Im Winter,
ohne Warum|
第1話
Henri Bergson を見落とさずに済んだ。よく見つめたら、初めから気づいていたことがわかる。"愛の完成" は "時間の非在"。『Ernst Jünger|砂時計の書』に見たかったものが見つかる。"ユンガー" であって、"ユンカー" では無い。カヲル君が "僕" と呼ぶのと同じこと。"私" では無い。命乞いをしていたのだということ。カヲル君が。ムーミンを見つめたらわかる。"彼に話して、そちらを見つめる"。どれだけ待ち望んでも気づくことが少ない。今ならわかるということ。何故なら本質を捉えた上で、その条件を生かすから。事物を見つめるのだということ。呈示されたメッセージの、その先を求めないからでは無い。日本の価値基準に過ごしたものであれば珍しく感じたはず。僕は初めに英語に過ごした。教室や音楽堂では好きなだけ声を発する。日常では台詞を。教室では現実を。これまでは返答をしなくとも、これからは人から受けたメッセージを捉えた上で生かしていくのかも知れない。勿論、biscuit を落としながら、人と別れていくと思う。"bis morgen" が、僕にとっての "ベルグソン"。〈biscuit + morgen|妄言 〉の様な形式。『もう二度と会うことはないでしょう|また明日』。"ぜんぶほんとう" だし、気球では無く、馬の夢。崖の向こうに天空の城を見つめたところで、人が見せたのは少女と薔薇。ミミッキュとムウマを選ぶ際に、"二匹の声が似ている" だなんて聞いたら、誰もが怒るのも当然だ。その悪夢の投影先が父親なのだと思ったところで、彼らでは無く、送り先の僕がそこに見えたに過ぎない。初めから分かっていたことだ。だから人は残念に思っていたのかも知れない。何故なら僕は、彼らの本質を捉えたにも関わらずに、それを生かすことが無かったからだ。わかりづらい方法で、彼らにメッセージを返した。初めから遊んでいたのは、僕だけなのかも知れない。人は事物を捉える。僕はそれを生かす。何も知らなくても、彼らを見つめる際の原型なら、幼少期に揃えて在る。この社会を社宅で学び終えた。僕にとっての始まりと終わりは社宅だ。人は公園や幼稚園から社宅を見たのかも知れない。僕は家から街を見つめて縫い歩く。"縫って歩く" では無く、
何も気にすることは無い。基本的な価値基準さえ生かしてくれるのであれば。何があっても味方なのだということ。事物を見たままに捉えるということ。理由も無く、目の前のその子を生かすだけ。決して、先祖の奴隷のままではいないこと。その事実を埋めたままに見つめ続けるということ。Boltanski を投影先として選ぶと理解できる。この世は無価値な人形劇場では無いから。先祖の遊び場のようにしない為。ここが現実だ。何処であれ、それがどの時代であれ。"ohne warum" が今のところ合言葉として。歴史を繰り返さないで欲しい。悪夢や絶望では終わらせないで欲しいから。理由が無いように思えて、全体を統治した上で、その先を見つめる指揮者や猫であれば、細かいやり取りの中での重要とされた理由を抽出できない事にも頷いて頂けたのだと思う。大切なことはもう一つ。砂の城が波に流されたところで、その指の間から零れた、残された "ぬるさ" を忘れない事。それが答えに繋がる、本質への切符でしか無いことを知らされた。こちらからは火取り虫を。そちらはオフィーリア。砂時計は抽象画へと。窓ガラスは割らずに海月で拭き取る。中に人が過ごすからだ。本当は林の向こうの街を燃やしたかったのかも知れない。既に眠りの際に投影済み。George Frederic Watts, Odilon Redon, Vilhelm Hammershøi への返答としての Adriaen van Utrecht では無い。藁人形にしないという事。遠くを見つめて学べるのだから。病院で治療を。代わりは不要。夢や藁人形では無く、お医者さんに診てもらう。
Im Winter, ohne Warum| @mir_ewig
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