思い込み

白石雫

思い込み

「今日は、文化祭の出し物について話し合います!」


 椎名しいな朱莉あかりは、黒板に『出し物』と書いて振り向いて笑顔で席に座っているクラスのみんなに問いかける。

 朱莉は、この2年3組の学級代表だ。いつも、人の前に立って積極的にみんなをまとめ引っ張っている。そして、頭脳明晰、成績優秀、容姿端麗、おまけに運動までできるという、要は完璧人間だ。親もそれなりに裕福なようで、もはや欠点を探す方が難しいしまつである。

 この前の実力テストでは、二位と50点も差をつけてのだんとつの学年一位だった。高校に入ってからずっと一位をキープし続けている。

 また部活動にも励んでおり、部長を務め先輩にも後輩にも慕われている。大会の成績も悪くない。

 もちろん友達も多く、朱莉の周りにはいつも誰かがいて笑顔で楽しそうだ。

 学年では朱莉のことを『女神様』と呼ぶものさえ現れた。特に男子だが。ただ、誰もそれに反駁することなく、みんな当然のようにそれを受け入れている。


「何かしたいものはありますか?」


 とりあえず、決まりきった言葉から始める。

 朱莉は、経験的に察していた。この場で何かを言えばほぼほぼの確率で自分の意見が採用されることを。最近には『椎名のいうことは必ず正しい』みたいな風潮さえ出てきていたからだ。そんなことはないのに。だけど、だからこそ下手なことは言えない。それに面白くないものを言って、みんなを一瞬でも落胆させることなど朱莉のプライドが許さなかった。今まで積み上げてきた自分の信用を、ほんの少しでも揺るがしたくないのだ。期待外れだった時の、失望・落胆の眼差しがこの上なく怖いのだ。


 ――それに、みんなも私の意見を楽しみにしてるに違いない。


 案が出るたびに朱莉はそれを黒板にメモっていく。字のきれいさにも細心の注意をを払うのを忘れない。字が汚いなどと思われるなどもってのほか。


 ――さて、ある程度案がでて、関係のない雑談が増えてきた。自分が発言するならこのあたりのタイミングが一番だろう。下手に波風を立てないタイミングを見計らうのも重要だ。

 

「……うーん、私はこれがしたいかな」


 自分の案を黒板に書く。すると、


「おお! それいいな!」

「それやってみたい!」


 『わっ』っとクラスが沸き立った。

 ――よかった、と朱莉は胸をなでおろす。何せ、この時の為に何週間も前からインターネットなり過去にされていた出し物なりを調べ、その中からこのクラスに一番合うであろうのを選んできたのだ。だから、こうなってもらわないと困る。


 ――結局、文化祭の出し物は予想通り朱莉の案で決定した。



 朱莉は、いつもみんなの輪の中心である。人気者だ。

 そうであるがゆえに、常に誰かから期待されていた。それは、朱莉の親はもちろんのこと、朱莉の友達や先生、話したこともない人までもがそうであった。

「次は、どんないい点数を取るのだろう」「次はどれだけ記録を上回ってくるのだろう」「次はどんな興味深いアイデアを出してくれるのだろう」—―次は、次は、次は……。

 いつからだろうか。こんな風に常に期待される生活は、朱莉にとってとても辛いものだった。期待が重い。初めのころは嬉しかったはずなのに。だけど、精一杯頑張って、努力して成果を出しても、すぐに『次』を求められる。そのことに気づいたころだっただろうか。

そして、その『次』は、必ず『前』を、相手の予想を、上回らなければならない。


 そして「クラスで何か決めることがあったら私が」「周りで何かあったら私が」「人手が足りなかったら私が」――私が、私が、私が……。


 朱莉は、みんなの中では優等生だ。それを壊すようなことは、絶対にあってはならない。そんなこと自分の矜持が許さない。

 だから、朱莉は断れない。自分の意思をすべて言えない。すべての言動に細心の注意を払わなければならない。……優等生を演じなければならない。


 ――こんな生活もう嫌だ。楽しくない。いっそ、バカなことしてすべてを失ってしまいたい。

 でもそんなことは、自制心が許さない。ここまで積み上げてきたものを、簡単に捨てることができない自分もいるのだ。

 ――この期に及んでもまだこんな自分にしがみつこうとする自分がいるとは。


『……期待が重い。信頼が、尊敬が私を縛り付ける。期待も信頼も尊敬も何もかももういらない。……“普通”になりたい』



「――ああ、もう疲れた」



  ◇◇◇


「はあぁ」


 教室の窓際の一番後ろの席、俗にいう理想の席で佐藤さとう隆太りゅうたは浅くため息をついた。

 今はホームルームの時間。椎名朱莉が前で立って司会をしている。文化祭の出し物を決めないといけないそうだ。周りのクラスメイトがそれぞれのグループのところに集まって何が良い、何がしたいなど口々にしゃべっていた。いくつも案が出ているようで黒板に箇条書きで並べられている。

 そんな中、隆太は一人窓の外をぼんやりながめていた。雲が次々に形を変えながら流れていく。


 ――まあ、何になろうと俺には関係ない。どうせ、俺の意見など誰も相手にしてくれないのだ。言うだけ無駄、いや、言うだけ損だ。俺が発言した時の周りからの視線。あの目。あれは、恐怖以外の何物でもない。あの目をわざわざ感じたいなんて誰が思うだろうか。

 だから、今日も聞いているだけ。いつも通り。耳だけがこのクラスの一員。


 別に、隆太はいじめられているわけではない。ただ、相手にされていないだけ。ただ、存在を認知されていないだけ。要は、空気のような存在。

 学力、容姿、運動神経、コミュ力……。そのすべてが普通であるがために、隆太には何のとりえもない。どこにでも、石を投げれば当たるくらいたくさんいる平凡な男子高校生の一人。『どうせ、部活に入ったって、周りの人に迷惑をかけるだけ』そう考えて隆太は、部活に入っていない。そして、何事にも臆して、自分から話しかけるなど全くできない。だからか、友達も一人もいない。

 だけど、隆太も好きで一人でいるわけではない。もちろん友達は欲しいし、話の輪の中にも入っていきたい。でも、今更だ。今更何しても何も変わらない。どこもすでにグループが出来上がっていて、今更隆太が入る隙などないのだ。


 ――ああ、あんな風にみんなの前に立って、話を引っ張ってみたいものだ。あんなに慕われて、羨ましいなぁ。俺も椎名さんみたいになりたいなぁ。まあ、そんなの叶うわけないけどな。

 “普通”なんて、やっぱりいやだな。自分らしさが、自分が誇れるものがほしい。なんでもいい。なんでもいいから。


 隆太がそんなとりとめもないことを考えているうちに、文化祭の出し物は決まっていた。隆太が一言も発することなく。そもそも、言葉を発すること自体少ないが。今日も、朱莉の意見が採用されていた。みんなも納得顔だ。やっぱりすごい。

 『俺とは住む世界が違うんだな』今まで何度も思って来たことを、今日も又改めて思った。


『これが才能というものなのかな。ああ、俺も“特別”になりたい……』


 いつの間にか帰りのホームルームも終わっていて、気づいたら教室にポツンと一人隆太が残されていた。外からは、運動部の活気づいた大きな声が聞こえてくる。随分と呆けていたようだ。期待はしていないが、話しかけてくる人などいない。明日からここに隆太とそっくりなマネキンが置かれていても、誰も不思議にも気にも留めないのではないだろうか。そんなことを考えてしまう。


「……帰るか」


 隆太は一言も交わすことなく帰路に就く。


「――はあ、もう疲れた」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

思い込み 白石雫 @syzucu_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る