第6話
ブラッドは次の日の朝から、特訓のために聖堂の門と、正面扉を固く閉ざし、誰も入れないようにした。
ベルラインは「礼拝者さんを門前払いするだなんて」と抗議したが、
「(ピィーーーッ!)いいんだよ! どうせ誰も来ないんだから!」
ブラッドは厳しい音色と現実をぴしゃりと突きつけ、ベルラインを黙らせる。
さらにブラッドは礼拝堂内にあった、礼拝者が座るための椅子をすべて取り払い、広々としたスペースを作った。
そこに、ベルラインと七つ子を一列に並ばせると、
「よし、これからお前らに『賛美歌』を教えてやる」
「さんびか?」
「さんびかって何なのです?」
「お鼻のお医者様のことなのです」
「さすがティコちゃんはものしりなのです!」
「それは『じびか』ではないのですか?」
「にたようなものなのです!」
朝もはよからスズメの子のように賑やかな七つ子に向かって、ブラッドは続ける。
「賛美歌っていうのは簡単にいうと、『神を称える歌』だ。たとえるならば昨日、俺が街のヤツらに向かって唄っていたのは『パッチワークを讃える歌』だな。それの神様バージョンだと思えばいい」
その説明に真っ先に反応したのはベルラインであった。
「神様を讃える歌、ですか……?」
「そうだ。聖堂では礼拝者に対し、神の教えを説く。それを言葉じゃなくて、歌にしたのが賛美歌なんだ。歌の集客力の凄さは、昨日のパッチワーク販売でよく知わかっただろう? 賛美歌を歌えば街のヤツらがたくさん聖堂にやってきて、しかも神の教えも広められるという、一石二鳥のワザなんだ」
「礼拝者さんたちがたくさん来てくださったうえに、女神の教えも広められるだなんて……まるで夢みたいなお話です!」
最初はいぶかしげだったベルラインであったが、儲け話を聞いたかのようにウットリする。
まわりにいた七つ子たちも彼女をまねて、フニャリととろけていた。
「よし、やる気が出てきたようだな。ならさっそく特訓を始めるぞ。と、その前に……パート分担を発表する。メインボーカルがベルラインで、七つ子がバックコーラスだ。わかりやすく言うと、ベルラインが前に立って唄う。七つ子は後ろでハモりながら、ハンドベルで演奏するんだ」
すると、夢がパチンと弾けたような表情になるベルライン。
「ええっ、私が前に出るのですか!?」
「そうだ。話しているときの声質からいって、お前が適任だ。それにハンドベルは息を合わせるのが重要な楽器だから、七つ子にピッタリなんだ」
「で、でも私は、前に出るのは、ちょっと……」
ピィィィィーーーッ! と喝を入れるような音色がベルラインを打つ。
「なにを言ってるんだ! この聖堂はお前が管理してるんだろう!? なら、いちばん前で唄わなくてどうする!? それに、これはもう決めたことだ! 変更はいっさい認めん! さぁ、特訓を始めるぞ!」
結局、ブラッドの独断で布陣は決定された。
そしてブラッドの狙いどおり、七つ子のバックコーラスとハンドベル演奏は、短い間のうちにみるみるうちに上達していく。
以心伝心が行き届いているのか、歌声もベルを鳴らすタイミングも、長年連れ添った夫婦のように揃っていた。
声の調子やベルの強弱はまちまちだったが、小学生合唱団さながらの胴に入った唄いっぷり。
これにはブラッドも、満足そうに小笛を吹いた。
「(ヒューッ!)うん。まだまだ荒削りだが、元気いっぱいに唄ってるから合格だ。歌というのはうまく唄うことよりも、楽しく唄うことがいちばんだからな」
それとは対象的に、まるで不合格だったのはベルラインであった。
彼女は練習の時点で恥ずかしがっていて、身体を縮こませてボソボソと唄うばかり。
見かねたブラッドは、サッカーで反則をたしなめる審判のように、彼女に詰め寄った。
「(ピィィッ!)おい、ベルライン! もっと声を出せ! もっと楽しそうにしろ! なんでそんなに自信なさげなんだ!?」
