第9話 破門

 メリッサたちと森へ出てから二日後。ディールはケデルの部屋に呼ばれていた。

 部屋にはディールとケデルの二人きり。椅子に座ったケデルがディールを見ている。


「あの……メリッサ様は?」

「安静にするよう言われているが、無事だ」


 ケデルの言葉にディールはホッとした表情を浮かべる。街に辿り着いてすぐに、ディールはメリッサと離ればなれになった。

 メリッサの様子を見て門番たちが大騒ぎしたのだ。それはそうだろう。領主の娘が青い顔をして、男に背負われながら帰ってきたのだ。メリッサだけすぐに何処かへ運ばれて行った。

 ディールはディールで、街へついたことに安心したのか力が抜けて倒れてしまった。昨日一日、自分の部屋で休んでいたのだ。


「ヘジデからおおよその話は聞いた」


 ヘジデはディールたちが街についた後、捜索が行われ無事に発見されて帰ってきたらしい。そう言えばヘジデとはここ二日ほど顔を合わせていない。


「メリッサ様にも困ったものだな。ヘジデもお前も巻き込まれて災難だった」

「……いえ」

「だが、貴族を――それも領主の娘を危険な目に遭わせたことは事実だ。なんのお咎めもなし……とはいかん」

「…………」

「ディール。お前とヘジデを破門する」

「え!?」


 何を言われたのか分からないといった表情で、ディールはケデルを見る。


「ヘジデには昨日伝えた。すぐに出て行けとは言わん。が、荷物は纏めておけ」


 これ以上、何も言うことはないとばかりにケデルはディールに背を向けた。そして机に向かって書き物を始める。

 ディールはしばらくその場に立っていたが、ケデルがそれ以上何も言ってこないと分かると静かに部屋を出て行った。


「ディール! もう大丈夫なのか?」


 自分の部屋に入ろうとした所で、アッガスに呼び止められた。


「アッガスさん。試験の邪魔をして、すみませんでした」


 メリッサのことでウォールロックが呼び戻されたと聞いた。


「大丈夫だ。試験は終わっていた」


 ディールたちが街に帰って来たのは夕刻近くになってからだった。なら試験が終わっていたとしても不思議ではない。


「結果はどうでしたか?」

「合格だ」

「おめでとうございます」


 ディールは笑顔を浮かべて言う。だがその笑顔はどこか寂しそうだった。それに気づいてアッガスが心配そうな表情を浮かべた。


「ありがとう。ところで先生に何か言われたのか?」

「……僕とヘジデさんは破門だそうです」


 俯いて、絞り出すようにディールが言う。


「なっ!? それでヘジデは今日来なかったのか。でもなんでいきなり破門なんて」

「メリッサ様を危険に晒したから……です」

「あれはお前たちのせいではないだろう。メリッサ様が無理矢理連れ出したんだ。お前たちが責任をとるようなことじゃない」


 アッガスは本気で怒っているようだった。ディールはそれを嬉しく思った。思えばアッガスはいつもディールを気にかけてくれていた。まるで兄のように。実際、ディールは故郷にいる年の離れた兄とアッガスを重ねて見ていた。


「俺が先生に言ってきてやる」

「いいんです!」


 ケデルの所に向かおうとしたアッガスを、ディールは言葉で止める。


「お前はそれでいいのか!?」

「いいんです。この三年間、結局呪文を教えて貰えませんでした。メリッサ様にも言われました。僕には魔術の才能はないんです。だから先生は基礎しか――」

「それは違う! 先生はお前の才能を認めていた。魔力の扱いなら俺よりも上だって」


 思いがけないアッガスの言葉に、ディールは顔を上げる。その顔には信じられないという表情が浮かんでいる。


「なら……なんで……」

「それは……」


 アッガスが顔を歪めて言い淀んだ。自分はケデルからその理由を聞いて知っている。だがそれをディールに言ってもいいのだろうか。自分の父親が原因などと。


「……もしかして僕の父さんのせい……ですか?」

「!? 知っていたのか?」

「いいえ。でもアッガスさんの顔を見て、なんとなくそんな気がしました。

 先生は父さんの古い知り合いだってことでしたし、あれだけ魔術師になることを反対していた父さんが紹介してくれるなんて、変だって思っていたんです。そうですか、父さんが……じゃあしょうがないや」


