第10話 第四章 樹海へ1
第四章 樹海へ
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イナの村を出たモリオンと二羽のマダラウズラ、そして銀色のベヌゥの雛の一行は、広葉樹の林を通り抜け、薬草の丘へとやって来た。普通ならここで薬草摘みをするところなのだが、まだ太陽の昇る前にこの丘に着いたモリオン達は、丘を越えて村の外、樹海へと続く森の中へと入っていく。突然村の上空に姿を現し、村人を混乱に陥れたヤミガラスの大群から逃れるように。この森は森の中を流れる川で川魚漁をする川漁師の他には、村人達があまり行こうとしない場所だ。モリオンも母に連れられて二回か三回、森に入ったことがあるだけだった。薬や食料になる有益なものが沢山あるだけ、危険も沢山ある恐ろしい場所、それが森の中だった。モリオンはすこしばかり勇気を奮って、深い森の中へと旅立っていく。とりあえずは、川漁師達が森の中の川へ行くための道を辿りながらだったが……。
モリオン達はこれから女鳥使いカーネリアに言われたとおりに、森の中の川に行こうとしていた。森の中の川が何処にあるのかも知らなかったが……。おそらく、川漁師達が漁をする川と同じだろうとモリオンは思っているのだが……。川漁師達がいつも漁をする川なら、直接行ったことが無くても何処にあるのかは知っていた。川漁師達から彼らが漁をする川の話しを、よく聞かされていたかのだから。早くカーネリアと再開して、このベヌゥの雛と生きる決心をしたことを伝えたかった。この雛と鳥使い達の村で暮らし始めたなら、多分イナの村には簡単に帰ってこないだろう。そんな思い決心を、モリオンは女鳥使いに伝えようとしているのだ。
しかしいざ森の中に入ると、さすがにモリオンもぞっとするものを感じた。鬱蒼と茂る森の木々がピティスや幾つかの月の光をさえぎり、暗い空間を作っている。闇を経験したことがあまり無いモリオンにとって、その暗さはなんとも耐え難いものだった。しかも森の空気は、川漁師の道を進んで行くにつれて冷たさを増していく。しかしモリオンと一緒に家禽の背中に乗っている銀色の雛は、この寒さにも平気な様子だった。モリオンが着ているやや大きめの上着の中で、眠ったように静かにしている。寒さに震えている様子は無いようだ。
「ふーっ、寒い!」
家禽の背中に乗って森の奥へと進みながら、モリオンは寒さで身体が震えるのを感じていた。それに森の中は、モリオンがこれまで経験したことが無いほど暗くなっている。この暗さは森の木々が、森の奥へ行くほど高く鬱蒼としているからだった。しかしそれは、夜中にも空で輝いている惑星ピティスが、地平線の下に沈んだ為でもあったのだか。ただ幸いにも、暗闇から恐ろしい生き物が飛び出してくることは無かった。何度か森の生き物にでくわしたものの、みんなすべて大人しい生き物だ。
小型の頭から背中にかけて見事とな緋色の飾り羽をした猛禽走鳥(ティアトリマ)を除いては。だがその猛禽走鳥(ディアトリマ)も、すぐに姿を消してしまった。どうやらモリオン達に興味が無かったらしい。こうして森の中を進んで行くと、モリオン達はある物を見付けた。
モリオンがそれに気付いたのは、川漁師の道を進んで行き小さな湖の湖畔にたどり着いた時だった。その湖は川漁師達の話しだと、森の中の大河の支流と繋がっていると言われている湖のようだ。確かにきらきら光る川の流れが、湖へと流れ込んでいる。この川を辿っていけば、大きな川に出るはずだ。川漁師達はそこでいつも漁をしているのだ。湖の前にやってきたモリオンは、湖の水に二つの月が映っているのを見た。乗っていた家禽の背中から降り、顔を上げて湖の上の、森の木々に遮られていない空を見ると、夜明けの光と小さな月が見える。惑星ピティスの姿はまだない。ピティスの無い夜の暗さを、太陽が追い払っている。
