第9話・転移
「心残りはないのね」
「……ああ」
咲夜の葬儀が全て済んだ次の日、弥次郎は約束通り、俺を訪ねてきていた。
咲夜の夫である翡翠は、今日死ぬ。
「ちゃんと子供たちから魔力を抜いてくれたのね。ありがと」
「そうしなければ、ずっと監視の対象となるのであろう? ならば仕方あるまい」
あの時、咲夜には話さなかったが、俺はこの世界に留まるために天狐と様々な取引をしていた。
俺の魔力を受け継がせないのであれば、子を成しても良いこと。
生まれた子が魔力を持った場合は、それを残らず抜くこと。
今世で咲夜が逝去した後は、転移までの間、この身を封印すること。
咲夜がいないこの世界では、自分のやりたいことなど何一つ思い浮かばない。
俺はそれらを快諾した。
「咲夜の魂は無事に旅立っただろうか」
「安心なさい。ちゃあんと次の生まれ変わり先に向かったそうよ」
「…………そうか」
弥次郎は幻術を使い、俺にそっくりな死体を一つ作り上げた。それを見届け、本来の姿に戻る。それだけで、咲夜と過ごした時間が失われたような気がした。
「では封印してくれ」
「潔い男って良いわね。翡翠クンはやっぱり良い男よ。咲夜ちゃんの目に狂いはなかったってわけね」
弥次郎は俺のこの世界への未練の無さを潔いと言った。
……だが、それは違う。そうではない。
未練があるからこそ、耐えられないだけなのだ。
咲夜と共に暮らした場所に、咲夜だけがいない。その現実と喪失感を受け入れられなくて、俺は自分の時を止めてしまいたいだけだった。
子供たちは咲夜が立派に育て上げた。
最後まで見届けることが出来ないのは残念だが、何の心配もいらないだろう。
「……あとは、頼む」
「じゃあね、翡翠クン。あっちの世界でも元気でね。せめて眠っている間は、良い夢を」
パチッと弥次郎が片目を瞑ると、世界が反転したような感覚になり、目の前が真っ暗になった。
何の色も音も無い世界に、一人漂う。
この世界であって、この世ではない場所に俺は封印された。…………これでいい。
転移までの間、俺はこの暗闇の中で過ごすものと思っていた。
何も見ず、何も感じずに。
しかし弥次郎の粋な計らいにより、この場所で深い眠りに就いた俺は、とても幸せな夢を見続けることとなった。
それは、咲夜と過ごした愛おしい日々の夢。
いっそこのまま覚めなければ良いと願ってしまうほど、とても幸せで優しい日々の夢だった。
もう一度、咲夜に逢いたい。
声が聞きたい。この手で抱き締めたい。
どんなに強く願っても、それはもう叶わない。
そして、そこからおよそ100年の時を経て、儚い夢は終わりを迎えた。
いつもより早い、いつも通りの強制転移。
俺は眠りから目覚め、元の世界へと戻されたのだった。
◇◇◇◇
転移させられている短い間、考えていた。
元の世界へ戻ったとして、何をしようと。
いつか咲夜が言っていた星の支配でもしてみるか? そんな考えも浮かびはしたが、とてもそんな気にはなれなかった。
むしろ、星ごと壊してしまいたい気分だった。
そうすれば、さすがに自分も死ねるのではないかと思えて。
運が良ければ、咲夜がいた世界に転生できるかもしれない。そんな下らない考えが頭をよぎる。
それでも、可能性がわずかにでもあるのなら、それに縋りたいとさえ思ってしまう。
それほどまでに、俺は咲夜に飢えていた。
…………ただ。ただ、逢いたい。
しかし、現実という時は残酷に過ぎる。
元の世界へ戻されると、俺は決まって同じ城からの再スタートとなっていた。
俺が留守にしていた時間の分だけ植物の根や蔓が這い、土埃と蜘蛛の巣と……とにかく廃墟のようになっている城だ。
毎回その城を掃除してから、という地味な再出発となるのだが……。
「…………な、んだ。これは……?」
その城が、今回はいつもと様子が違っていた。
清掃が行き届き、敷地内のあらゆる所に人の気配がある。綺麗に拭きあげられた窓から外を見れば、いつもは密林のように荒れ果てているはずの景色が、庭園のように美しく整えられていた。
まさか今回は、初めから城が勇者側に占領されているのか?
