犬自慢

増田朋美

犬自慢

犬自慢

今日も寒いけれど、良く晴れていて、いい天気だった。ちょっと外へ出るには躊躇するかもしれないが、運動すれば、暖かくなって、体にはいいのかもしれない。公園ではラジオ体操しているお爺さんがいるし、道路では、マラソンをたのしんでいる若い人が居た。

その日、エラさんが、イングリッシュグレイハウンドのたまを連れて、バラ公園を散歩していた時の事である。世界最速と呼ばれるイングリッシュグレイハウンドであるけれど、たまは後ろ脚が悪く、引きずって歩くのだった。其れは、彼の生まれた時からの奇形というか、もともと、水穂さんが彼をゴミ捨て場から拾ってきたときから、そうなっていたので、それは仕方ないことだった。ゴミ捨て場に犬を捨てていくなんて、なんともかわいそうな話であるが、たぶん、後ろ脚が悪いので、使い物にならないということから捨てられてしまったのだろう、と、周りのひとたちは解釈していた。

エラさんが、たまを連れて、しばらく公園の中を散歩していると、たまは休みたいという表情をした。其れならば、とエラさんは、たまを東屋に連れていき、ここで休憩させてもらうことにした。たまは、東屋のベンチの下で、堂々と体を伸ばして座って休んだ。さすがは、世界最速のカウチポテトと言われるだけあって、一度ゴロンとしてしまうと、なかなか立ち上がらないのがグレイハウンドと呼ばれる犬種の特徴である。たまもそうだった。

しばらくそこで座っていると、東屋に一匹の犬を連れた女性がやってきた。そして、

「ちょっとお隣に座ってもよろしいかしら?」

と、エラさんに聞いてきたのでエラさんはどうぞといった。

「ずいぶん大きなワンちゃんね。お散歩、大変じゃありません?」

夫人は、エラさんにそんなことを聞いてくる。

「大きな子ですけど、基本的に足が悪いので、あまり長距離を歩かせると疲れてしまうようです。」

エラさんが答えると、夫人は彼女自身が連れている犬を、一寸みた。いわゆる、日本では人気ナンバーワンと思われるトイプードルだ。まるでたまの三分の一も大きさがない。でも、トイプードルと言っても、もう大人になっているのか、小さいのに堂々としている。

「まあ確かに、日本ではなじみの少ない大きな子ですが、ヨーロッパでは人気のある犬なんですよ。」

「へえ、どういう感じで育てるんですか?」

エラさんがそういうと、夫人はそう聞いてきた。

「他のワンちゃんと変わりませんよ。いつも通りご飯をあげてお散歩させて、あとは、公園のような場所を歩かせれば普通に飼えますよ。」

エラさんはそういうが、夫人はちょっと疑い深そうな目で彼女を見るのだった。その裏には、外人というのは時々こういう迷惑なものを持ってくるという感情が見え隠れしているような気がした。

「決してしつけに手がかかるようなこともないですし、エサだって普通に日本にあるエサで大丈夫です。何も問題ありません。大きな子を飼っている人はいっぱいいるじゃないですか。ゴールデンレトリバーとか、シベリアンハスキーを飼っている人だっているんですから。其れなのに、この子だけが大きすぎるとか、散歩が大変そうだとか、そういうことを言われる筋合いはありませんよ。」

「そうかしらね。」

と、トイプードルを連れている夫人は、ちょっと馬鹿にしたような目でエラさんとたまを見るのだった。でも不思議なことに、エラさんと夫人がそういうことを言い合っている間に、二匹の動物は、まるで仲良くなりたいのか、二匹寄り添って座っているのだった。

「もしかして、この子は女の子?」

と、エラさんが聞くと、

「ええ、そうですけど。」

夫人は答えるのだった。

「なるほど。それでは仲良くなれそうね。うちは男の子だから。ちょうどいいわ。二匹で遊んでもいいんじゃないかしら。」

エラさんは二匹で遊ばせることを提案した。大きさも全然違うけれど、二匹はお互いの顔をなめあって、楽しそうである。エラさんがたまを立たせて、公園の自由広場へリードを引っ張っていくと、小さなプードルもついてきた。夫人も急いで彼女の後を追った。たまも足が不自由であったから、あまり早あしでは歩かなかったし、プードルも小さいので、人間も十分追いつくことができた。エラさんが、じゃあ、好きなだけ遊んでおいで、と言って、たまのリードを放してやると、小さなプードルも彼について行きたがった。エラさんは、危険なことはしませんから、放してやってください、と、夫人にいうと、二匹は、楽しそうに自由広場の中を走り出した。あら、アキちゃん大丈夫かしらと夫人は言っているが、たまと一緒に楽しそうに走っている。

