第8話・余生


 夜行院の莫大な財産は、全ての被害者たちに等しく分配された。

 それを元手に新しい事業を始める者、のんびり過ごす者、勉学や仕事に励む者……など。

 それぞれがこの世界で、新しい第二の人生へと旅立って行った。


「それにしても貴女たち、派手にやってくれたもんねぇ。閻魔様もさぞかし頭を痛めてらっしゃるでしょうよ」


 久しぶりに会った弥次郎は、私たちを見て苦笑いを浮かべた。今後のことで翡翠に話があるらしい。


「此度のことは翡翠が私のために懸命に考え抜いてくれたことだ。ケチをつけるつもりなら、狐とて容赦しないが」

「あらやだ怖い。ウチとしては過去を改変されてなければオールオッケーよ。未来が変わる分には問題ないわ。てか、やっぱり魔王だったんじゃないのよ、翡翠クン」

「魔王などではない。俺は今は……」

「ああ、はいはい。そういや貴方たち、結婚したんですってね。おめでとう」


 あれから私たちは両親の強い希望もあり、婚姻して式を挙げることとなった。とにかく孫が欲しいらしい。他の兄弟たちもいるのだが、今生での婚活とやらが上手くいっていないそうなのだ。


 兄弟たちは皆、見目は良い。だから女性との縁もないわけではないのだが、本音と本性をあらわにしている現代の女性は、慎ましい女性しか知らない兄弟たちにとっては、かなりの難敵となっていた。

