第4話・旧知


「なんとも……信じられぬ」

「これが大衆向けというのは……」


 朝イチで店に入った私たちは、案内されたテーブルに着き、メニューを開いて愕然としていた。


 庶民向けとは思えないほど、豪華な料理の絵姿が並ぶ。どれも美味しそうだ。

 これは……天子や、それに近しい者たちが口にするような物なのではないだろうか。


 味の想像がつかないから、気になった物をいくつか注文することにした。

 呼び声に応じた者は、名も名乗っていないというに、初見にも関わらず丁寧な応対をする。今は給仕に身をやつしているが、きっと元は名のある家の出の者なのだろう。


「……姫、姫。違います。この店にいる者は、全て市井の者たちです」

「な……。ここにおる者たちが公家でも武家でもないと?」

「はい。今は身分というものが、ほぼないようです」


 私の額から手を離すと、翡翠丸は自分の目元を手で覆った。一気に増え過ぎた情報に、さすがに疲れたのだろう。私はごく一部しか見てはいないが、翡翠丸は知り得た知識の全てを頭の中でまとめているという。

 ちなみに対価となる金は、夜行院の者より拝借してきた。


「お待たせ致しました。こちらご注文のパンケーキとビーフシチューでございます」


 しばらくすると、茶や料理の皿を給仕の女が次々と運んできた。テーブルの上に所狭しと器が並べられる。慣れた手つきで給仕を終えると、女はすぐに店奥へ姿を消した。


「…………」

「…………」


 実物を見て、私は言葉を失った。

 翡翠丸も何も言わない。

 食べ方は動画というもので先に学んだゆえ、ナイフとフォークを手に持った。

 慣れない手つきで、パンケーキを刺して切って口に入れる。


「~~~~~~~っ!」


 馬鹿じゃなかろうか!?

 なぜこれが口コミで星3つなのだ!?

 10コでも足りぬわ!


