第二章 「まさに外道」⑵


 白昼。庭園の花々を鑑賞した後、清一郎はセシリアとともに、野菜の収穫を手伝っていた。武家育ちゆえに農業には明るくなかったが、体力はセシリアの倍あった為、作業も捗っていた。セシリアは修道服の袖を捲り上げると、細い腕で大根を引っこ抜いた。

「思えば、日本人は出島に自由に出入り出来るの、ずるいよね」

「何言ってるんだ。贅沢言うな」

清一郎は奥の小屋から籠を持ってくると、セシリアの抜いた大根を入れていく。

「思ったんだが…何故ローズ殿は出島に?」

「ああ、女人禁制とか君たち言ってたもんね」

「お前だってかなり怪しまれただろう、あんな格好しているんだし」

「来た時は捕り物にされたな…。でも、僕はキリスト教徒でも何でもないし、局部見せたらみんな黙ったよ」

「やること為すこと突拍子ねえな…」

ケラケラ笑うセシリアに、清一郎は苦笑いした。

「ローズは、二週間だけ、日本にいるんだ。出島の、あの屋敷からは出ないって約束で。またオランダに戻るんだけど」

引っ掛かる言葉はあったものの、清一郎はそれ以上追求することはなかった。

「よく奉行所送りにならなかったな」

「ドゥーフの人望だよ。僕は人望薄いから、すぐ取り調べされるけど」

そう言って項垂れるセシリアを、清一郎はじっと見つめる。その美貌を視界に捉えると、あらぬことをされたのでは、と卑猥な想像が一瞬過る。

「お前よく人前で見せられるよな。恥ずかしくねえの?」

「そんなには…で、でも、清一郎には…恥ずかしい」

「意味わからん」

お互いに顔を赤らめ、黙り込む。しばしの沈黙に耐えかねて、セシリアは清一郎の方へ振り向いた。

「清一郎って、夢とかあるの?」

「夢? そりゃあ、立派な与力になることだろう」

清一郎は躊躇うことなく答える。そしてセシリアと同じ大根畑に腰を下ろすと、襷をかけて袂をたくし上げた。

「お前は?」

隣にいるセシリアを覗き込み、尋ねる。

「僕は…」

 清一郎の人懐っこい挙動と、真近に見える白い二の腕に、セシリアの心臓は早まっていく。言いかけたまま固まったセシリアを横目に、清一郎は大根を品定めしながら口を挟む。

「やっぱり、母国の復活とか?」

清一郎は太い大根を引っこ抜くと、素手に着いた土を払った。

「あ、でもフランスって強いんだっけか?」

世界情勢など一寸も知らないが、セシリアのお陰で他国の名前は覚えられるようになっていた。

「フランスと戦争してたけど、前はイギリスともしてた。日本は良いよね。周りは海なんだから」

「お前のとこは、違うんだっけ」

清一郎は収穫した大根を五本、籠に入れ、隣の馬鈴薯畑へ移動した。セシリアは、まだ一本の大根と格闘しながら、

「陸続きだからね。いつでも攻撃出来る。京都から江戸に攻撃しようと思えば出来るだろう。それと同じさ」

腹の底から踏ん張った声だが、説明はとてもわかりやすい。セシリアは本当に博覧強記である。そこら辺の寺子屋の師範より、塾の師匠より、世界を熟知していた。一聞いたら十返ってくる。恐らく、大商人の御曹司なのだろう。育ちの良さそうな顔も、知性溢れる物言いも、血統の貴い証拠だ。

 セシリアは立ち上がると、清一郎と同じ馬鈴薯畑に出た。

「僕の夢は、もっと学問をしたい。いろんなことを学びたい」

大根でいっぱいになった籠を置きながら、清一郎からの問いに答えを出した。

「学問…」

予想外の返答に、清一郎は手を止めて、セシリアを見る。かの男は真っ青な空を仰いでいた。

「僕は、自分で本を読んでしか知りたいことを知れなかったけど…。でもいつか、剣じゃなく一冊の本で、そこに書かれている何百、何千という言葉で、国を治める時が来る」

「…言葉って…」

「変だよね」

「いや…案外本当になるかもしれねえ。先見の明ってやつか」

清一郎は馬鈴薯を籠の中に入れると、額の汗を拭った。

「清一郎…」

「まあ、その時代になるまでは、もうちょっと俺たちに剣振るわせてくれよ」

すんなり自分の意見を肯定してくれるかの男を、セシリアは放心した様に見つめる。彼のうっとりとした表情に、照れ臭さを感じた清一郎は、野菜の入った籠を持ち上げると、

「ほら、もたもたしてねえでさっさと抜け! 俺帰るからな」

しまりのない顔を見られぬように、そそくさとその場から立ち去った。

 

