第8話 メリッサの魔術 ディールの魔法

 水場はディールたちが休憩していた場所から少しだけ奥へと歩いた所にあった。そこは僅かに開けており、奥からは小さな川が流れて来ている。

 その場所に三人がたどり着いた時、すでに先客がいた。

 先客は一頭。川の水を飲んでいる鹿だった。大きさはディールたちと同じくらい。鹿は立派な角を持っていた。そしてその角はひたすら黒く、表面には波のような文様が白い線で描かれていた。


「!?」


 それに気づいてディールとメリッサが足を止めた。ヘジデは急に止まった二人を不思議そうに見る。

 三人の気配に気づき、鹿が顔を上げる。ディールたちを見る瞳は赤い。


「鹿の……魔獣ね」


 魔力の影響を大きく受けた獣を魔獣と言う。目の前の鹿の持つ角の様相と、瞳の色はその証だった。そして魔獣は元の獣の性質に関わらず凶暴化する。

 通常なら人をみれば逃げてしまう鹿が、まるで睨めつけるように三人を見ている。警戒のみならず場合によっては攻撃する意図を持っているかのようだ。


【我命ず。其は鋭きつぶてなり。細雨さいうとなりて降り注ぐ】


 メリッサがいきなり呪文を唱える。無数の礫が頭上に現れ、魔獣めがけて降り注いだ。

 魔獣は咄嗟に避けることがができず、礫の雨を全身で受ける。

 礫の雨が消えた後、そこには体のあらゆる箇所から血を流している魔獣が立っていた。細かい穴や切り傷に覆われ、角も所々欠けていた。数瞬ののち、魔獣が地面に倒れる。

 まだ絶命していないのか、倒れてなおディールたちを睨み立ち上がろうとしていた。


「キュィィィィィィィ!」


 そして甲高く耳障りな悲鳴を上げて絶命する。


「すごい……一撃で」


 その様子を見てヘジデが言う。鹿とはいえ魔獣化している。魔術であってもそれを一撃で倒せる保証はない。それをやってのけたメリッサをヘジデは見直した。〝術試し〟ではアッガスに完敗したが、魔術師としては自分などより遙に格上だとヘジデは思い知らされる。


「ま、ざっとこんなものね。わたしの実力は理解できたわね!」


 メリッサがヘジデを見て得意げに言う。なおもヘジデに向けて話し続けているメリッサの声を聞きながら、ディールは奥から下草を掻き分けて進むような音がしていることに気づいた。

 音はこちらに近づいて来ている。


「メリッサ様、何か聞こえませんか?」


 ディールが言った。メリッサは気分良く話していたのを遮られ、不機嫌な様子でディールを見た。


「なによ。何も聞こえな――」


 ディールの視線の先にそれは現れた。メリッサが同じ方向を見て言葉を失う。

 出てきたのはディールたちの身長を遙に超える巨体とそれに負けない大きな角を持つ鹿だった。黒に白い紋様をもつ角と赤い瞳。魔獣だ。その魔獣の胴体と後ろ脚に見覚えのある傷跡を見つた。体には折れた矢もいくつか刺さっている。