「アキちゃんっていうんですか?」

エラさんが聞くと、夫人はそうなんですと答えた。

「あたしは、たまなんですよ。何だか猫みたいですけど、たまと呼ばれているのでいつの間にかたまという名前になってしまったようです。」

「変わった名前ですね。男の子なのに、たまなんて。」

夫人は不思議そうに言った。

「まあ、あたしが名付けたわけじゃないんですよ。元々たまは別の人が拾ってきたんです。なんでも、足が悪くてレースに向かないから、ゴミ捨て場に捨てられていたとか。」

「そうなんですか。其れはちょっとかわいそうですね。レースって、どんな事をするんですか?」

「ヨーロッパではよくあるんですけどね。犬に、トラックを走らせてマラソンさせるんです。グレイハウンドはそのマラソンレースの代表選手ですね。」

エラさんはにこやかに笑ってそういった。

「でも、悲しいことに、レースに向かない子は、捨てられたり、殺処分されりするんですけどね。其れがない分、日本のワンちゃんは、幸せですよね。」

「ま、まあそうなんですか。」

「ええ、ヨーロッパではそういう子が多いですよ。実用的じゃないと、どんどん消し去ってしまうんです。」

「そうなんですか。」

と、夫人は、そういってエラさんの話を聞いていた。

「そういうわけですから、日本のワンちゃんは幸せです。あたしは、そう思っています。本当はね、あの二匹が、自然な形で生活できればいいのになと思うんだけど。それは、無理なことかしらね。だって、アキちゃん、あんなに楽しそうにはしゃいでるわ。多分、犬として、思いっきり走り回らせてもらったから、嬉しいんじゃないかしら?」

エラさんに言われて、夫人はじゃれあって遊んでいる二匹の犬を見た。アキちゃんと言われているトイプードルは、グレイハウンドのたまと一緒に、楽しそうに遊んでいる。

「そうね。たまには思いっきり走らせてあげるのも必要かしらね。」

と、夫人は考え込むように言った。

「私はこの時間にいつも散歩に来ているの。同じ時間に来てくれれば、また一緒に遊べるわ。またこの時間にアキちゃんを連れて、来てくれますか?」

エラさんが言うと、夫人は、はい、分かりましたと言った。

「名前を名乗らせてください。私、細川七海と申します。」

「ええ、私は、横山と申します。横山エラと呼んでください。」

二人はお互い頭を下げて、名前を名乗りあった。エラさんが犬笛を吹くと、たまは、直ぐにそれを聞きつけてエラさんのところに戻ってきた。アキちゃんもそれについてくる。二匹は、互いにリードをつけてもらって、それぞれの持ち場にかえっていくのだった。たまもアキちゃんも、お互い良い遊び相手ができてうれしそうだ。ありがとうございましたと言って、細川さんは、にこやかに笑い、アキちゃんを連れて、元来た道をかえって行った。

「よかったね。たま。」

エラさんはたまの体をなでてやると、たまもたくさんあそべて楽しかったのだろう。満足そうな顔をして、エラさんと一緒に公園を後にした。

その翌日。エラさんは、又たまを連れて、バラ公園に散歩に行った。例のアキちゃんを連れた、細川さんは、もう来ているかなと思って、自由広場に行ってみるが、三十分待っても現れなかった。せめて名前や連絡先を聞いておくべきだったなとエラさんはちょっと後悔したが、いきなり脚の不自由なたまが、エラさんが持っているリードを引っ張って歩き始めた。どうも彼の動きを見てみると、犬に特有の、アキちゃんのにおいを頼りに、彼女の住処を探し当てるつもりらしい。たまは、エラさんをぐいぐい引っ張って、後ろ脚を引きずりながら、勝手に公園を歩き出してしまった。どうやら、アキちゃんを連れた細川七海さんは、バラ公園の西入り口から出入りしていたらしい。西入り口から出て直ぐに、軽自動車が一台通れるか通れないかの狭い通路に、アキちゃんのにおいがあるとみて、たまはどんどん歩き出した。文字通りとても狭くて、自転車で通るなら問題ないが、車では一寸通れない道路だった。たまは、道路わきにある「アキちゃんのにおい」をかぎながら、その狭い道路を縦断した。それを通り過ぎると、何軒か民家が建っている。たまは、その民家の中にある、一番小さな家の前で止まった。

