理の探究というやつかの?」
「そうじゃ。その話はディールから聞いておられたのじゃったな。魔法が使えることは魔導師にとって必須じゃが、一番大事なのは真理を探究する志を持つことじゃ」
キュアリスはディール、メリッサ。そしてウォールロックの順に見つめる。
「それにしても魔術は非常に興味深い。このような
キュアリスを見つめ返しながら、ウォールロックの手が顎髭に触れる。ひとしきり何か考えた後、老魔術師はディールを見た。
「のう、ディールよ。あの話をもう一度考えてみぬか?」
「あの話……ですか?」
「魔術学院の話じゃ。お主らさえよければ、二人分の推薦状を書いてやってもよい」
「なんの話じゃ?」キュアリスがディールに問う。
「えっと……ウォールロック様が王都の魔術学院で魔術を学ばないかと」
恐る恐るといった様子で、ディールは話し始めた。ウォールロックに弟子にならないかと誘われたこと。それが嫌なら魔術学院に行ってみないかと言われたこと。
そのことはキュアリスには話していなかった。魔法の話を聞いてウォールロックが彼女に会いたがっていたと伝えたのみだ。
「なぜお主はそのことを話してくれなかったのじゃ?」
「それは……えっと、僕には魔法がありますから魔術を学ぶつもりは……ないので」
上目使いにディールはキュアリスを見る。キュアリスと目が合った。
「のうディール、お主は本当に
そう言ったキュアリスの声も表情も穏やかだった。彼女が怒っているようではないと分かり、ディールは内心ホッとする。
「それは、もちろんですっ」
「ならその考えを改めよ。お主は真理を探求し、貪欲に知識を求めることを誓ったであろう? 己の知らぬ知識を得る機会があるのならそれを求めよ」
「でも……魔法だったまだまだなのに、そのうえ魔術なんて……」
「そうじゃの。お主がまだ魔術廻炉を開くことが出来ぬヒヨッコなら妾とて勧めはせぬ。じゃがお主は腐っても第七
そして知識はなにも魔法だけの話ではない。それ以外の様々な
「でも……」ディールが顔を上げて真っ直ぐにキュアリスを見つめる。「僕は師匠に魔法を教えて貰いたいんですっ。まだまだ師匠の元で学びたいんですっ」
必死に、すがるような瞳でディールはキュアリスを見ている。
「なんじゃ。お主、妾に捨てられるとでも思ったのか?」
「……いえ。そんなこと……は」
ディールの台詞は歯切れが悪かった。そんなことはないと分かっていても、心のどこかで考えてしまうのだ。キュアリスはディールに魔法を教えるのが嫌になったのではないかと。
「莫迦じゃのお主は。言うたであろう」キュアリスがにまりと笑う。「期待だけさせて何も教えぬなど、妾は決してせぬぞ」
それはベルデスと対峙した時にキュアリスの言った言葉だった。ディールがハッとする。
「本に戻ってお主の荷物に紛れれば、いつでも共におることができる。魔術を学ぶからと言って魔法を疎かになぞさせぬわ。それに、古代語は魔術学院でなら習えるのであろう?」
「師匠……」ディールの顔にもう怯えはなかった。「わかりました。でも、学ぶなら師匠も一緒です。一緒に学院にいきましょう」
ディールがウォールロックを見る。真剣な表情で、真っ直ぐに、
「ウォールロック様。こちらの方からお願い致します。僕と師匠の推薦状を書いてくださいませんか?」
ディールは立ち上がって、老魔術師に頭を下げた。それを見たキュアリスも立ち上がり同じように頭を下げる。
「
「弟子の為に頭を下げるか。ディール、良い師匠を持ったの」
「はいっ」
元気よく返事をするディールを見て、ウォールロックは好好爺然とした笑顔で頷いた。
「うむ。推薦状は間違いなく書かせてもらう。じゃが一つだけ条件をつけてもよいかの?」
「条件……ですか」不安そうなディールの声と顔。
「なに。大したことではない。推薦状を書く代わりに、儂に魔法を少し教えてくれぬか? 呪文もなしに先程のような現象を起こすなど実に興味深い。それこそ知識として知っておくだけでも魔術に応用できるかもしれぬ」
そう言って浮かべたウォールロックの表情は好奇心に満ちていた。まるで少年のように若々しく見える。
「ふははは。どうやら
一気に若返ったような老魔術師を見て、キュアリスは楽しそうに言った。
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