第24話

 ドカロック騒動が一段落して、しばらく経ったある日のこと。

 ファウラウ聖堂の朝食の席で、ブラッドはやるせなさそうに、ぴゅるると小笛を吹いた。


「今日も黒パンかよ……」


 ディソナンス小国の主食といえば、黒パンである。

 なぜならばこの国は土地が痩せていて、小麦が育たない。


 ライ麦であれば痩せた土地でも育つので、この国では主要な作物となっていた。

 ライ麦から作った黒パンは水分が少ないため、長期保存に適している。


 しかし石膏かと思えるほど硬くなるので、スープなどでふやかして食べるのが一般的であった。


「たまには白パンが食いたいぜ……」


 すると、配膳をしていたベルラインがたしなめる。


「贅沢を言ってはいけませんよ、ブラッドさん。こうして黒パンを頂けるだけでも、有り難いと思わなくては」


「っていうかベルライン、お前はもう『聖教司』だろ? それにストーンビレーからの寄進もたっぷりあるんだから、白パンくらい食わせろよ。セレブになったんだから、少しは贅沢しろよ」


「そんな、頂いた寄進を私欲のために使うだなんて、とんでもありません」


「変わったヤツだよまったく。おいベルライン、ビール」


 同席していたベイリーが「ブラッドってば、朝から飲む気だし」と笑う。


「酒でも飲まないとやってられねーよ。酒場から寄進で貰ったヤツがあるだろう?」


「もう、一杯だけですよ」


 ベルラインはかいがいしく動き、台所から持ってきたビールをブラッドのコップに注いでいた。

 七つ子たちが口々にはやしたてる。


「飲んだくれ亭主とその奥さんみたいなのです」

「いやそれよりも、グズる子供とその母親みたいなのです」

「どっちにしろ、ブラッドさんはダメ男なのです」


 ビールを一気にあおるブラッド。

 それでようやく元気を取り戻すかと思いきや、さらにげんなりしてしまった。


「ああ……小麦のビールが飲みてぇ……」


 すると、見かねた様子でヤングが言った。


「おい、いい加減にしろよブラッド。ライ麦のビールも旨いだろうが」


「ライ麦のビールはクセが強すぎるんだよ。うまいことはうまいが、小麦のスッキリしたビールが恋しいんだ。

 ああ、小麦のパンをつまみに、小麦のビールを……いや、小麦のパンならワインで、一杯やりたいぜ……」


「贅沢言いやがって。この国のほとんどのヤツらはワインどころか、小麦のビールですら飲んだことがないんだぞ。

 いまお前が無駄にくらってるビールですら、ここいらの酒場でいちばんのヤツだってのに」


 ヤングにそう毒づかれ、ブラッドは食卓に突っ伏しながら、ビールのラベルをぼんやりと見つめる。

 そこには大きく、『ワリブルビール』と書かれていて、下のほうには『ワリブル村醸造所』とあった。


 不意に、なにかの呼び声を聞いたかのように、バッと立ち上がるブラッド。


「そうだ! 無いんだったら、作らせればいいんだ! なんでこんな簡単なこと、思いつかなかったんだろう!」


 そしてベルラインに向き直ると、それがまるで当然であるかのように言う。


「おい、ベルライン! 出かけるぞ!」


 すると、小さくちぎった黒パンを口に運んでいたベルラインは、ビックリして喉を詰まらせてしまう。


「んっ、んがぐぐっ!? ……で、出かけるって、どちらに!?」


「決まってるだろ! ワインとビールを作らせに行くんだよ!」


「ええっ!? 作らせに、って……!? それにわたしは今日、地域の聖堂の集会が……!」


「そんなのは他のヤツらにやらせとけ!」


 ブラッドは一方的に言いつけたあと、食堂を飛び出していく。

 「ま……まってください!」と慌てて後を追うベルライン。


 嵐のように去っていった夫婦に、残された者たちはポカンとするばかりであったが、


「あーしもいこーっと!」


 ベイリーだけは、まるで遊びに混ざるかのようにスキップしながら追いかけていった。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 ブラッドたちはいつものように、街で馬車をチャーターしてワリブルの村へと向かった。


