ゴーストのいる踊り場

下村アンダーソン

ゴーストのいる踊り場

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 踊り場の窓から月光が射し入る夜、私はゴーストと出会う。

    

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 ゴーストというのは私が付けた呼び名で、本当の名前はあるのかもしれないが聞いたことはない。ゴーストは決して口を利かない。

    

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 ゴーストは人が頭からすっぽりと白い布を被ったような姿をしていて、目にあたる部分にだけ丸い穴が開いている。ゴーストと呼ぶべきことは出会った瞬間に分かったし、ゴーストもまた自身をゴーストとしてのみ認識しているのかもしれないという気がしている。気がしているだけで、まるで根拠はないけれど。


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 ゴーストは月のある晩に、踊り場にのみ現れる。階段を上っていくことも、下りていくこともない。ただ同じ場所を左右に行き来したり、回転したりして時間を過ごす。そのたびに白い布がふわふわと揺れて、少し優雅だ。私は階段に腰掛けて、ゴーストの観察を続ける。


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 ゴーストが私に見せているのはダンスなのではないか、と私は考えはじめる。私がただの白い布と見做しているものもゴーストにとってはドレスであり、だとすればゴーストは貴人なのだ。この館がゴーストにふさわしい場所なのかは分からないが、繰り返し訪れるところを見るとやはり気に入っているのかもしれない。


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 月明かりがとても美しく見えた夜、私は初めてゴーストと踊る。彼女は踊りの名手だ。


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 彼女――ゴーストが女性であるという認識は、いまの私にとってはごく自然だ。体の揺らし方や回転の仕方、その他のより細かな仕種を観察すればするほど、ゴーストは女性なのだという確信が私のなかで深まっていった。きっと私と同じ年頃の少女に違いない。嘘だと思うなら、いちど彼女と踊ってみればいい。


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 曇りや雨の、すなわちゴーストが訪れない晩のために、私は新しい楽しみを見出した。それはゴーストの肖像を描くことだ。私の目に映る、布で覆われた丸っこい形をそのまま描写するのではない。踊りを通して彼女が私に見せたがっている姿を想像し、表現するのだ。それこそが彼女の真の姿なのだという想いが、私の胸に漲っている。


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 完成した絵を、踊り場の窓のすぐ下に飾る。次にゴーストが訪れる晩が楽しみでならない。


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 何日も雨が続く。雷鳴が聞こえる夜もしばしばで、だだっ広い館に独りきりで暮らしている身としては少しだけ不安だ。一日も早くゴーストに会いたい。


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 嵐の夜、誰かが扉を叩く。


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 濡れ鼠になってそこに立っていた来訪者を、私は招き入れる。私と同じくらいの歳の少女で、道に迷ったから泊めてほしいと言う。私は承諾し、来訪者のために食事と湯を用意する。


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 来訪者が雷を怖がり、私もまた不安が拭えなかったので、その夜は彼女と一緒に眠ることにして二階にある寝室へと導く。階段を上っていく途中、彼女はゴーストの肖像に目を止める。これは自画像なのかと私に問う。そうではなく特別な友達なのだと私は答える。


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 来訪者はすぐには寝付かず、私に質問を繰り返す。特別な友人たるゴーストにまつわる物語を、私は正直にはかたらない。ただときどきやってきては、一緒に踊って楽しむのだとだけ答える。他のことは何もしないの、と来訪者は不思議がる。素性も明かさずに踊るだけの存在は、彼女の感覚では友人とは呼べないらしい。


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 夜が明けても来訪者は去らず、そのまま館に居つく。なぜなら彼女は私の友達で、友達というのは共に長い時間を過ごして喜びや悲しみを分け合うものだからだと言う。こんな広いお屋敷にずっと独りで淋しかったでしょう、でももう大丈夫、と囁きながら、来訪者は私を抱き締める。


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 来訪者は住人になり、住人は恋人になる。彼女の肌は温かく、そして甘い。


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 館のもっとも美しい部屋を、私は恋人に与える。彼女の望みどおり、私たちはそこで長い時間を共に過ごす。昼間はいつも一緒にいる。夜が更けて曇りや雨なら、私はそのまま居残る。しかし月が明るければ、私はそこを去る。


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 私の行動を恋人は嘆き、どんな夜であっても一緒に眠らなくてはいけないのだと私に告げる。それが恋人というものの在り方なのだ、と彼女は言う。友達の在り方も、あなたは知らなかった。だから教えた。今度は恋人の在り方を教える。あなたは私の言うとおりにすればいい。


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 恋人が寝入ったあと、私はそっと寝台を抜け出す。足音を忍ばせて階段を上がっていくと、踊り場にはゴーストがいる。白い布で顔を隠した姿ではない。私の描いた肖像そのままの美しい少女として、彼女はそこにいる。


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 ゴーストが私に手を伸べる。私たちは共に踊る。


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 叫び声が私たちの時間を破る。血相を変えた恋人が蝋燭を手に階段を駆け上がってきて、私の手を掴む。恋人は私を狂人と罵る。踊り場には誰もいない、あなたが狂っているから家族もみんな出て行った、あなたには私しかいない、と彼女は金切り声をあげる。


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 ゴーストはそこにいる、と私は言い返すが、恋人は聞き入れない。狂乱した彼女が火のついた蝋燭をゴーストの肖像に投げつけ、笑いながら階段を下りていく。私は大慌てで寝室に取って返し、白い毛布を携えて戻ってくる。燃え盛る炎の勢いは収まらない。


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 館は炎に呑まれ、やがて灰になる。なにもかもが燃え落ち、そこにはだだっ広い土地だけが残る。他にはなにもない。


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 何もない土地に夜が訪れ、月光が射し入る。すると何もなかったはずの場所から、ふわりとひとつの影が立ち上がる。影は人が頭からすっぽりと白い布を被ったような姿をしていて、目にあたる部分にだけ丸い穴が開いている。


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 影は自分の名を知らない。ただ踊ることだけを覚えていて、誰もいない空間で左右に行き来したり、回転したりを繰り返す。月光に濡れる自分が、いつか出会うかもしれない誰かの目に、少しだけ優雅に映るようにと祈りながら。

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ゴーストのいる踊り場 下村アンダーソン @simonmoulin

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