たまが止まった民家は、ほかの家とどこか違っていた。黒い旗が張られており、小さなテントのようなものが、家の庭先に立っている。そこには、近所の人たちだろうか、其れともどこかの葬儀会社の人だろうか、黒い喪服を着た、女性たちが椅子に座っていた。

「あの、お香典を持ってこられた方ですか?」

その中にいた女性の一人が、エラさんに聞いた。

「いえ、私は親族でもなんでもありません。一体どなたがなくなられたんでしょうか。もしかしたらお年を召した方でもいたのですか?」

エラさんが聞き返すと、

「お嬢様のお弔いです。今回は、家族葬ということにしていますので、家族や親族以外の方のお立ち入りはお断りしております。」

と、別の女性が言った。

「お嬢様?ひょっとしたらですけど、あの、細川七海さんという方ではありませんか?」

エラさんがまた聞くと、

「外国の方は、なんでも思ったことを口にしてしまう癖があるようですが、日本では日本の作法がありますことを忘れないでください。」

と最初の女性が言った。つまり、そういうことなんだとエラさんは直感的に確信する。

「あの、すみません。ちょっと、一つだけ教えてください。お嬢様は、何か持病でもあったのでしょうか。」

「あのですねえ。そうやって、根掘り葉掘り聞きたがらないでもらえますか。そっとしておくということの大切さも覚えてあげてください。」

二番目に発言した女性がそういい返すので、エラさんは、もう引き下がった方が良いと思って、たまのリードを引っ張ろうとした。ところがたまはそこを動かなかった。たま、行きましょうとエラさんが幾ら言い返しても、たまは動かなかった。

「なんですか。この大きなワンちゃんは。」

と、初めの女性が聞き返すが、

「いえ、あの、七海さんは確か、犬を飼っていらっしゃいましたよね。あの、トイプードルです。この子は、そのトイプードルの、アキちゃんという犬の、友達なんです。」

エラさんは、獣医らしくきっぱりといった。

「いくら犬と言っても、友情を持つことはあります。彼はきっとアキちゃんがどこへ行ってしまったのか、知りたいと言っているんだと思います。私、こう見えても獣医ですから、ある程度、犬が何を言いたいか、わかりますよ。其れに、日本では問題が起きてしまうと、なんでも隠してしまうようですけど、それは、解決に向けて遠ざかってしまうことにもつながりかねませんよ。」

二人の受付女性は顔を見合わせる。それをたまが、彼女をどうしたのか教えろと言いたげな表情で、ワン!と一声吠えたため、女性たちは覚悟を決めたらしく、こういった。

「ええ、お嬢様は確かに、トイプードルを飼っていらっしゃいました。でも、お嬢様がなくなられた以上、ほかの誰かが面倒を見ることもできませんから、ペットショップに売りに出したそうです。」

エラさんは、大いにがっかりしてしまった。せめてほかの家族が見てあげることはできなかったのだろうか。

「そんなに簡単に売りに出してしまっていいものでしょうか。犬は、捨てられたりいじめられたりすることに、非常に敏感です。平たく言えば、自分の立場を用意しておかないと、犬の飼育はうまくいきません。お嬢様、つまり七海さんは、一人暮らしだったのでしょうか?」

「それは、わかってはいるのですが、もうどうしようもないですよ。」

と、初めに発言した女性が言った。

「じゃあ、一人暮らしだったんですね。ご家族や親族もいらっしゃらないのですか?いきなりペットショップに売りに出してしまうのではなく、前の環境に近い状態のひとに譲り渡す方が、犬にとっても、安心できるのですけどね。」

エラさんがそういうと、女性たちは困った顔をした。たまは彼女たちを怒りの目だろうか、そんな目で見ている。たまには、人間の言葉が通じているのだろうか、それとも、単に、友達をバカにするなという怒りで怒っているのだろうか。それはわからないが、とにかく怒りの目で見ていることは確かだった。

「そうですけど、お嬢様がなくなられた以上、犬を一匹だけにしてしまうのは、それこそいけないですよね。」

と、うろたえた表情で、二番目に発言した女性がそういった。エラさんは彼女の服装を観察する。確かに、喪服である黒いスーツを着てはいる。しかし、中のワイシャツは、黒ではなく、グレーのようなワイシャツであった。スーツで隠そうとしているが、彼女は首に何か下げているように見える。葬儀会社の人であったら、いくら家族葬と言っても、身だしなみはちゃんとするはずだ。ということは、彼女たちは、親族でなければ、近所の住人でもないのだ。

