第5話・放置
『姫ッ!! なぜこのようなことに……ッ!』
血まみれの私を翡翠丸が抱きかかえる。
私の視界は、すでに暗かった。
『夜行院、が……裏切り、を……』
『今すぐ回復を──……ッ、効かない!?』
愕然とする翡翠丸の声が遠く聞こえる。
夜行院の手により、私の身体には石になる外法の術が掛けてあった。
『……翡翠、丸。いつぞや話し……てくれた、転生の、術を……。このままでは、死に……きれぬ』
『あれは……! 時がかかり過ぎます。姫の記憶が持ちません!』
『私……は、必ずこの地に、戻る。それまで、私の記憶……を、そなたに、預けたい。……頼、めるか?』
『そうか、記憶を身体から切り離せば!』
最後の気力を振り絞って伸ばした手を、翡翠丸はしかと掴んだ。
『必ず! この翡翠丸、生命に代えても必ずや姫の記憶を守り抜いてみせましょう!』
ああ……。もう何も見えない。
愛しい翡翠丸の声も聞こえない。
だのに、……なんとあたたかい。
『…………翡、すぃ──…………』
『────姫……ッ!!』
翡翠丸は私から全ての記憶を抜き取り、小さな飴玉のような形に変え、自身の身の内にソレを封じた。
「……それから姫のご遺体を土に埋め、夜行院の者を片端から
当時の翡翠丸は喚び出されて日が浅かったせいか、魔力があまりなかったという。
私のために転生の術を使った後だったから、なおさらのことだろう。
そしてすでに人の道から外れていた夜行院の者たちは、こともあろうに私の亡骸を掘り起こし、翡翠丸への盾とした。
死体より抉った目玉から未来を視る力を得て翡翠丸を封じ、そして我が一族を滅ぼした後、夜行院家の者たちはこの地で栄えた。
「甘い蜜の味を覚えた夜行院は、それを再び手に入れようと、身寄りのない女の子たちを飼うようになってったのよねぇ」
なぜかこの地では、定期的に未来視の力を持つ女児が生まれた、と弥次郎は言う。
「きっと、えげつない呪術でも使ってたのよ。夜行院が。あー、きンもち悪っ!」
「……いや、それは恐らく私のせいであろうな」
強い怨みは時として呪いを生む。
殺された時の私の思いが、何の罪もない女児たちをこの地に呼び寄せてしまったのだろう。
「いいえ、決して姫のせいなどではございません」
自分が使った転生の術の影響であると、翡翠丸は語気を強めた。庇ってくれるのは嬉しいが、その転生は私が望んだことだ。翡翠丸はそれに手を貸しただけに過ぎない。
「ああ~ん、翡翠丸クン。そこはちゃんと理由を言ってあげないと、咲夜ちゃん自分のせいにしちゃうわよぉ?」
わけ知り顔の弥次郎が、翡翠丸にチラリと流し目を送る。
「……姫が間違いなくこの地に転生するよう、この翡翠丸が細工をしたのです。そのため、関わりのない者が多少まぎれはしました。ですが、ご安心ください。女児は誰一人とて、ただ無惨に散ったわけではございません。夜行院が今まで手に掛けた者たちもです」
翡翠丸は手の平に、小さな飴玉のような物をいくつか出した。コロンと転がり、玉虫色にキラキラと煌めいている。
「わぁお! これにはあたしも驚きよ! カマってかけてみるもんねぇ。この辺りの魂が昔から行方不明になってたのって、やっぱり翡翠丸クンが原因だったのね。何でそんな簡単に人の魂を抜いたり入れたり出来んのよ?」
「狐と違い、鬼は勤勉家なんでな。知識が多いだけだ」
「……ふうぅ~ん。『鬼』ねぇ。あたしたちの知る鬼とは、だ~いぶ違うんだけど」
「…………魂。これが……」
あの時、私が飲み込んだものもコレと同じくらいの大きさだった。記憶とは、魂のことだったのか。
…………あの時……。
指先で唇に触れると、思わず顔が熱くなった。
翡翠丸の唇の感触が思い起こされ、背筋を羞恥が逆撫でる。今はそんなことを考えている場合ではないというに……っ。