 だからその分、両親の期待は私たちに上乗せされているわけなのだが。


『その……すまない、翡翠。両親が……』

『いえ。まさかご両親自ら外堀を埋めてこられるとは思っておりませんでした。咲夜様は宜しいのですか?』

『…………翡翠、なら……良いと思ったのだ』


 私はきっと、これ以上赤くなるすべを知らないくらい、上気した顔色となっていたことだろう。思い出しただけで、羞恥で今にも息絶えてしまいそうだ。


 それから翡翠は跪き、私の手を取って指先に口付けを落とした。その様はまるで異国の王のようで。


『咲夜様。この翡翠、生命に代えても咲夜様を一生お守り致します。どうか我が妻となって頂けないでしょうか?』


 翡翠色の真摯な瞳で見つめられ、私は熱に浮かされたまま声を返した。


『…………私などで、良いのなら』

『咲夜様が良いのです』


 息も出来ないほど、翡翠は強く強く私を抱き締めた。この瞬間より、私は身も心も翡翠の妻となったのだ。


 戸籍などについては他の者たちと同様、翡翠が役所にあるデータとやらに登録をしてくれた。

 今は顔を知らずとも、個人情報というものさえ登録してあればいいらしい。……変な世界だ。


 ……と、そんなことがあり、私と翡翠の左手の薬指には、揃いの指輪が輝いていた。弥次郎はニヤニヤとした目でそれを眺めている。


「名指しで翡翠に会いに来たのだ。個人的な話なのであろう? 席を外しておこうか?」

「大丈夫よ。話ならもう済んだわ」

「……念話か。狐も歳を重ねれば技が増えるのだな」

「相変わらず辛辣ねぇ。もう少し敬ってくれてもいいのよ?」


 弥次郎が帰った後、翡翠は私を安心させるように後ろから抱き締めてきた。

 顔に出てしまっていたのだろうか。

 それとも、翡翠が不安を感じたのだろうか。


「何の話だったか聞かないのですか?」

「話す必要があれば、翡翠は自然と口を開く。そうでなければ信頼に預けるまでだ」

「……咲夜様には敵いませんね」

「…………咲夜」


 困ったように眉を下げる夫を私はめつけた。翡翠は私を呼び捨てすることに未だに慣れていない。敬語も直っていない。


「はい、咲夜。今後は勝手に人の魂に触れないよう警告を受けました。それさえ守れば、元の世界へ転移されるまでの間、この地にいてもいいそうです」

「……それが天狐てんこの出した結論か」


 天狐とは、この辺りの地域を古くから管理してきた狐の親玉のことだ。神の使いとでも言えば良いだろうか。弥次郎は、その子分の仙狐せんこである。


「私がいなくなった途端、翡翠が追い出されるわけではないのだな。安心した」

「……いなくなるなど、簡単に口にしないでください」


 翡翠は私を抱き締める腕に力を込めた。

 手の平からこぼれ落ちる砂時計の砂を掻き集めるように、翡翠は私に縋りつく。


「……すまない。言葉が過ぎた」


 かすかに震える強ばった翡翠の腕を撫でさする。酷なことを言ってしまった。私だって怖いのだ。翡翠を一人、この世界に置いていなくなるのは。

 例え翡翠の長い人生の一瞬だったとしても、同じ時の中で過ごせる幸運を今は噛み締めていたい。


 この世界では、翡翠の魔力の回復は早いらしい。魔力の源となる、マナという自然の力があふれているからだそうだ。このマナのお蔭で、夜行院に囚われていた時に食事を取らなくても、翡翠は空腹を感じずに済んだという。


 だが、マナはあり過ぎてもなさ過ぎても、星にとっては良くないらしい。この世界で魔法を使う者が少ないから、マナが消費されず大量に溜まっているのだろう、と翡翠は言っていた。そのため、いつもより早く元の世界へ戻ることになるだろう、とも。


 私がこの世界でもう一度転生したとしても、翡翠と巡り会える可能性は限りなくゼロに近い。



 私は、私にとっては長い余生を翡翠と共にのんびり過ごした。

 静かな竹林の中に居を構え、いろんな場所を二人で巡り、美しい景色をたくさん眺めて。


 桜の花びらが舞い散る暖かな春も、流れる水のせせらぎに涼む夏も、木々が燃えるように山を彩る秋も、全てを真っ白に包み清める冬も。

 片時も離れず、ずっと一緒に過ごした。


 美味しい物を食べて美酒に酔い、釣りに興じては火を焚き、草木が薫る野山では馬を駆り、花火や祭りを飽くまで見て回っては、温泉でゆるりと身体の芯まであたため合った。

 とても贅沢な時間を過ごしたと思う。


 人の世の仕事というものには就いたことはなかったが、代わりに弥次郎からの依頼はたまに引き受けていた。峠に憑いた悪霊を払って欲しいとか、人に危害を加える妖怪を退治して欲しいとか。


「ねぇ~、直撃しそうになってる台風なんだけど、逸らしてくんないかしら?」

「だんだん無茶なことを言うようになってきたな。天狐は私たちを何だと思っているのだ?」

「さぁ? 異世界の魔王と……ご当地魔王?」

「咲夜が真の魔王ですね」

「そんなものになった覚えはない」

「咲夜ちゃんが裏ボスね、オッケ~」



 その後、私は三人の子宝に恵まれ、孫を腕に抱くという父母の念願を叶えてあげることが出来た。男女男の、二男一女だ。

 私の兄弟たちも無事に良縁に恵まれたようで、今ではそれぞれが幸せな家庭を築いている。


 子育ては大変だったが、どの子も自分の考えをしっかりと持つ、まっすぐな子に育ってくれた。

 愛する者たちに囲まれ、穏やかに暮らす日々。緩やかに歳を取り、やがて私にも孫を腕に抱く日が訪れた。



 ──そして転生して翡翠と再会し、記憶を受け取ってから、数十年後のこと。


 私は二度目の人生を終えようとしていた。

 もう何一つ、この世界に思い残すことはない。

 私には勿体ないくらい、幸せな人生だった。


「……翡翠……先にいくことを許して欲しい」


「…………咲夜…………」


 年老いていく私に合わせ、翡翠も歳を重ねたように姿を変えてくれていた。

 涙を堪えるように目を細め、心優しい夫が微笑む。しかし、その口はすぐさまキツく結ばれ、口奥を強く噛み締めていることが外目にも伝わってきた。


「翡翠、どうか悲しまないで欲しい。私は、ほんに幸せであった。そなたには苦労ばかり掛けてしまったが……」

「……っそんなこと。俺こそ、咲夜の傍で共に過ごせて幸せでした」


 鏡を合わせたようによく似ていた私たちは、互いに涙は見せなかった。

 好いた相手には、泣き顔より笑った顔を覚えていて欲しいから。


「……翡翠に、逢えて……良かっ、た。……あ、りが……ぅ……」


「──────……咲、夜…………」




 本当に幸せな人生だった。

 ありがとう、翡翠。



 そなただけを、ずっと大切に想っている。

 誰よりも、自分よりもずっと……。


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