「あなた方は、どちらの事務所から、このお宅に配属されたのですか?」

エラさんは、そう聞いてみた。

「いえ、質問を変えましょう。彼女、つまり七海さんとは、どのようなお付き合いでこちらにいらしているのでしょうか?」

女性たちは、たまの表情とエラさんの顔を見て答えなければいけないと思ったらしい。急いで首に下げていた名札を取り出して、

「私たちは、サポートセンターの者です。彼女、七海さんが一人では生活できないので、そのお手伝いのため、週に二回ほど来ていました。今回、彼女がなくなられたことで、契約通り、お葬式の手伝いをしています。」

と、それぞれの名札を見せた。エラさんは名前まで読み取ることはできなかったが、彼女たちは、精神関係の事務所から来ているということはわかった。つまり、彼女たちは、七海さんのお手伝い人というか、看護人というような感じで、ここにきているのだ。

「それでは、彼女がどうして亡くなられたのか、その理由を教えてください。」

と、エラさんは、もう一度聞いてみた。

「ええ。私たちの力が足りなかったんです。私たちも、彼女には強い希死念慮がある事は知っていましたし、一度それに陥ってしまうと、なかなか元に戻れないこともわかっていました。でも、私たちは彼女を止めることはできませんでした。彼女は、バスルームで大量に薬を飲んでなくなっていたんです。」

と、最初の女性がいかにも事務的に言った。その言い方は、いかにも仕事でやってやっているというようなしゃべり方だった。そうじゃなくて、七海さんを商品ではなく人間としてみてくれたなら、彼女を生かしてあげることもできたのではないか。

「でも、彼女だって、いけないことはあるんですよ。あたしたちは、ちゃんと彼女に言いましたもの。災害とか、そういうことはよくある事だから、もう少し、度胸をつけようねって。それ以外に彼女を励ます方法はありませんでしたわ。其れを聞いた後で彼女は自殺したんです。まったく、文字通り取っていれば、良かったものを。なんでこういう障害の人はなんでもかんでも自分はダメだにしてしまうんでしょうね。」

エラさんは、その話を聞いて、日本の医療というのは、こんなにもお粗末だったのかと思い、しばし茫然としてしまった。エラさんの手から力が抜けたのをいまだと思ったのか、たまが、動かしにくい後ろ足を引きずって女性の一人に近づいた。

ガブッ!

「一寸、なにするのよこの犬!」

初めに発言した女性はそういうのだが、エラさんは、たまを止める気にはならなかった。むしろ、たまにもっとかみついて欲しいくらいだった。

「少なくとも、私の国では、精神障害のある人に対して、そんな冷たい励ましは致しません!私たちであれば、まず、災害に怖がっているのなら、怖いんだねと彼女の話を、聞いてあげることから始めるわ!」

女性たちはそうだったなという顔さえしなかった。その顔はいくらたまにおしりをかまれても、自分のほうが正しいという顔つきだった。そういうひとには、精神保健福祉というのは向かないとエラさんは思った。どんなにめちゃくちゃな妄想とか、幻聴などの症状がある人であっても、まず初めに、同じ人間であって、その話に応えようとする姿勢を貫くことが大切なのだ。

「もういいわよ、たま君。彼女たちは、いずれそういうことを悟ることになるわ。あたしはね、人間である以上それを反省することは可能だって、信じているから。」

エラさんがたまにそっというと、たまは、そっと女性の体から離れた。今度はエラさんはちゃんとリードを掴んでたまの動きを制御できることを確認し、

「じゃあ、お嬢様に、お悔やみをさせてもらってもいいかしら。そういう女性だもの、ご家族もなかなか相手をしてくれないでしょうし、お香典を届けに来る人も又少ないでしょうしね。」

と、少し笑みを浮かべながらそういったのであった。確かに精神障害というものを負ってしまうとどうしても社会からつまはじきにされてしまう可能性がある。なので、お悔やみに来てくれる人も、極端に少ないはずだ。エラさんは、七海さんができる限り安らかに眠れるように、そして、彼女のペットであった、アキちゃんが、良い家で幸せに暮らせるように、祈ることが最善を尽くすことだと思った。



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犬自慢 増田朋美 @masubuchi4996

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