「やれやれ、一晩中森を歩いていたのか」
モリオンは朝日を見ながら、傍らにいる二羽のマダラウズラに呟く。するとモリオンのよき友である家禽達は、低い唸り声を上げてモリオンに答えた。
ラグとフレプも疲れているのだろう。
家禽達の様子を見たモリオンは、この湖の畔でしばらく休むことにした。朝日を見たせいか、少しばかり気温が上がったように感じる。
モリオンは湖水が手に触れられる所までマダラウズラ達を連れてくると、丈の短い草が生えている地面に腰を下ろした。その横でマダラウズラ達は、湖に頭を近付けて水を飲み始めた。その様子を見ながらモリオンは、背負っていた図他袋から大きな木の実をくり貫き、乾燥させて作った水筒を取り出し、その中の果汁を飲んだ。ほんのりと甘い果汁がモリオンの喉を潤し、一息つくゆとりを与えてくれる。上着の中では、銀色のベヌゥの雛が眠っている。
一息ついたモリオンは、明るくなった湖畔の景色を、改めて見回して見た。
「あれ、何かしら?」
モリオンは、湖畔の一角に小さな灰色の建物らしきものがあるのに気付く。立ち上がってじっくり見ると、それはモリオンが見たことも無いような物体で作られた、奇妙な小屋なのが判った。木材でも石でもなさそうなもので作られた、筒を二つに割って寝かした様な形をした小屋が、湖まで押し寄せようとしている森の木々に寄り添うようにして立っていた。こんな形の建物は、イナの村では見たことも無い。しかし、森の中にある小屋の話なら聞いたことがある。森で川魚漁をする川漁師が話してくれた話しだ。森の中には奇妙な形をした小屋があって、川漁師達が時々その小屋を利用するのだと、川漁師達は言っていた。しかし小屋の形や色などは、聞いてはいない。だが他に小屋らしいものは見当たらない。多分、これが川漁師達の話してくれた小屋だろう。川漁師の使う小屋なら、私が使ったって問題はないはず。小屋を見ていると、そんな考えがモリオンの頭に浮かんだ。さきほどから感じていた眠気が、徐々に強くなってきている。どこか安心できる場所で、ゆっくりと眠りたかった。そしてモリオンと雛とマダラウズラ達が休めそうな場所は、川漁師の小屋しか見当たらなかった。それに今の時期は、川漁師も畑の仕事を手伝っている時期だ。おそらく、小屋を利用している川漁師はいないだろう。
「ラグ、フレプ」
二羽のマダラウズラに声を掛けると、モリオンは立ち上がって小屋へと進んでいく。
やっぱり。だれも小屋にはいないみたいね。
小屋の前で足を止めたモリオンは、小屋の周囲に動くものの気配が無いのを確認すると、小屋の扉開けようとした。ところが……。
「なあに、これ」
扉を見つけて開けてようとしたもののどうした訳か、すぐには開かない。川漁師達も、小屋の扉の開け方までは教えてくれなかった。しかし扉の取手らしきものを押したり引いたりしていると、この小屋の扉が横にすべるように動くのに気付いた。
やれやれ、こんな扉、見たこと無い。本当に誰がこんなものを作ったのだろうか?
村の建物には無い扉の仕組みは、モリオンの興味を引いた。おそらく村の人間ではない誰かが、この森に小屋を建てたのだろう。何の目的で立てたのかは知らないが……。
「さあ、中に入ってみようね」
モリオンは、自分の後ろで立ち止まっていた家禽達を促し、小屋の中に入っていく。何か面白いものが、そこにあるのを期待しながら。
小屋の中は、モリオンの期待とは違ってがらんとしていた。思ったよりも広々とはしていたものの、興味を引くものは何一つ無かった。ただ入り口の反対側にある明かりの差し込む窓が目に付くだけ。でもモリオン達が休むのには、何の問題も無いようだった。それに、この小屋の中は何故か暖かい。外の気温から完全に遮断されているようだ。しかしどこか奇妙だ。
窓が開いているのに、何故寒くないの?
