今でも君を愛している

@Ricty_2525

第1話 今でも君を愛している

 12月17日、俺イーサン・レイは死んだ。

 その日ニューヨーク市ダコタ・ハウス周辺を歩いていた。嫁と小さな事から喧嘩をし、気分転換に外に出たのだ。彼女と結婚して良かったのかと疑いたくなる。きっと俺の音楽業界での成功に付いてきた金に恋をしているのだろう。彼女の瞳には俺の姿はなく、通帳の0の数だけが写っているだろう。0が増えれば喜び、0が減れば怒る。女とはそういうものなのだろうか。結婚する前に付き合っていた彼女がいた。彼女とは成功するずっと昔の学生時代に付き合っていた。学生時代は金も品格もなかったため、彼女は俺自身を愛してくれていたと思う。俺もそうだった。純粋な愛であった。もしもそんな彼女と結婚していたら、不快感や怒りから家を飛び出すことはなかったかもしれない。むしろ家から出たくないと家の柱に捕まり、そんな俺を彼女は引っ張り出そうとして、二人で笑っているかもしれない。そんな明るい家庭さえ考えてしまう。こんなに騒がしい場所に来たのは間違いだった。行き交う人々の話す声、工事による鉄にネジを打ち込む音、全てが雑音である。そんな音を遮る為にイヤホンをし音楽を聴いていた。やはりBeatlesは良い。彼らの音楽には大きな魔力のようなものが含まれている気がする。特にジョン・レノンが作詞作曲した「Strawberry Fields Forever」は素晴らしい。彼の世界に招かれているような気持ちになる。彼らの音楽は自分が作った曲にも大きく影響している。イヤホン越しに図太い男達の叫び声が薄ら聞こえた。聞こえてるつもりだったが、イヤホンが作る音楽の世界に入り込んでいたため、声の鳴る方を見ることも立ち止まることもなく歩き続けた。その瞬間、この身に重く硬い何かが落ちてきた。強引に体を抑えつけられるように地面に張り付いた。体全体が痛くて、所々が熱くなり、視界が赤く染まっていく。地面には頭部を中心に円を描くように赤い液体が広がっていく。体から魂が抜かれていくように体は徐々に力が入らなくなっていった。視界が歪み始める中、この身を抑えつける何かを退けようとする眼鏡を掛けたがたいの良い黒人、持っていたコーヒーを地面に落として口を押さえる金髪の白人女性、まだ小さな無垢な子供の目を手で覆うお母さん、ひたすらシャッターを切る野次馬達。そんな人達に囲まれながら俺は目を瞑った。

 次目を開いた時、霊園にいた。緑の芝生が広く広がる中、空は晴れ渡り、埋め込められた墓石が綺麗に並んでいた。そんな中一つの墓石の前に人が集まっていた。集まっている人の顔を見て、誰の墓なのか一瞬で分かった。そこには泣き崩れる嫁の姿とベビーカーの上で純粋な笑顔を振り撒きながらおもちゃを振る1歳の息子、泣いている母に寄り添う父の姿、墓を見て背を向ける兄貴、ただただ泣く仲間達がいた。敷地外にも多くの人がおり、発狂するような声が多く聞こえた。墓掘人が近くのベンチで新聞を読んでいたため、後ろから覗いてみる、「12月17日イーサン・レイ死亡」と大々的に書かれていた。あの日何が落ちてきたのか、何故死んだのか、今の自分は何なのか、全てが分かった気がした。とても恐ろしい。体が震えた。後ろに2歩下り、顔を手で覆い、丸くうずくまって泣いた。突然襲う孤独が心の奥の柔らかい所を強く刺激した。もしもあの日イヤホンをしていなければ、嫁に素直に謝っていれば、色んな後悔が頭の中で混ざった。もう戻れないのだ。命はたったの一個であることを強く感じた。太陽が帰ろうとする頃、涙も枯れて、その場で大の字になっていた。気付かぬ間に目を瞑った。