【君には、本当の夢を言いたかった。白日夢は正夢になるのかもしれないけど、僕の夢は夜の夢。好きな人に好きになってもらえるのなら、学問なんて捨てられる。何だってするんだ】

 

 その日の晩、オランダ商館と長崎奉行所で合同の宴が催された。商館長ドゥーフの希望で、長崎一の遊郭である丸山から遊女を派遣し、出島内にある娯楽所で行われた。

 腰の物を預け、座敷に通されたは良いが、清一郎にとって宴席はあまり居心地の良い場ではなかった。元々人との色恋には興味がないゆえに、花街などは微塵の関心もなかった。寧ろ、男と女が交ざり合う「悪所」という固定観念が、かの男の脳内にはしっかりある。江戸にいた頃も、吉原などの色里に己から赴くことはまずなかった。

 そしてこの度、花街の形式を受け継いだ娯楽所を訪れたのだが…。その想像以上の豪華な宴席に、清一郎は目眩を覚えていた。初めて見る遊女たちはとても美しく、煌びやかだ。中でも一番人気の竹里という花魁は、すれ違った人が振り返るほどに眩い美人であった。売られた女とは思えない、育ちの良さそうな、知的な美しさが溢れ出ている。恍惚を呼び起こす様な女ではないが、手の届かない真珠の如き遊女と言えよう。

「緊張しているのか?」

先ほどから何も話さない清一郎に、同席していた高岡が覗き込むようにして聞いてきた。

「いえ、あまり来たことがなかったので」

初心な男だと悟られたくない一心で、清一郎は生真面目そうな顔で言い返した。

 向かい側には、商館長であるドゥーフが、竹里を隣につけて酒を飲んでいる。ドゥーフは清一郎にも優しく、親切な男であった。二十九歳という若さながら商館長としてみなをまとめ上げるくらい、しっかりとした器を持っている。すると、ドゥーフに酌をしていた竹里が、清一郎を視界に捉え、言った。

「ねえ、あそこにいる方はどなた?」

廓言葉ではない丁寧な標準語で、ドゥーフに尋ねている。いきなり話題に出され、清一郎は顔を伏せた。

「ああ、あの子は長崎奉行の新しい与力さんだよ。綾瀬清一郎くん」

「へえ、あたし挨拶してきますね」

竹里はゆっくりと立ち上がると、清一郎のすぐ傍までやって来て腰を下ろした。清一郎はぎょっとして動きを止め、恐る恐る竹里の方へ顔を向ける。近くで見ると、人形の様に愛らしい。竹里は、口に手を当てて顔を綻ばずと、

「清一郎はん、やっぱり、女子みたいな顔してるわあ」

まるで新造にでも言うかの様に、そう評してみせたのだ。

「お、女…」

清一郎は、逃げ出したいほどに恥ずかしくなって、俯いてしまった。男に言われたのであれば、いま頃喧嘩していたところだ。しかし、世の男たちを散々見て来たかの女に言われては、言い返しようがない。

「雪之丞はんと言い、奉行所のお方はみんな美男子だと思ってたけど…清一郎はん、めんこいわあ」

さらに追い討ちをかけるようにして、竹里は言った。

「めんこいって…」

「そう、愛くるしいってことです」

「…!」

 なんと、あの堅物が、顔を真っ赤にして、狼狽しているではないか。目にはうっすらと涙が浮かび、箸を持つ手は小刻みに震えている。竹里は、この稚児の様な男に加虐心を煽られ、如何にして手解きをしてやろうか、と思考を巡らせた。こうなっては、竹里はどんどん付けあがる。実はこの竹里と言う遊女は、幼顔の男にフェティシズムを感じる気質があった。弱り果てた男を、好奇に満ちた眼差しでじっと見つめ、わざと顔を覗き込む。そして、成熟しきっていない、かの男の膝元にそっと手を置くと、ゆっくり肩に寄り添った。落とせる。そう確信した時、ふと誰かの視線に気付いた。向こう側の宴席を見ると、嫉妬とも、軽蔑ともつかぬ熱い視線をこちらに送る、セシリアの姿があった。

