第7話 メリッサ様は諦めない
「さぁ、あなたたち。行くわよ!」
「は?」
間の抜けた声がヘジデの口から漏れた。声だけでなく表情も間が抜けている。それは横に立つディールも似たようなものだった。
〝術試し〟から二日後。アッガスの卒業試験の最終日に、メリッサは再びケデルの家に現れた。そしてディールとヘジデを見つけると先ほどの台詞を放った。
「お師匠様が試験をしている間、あなたたちがわたしの世話をしてくれるのでしょう?」
メリッサは強い視線を二人に向けてくる。
「ひっ!」
「えっと……そうです」
睨まれて、ヘジデがディールを前に押し出した。ディールが恐る恐るといった様子で答える。
昨日は姿を見せなかったので、ディールとヘジデは相手をしなくても良いのかと安堵していた。ウォールロックの話では、悔しさのあまり屋敷に籠もりっきりだったらしい。メリッサとウォールロックはこの街の税収管理を任されている、代官の屋敷に身を寄せているとのことだった。
「じゃあ、行くわよ!」
そう言ってメリッサは外へと向かう。そして二人がついて来ないことに気づいて振り返った。
「何してるの。早く来なさい!」
ディールは思わず後ろを振り返った。ヘジデと目が合う。
「お前がいけよ」
そう言ってヘジデはディールを押した。
「二人ともよ!」
ヘジデの言葉が聞こえたのか、両腕を胸の前で組んだメリッサが言い放つ。思わずヘジデが首を竦める。メリッサは踵を返すとそのまま外へ出て行った。
二人が慌てて少女を追いかける。歩きながら、ディールはヘジデに
「メリッサ様。えっと……どこに行くのですか?」
「大森林よ」
「大森林……ですか?」
「そう。魔獣が出たって聞いたわ。それを討伐しに行くの」
「ま、魔獣討伐って、そんなっ!」
ヘジデが慌てたように言う。クラウブルの街に隣接する大森林。この街は大森林から恵みを得ることで成り立っている。その中には大森林に生息する魔獣の討伐とそこから得る食料や素材も含まれる。
そして魔獣討伐は猟師や冒険者たちの仕事だ。それも複数で組んで、装備を充実させた上での。
魔術が使えるとはいえ、貴族のお嬢様や見習い魔術師にできる仕事ではない。
「大丈夫よ。お師匠様と一緒に魔獣討伐に参加したことがあるもの。これでも一匹、仕留めたことがあるのよ」
立ち止まってメリッサが振り返る。両手を腰にあて胸を張り、顎を少し上げてディールたちを見ている。
「それにあなたたちは何もしなくていいわ。二人を連れて行くのは、わたしが魔獣をちゃんと討伐したっていう証人になってもらうためよ」
「証人? なんでですか?」ディールが言う。
「あの、アッガスとかいうヤツに再戦を申し込むためよ。一人で魔獣を討伐してくれば、受けないわけにはいかないでしょう?」
「それ、討伐は別に関係ないんじゃ……ひっ!」
ヘジデの呟きを聞き咎め、メリッサが睨み付ける。ヘジデはディールの後ろに隠れた。
「とにかく! あなたたちは証人なの。ついて来なさい!」
「ディール、お前だけ行ってこいよ」
「証人は一人より二人の方が説得力あるでしょ!」
メリッサはとことん耳が良いようだった。ディールの後ろで呟いたヘジデの声をしっかり聞いていたらしい。
「……はい」
ヘジデの返事に気を良くしたのか、メリッサは再び歩き始めた。三人はすぐに大森林へと続く門へとやってくる。
「今日はみんなでお使いか?」
ディールの姿を見て、顔なじみの門番が声をかけてくる。
「えっと……はい」
「以前、討伐に失敗した魔獣がまた現れたった話だ。狩りに出てる連中が多いから、奥まで行かないようにな」
「その魔獣を討伐しに行くのよ」
メリッサが横から口を出した。門番がきょとんとした表情でメリッサを見る。
「お嬢ちゃんがか? そりゃいい。気をつけなよ」
まったく本気だと思っていない調子で門番が言う。メリッサがむっとした表情を浮かべた。
「ちゃんと魔獣討伐の経験はあるわ。それとお嬢ちゃんじゃないわ。メリッサ・グートバルデよ」
「はいはい。メリッサちゃんね。って、え? グートバル……デ?」
門番が驚いた顔でメリッサを見て、ディールに視線を移した。
「魔術師ウォールロック様のお弟子で、グートバルデ伯爵さまのご息女です」ディールが答える。
「し、失礼しましたっ。メリッサ様!」
門番が急に畏まったのを見て、メリッサは満足そうに頷いた。
「通るわよ」
「は、はい。どうそ」
メリッサが門を抜ける。その後ろをディールとヘジデが続いた。門番とすれ違う時、ディールが頭を下げる。
そして三人が大森林に入ろうとした頃、門番が慌てて声をかけた。
「あの、魔獣討伐というのは、冗談……ですよね?」
「本気よ!」
引き留めはさせはしないとばかりに、メリッサが強い調子で答える。そのまま止まることも振り返ることもなく、メリッサは大森林へと入っていった。足取りの重いディールたちを引き連れながら。