こんなモリオンの疑問は、実際に窓に近寄って見て解けた。開いているとばかり思っていた窓は、実際には目に見えない板で塞がれていたのだ。氷のように透明な板、これもイナの村には無いものだ。まったく……この小屋を作った人間には驚かされるばかりだ。もっとも、その人達のおかげで人間と鳥たちが暖かい場所で休めるのだが。
「しばらく、ここで一休みするか」
少しばかり眠気を覚えたモリオンは、銀色の雛を上着の中から出すと床にそっと置き、その傍に寝転んでしまった。モリオンが寝転ぶと、マダラウズラ達も、小屋の床に蹲る。
小屋の床に寝転んだモリオンは、しばらくの間は傍らの雛を見ていた。銀色の雛は長い間、家禽に揺られて移動していたにもかかわらず元気そうだった。床に置かれた時はきょろきょろと周囲を見回していたものの、すぐに眠ってしまった。思いのほか、元気にしいている。でも、早く何か食べささないといけないだろう。それなのに、モリオンはベヌゥの雛がなにを食べるのか知らなかった。早くカーネリアが言った川に行き、鳥使い達と再会しなければ……。このままでは、ベヌゥの雛の世話などと手も出来そうに無い。鳥使いから正式に、この銀色の雛の世話を教えてもらわねばなるまい。あれこれ考えているうちに、モリオンは眠りに入ったのだった。少しばかりの、夢も見ない眠りに。
耳元でか細い鳥の声がして、モリオンは目を覚ました。モリオンの傍らで、ベヌゥの雛が大きく口をあけて、精一杯の鳴き声を上げているのだ。おまけにマダラウズラ達まで、雛に合わせて鳴き出し,そう大きくない小屋は、鳥たちの鳴き声でいっぱいになった。
「いったい、何があったの!」
一瞬、モリオンは戸惑った。しかし、小屋の外からさらに別な鳥の声がかすかに聞えてきて、何があったのかが判った。ベヌゥの声だ。鳥使い達が小屋の外にきているのだ。モリオンは、起き上がるとすぐにベヌゥの雛を抱き上げて上着の中に入れ、小屋の外に向かっていった。
小屋の外に出たモリオンは、ベヌゥの姿を探し始める。だがベヌゥよりも前に、思わぬ人間の姿がモリオンの目に入ったのだった。
フードの付いた、黒いマントを羽織った男……あの放浪の商人だ。まだモリオンには気付いていないらしく、小屋の傍に立っている大きな木にもたれかり、手に持っている何かをじっと見ている。小屋の中で聞いた鳴き声の主、ベヌゥはまだ姿を見せていないようだ。モリオンは急いで小屋の扉を閉め、マダラウズラ達が外に出てこないようにしてから近くの潅木の陰に身を隠した。こんなところに……いったい何をしているのだろう? 身を隠しながら、モリオンは商人の様子を伺う。放浪の商人の様子が、あまりにもおかしく思えたからだ。モリオンが隠れながら見て
いる間、商人はただじっと掌の間の小さな物を見ていた。モリオンは商人が何を持っている物をなんとか確かめようとしたものの、それがとても小さかったので、遠くからでは正体を突き止められなかった。もう少し近くで商人の手の中を見たいと思ったとたん、上着の中のベヌゥの雛が大声で泣き出した。さらに雛の声に答えて、ベヌゥの鳴き声が森中に響き渡った。雛の声が、銀色の巨鳥を呼んだのだ。モリオンは潅木の枝の間から空を見上げる。空には銀色の光の塊があり、その光はあっという間に人間を乗せた銀色の鳥の姿になった……。
「カーネリア!」
森の上空に現れたのは、女鳥使いカーネリアを乗せたベヌゥだった。ベヌゥとカーネリアは、地上に大きな鳥の影を伴いながらゆっくりと小屋に近付いてくる。大きな影はそれ自体が生き物であるかのように地上を這い、成鳥の気配を感じたベヌウの雛を興奮させた。そしてあの放浪の商人は、手の中のものをマントの中に入れると、鳥の影がやってくる前に姿を隠した。がさがさと木々の間を掻き分ける音を残して、まるで森に隠れ住む小動物のような素早さで。商人の気配は、あっという間に消えてしまった。あの速さなら、おそらく空を飛んでいる鳥使いには、商人の姿はよく見えなかっただろう。
「おーい、おーい。ここよ」