「この世の終わりみたいな顔をしているのです」と紫髪のパプルがつぶやく。
「す、すみません、ブラッドさん……。やっぱり、私には無理ですっ……!」
「無理なものか! 『パチパチパッチワーク』の時は、あんなに笑顔だったじゃないか!」
「あ、あれは、ブラッドさんの歌が、とても素敵でしたので……!」
「俺の歌で笑顔になったのなら、お前の歌でも笑顔になれるはずだ! 俺とお前はなにも違わない! ただひとつ違うことは、唄うことを恥じているか、いないかだけだ!」
ベルラインに有無を言わせぬ勢いで、ブラッドはまくしたてる。
「歌には資格なんてない! 能力なんてない! 心の中から湧き出てくるものに身を任せ、声にするんだ! まずは……背筋を伸ばせっ、腹を突き出せ!」
ブラッドはベルラインの腰をぱちんと叩く。
ベルラインは「きゃっ!?」と背中に氷を入れられたような悲鳴とともに飛び上がる。
身体を弓なりにそらしたところで、ブラッドは彼女の腹に手を添えた。
男に身体を触られたことがほとんどないベルラインは、それだけで直立不動になってしまう。
「よし、そうやって胸を張って声を出すんだ。おもいっきり発声してみろ」
ベルラインは貰われてきたチワワのようにプルプル震えながら、「あー」と声を絞り出す。
それがあまりにもか細かったので、ブラッドは少し思案したあと尋ねた。
「ベルライン、お前の嫌いなものはなんだ?」
「き……嫌いなもの、ですか……?」
すると隣で見ていた七つ子たちが、「「「「「「「ゴキブリさんです!」」」」」」」と声を揃えた。
「たまにお台所にゴキブリさんが出ると」
「ベルラインさんはとんでもない悲鳴をあげるのです」
「それはもう、絶叫といっていいレベルなのです」
「引き抜かれたマンドラゴラみたいになるのです」
「イエロたちはびっくりして、ぴょんって飛んじゃうのです」
「その声にびっくりして、ゴキブリさんも逃げてしまうのです」
「そうか。じゃあベルライン、目を閉じるんだ」
ブラッドがそう命じると、ベルラインは不安げにしながらも「はい」と素直に従う。
宝石のような瞳のうえに、桜貝のような瞼がおりた。
「そして想像するんだ。お前が台所で野菜を刻んでいたら、目の前に黒いモノが通り過ぎるのを」
するとベルラインはそれだけで「ひゃぁぁぁぁぁ……!」と総毛立つような声をあげる。
「そうだ、その声だ! それが『心の中から出てきた声』なんだ! あともうひと息だ!」
ブラッドは、ベルラインにとってゴキブリ以上に苦手なものがないものかと考える。
少しして、名案が思いついたようにピュッと小笛を鳴らすと、
「ベルライン、俺をプゥ野郎だと思うんだ」
「……ぶ……ブラッドさんを、シン・プゥ様だと思うんですか?」
「そうだ。お前はいま、あの中年オヤジに身体を撫で回されていると思え。あのゴキブリの羽根みたいにテカテカした顔のヤツが、顔を近づけてきて、ゴキブリの脚みたいにザラザラした手で、お前の身体を、こう……!」
どうやらそれは彼女にとって、ゴキブリ以上に嫌なモノだったらしい。
白い柔肌は怖気のあまり血の気を失い、一瞬にして鳥肌が走る。
いままで鈴音のようにささやかだったベルラインの声が、突如として爆発した。
「いっ……!? いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?
」
七つ子のひとりが形容していたとおりの大絶叫。
ベルラインはまさに引き抜かれたマンドラゴラ状態。
七つ子たちは大縄跳びをしているかのように一斉にぴょんと飛び跳ね、ブラッドも思わずのけぞるほどの魂の叫びであった。
「そ……それだ! やればできるじゃないか、ベルライン! その声を忘れるな! その声で唄うんだ! お前のその歌声で……プゥ野郎をブッ飛ばしてやろうぜ!」
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