 ワリブルの村は、ファウラウの街と同じコルベール領にある。

 位置としては、ストーンビレーのちょうど正反対。


 大きな湖のほとりにある、小高い丘の村であった。

 丘は村人たちの家のほかは、すべてがライ麦畑。


 丘のてっぺんが、村長の住まいと醸造所をかねた施設になっている。

 ブラッドたちは村に着くなりその醸造所を訪ねたのだが、そこは大騒ぎになっていた。


 醸造所の一角には、これから出荷予定であろう、ビールの詰まった木の入れ物が積み上げられているのだが、そこにひとりの中年男が登って大暴れしている。

 村人たちはそのまわりにすがりついて、泣き叫んでいた。


「ば……バカバッカス様、おやめくださいっ!」


 しかしバカバッカスと呼ばれた男は聞く耳を持たず、できたてのビールを取りだし、これでもかとシェイクする。

 じょばばば! と吹き出したビールを、股間に当てて大笑い。


「ほぉら、こうすれば本当にションベンみたいじゃろう! ばっはっはっはっはっはっ!」


「お、おやめくださいっ! そのビールは、この村の者たちが苦労して作り上げたビールなんです!」


「苦労してこんなションベンみたいなビールしか作れんとは、『この世の地獄』はやっぱり違うのぉ!

 バカばっか! バカばっかじゃ!

 帝国からすれば、こんなビールは何の価値もない!

 こうやってションベンみたいにして遊ぶのが、いちばんじゃて! ばっはっはっはっは!」


「お願いです、バカバッカス様! バカバッカス様のお口にはあわないビールかもしれませんが、この国の人たちは楽しみにしてくれているんです!」


 バカバッカスの足元には村人たちが跪き、許しを求めていた。

 しかしそんな彼らに、バカバッカスは次々とビールをひっかける。


「ばっはっはっはっはっ! ストレス解消には、これが一番じゃわい!」


 その様子を遠巻きに見ていたベルラインとベイリーは、「ひ、ひどい……!」と顔を歪める。

 ふと隣を見たが、ブラッドの姿は消えていた。


 ブラッドはいつの間にか積み上げられたビールの上に登り、バカバッカスの背後に忍び寄っていた。

 銀色の首輪が輝くたぷたぷの首筋に、そっと顔を近づけるブラッド。


 なにかを囁いたとたん、


「ひっ……!? ひぎぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」


 バカバッカスは急所蹴りをくらったかのように、股間を押えて飛び上がった。

 身体じゅうに脂汗を浮かべ、内股になりながら振り返る。


「なっ……!? なんじゃ、貴様はっ!?」


「誰でもいいだろう。それよりも、さっさとここから降りろ。大事なビールが穢れちまうだろ」


 ブラッドはそう吐き捨てるやいなや、バカバッカスの腹に強烈な蹴りをお見舞いした。


「ふっ……ふぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!?!?」


 ビルから転落したデブ猫のような悲鳴をあげながら、積み上げられたビールから転落するバカバッカス。


 べちょっ! と地面に叩きつけられてゴロゴロと転がったあと、でんぐり返しを途中で失敗したようなポーズで止まる。

 すると股間が決壊してしまったかのように、じょばばば! と液体が迸り、シャワーのように己の顔面に降り注ぐ。


「うわっぷ!? たっ、助けて! 助けてぇぇぇぇ!!」


 洗面器の水で溺れてしまったかのように、手足をバタつかせるバカバッカス。

 村人たちが慌てて救出に向かう。


 ブラッドは積み上げられたビールから飛び降りると、ベルラインたちの元へと戻った。


「ぶ、ブラッドさん……あの方にいったい、なにをやられたんですか?」


「ああ、ちょっと唄ってやったんだ『利尿の歌』をな」


 ベルラインは「りっ、りにょ……!?」と言い掛けて、思わず口をつぐんでいたが、ベイリーはかまわず、


「利尿の歌ぁ!? そんなのあるんだ!?」


「ああ。それもかなり強力なものだ。どんなヤツでも、あの通りさ」


 ブラッドが親指で示したのは、壊れた水道管のように弾ける股間のバカバッカス。


「ってことは、アレって、あのオッサンのおし……うげっ!」


「これで少しは大人しくなるだろ。それに、あの歌はかなり強力だ。アイツはこれから歌の出だしを聴くどころか、歌詞の文字を見ただけでも漏らしちまうだろうな」


 なんとも恐ろしい効果の歌に、青ざめるベルラインとベイリー。

 そこに村の者たちがやってきて、頭を下げた。


「あの、どこのどなたか存じませんが、ありがとうございます」


「おかげでバカバッカス様の暴走が止まりました」

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