☆
入り口からは簡素だが馬車がすれ違えるほど広く、しっかり踏み固められた土の道が大森林の奥へと続いている。それを中心に羽状の葉脈のように広がっている
三人は途中から枝道へと入り大森林の中を進んでいた。
街を出たのは太陽が中天に差し掛かる前。今は中天を超え始めていた。結構な時間が経っている。メリッサは疲れた様子を見せながらも、先頭を黙々と歩いていた。その後ろに続くディールはまだ元気だ。
そして二人から少し離れてヘジデが歩いていた。ヘジデの息は上がっており、今にもへたり込みそうだ。
「メリッサ……様。休憩……しまし……ょう」
情けない声でヘジデが言った。これで七度目の提案だ。最初は即座に却下して歩き続けていたメリッサだったが、さすがに疲れたのか足を止めて振り向く。
「そうね。どこか木陰に座りましょう」
三人は道の横にあった、少し開けた場所に座った。頭上には木の葉が生い茂っており、良い具合に光を遮ってくれる。
「全然、いないわね」
メリッサが独り言のように言う。
大森林に入ってから三人は他の人間には出会わなかった。今は狩り損ねた魔獣を追って多くの人間が大森林を捜索しているはずだ。
大森林は広い。しかし未だそういった人たちと出会っていないということは捜索する場所が間違っているのかもしれない。
そもそもメリッサは何か確証があってこの方向に進んで来たのか。それすらもディールたちには分からなかった。
「森に入ればすぐに見つかると思ったのに。ねぇ、あなた」
メリッサはへたり込んでいるヘジデを見て言う。
「ヘジデ……です」
「名前は訊いてないわ。どこかに水場はない? 喉が渇いたの」
「……森のことは、俺よりもディールが詳しいです」
そう言ってヘジデがディールを見た。メリッサもディールに視線を向ける。
「えっと、水場は探せばあるとは思いますが……」
「なに? 言いたいことがあるのならはっきり言いなさい」
何か言いたげなディールの様子にメリッサが不快感を露わにして問う。
「メリッサ様くらい魔術が得意なら、水を作ればいいんじゃ……」
「は?」
「………あははははっ。ディール、お前」
ディールの言葉にメリッサは唖然とし、ヘジデは大声で笑った。
「あなた、もしかして莫迦なの?」
「……えっと?」
「魔術は呪文によって魔力に形を与えるものよ。込められた魔力が尽きれば消えてしまうわ。あくまで魔力が形をもったものなのよ。飲むための水なんて作れるわけないじゃない。
魔術は便利ではあるけど、なんでも出来るわけじゃないわ。それくら知ってると思うけど……あなた本当にケデル様の弟子なの?」
でもディールは思ったのだ。魔法なら作ることができる、と。
魔法は魔力から還元した五大元素を使って現象を起こす。そして元素はこの世界を構成するものだ。
もっとも今のディールでは、メリッサの喉を潤すほどの水は作れはしないだろう。だがキュアリスなら作ることができるはずだ。自分より遙に魔法に長けた彼女なら。
そして自分など比較にならないほど魔術に長けている――
そこまで考えてディールは自分が魔法と魔術を混同していることに気づいた。いつの間にかディールは魔術ではなく魔法を中心に物事を考えていたのだ。
「メリッサ様。そいつはまだ呪文を教えてもらってないんですよ」
ヘジデがからかうように言う。
「あら。あなた弟子入りしたばかりだったの? なら知らなくて当然ね」
「いえ……三年になります」
「三年も経つのに呪文一つ教えてもらえないの!?」
メリッサは最初は驚くように、しかしすぐに哀れみの目をディールに向けてくる。
「三年経っても呪文を教えてくれないのなら、ケデル様はあなたを才能なしとみたのね。魔術師になるのは諦めた方がいいわ」
そう言ったメリッサの声には、同情の響きが混ざっていた。
ディールが思わず俯いた。しかし不思議と気の落ち込みようは少なかった。ショックがないと言えば嘘になる。だがメリッサの言葉をどこか冷静に受け止める自分がいるのも確かだった。
それは魔法という存在を知ってしまったからかもしれない。魔術とは違う。けど魔力を使って自分にもできることがあるのだと。
「……水場は多分、こっちです」
ディールはそれだけ言うと、立ち上がって歩き始めた。微妙な空気の中、二人がついてくるのが気配で分かる。
自分の懐にはキュアリスにもらった栞がある。この栞は迷いの結界に惑わされないよう、持つ者に図書館の方角を教えてくれる。
栞から伝えられる図書館の方角とこれまで歩いてきた道から、周辺の地理は頭に思い浮かんでいた。
ここから少し歩けば水場があったはずだ。
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