有り得ない話ではなかった。
想定していた中の一つだが、俺の復活前から真面目に魔王討伐に向け、用意周到に働きかける勇者が出てもおかしくないというだけの話だ。
今回のように俺が星ごと壊しかねない考えを持つ以上、それに対抗する勇者側に、それ相応の条件が与えられていても何の不思議もなかった。
この星は、それほどまでに俺を拒むか。
「…………ふっ、は、ははは……っ」
エストレイア・ゾーク・アウストゥル。
『星を破壊する者』と付けられた呪名は、ただの飾りではないということか。
俺の出現に気づいたのか、複数の人の気配が、まっすぐこの部屋に向かってきていた。
転移してすぐの戦闘は初となるが、出来れば死者は出したくない。かと言って、手加減してやれる余裕もなさそうだった。
俺は今、かつてないほど機嫌が悪い。
俺は、この星が憎くて堪らない。
だが、ここに暮らす者たちに何の罪もないことを、俺は知っている。意味もなく人を傷つけたくはない。
──だからどうか。せめて星が壊れる前に、俺をどこか遠くへ飛ばしてくれ……!
バンッ、と勢いよく飛び込んできたのは、間違いなくこの星に住む者たちであった。
しかし、誰も武器を手にしていない。
彼らの手には、それぞれに紙が一枚握られているだけだった。
「……大変恐縮ではございますが、エストレイア・ゾーク・アウストゥル様でお間違えないでしょうか?」
紙面と俺を見比べながら、代表者のような男が口を開いた。40代くらいで、冒険者というよりは教養のある執事のような見た目だ。
「そうだ。貴様は?」
「は。私、この城内で執事を勤めさせて頂いております、ロウザー・イーグスタンと申します」
「……執、事……?」
本当に執事だった。
この世界にも、そんな職業があったとは。
ロウザーはこの城に仕える一族の代表で、自分は執事として三代目だと語った。当たり前だが、そのような者を雇った覚えなどない。
「我が一族がこの城に仕えさせて頂くことになりましたのは、今から80年ほど前のことになります」
「……80年」
「はい。いつ城主が戻られても不自由なさらないようにと、城内を維持するよう厳命されております」
80年前といえば、弥次郎に封印されて少し経ったくらいだろうか?
「……今、厳命と言ったか? それは誰からだ?」
「申し訳ございません。例え城主であられても、そちらはお答え致しかねます。代わりにこちらをお預かりしております」
そう言って、ロウザーは懐から一通の手紙を取り出した。
そこには『日本語』で、こう書かれていた。
◇──────────────────◇
No.7241
お帰り、翡翠。
いきなりで驚いただろうか。
いろいろと勝手なことをしてすまないと思う。
翡翠がこれを読んでいる今、私は最後の魔物を退治するため、北の大地に向かっていることと思う。もし遠征している間にこちらに帰ってきたのなら、少しだけ待っていて欲しい。
今回は途中に大きな川があるそうだから、出来たら帰りに釣りでもして、翡翠が好きだった川魚の塩焼きが出来たらいいと思っている。
ちゃんと保存魔法は覚えているから安心して欲しい。無事に帰ったら、一緒に食べよう。
あちらの世界では、どんな物を食べて過ごしたのだろうか。もし味の好みが変わってしまっていたら、遠慮せずに言って欲しい。
翡翠はすぐに本心を隠すから。からい物が苦手だと気づくのに、前は20年かかった。
早く『お帰り』と、自分の口で言いたい。
この手紙が、その手に届くと願って。
咲夜
◇──────────────────◇
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