 ディールが何か思い出したような表情になった。


「あれ多分、みんなが追いかけている魔獣です」


 この魔獣は以前にディールが出会った魔獣だ。そして狩りに出た者たちが仕留め損なったという魔獣だ。

 巨体の魔獣は、メリッサに倒された魔獣の死体に近づき鼻先で突っついてみせた。そして動かないことを確認するとディールたちを睨みつけた。


「ひっ!」


 ヘジデが悲鳴を上げる。


【我命ず。其は穿つ炎なり。鋭く螺旋を描くものなり。触れるものを真直まなおに貫く】


 メリッサが咄嗟に呪文を詠唱する。方錐形の炎が回転しながら魔獣へと迫った。

 魔獣は角を突き立てるようにしてそれを迎え撃つ。

 刹那、炎の方錐形が魔獣に直撃し、爆炎となってその全身を包んだ。炎はすぐに消え魔獣がその姿を現す。

 魔獣の角の片方が大きく欠けていた。首から体にかけて一部が抉れており、焦げた匂いがディールたちの鼻孔をくすぐった。

 それでも魔獣は倒れることなく、メリッサめがけて突進を始めた。


「あなたたちはあたしの後ろ!」


 メリッサがディールの前に立つ。


【我命ず。其は防ぐ岩なり。留める堰堤えんていなり。固き守りにて何者も通さず】


 四節の呪文にいつもより多くの魔力を込めて詠唱する。メリッサの前に大きな岩の壁が現れた。

 魔獣は障害を意に介したふうもなく、そのまま突っ込んで来る。重い衝撃音が鳴り魔獣が止まる。魔術により造り出した岩壁に亀裂が入った。


「め、メリッサ様。今のうちに逃げましょう!」ヘジデが言う。

「何を言っているの。こいつを倒して、アッガスよりあたしの方が実力が上だって証明してやるわ!」

「こいつを倒すのとアッガスさんに負けたことは関係ないじゃないですか!」

「いちいちうるさいわね。逃げたいのなら勝手に逃げなさい。でも帰ったらわたしが倒したって証言してもらうわよ」


 メリッサとヘジデが言い合っている間も、魔獣は何度も岩壁に向かって突進を繰り返した。そのたびに亀裂が大きくなりついには岩壁が崩れる。

 岩壁を形作っていた魔力の残滓が光の粒となって消えていく。


「っ!」


 岩壁を突き破った勢いそのまま、魔獣がメリッサめがけて突っ込んでくる。ヘジデとの会話に気をとられ、彼女の反応が遅れた。

 魔獣は角で掬い上げるようにメリッサを襲った。メリッサの体が吹き飛ばされる。


「メリッサ様!」


 ディールが咄嗟にメリッサの体を受け止める。二人は転がるようにして背後にあった木にぶつかった。


「うわぁぁぁぁ!」


 ヘジデが叫びながら逃げて行く。その姿はすぐに森の中へと消えていった。

 ディールが呻きながら体を起こそうとする。だが上にはメリッサが仰向けになって乗っており、すぐには起き上がれない。


「メリッサ様、大丈夫ですか?」


 ディールの言葉にメリッサは答えない。苦しそうな息づかいだけが聞こえてくる。ディールは体をずらして少女の下から這い出そうとした。


「いっ!」


 突如、メリッサが体を丸めるように動いた。そのおかげでディールは彼女から解放される。しかしメリッサが体を丸めたまま動かないのを見てとると、慌てて彼女へと近づいた。


「メリッサ様!?」

「……痛い。痛いよぅ」


 絞り出すようにメリッサが言う。

 ディールは手を伸ばそうとして、錆びた鉄の匂いが自分の手からすることに気づいた。見るとディールの手は血で濡れていた。

 ハッとして体を丸めているメリッサを見る。彼女の手は左脇腹を押さえていた。その手の間から血が流れ出ているのが見てとれた。地面に血溜まりができ始めている。


「キュュュュア!」


 巨体からは想像できない甲高い声が、魔獣の口から放たれた。それはディールたちを威嚇するための雄叫びだ。

 ディールが視線を魔獣に向ける。魔獣は今にも突進してきそうだ。


(メリッサ様が怪我を。でも魔獣が)

 ディールは焦る。前にこの魔獣と会った時はなんとか逃げ切ることができた。けど今回は違う。一人ではないのだ。

 怪我をしているメリッサを抱えて逃げるとなると追いつかれてしまうだろう。かといって、メリッサを置いて逃げるという選択肢はディールの中にはない。

 そして前回と違うことがもう一つだけあった。それはディールが魔法を知っているということだ。


(魔法でメリッサ様みたいな攻撃を)

 ディールは倒れているメリッサを庇うように立ち上がる。視線は魔獣から離さない。

 自分にできるだろうか。ディールは弱気になる。そもそもどうやって魔法を使って攻撃すればいいのか分からない。

 ――元素は組み合わせることもできる。

 ――基本属性で言えば、テジャスで火球を造り、ヴァユで運ぶとかじゃな。

 キュアリスの言葉がディールの脳裏に浮かぶ。メリッサが見せた火系統の呪文。あれと同じことができれば、魔獣にダメージを与えられるかもしれない。


(だめだ。あれは複雑だ。再現なんてできない)

 ディールはまだ五大元素の持つ属性を全て知っているわけでもなければ、どのように組み合わせれば良いのかも知らない。だから複雑な魔法を構築することはできない。


(もっと単純でイメージしやすいものを)