 ディールの表情が虚ろになった。それを見てアッガスがディールの両肩を掴む。


「ディール! 諦めるな。先生だって本当は教えたいはずなんだ。本気で魔術を学びに来る人間を先生は――」

「もう……いいんです」


 メリッサに才能がないから諦めろと言われた時でも、これほど落ち込むことはなかった。それは魔術ではなかったが、魔法を通じてキュアリスに認められていたからだ。だからショックはあったがそれほど落ち込みはしなかった。


 けど今は違う。才能のあるなしではない。自分の父親によって仕組まれていたのだ。きっかけさえあれば今回のように破門して諦めさせるつもりだったのだ。最初からディールを魔術師にさせる気などなかったのだ。

 そのことがディールには辛かった。魔術師になることを反対した父親が、認めてくれたからこそケデルを紹介してくれたと思っていたから。


「最初から何もかも……無駄、だったんだ」


 ディールはアッガスに背を向けて自室へと入っていく。アッガスにはそれ以上、ディールを引き留めることができなかった。


        ☆


 大きなベッドの上で上半身を起こし、メリッサは窓の外を見ていた。この街の税収管理をグートバルデ伯爵から任されている代官の屋敷。その一室にメリッサはいた。

 外にはクラウブルの街並みが見てとれる。トスタ領の中でも辺境にある小さな街。だが小さいながらも防壁を持つ立派な街だ。それはこの街に隣接する大森林からの恵みを存分に受け取っているからだ。

 そのことは領主であるグートバルデ伯爵にとっても重要な税収を生み出していた。


「メリッサ様。ウォールロック様がおいでになりました」

「お通しして」


 部屋付きのメイドが来客を告げる。メリッサは窓を見つめたまま答えた。


「調子はどうじゃ?」

「このような格好で申し訳ありません。気分はだいぶよくなりました」


 弱々しいながらも、メリッサはウォールロックに笑みを浮かべてみせる。


「気にするな。お主を診た療術師の話では、だいぶ血が流れ出ておったようだからの。回復には時間がかかろうて」


 ウォールロックはメイドの運んできた椅子に腰をかける。


「ケデルの弟子からおおよその話は聞いた。お主があの二人を連れ出したので間違いはないか?」

「……はい」

「魔獣討伐を言い出したのもお主で間違いないな?」

「……はい。申し訳ありません」

「お主が謝る相手は儂ではなかろう」

「……はい」


 いつもより随分としおらしく、メリッサはウォールロックの言葉に答える。そんな彼女の様子を見て、老魔術師ろうまじゅつしはまるで孫娘でも見るかのように柔らかい表情を浮かべた。


「反省はしておるようじゃの」

「……はい。わたしは自惚れていました」

「才能だけならお主はアッガスに引けをとらん。じゃが〝術試し〟で完敗したのは、才能の上に胡座をかき努力を怠ったせいじゃ」


 その言葉にメリッサは顔を歪めた。悔しいのではない。己を恥じているのだ。恵まれた才能。そして恵まれた師を持ちながら、努力することをしなかった自分を。

 なによりその自惚れのせいで命を落としかけたのだ。自分だけでなく他人をも巻き込んで。いくら自信過剰なメリッサと言えど堪えないわけがなかった。


「……して、お主の傷を治したのはケデルの弟子か?」ウォールロックが表情を引き締めて言う。「服は血まみれなのに傷が塞がっておるので、療術師が驚いていおったぞ」

「そうです。確か……ディールという名前の少年の方です」

「話を聞けなかった方の弟子か」

「!? 彼に何かあったのですか?」


 メリッサは気弱そうな、同い年くらいの少年を思い浮かべた。今自分がこうしていられるのはディールのおかげだ。あのときディールが怪我を治してくれなければ今頃、生死を彷徨っていたかもしれない。