「姫、少しお顔が赤いような……」
「な、何でもない。大丈夫だ」
「もしや、お風邪を召しましたか? 昨晩の冷えのみならず……今までの姫に対する数々の仕打ち。夜行院の者たちには、死すら生ぬるいと翡翠丸は感じております」
その言葉に弥次郎の耳がピクリと反応した。
切れ長の目を薄く開き、翡翠丸を見据える。
「ねぇ、翡翠丸クン。さっき咲夜ちゃんは『復讐』って言ったけど、翡翠丸クンは何をするつもりなの?」
「それをお前に話す義理はない」
「んまぁ、つれないこと。咲夜ちゃんはどうしたいの?」
捕らえた夜行院家の者たちをどうするか。
まだ具体的には決めていない。
「……殺すだけでは飽き足らぬ」
「あっは。地で祟り神やっちゃう気?」
「そのような大それたものになど。……しかし、鬼を率いての怨恨晴らしは御法度。私は陰陽寮の敵となろう」
「そこは安心していいわよぉ。もう陰陽寮はないから」
「!? 陰陽寮が、ない!?」
廃されたのは、私の知る日本が滅んだ150年ほど前のことだと弥次郎は言った。
……そうか。陰陽寮は国と運命を共にしたのか。
「では、今の日本は……」
「ルールなし。やりたい放題でめちゃくちゃよ。人の形はしてても中身は蟲が多いし。ちゃんとした人もたまにはいるけど、基本的には善性を求めちゃダメよ」
「……そんなにひどいのか」
元々、日本は蟲が湧きやすい。
それを祓っていた陰陽師がいなくなったのであれば、どんな状態になっているかは、すぐに想像がついた。
「……本当に、知らない世界になってしまったのだな……」
「………………姫……」
使いに出した子狐が戻ってくると、弥次郎は席を立った。
「今日のところは帰るわ。2人とも疲れてるようだし。調べ物もいいけど、ほどほどにすんのよ。食事はそこの電話からフロントにかければ、ここまで運んでくれるから。メニュー表はその横よ。この宿はしばらく好きに使ってていいから、少しはゆっくり休みなさいな」
そう言って渡されたアタッシュケースには、スマホとノートパソコンと現金が入っていた。
休ませる気があるのか無いのか……微妙だ。
「翡翠丸、少し話がしたい」
「は、では茶を淹れ直しましょう」
何もかもが知らない物であふれ返っている空間なのに、なぜか落ち着けた。
竹林に囲まれた、離れ仕立ての宿だからかもしれない。それと、きっと翡翠丸が傍にいてくれるからだろう。
「私は回りくどい言葉は好かぬゆえ、歯に衣着せぬ物言いになるが良いか?」
「無論でございます」
互いに姿勢を正し、向き直る。
「今さらやも知れぬが、私は翡翠丸のことをよく知らない。どのようにしてこの世界に来たのか。元の世界ではどのような者であったのか。私は……そなたの真名すら知らない。そなたのことが知りたい。……教えて欲しい」
翡翠丸の目に迷いの色はなかった。
「姫には全てお見せしましょう」
翡翠丸が隣に腰かけ、片腕を私の背に回す。
もう片方の手で私の額に触れると、閉じた眼前に見たこともない世界が広がった。
新しく得た知識でいうところの、剣と魔法のファンタジーの世界である。
エストレイア・ゾーク・アウストゥル。
それが、翡翠丸の真名だった。
名の意味は『星を破壊する者』。
月が二つあり、地球より小さい星の魔王とも破壊神とも呼べる存在。不老不死の者。
翡翠丸がその世界にいると、魔物が生まれ人々を襲う。それを打ち倒すため、千年ほどの周期で勇者とも英雄とも呼べる者が誕生する。
しかし翡翠丸は不死である。完全に倒すことは不可能。そこで毎回、戦いの最後には翡翠丸を異世界に転移させるという、他の世界からすればはた迷惑な方法で、その世界は平和を保っていた。
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