「あら、あんさん、もういらしてたの」

「あれ、彼奴…」

清一郎もセシリアの方を見る。すると、さらに険しい顔をして、こちらを睨みつけてきた。セシリアの両隣を占領している遊女らも、彼の不気味な行動に首を傾げている。竹里は、ちょっとごめんなさい、と言い置いて立ち上がると、セシリアの方へ行ってしまった。

(何なんだ…)

セシリアと話している竹里は、とても楽しそうだ。すると、少し酔いの回った高岡が口を開いた。

「竹里とセシリアどのは結構深い仲にいるらしくてな…。もう何度も床入れしたそうな」

「床入れ?」

「あれは身請けするのも時間の問題だな…」

 そう言われて、清一郎は仲良く酒を飲む二人の姿を見つめた。先ほどの視線は、どちらへの嫉妬だったのだろうか。確かに以前、セシリアは彼を好きだと言った。ヤれるならヤっていたとも言っていた。セシリアは、日本人なら誰でも好きなのか。好みのタイプなら、誰とでも抱き合うのか。清一郎は無性に癪に障った。軽々しく好きと伝えるセシリアに、また裏切られた気がした。別に恋人同士でもないはずなのに、友人として認め合ったはずなのに、清一郎は彼を許すことが出来なかった。

「おい」

 厠に出かけようとしたセシリアを廊下で捕まえると、己の方へ引き寄せた。清一郎らしからぬ大胆な行動に、酔い気味のセシリアは目をまるくした。

「お前、女でも男でも、誰でも好きになって、誰にでも思いを伝えて、誰でも抱いてるのか」

咎めるような言葉に、セシリアは冷水を浴びせられた様な感覚になった。様子のおかしい清一郎に、落ち着いた口調で応じる。

「…清一郎、どうしたんだ」

「高岡殿から聞いたよ。お前、結構ここや丸山何ぞに行って朝っぱらまで遊んでるらしいじゃねえか」

「結構って、まだ数回しか来てないけど…。でも清一郎、ここは遊ぶ場所なんだ。別に本気な訳ないよ」

清一郎を諌めるように言うが、それでも彼の気は収まらない。

「本気じゃないのに、どうしてそう夜伽なんかするんだ。本当は誰でも良いんだろう?そういうこと出来れば」

「違う。どうしてそうなるんだ。夜伽の数が愛の比重じゃないし、夜伽したからって、別に僕は相手のこと本当に好きじゃないよ」

「じゃあ何でお前、好きじゃない相手に、易々と自分の身を捧げてるんだよ」

「楽しいからだよ。だから言ってるじゃないか。ここは遊び場だって」

「じゃあお前…夜伽は遊びだと思ってるのか?」

「好きな相手とするそれは違うけど、こういう場所ではそうなるね。僕だって良い大人なんだ。やりたくなる時くらいあるさ」

「お前はそんな安いやつだったのか。命削ってまで、何で好きじゃない女を抱かなきゃいけないんだ」

いままで穏やかに対応していたセシリアの顔が、途端に悲しげになった。それを見て、清一郎は言い過ぎことを後悔したが、もう遅い。

「清一郎…まだ若い君にはわからないんだ。それに、君と僕の生い立ちも全然違う。君は、周りの大人から重宝されて育って来た。だからこうして、立派な職業を持った男になってる。大事にされることが当然、もうすっかり慣れてしまって…。本当は憎らしいよ、清一郎。夜伽なんて俗な快楽を得なくても、十分な生きる意義とか、譲れない精神とか、そういう確固たるもの持って輝いてるなんて。でもね、僕みたいな男は、誇り高い生き方なんて、絶対にできないのさ」

愛の求め方がわからない。セシリアの過去に何があったのかはわからないが、清一郎はこれ以上、彼を責める気にはなれなかった。

「軽蔑した? 夜伽は僕にとって慰めなんだ。大事にされることを知らない愚かな僕の、唯一の信仰さ」

セシリアは目を合わすことなく、低い声で言い放った。彼は、苦しんでいる。

「…何も知らずに、すまなかった…」

清一郎はどうしようもなく情けない気持ちになって、愕然と佇むセシリアに背を向け、その場を後にした。

 

【夢を見すぎると、悪夢まで見てしまう。だけどそれこそが、現に一番近い幻想なのだ。良い夢ほど、遠くなる。悪夢は僕を映す鏡である】

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日蘭同盟 カノキョウ @kiyo17

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