「安心して気が抜けたのじゃろう。儂がケデルの所を訪ねた時には眠っておった」

「そうですか」


 怪我などで動けないわけではなかったと知り、メリッサは安心する。


「しかし魔術ではなく神聖祈祷しんせいきとう使つこうたか。ケデルからは神官を弟子にしたとは聞いておらぬが」

「多分あれは神聖祈祷ではないと思います」


 ――治れ! 治れ!

 あの時のディールの叫び声が思い出される。あれは祈祷文きとうもんではない。

 神聖祈祷は魔術の呪文にあたる祈祷文を唱えることで神の奇蹟を借り受ける。呪文のように声に魔力を帯びさせる必要はないが、場を聖別するための聖水と祈祷文を必要とする。どちらもあの時のディールにはなかったものだ。

 なにより神聖祈祷であれば傷跡すら残さず治してしまうだろう。


 メリッサは左の脇腹に手を当てた。そこには確かに傷跡が残っている。裸になれば目についてしまうであろう、鋭いものに抉られたような傷跡が。

 それは神聖祈祷による治癒ではないことを示していた。もちろん傷跡が残ったことを責めるつもりは、彼女にはない。


「神聖祈祷ではないとすれば、なんじゃ? 魔術では治療はできん。魔術はあくまで魔力に形を与えるものじゃからの」


 ウォールロックに分からないものを、メリッサが分かるはずはない。あの時のディールの声は魔力を帯びていなかった。だから魔術でもないということぐらいしか分からない。

 なによりディールは、ケデルから呪文を教えて貰ってないのだ。


「わかりません。でも彼は魔獣も倒してしまいました」

「魔獣はお主が倒したのではないのか?」

「小さい方はそうです。でも大きい方はわたしではありません」


 ディールが魔獣を倒したのを実際に見ていたわけではない。その時、メリッサは怪我の痛みに耐えられず、体を丸めて呻いていたのだから。しかしあの状況で魔獣を倒した者がいるとすればディールしかいない。


「わたしにはあのような魔術は……使えません」


 メリッサは帰り際に見た、魔獣の死体を思い出していた。槍のように鋭く巨大な岩に貫かれた魔獣。魔術で似たような攻撃はできるだろう。呪文の節を重ねれば、一時的に縫いつけておくこともできるかもしれない。

 だが長時間、岩の槍を残すことはできない。込められた魔力が尽きれば呪文は意味をなさなくなる。呪紋陣じゅもんじんでも使わない限り、魔力に形を与え続けるようにはできないのだ。


「ふむう」ウォールロックは顎髭を撫でる。「一度、ディールとやらにも話を聞いてみねばならぬかの。明日にでも訪ねてみるか」

「! お師匠様、わたしも連れていってください」


 メリッサが懇願する。だがウォールロックは首を横に振った。


「お主はもうしばらく安静にしておれ」

「でも――」


 メリッサは言い募ろうとして体を寄せた。その瞬間、頭がふらついて体勢を崩す。


「メリッサ様!」


 近くに控えていたメイドがすぐにメリッサを支える。そしてゆっくりと寝かせた。


「気持ちは分かる。だが謝罪はお主が元気になってからでもできる。この街にはしばらくおるのじゃから」

「……わかりました。ならせめて、わたしが謝っていたと二人に伝えてください。それと――」

「分かっておる。お前の父親にはちゃんと儂から手紙を送っておく。あの者たちが余計な咎を受けぬようにな」

「お願いします」


 気分が落ち着いたのか、メリッサがようやくいつもの明るい笑顔を浮かべた。


      

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