 その時思い浮かんだのは、メリッサが最初に唱えた地系統の呪文だった。無数の礫を雨のように降らせ魔獣を一撃で倒した魔術。

 目の前の魔獣はそれよりも巨大だ。同じことをしても倒せないかもしれない。


(けど、もっと大きい岩を落とせば)

 ディールは魔獣を睨みながら魔力廻炉まりょくかいろを展開した。魔力を廻らせ元素へと還元する。

 使うのは岩を構築するためのプリティヴィ。そしてそれを飛ばす風を生み出すためのヴァユ。イメージするのは巨大な岩。重いものを巻き上げる竜巻のように強い風。


「鋭く尖った大きな岩」


 右手を上げると同時にディールの頭上に岩が現れた。それは大きくまるで槍のような岩だった。


「嵐のように飛ばす風」


 その岩の槍が真っ直ぐに飛んでいく様をイメージする。風が巻き起こった。岩の周りを渦巻き始める。


「いっけぇー!」


 右手を振り下ろすと岩槍がんそうは魔獣めがけて飛んでいった。魔獣はメリッサの時と同じように、角を突き立てるようにしてそれを迎え撃つ。

 巨大な岩槍は角を弾き、魔獣の頭を揺らした。角ごと弾かれ体勢が崩れる。

 岩槍はそのまま突き進み、露わになった胴体に突き刺さった。

 轟音が辺りに響く。

 岩槍は魔獣の胴体を突き破り地面へと深く突き刺さっていた。


「キュォォォォォン!」


 魔獣が叫びながらもがく。しかし地面深くまで刺さった岩槍はびくともしない。やがて魔獣は動かなくなり赤い瞳から光りが消えた。


「はぁはぁ」


 ディールはその場にへたり込みそうになり、しかしすぐに自分の頬を両手で叩いて持ち直す。そして倒れているメリッサへと近づいた。


「メリッサ様、しっかりしてください!」


 メリッサは答えない。粗く息をしながら「痛い」と呟くのみだ。左の脇腹からは血が流れ続けている。このままでは危ないことはディールにも理解できた。


(どうすれば……)

 ここは大森林の奥だ。メリッサを抱えていくのも、一人で街まで助けを呼び行くのも時間がかかる。

 ――お主の怪我が治ることをイメージして魔法を構築したのじゃ。

 キュアリスの言葉と共に、自分のたんこぶを治してもらったことを思い出した。


(そうだ。魔法なら治せるかもしれない)

 あのときの自分と、今のメリッサの怪我は比べものにならない。治せるかどうかも分からない。でも少しでもできることがあるのなら――


(使うのはヴァユ。怪我が治ることをイメージ)

 だが、イメージが浮かばない。魔法が構築できない。

(焦るな。元気だったメリッサ様を思い浮かべるんだ)

 ディールは怪我をする前のメリッサを思い浮かべた。知り合って間もないメリッサ。ディールに思い浮かべられるのはこれまでに見た、気の強いメリッサだ。


「治れ! 治れ!」


 両手を傷口に向けて、ひたすら叫ぶ。

 光が、ディールの手の中に生まれた。それは強くなりメリッサの傷のあたりを包み込んだ。

 血が止まり、傷口がゆっくりとふさがっていく――


「……あなた……何を、したの?」


 急に痛みが引いたことに驚いてメリッサがディールを見た。顔色は青白く決して元気とは言えない。口調も弱々しい。

 だがこれならすぐに死ぬようなことはないだろう。


「傷を。治したの? まさか、そんな」

「……えっと」


 ディールは言葉に詰まった。どう説明すればいいのだろう。


「おい、誰かいるぞ! 怪我人か!?」

「うわっ。なんだこれ。魔獣が二匹倒れてるぞ」


 森の奥から五人組の男たちが出てきた。ディールとメリッサがそちらを見る。

 みな皮鎧を着て剣や弓といった武器を持っていた。魔獣狩りに出ていた猟師か冒険者たちだろう。


「すっげー音がしたから来てみりゃ、なんだよこれ」


 男の一人が縫いつけられるようにして息絶えている魔獣を見て言う。


「嬢ちゃんたちはクラウブルの街の者か?」

「わたしは――」


 メリッサは立ち上がって問いかけに答えようとして――その場に崩れ落ちた。体に力が入らないようだ。


「おい大丈夫か?」

「話は後だ。街へ運ぶぞ」


 ディールとメリッサは男たちに付き添われて街へと帰って行った。

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