東京ジャーマン

おなかヒヱル

第1話

 わたしが雪崩式ジャーマンでお母さんを投げたのは3歳の時だった。ジャングルジムのてっぺんから真っ逆さまに落ちたお母さんは口から泡を吹いて悶絶した。それを見たわたしはニヤッと笑ってしばらくその場に佇んでほくそ笑んでいたらしい。幸い、お母さんは同じ公園にいたママさんたちに介抱されて一命を取りとめた。わたしは今でも雪崩式ジャーマンで投げられたお母さんが地面に叩きつけられる瞬間に発した「ぐぶぅッ」という呻き声を忘れない。どれくらい忘れないかというと、田舎の少女が夢を追いかけて上京した日にはじめて見た東京タワーぐらい忘れない。あの日のわたしは狂っていたのだろうか。3歳の時のことなんて憶えてない。でもひとつだけ言えることは、いつだってわたしはお母さんのことが大好きだということ。そんな大好きなお母さんをなぜ投げたのか。そこにお母さんが居たからだ。好きだから投げた。そんなことも、世の中にはあっていいのだ。


「これが東京タワーかぁ」


 そう、田舎の少女が上京した日にはじめて見た東京タワーとはわたしのことである。青森の恐山の麓からついさっき東京に着いたばかり。なんとなく浜松町で降りて、ゆくあてもなく歩いていたら東京タワーに来てしまったというわけだ。


「感動するなぁ、こんな立派な建物、青森にはないし」


「おりゃ……おりゃ……」


 なんかおりゃおりゃ言ってジョギングしてる女の子がいる。しかも下駄だし。オデコにまいた七生報国の鉢巻は上下が逆になっている。歳はわたしと同じぐらいか。東京は変なひとが多いと聞くけど、確かにといった感じだ。


「桜もきれいだし、もうちょっとぶらぶらしてから寮に行くか」


「おりゃ! おりゃ!」

「ん?」


「おりゃぁぁぁあああッ!」


「うわぁぁぁあああッ!」


 七生報国の鉢巻はいきなりわたしを投げた。そして、東京タワーは一回転して逆さまになった。いわゆるバックドロップ。ブリッヂのきいたきれいなバックドロップだった。わたしは油断していたとはいえ完璧に投げられてしまった。技は違えどあの日、わたしから雪崩式ジャーマンを喰らったお母さんのように。


「どうじゃい!」


「な、何よいきなり!」


「ワシは広島じゃ! いつでも来んかい!」


 バックドロップで逆さまになったわたしを見下しながら、広島弁の少女は東京タワーをバックに思いっきり啖呵をきった。


「いきなり他人をぶん投げといてなによ! そもそもあんた誰なのよ」


「この情報化社会でそんなことも知らんのか。ワシは最乗寺さいじょうじあやめ、貴様と相部屋の同期じゃ!」


「あ! 最乗寺あやめ、知ってる。わたしと相部屋の同期!」


「だからそう言っとるじゃろ。それに、いつまでそんなカッコウでおるつもりじゃ。パンツがまる見えになっとるぞ」


「あ、これは失敬。わたしは濁谷にごりたにあさひ、よろしく」


「変なやつじゃのう、パンツまる見えで自己紹介をするとは。貴様とは長い付き合いになりそうじゃ」



 渋谷、スクランブル交差点。



「人がいっぱいだなぁ。たしかこの先に寮が……ん?」


 道玄坂からこっちに歩いて来る鉢巻と下駄。間違いない、最乗寺あやめだ。信号が赤から青に変わる。わたしは人ごみを掻き分けて最乗寺あやめに突っ込んだ。相手もわたしに気づいて全速力で向かって来る。


 ガシッ! 


 スクランブル交差点のど真ん中で手四つになった。


「さっきはよくもやってくれたわね! 今度はこっちがぶん投げてやる」


「やれるもんならやって……!?」


 前蹴りを一発、相手がひるんだ隙にすかさずバックに回る。


「おりゃあああぁぁぁぁ!」


 ジャーマンスープレックス。あの日、お母さんを仕留めたわたしの必殺技。そのままフォール。道行く人々がカウントをとる。


 1、


 2、


 3、


 うわぁー!!! 


 渋谷が揺れた。


 わっしょい! わっしょい!


 スクランブル交差点のど真ん中で胴上げをされるわたし。


「お母さん、わたし絶対チャンピオンになる。この東京に、爪跡を残してみせる」


 そして、わたしは傷害罪で逮捕された。

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東京ジャーマン おなかヒヱル @onakahieru

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