第33話

 バカバッカスは大きなミスを犯していた。

 それは、勝利を確信しながらビールを飲んだこと。


 そんな状況でビールを飲んでしまったら、どうなるか……。


「ぷっ……ぷはぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーっ!!

 かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーっ!!

 うまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーっ!!」


 最高の瞬間に、最高の美酒。

 このふたつの組み合わせの前には、どんな人間も無力となる。


「こりゃうまいっ! こんなうまいビールは初めてじゃ!

 のどごしはスッキリとしているのに、コクがあって深い味わい!

 こりゃ、水のようにゴクゴクいけるぞぉ! 止まらん! 止まらんわ!」


 彼は満面の笑顔でグラスを投げ捨てると、とうとうビールをラッパ飲みしてしまう。


 ……ゴクッ! ゴクッ! ゴクッ!


 喉の鳴る音だけが、会場内に響き渡る。

 そこでようやく、彼は気付いた。


 先ほどまで歓声に包まれていた会場が、静まり返っていることに。

 バカバッカスはハッ!? と我に返ると、


「……あっ!? い、いや! こ、これは、ごごご、誤解じゃっ!

 こ、こんなションベンビール、クサくてマズくて飲めたものではないわ!」


 しかしいくら弁解しても、シラけたような空気が漂うばかり。

 観客の誰かがつぶやいた。


「やっぱり……ワリブル村のビールは、うまいのか……」


「審査員たちもみんな、うまいうまいって言ってたよな……」


「しかもそのことを、認めようとしないだなんて……」


「いくら帝国外のビールだからって、うまいものをわざと、マズいって言うだなんて、最低だな……」


「やっぱりワリブル村のオーナーが言うとおり、バカバッカス様は審査員と組んで、インチキしてたんじゃ……」


 観客たちから突き刺さるような視線を向けられ、バカバッカスはしどろもどろ。


「ちちっ……! 違う違う違うっ! 誤解じゃ!

 そそっ、そうじゃ、そうじゃった! ワシは失禁しておらんじゃろ!?

 これこそが何よりもの、不正をしとらん証拠じゃ!」


 すると、横から風のような声が流れてきた。


「まあ落ち着けって、震えてんじゃねぇか。

 そういう時は、ビールのラベルを見ると落ち着くらしいぞ」


 その声に導かれるように、バカバッカスは視線を落す。

 手にしていたビールのラベルをじっと見つめる。


 そこには、『ワリブルビール』という大きなロゴが書かれていた。

 そして、その下には……。


 あの●●歌の、一節がっ……!


 途端、急所を蹴り上げられるほどの尿意が、バカバッカスを襲う。


「ひっ……!? ひぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」


 それは、押し寄せる高波のように、彼の理性を押し流す。

 もはや、問答無用であった。


 ……じょばぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!!!!


 瞬間、全方位から悲鳴が交錯する。


「きゃああああああーーーーーーーっ!?」


「うっ、うわぁぁぁぁぁーーーーーっ!?」


「も、漏らしやがった! 漏らしやがったーーーっ!」


「いい歳した大人が、ステージの上で漏らすだなんて……!」


「女神のビールが、邪悪なる者を失禁させたいんだ!」


「ということは本当に、あれは女神のビール!?」


「そうだ! バカバッカス様……いいや、バカバッカスはこの大会で、インチキをしてたんだっ!」


 騒然となる観客たち。

 羞恥と屈辱のあまり、崩れ落ちておいおいと泣くバカバッカス。


 なおも漏らしているバカバッカスの目の前に、ブラッドが立つ。

 バカバッカスは涙を迸らせながら、彼にすがった。


「ひっ……ひぐぅぅぅ~っ! ま、まさか歌詞を見ただけで、効果が出るだなんてぇ~!

 こっ、このワシが悪かったです! 反省してます! だから、だから、許してくださいぃぃ~!!」


「よし、じゃあ、この場で罪を告白しろ。そうしたら、そのお漏らし体質を治してやる」


「ほっ、ほほほ、本当ですかっ!?」


「ああ。そのかわり、偽りなくすべてを告白するんだ。

 もし少しでもウソをついたら、ビールを見るだけでションベンが止まらない体質にしてやるぞ……!」


「ひっ……!? ひぎぃぃ~~~~~っ!!

 わっ、わかった、わかりました!!

 白状しますっ! すべてを白状しますぅぅぅ~~~~~~~~~っ!!!!」


 バカバッカスはステージ上で、多くの者たちが見ているなか……。

 幼子のように泣き叫びながら、すべてを洗いざらいぶちまけた。


 コンテストでアテ馬にすべく、帝国外の醸造所に目を付け、参加をそそのかしていたこと。

 いい腕の職人がいる醸造所があったら、コンテストでプライドをズタボロにして、奴隷化していたこと。


 今回の酒は、自分でも吐き出すくらいの出来が特に悪かったこと。

 しかしコンテストでいい成績が残せれば、少々マズい酒であったとしても、バカ舌な庶民どもは喜んで飲むだろうと思い、審査員を買収したこと。


 そんなことを、コンテストの長き歴史のなかで繰り返し、私腹を肥やしていたこと……!


「こっ……! こんなこと、もうしませんっ!

 だから……! ゆっ……! 許してぇ……!

 許してくださぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁl~~~~~~~~~~~~~いっ!!」


 彼は全身全霊を持って贖罪の雄叫びをあげた。

 しかしブラッドはもう、そこにはいない。


 スポットライトの向こうには、鬼のような顔をした者たちがいた。


「ふざけんなっ! この野郎!」


「お前はずっとインチキしてきたってのかよっ!」


「とんでもねぇやつだっ!」


「てめぇは身も心もションベン野郎だっ!」


「帝国の恥さらしめっ!」


「死ねっ! 死ねぇぇぇーーーーっ!」


 バカバッカスはもう動かない。

 身体じゅうからありとあらゆる体液を垂れ流しながら、白目を剥いていた。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 それからは、あっという間だった。

 バカバッカスの醸造所の酒は、『ションベンビール』『血尿ワイン』と呼ばれるようになり、1本も売れなくなってしまった。


 職人も全員クビにしてしまったうえに、そんな評判が広まった醸造所で働こうとする職人など誰もいない。

 バカバッカスは破産し、名実ともにすべてを失ってしまう。


 本来であれば、彼は二冠を達成し『造酒王』のトロフィーを手にしているところであった。

 しかし今、彼が手にしているのは、ビールの空き瓶。


 日の当たる大通りを肩をそびやかして歩き、歓声と羨望の視線を浴び、人生の最高潮を味わっていはずであった。

 しかし今、彼がいるのは路地裏、通りかかる人々は容赦なく、罵声やゴミを浴びせてくる。


 どん底に落ちてしまった彼にはもう、気力すらも残っていなかった。

 しかしある日、ふとした話題が耳に飛び込んでくる。


「ねぇねぇ、『女神のビール』と『女神のワイン』飲んだ!?」


「まだなんだよ、ビールは1本10万エンダー、ワインは1本50万エンダーもするのに、どっちも10年待ちだって!」


「でもさぁ、知ってる!? 帝国外の国だったら簡単に手に入るって噂でしょ!? 値段もずっと安いんですって!」


「ええっ、なんだよそれ! なんで『この世の地獄』のほうが、帝国の俺たちよりいい酒を飲んでるんだよ!?」


 彼はゴミ溜めから這いだすと、フラフラと歩き出す。

 わずかに残った気力を振り絞って、向かった先は……。


 ワリブル村っ……!

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