[終] 二〇〇四 春休み

 睦は母校での用事を済ませると、そのまま近くのファミレスに向かう。店内に入ると、ウェイトレスが席に案内してくれた。いつも友人と馬鹿話をしながら過ごしていた店内も、知った顔が居ないと急によそよそしくなったように思えて、自分がもう高校生ではないことを実感する。さっきのウェイトレスが水を運んできてくれた。メニューを見て注文を決めた睦だったが、呼び出しボタンを押さずに店内を見回している。きょろきょろと首を動かしていると、

「あら、誰かと思ったら」

後ろから声がして振り向く。

「店長!」

制服を着た千歳が立っていた。

「もう店長じゃないのよ、今は。ここの店長は私の甥っ子がやってるの」

そう言うと名札に書いてある〝副店長〟の文字を指差した。

「さて、なにをご注文なさいます?」

Moon riverでは手書きだった伝票の代わりに端末を開いて構えている。

「じゃあ……、ハンバーグランチください」

「はい、承知しました」

そう言って入力すると、端末を閉じて睦の向かいに座る。

「便利よね、注文通しに行かなくてもこれで済んじゃうんだから」

テーブルの上に置いた端末を人差し指でつつく。

「大丈夫なんすか……? 座ってて」

睦は周囲を気にしている。

「大丈夫よ、周りからはアルバイトの面接をしてるようにしか見えないわ」

「確かに、そう言われるとそうっすね」

感心するように睦が言うと、千歳はふふふと笑った。

「もうそろそろ引っ越す時期なんじゃない?」

「はい、実は今日の夕方の飛行機で出発します」

「今日なの? こんなとこでゆっくりしてて大丈夫?」

「大丈夫っす。さっき先生たちにも挨拶してきたし、あとは家に戻って荷物取るだけなんで」

それを聞いた千歳は

「ちょっと待っててね」

と言って立ち上がり、キッチンの方へ入っていく。すると三十秒も経たないうちに、満面の笑みでピースサインをする片桐が出てきた。

「睦くん久しぶりだねえ、今日出発するんだって?」

「はい、お久しぶりっす、もう腰大丈夫なんすか?」

「大丈夫大丈夫! やっぱり適度に動いてた方が調子いいわ!」

そう言って腰を叩きながら笑う。

「そりゃよかった」

睦もつられて笑った。片桐の豪快な笑い方が睦は好きだった。

「あっちに行っても尚斗と仲良くしてやってね!」

片桐が睦の手を握って言う。

「はい、尚斗の方が都会の先輩なんで、いろいろ教えてもらおうと思ってます」

「そうそう、バシバシ使っちゃっていいからね! あの子は睦くんと居るときが一番楽しそうなんだから」

キッチンから千歳が出てくる。

「はい、お待たせしました。ハンバーグランチになります」

料理がテーブルに置かれる。

「飲み物、ドリンクバーなんだけど、なにか持ってきてあげましょうか?」

千歳の申し出を笑顔で断ると、睦はハンバーグランチを食べ始める。

「あたしたちが見てると食べづらいよねえ。店長、行きましょ!」

千歳と片桐の後姿を見ながら、一口噛むごとに、睦の視界が潤んでくる。紙ナプキンを取って目頭を押さえると、またハンバーグを噛みしめた。

 睦が伝票を持ってレジに向かうと、他のウェイトレスを笑顔で制止して、千歳がやってきた。まるで見張っていたかのように片桐もキッチンから飛び出してくる。サイフを出す睦の手を千歳が止めて

「このくらいおごるわよ。向こうに行っても頑張ってね。はい、これで尚斗くんとおいしいものでも食べて」

と餞別の入った封筒を渡してきた。遠慮する睦の手を握って掴ませ、

「これは私たちからのお礼だから」

とポンポンと睦の手を叩いた。隣にいた片桐が

「そうそう、若者が遠慮なんかしてちゃだめだよ。帰ってきたら、たまには顔見せてちょうだいよね!」

「そうね、尚斗くんと仲良くするのよ」

睦は二人の顔をしっかりと見つめて、

「じゃあ、また、二人とも元気で!」

と言うと、自動ドアから足を踏み出した。


 いつの間にか眠っていたようだった。着陸の衝撃で目を覚ますと窓の外に、Tokyo International Airportの文字が見える。機内に居る人たちは皆、旅慣れているように見えて、シートベルト着用のサインが消えた瞬間にあちこちで人が立ち上がって荷物棚を開け始める。通路には瞬く間に列ができ、後ろの方まで続いているのを見た睦は、完全に出遅れたと思い、すぐに降りるのを諦めた。窓の外の地面は真っ暗なのに、空は薄いグレーで覆われていて、星も見えない。ただ月は力強く輝いていた。ゴリゴリ、ガタンという音が聞こえると、通路の列が一斉に流れ始める。最後の一人が通り過ぎるのを待ってから、睦は荷物を取り出すと、笑顔のCAに会釈して飛行機を降りた。

 ポケットから出ているストラップを引っ張って携帯を取り出すと、動く歩道の上を歩きながら、電源を入れる。少し間を空けてメールがいくつか届いた。親から「向こうの部屋に到着したら連絡ください」と来ている。友人たちからのメールを一つひとつ読んでいると、動く歩道の終点についた。手荷物検査場を素通りして出口に向かう途中、携帯が鳴った。

「もう着いた?」

「うん、着いたよ、もうすぐ出口」

到着ロビーに出ると、大勢の人が誰かを待っていた。睦が自動ドアから出ると耳元で、

「左」

という声が聞こえた。顔を向けるとエスカレーターの近くに、なんだか少し垢ぬけた尚斗が立っている。

「ごめん、待たせた?」

「いや、あんまり」

二人はエスカレーターを降り始める。

「それ、持とうか」

「おお、サンキュ、ていうかそれ尚斗にお土産。地元の味が恋しいだろうと思って」

「ほんとに? ありがとう」

尚斗は紙袋を覗き込む。睦が下から見上げる。

「尚斗んちって近いんだっけ」

「まあ、睦の家よりはだいぶ近いよ」

エスカレーターを降りて改札に向かって歩く。

「うち泊まってくんでしょ?」

「うん、そうする、あと腹減った」

「なんか家にあるもんでよければ作るけど、肉野菜炒めとか」

「まじか、懐かしの味」

改札を通り抜ける。

「俺は毎日食べてるけど」

「俺んちにも作りに来てよ」

「睦も同じの作れるだろ」

「やっぱ一番弟子の味は違うからな」

「んなわけない」

電車が到着すると、二人を乗せて走り去っていく。


 カーテンを開けると、部屋中に朝の光が広がった。尚斗は顔を洗って歯を磨くと、トーストを焼いてコーヒーを淹れる。のそのそと起きあがった睦も洗面所に向かう。ローテーブルに朝食を置いてテレビをつける。部屋に戻ってきた睦もカーペットに胡坐をかいて座り、テレビを見ると、その上の棚に飾られたポストカードに気づく。

「さっそく飾ってる」

そう言って笑った。尚斗も目を向けて、

「とりあえずあのサイズの額縁見つかるまで、裏側をテープで貼ってつなげとく」

二枚のポストカードに分かれた、赤くて大きな橋が繋がっている。

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洋食屋『Moon river』 teran @tteerraan

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