 再び目を開いた時、とあるマンションの一室にいた。デジタル時計には12月17日8時30分と表示されていた。白い壁に香水の匂い、花柄の布団。どうやら女性の住む部屋のようだ。見て回っていると写真が飾られていた。手に取って良く見てみると、とても見覚えのある顔だ。その時、背後にあったベットから物音がした。突然冷たい手で首元を触られたように体がビクっとした。恐る恐る振り返る。布団は膨らんだり縮んだりしている。こちらからは後頭部しか見えなかったため、覗き込み顔を見た。そこには学生時代の彼女であったカレン・ミラーが寝ていた。後ろから服を引っ張られるように後ろに下り、壁に背中を合わせた。手で目頭を押さえ再び見るとクローゼットの前で着替えをしていた。慌てて目を瞑る。そしてゆっくりと眼を開くと次は車の後部座席におり、カレンは運転中であった。まるで30分のテレビ番組を飛ばしながら見ているように時間は流れていた。聴いたことのある曲が流れている。Beatlesだ。カレンは鼻歌を歌っていた。価値観がこんなにも似ているだなんてあの当時じゃ感じられなかった感覚だ。カレンの鼻歌に耳を傾け聴き入っていると、再び目を瞑っていた。開くとカレンは美容室でパーマを掛けていた。その次は友達とカフェにて談笑、その次はスーパーマーケットで買い物、その次は再び部屋にいた。デジタル時計をみると15時30分と表示されていた。俺が嫁と喧嘩して家を飛び出したぐらいだろう。そんな時カレンはピアノを弾いていた。この曲を良く知っている。自分自身が作った曲だから。カレンが堂々と座る椅子にほんの少し腰掛けた。清々しく弾き続ける彼女の横顔を見ながら、ふと昔のことを思い出す。あの頃から俺はずっと夢を見ていた。ジョン・レノンのような偉大な音楽家になることだ。しかし歌唱力も楽器を奏でる技術もアマチュアの音楽家から見ても鼻で笑うようなレベルであった。きっと周りの奴らは陰で笑っていたに違いない。そんな俺のことをカレンは愛してくれた。いつも付いてきた。俺はいつも冷たかった。それでも付いてきた。日が経つにつれてカレンのことが好きになっていた。それからは幸せだった。カレンが近くにいることが何よりも幸せだった。そして俺は愛の言葉を伝えた。カレンは照れながら受け取ってくれた。その時のカレンの幸せがはち切れんばかりに溢れている笑みを今でも覚えている。だが夢を追うことでカレンを置いてけぼりにしてしまった。カレンと会う機会が減り、自然的に二人の関係は音を立てて崩れていった。きっと夢を追う俺の姿を見て邪魔をしてはいけないと思っていたのだろう。カレンはとても優しい女の子だから。もしも夢に執着せずに愛を選んでいたら、もしも俺の夢をそばで応援してくれていれば、きっと二人は今も一緒にいたのかもしれない。それにはお互い言葉が足りなかったのかもしれない。せめてさよならだけでも伝えるべきであった。だがもうどう足掻こうとカレンの肌に触れることも会うこともできない。俺はカレンに合わせて歌い出す。この曲はカレンのことを歌った曲だ。別れた後でも俺のことを心配していたという話を友達から聞いた。別れた後でも俺のことを心配してくれるカレンへの気持ちをどうしても曲にしたかった。それを本人に歌われるのは不思議な感覚だ。カレンはどんな気持ちでこの曲を聴いてくれているのだろうか。その時、インターホンが鳴る。カレンは早歩きで迎えに行った。まるで相手が誰か分かっているように。カレンはドアを力よく開けるとすぐに来客に抱きついてキスをした。その相手は男で、革ジャンを着て無精髭を生やしていた。どうやら今の彼氏のようだ。俺は現実を拒むように眼を瞑った。目を開けると、カレンはベットで彼と遊戯中であった。甲高い声が響き、野性的で本能に任せるようであった。俺はそれを部屋の角にある椅子に座りながら見ていた。何か厭らしい気持ちがあった訳ではないし、決して妬んでいる訳でもなかった。俺だって他の女と結婚をしたのだから当然である。だが少しは胸の奥が重くなった気がする。だが言えることは幸せそうなカレンが見れて良かった。きっとあの頃では見れない、大人になったカレンの幸せそうな笑顔が嬉しかった。複雑な気持ちにさせられたが、俺とカレンの愛に後悔などない。きっと全てに理由があって、そう上に成り立つ事実なのだから。やり直せたとしても、きっとこのまま二人の思い出は古びてゆく。それが良い。カレン達の遊戯も終わり、彼女らは眠りについた。カレンはどう思っているのだろう。時々俺のことを思い出してくれるのだろうか。メディアで見かける俺の姿を見てどう思っているのだろうか。そんなことを考えて、何故か不安になった。次のシーンに移るべくゆっくりと目を瞑った。目を開けるとカレンはベットから起き上がり、足を床につけて座っていた。カレンは俺の方を見つめていた。何か考え事をするようにこちらを見ていた。そんなカレンの視線を受けて、見えていないと分かっていても、何故か気まずかった。するとカレンは横で爆睡する男にキスをしてリビングのテーブルの上にあった携帯電話を手に取ってトイレに入っていった。俺は付いてこうとは思わなかった。その理由は分からない。その後、トイレから女の慟哭する声が鳴り響いた。

 その日ニューヨーク市ダコタ・ハウス周辺を歩いていた。街の雑音を聴くのは好きではないが、たまにはこんなのも悪くない。街ゆく人々を見ながら彼女のことを思い出す。あの日のことはもう考えたくはない。だがきっと二人の愛は本物であった。カレンは俺の本質を愛し、社会的地位が変わったとしても愛してくれた。一度愛した人間と関係が崩れようと二度と会えなくても愛し続けるべきである。彼女は愛の体現者だ。彼女はいつでも遠くから俺が気付かない程度に見守ってくれた。次は俺が彼女よりも遠い場所でこの行動を悟られないように見守り続ける。何故なら、今でも君を愛しているから。人混みを避けながら進む先で、カレンはストリートピアノであの曲を弾き歌っていた。俺はただただそれを見続けた。


 

 

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