モリオンは隠れていた潅木の陰から飛び出ると、上着のポケットから銀色の羽を取り出すと、羽根を頭上に掲げて大きく手を振って見せた。
「おーい、おーい」
モリオンの頭上で、羽根は日の光を受けてきらりと光る。羽根の放つ光は、銀色の巨鳥を刺激したようだ。巨鳥ベヌゥは銀の羽根の光に合わせて鋭い鳴き声を揚げる。そして鳥使い達は巨鳥がひとしきり鳴き終わると、銀色の巨鳥の身体をゆっくりと、巨鳥の翼が巻き起こす風が感じられる距離にまで降下させていった。この距離まで来れば、緑の騎乗服に帽子を被ったにカーネリアが、モリオンに向かって手を振っているのが良く見える。
「モリオン!」
カーネリアの声は、巨鳥ベヌゥの風に乗って聞こえて来た。
「モリオン、その雛を連れて、私の後についてきて。光の川までついて来ね」
風に乗って聞えてくるカーネリアの声は、モリオンにこう伝えている。
「光の川?」
それは母が語ってくれた話の中に出てくる地名だ。カーネリアが言っていたのは、イナの村の先祖達がその流れに沿って歩いてきた川だったのだ。それと同時に、ある景色がモリオンの意識に入ってきた。モリオンが今まで見たことも無いような大きな、そして川もが美しく光り輝いている川の景色が見えてきたのだ。それは、モリオンが知っている光の川の姿とはまた違ったものだった。今見ている川は、母が見せてくれたものよりはるかに大きな川だった。おそらく同じ光の川でも、もっと樹海の奥の流れなのだろう。光の川は樹海の奥に行くほど、川幅がひろくなると聞いている。
「これが……光の川……」
モリオンは実際には見ていないその景色を、しっかりと記憶しておいた。これからこの、まったく見たことも無い遠い場所、それも樹海の中を歩いて行くのだと、心に言い聞かせながら。それにしてもまだ歩き続けないといけないなんて……大丈夫だろうか? 不安がどっと襲ってくる。
「大丈夫、私が最短距離を道案内してあげるから。ブルージョンに付いてきて」
モリオンの不安を感じとったのだろう。カーネリアがモリオンの不安を消そうとするように言ってきた。ところでブルージョンとは?
「ブルージョンって、何?」
モリオンが聞き返すと、頭上のカーネリアが自分の騎乗しているベヌゥを指して見せたので、モリオンはそれがカーネリアの乗るベヌゥの名前だとわかったのだった。カーネリアはモリオンに、自分の乗るベヌゥの後を付いてくるようにいっているのだ。村の誰も行った事の無い場所だけと、行って見るしかないだろう。心を決めたモリオンは羽根をポケットにしまうと、小屋から二羽のマダラウズラ達を外に出すと、雄のフレプに飛び乗った。
「フレプ、ラグ、出発よ」
モリオンが声を掛けると、マダラウズラ達はモリオンが顔を向けた方向に歩き出す。
こうなったら、カーネリアを信じるしかないだろう。このまま森の奥へと入っていけば二度とイナの村へは帰られないかもしれない。それでもモリオンは、カーネリアの後を付いていこうと決心していた。薬草の丘で銀色の巨鳥ベヌゥとその巨鳥に乗る鳥使いと出会い、銀の卵を託されたのは、おそらく運命的な出来事だったに違いない。しかしイナの村を出て、鳥使いカーネリアと行動を共にしようとするのは、自分自身の判断だ。モリオンはそう確信していた。
「さぁ、フレプ……こっち……」
モリオンはマダラウズラを、ベヌゥが飛んでいく方向に進ませ、鬱蒼とした木立の中に入っていった。木立の中を少し進むと湖畔のあの奇妙な小屋は、大きな木々に隠れて見えなくなってしまった。さらに進むと、湖に流れ込んでいる川の流れが姿を現す。川の中には向こう岸に渡れるように、飛び石が置かれている。おそらく、川漁師か誰かが置いたものだろう。モリオン達は鳥使いを乗せたベヌゥの進む方向に従い、飛び石を使って向こう岸に渡った。もうここまでくれば、イナの村どころか人間の世界が遠ざかっていくような気がする。これから先は、木立の間から見える巨鳥の姿だけが頼りだった。
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