 無言で食べ進み、少し経った頃に翡翠丸が突然、焦った声を上げた。


「そういえば毒味を……!」

「大事ない。無作為に選んだ店で毒など──」


 そう言いながら、ふわふわなパンケーキを頬張ろうと口を開けた時、陽当たりの良い窓際の席から視線を感じた。

 翡翠丸もすぐに気づき、私を背に庇うように振り返る。


 ひらひらと。こちらに向かって手を振る一人の人物が目に映った。

 しっかり巻いた茶髪を頭からぶら下げ、仕事帰りのホステスを思わせる派手な装いをしている。


「…………生きた毒がおったわ」

「消しますか?」


 迷いなく翡翠丸が青い炎を手の平に握る。


「良い。捨て置け」

「は」

「んんん~~? あっらぁ~~?」


 その者はシナを作って歩み寄ってくると、目を細めて私たちをしげしげと見つめた。


「貴女……どこかでお会いしたかしらぁ?」

「知らぬ」

「なんとか丸クンは、お久しぶりねぇ」

「翡翠丸だ」

「そうそう、翡翠丸クン。懐かしいわぁ」


 ああぁー……。

 私は自分の失敗に心の中でため息をついた。

 翡翠丸は私がつけた名に誇りを持ってくれている。わざとでも間違われれば、正しく名乗ってしまうんだった。


「翡翠丸クン、ずぅっと引きこもってたのに、やっと出てきたのねぇ。どうして?」

「うるさい、狐。食事中だ」


 翡翠丸の背中越しに睨みつけると、狐は嬉しそうにクスクスと笑った。


「覚えててくれたのねぇ。嬉しいわ、咲夜ちゃん」

「まだ生きていたのか」

「いたわよぉ。だって、あたしは見張りだもの」

「……見張り?」


 狐の視線は翡翠丸に向いている。


「なぜ?」

「なぜって……それ、本気で言ってる?」


 糸のような目を開き、狐は真顔で声をひそめた。


「翡翠丸クン。キミ、異世界の魔王でしょ?」


 私と翡翠丸はキョトンと顔を見合わせた。


「姫、これが『痛い発言』というものです」

「あー。なるほど、チュウニビョウ?」

「あたしを狐っていう咲夜ちゃんも、咲夜ちゃんを姫って呼ぶ翡翠丸クンも同類なんだからねっ!」

「……っ声が大きい」


 これだけ騒いで痛いことを言っているから、周りが気になった。……が、誰もこちらを見ていない。


「あら。今の世の中のこと、それなりに知ってるのね。音は大丈夫よ。あたしがちゃーんと消してるから」

「さすが弥次郎」

「止めて! その名前で呼ばないで! 今は弥生やよいって名乗ってるんだから」


 しかし……話し声には反応していないようだが、時折チラチラと見られている気がする。


「そりゃあ、そうよ。貴女たちみたいな美しい男と女がいたら、周りは目の保養っていって見ても良いことになってんの」

「うつ……くしい……?」


 思わず頬に手をやる。

 梗司郎は私のことを汚物のように罵っていた。

 だから今生では、およそ人目に耐えうる見目ではないのだと、そう思っていたのに。


「……翡翠丸、正直に申せ。私の見目はどのようにある?」

「は。それはもちろん、」

「ああ゛~~、止めて止めて! こんなとこで朝っぱらから惚気のろけようとしないで! そういうのは夜、二人っきりの時にでもやってちょうだい」


 弥次郎が大袈裟な手ぶりで話を遮る。


「この話は、ここだと問題があるのか?」

「あんのよ。褒める気満々の翡翠丸クンには悪いけど。咲夜ちゃんは嫉妬するのも馬鹿らしくなるくらい可愛いから安心なさいな。その内、周りから勝手に写真を撮られるようになるわよ」

「姫に対し、なんと不躾な……」


 キッと翡翠丸が視線を向けると、何人かサッと目を逸らした。そんな者たちがいるのなら、あまり長居はしたくない。


「しかし……どこへ行こう」

「ねぇ、良かったらこの後、ちょっとだけつき合いなさいよ。どうせまだ泊まる所も決めてないんでしょ? 良い宿を教えてあげるわ。それと……夜行院のことも、ね」




 弥次郎の案内で向かったのは、閑静なリゾートホテルの貸し切りコテージだった。


「この辺りじゃ、ここが最上級よ。あたしの知り合いが経営してるとこだから安心していいわ。オススメは部屋についてる露天風呂かしら。夜は星が綺麗よ~」

「狐、お前、金は用意できるか?」


 私に茶を淹れながら、翡翠丸が問いかける。


「あら何? お金がいるの?」


 翡翠丸の手を離れた急須を掴むと、弥次郎は自分と翡翠丸の分の茶を碗に注ぎ、それぞれの前に置いた。


「この時代では金が一番役に立つようだ。姫から預かっていた金塊を、この時代の金に換えたい」

「わぉ、金塊!? 咲夜ちゃん、おっ金っ持ちぃ~~」


 そういえば、そんな物もあったな。

 翡翠丸がいくつかの金塊を渡すと、弥次郎はそれを小間使いの子狐に預けた。


「あれだけあれば当分遊んで暮らせるわよぉ? 咲夜ちゃんは何しにこの時代に来たわけ?」

「………………復讐」

「あ、やっぱりぃ」


 術者の家系である夜行院の一族は、元は領主である父上に仕えていた。しかしある時、金と武家の地位を与えるという話に目がくらみ、父上を裏切ったのだ。


 そして政略結婚ではあったが、協力関係にある隣領の領主の元へ輿入れする私を襲い、賊の仕業に見せかけ殺害しようとした。


 輿入れに鬼である翡翠丸の同行が許されるはずもなく。異変に気づいた翡翠丸が遠く離れた地から駆けつけた時には、致命傷を負った私の生命のともしびは、まさに消えようとしていた。


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