第3話 第一章 薬草の丘……出会い3

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 この世界の太陽よりも大きな天体であるビティスは、三つの月を従え低い空で地上を見守るかの様に浮かんでいる。あの大きな鳥とジェイドと名乗る青年は幻だったのだろうか? いや、そうではない。モリオンの足元に転がっている袋と風に流れて行く羽毛のかけらが、巨鳥と鳥使いの存在を証明していた。モリオンはその袋を、痛む左肩を庇いながら持ち上げてみた。ずっしりと重い、淡い灰色の袋……モリオンは、その袋が微かに震えているのに気付いた。何か生き物がこの中にいるのだ。袋の動きに生き物の気配を感じたモリオンは、すぐに袋の口を開いて無中を覗いて見た。厳重に口を縛っていた紐を解いた袋の中に見えたのは、ひとつの大きな卵……。薄茶色の詰め物に半分埋まった状態で固定された、銀色の美しい卵だ。おろらく、鳥使いが乗る巨鳥の卵なのだろう。何故ならこの卵の色は、あの居鳥の羽根の色とほとんど同じだからだ。もっとも親鳥の大きさからすると、やや小さすぎる嫌いはあるが……。モリオンは暫くその卵が小刻みに動くのを、何も考えずに見詰め続ける。そしてこの卵が、鳥使いの巨鳥の卵だと確信した。どう言ったら良いのか解らないが、卵自身がそう言っている感じがするのだ。銀色の卵は規則正しく小刻みに震えている。マダラウズラの卵では、雛が誕生する二週間ほど前から始まる変化だ。おそらくこの卵も、袋から出たがっているようだ。多分、孵化が近づいているのだろう。微かなひび割れらしきものが、卵の費用面に現れている。卵の様子をよく調べようと思って袋を顔に近付けると、暖かな空気が頬に触れた。そしてか細い鳴き声が、モリオンの耳に入る。モリオンの心の中で、ここの卵を愛おしく思う気持ちが広がっていった。袋に手を入れて卵に触れると、中の雛の感触が伝わる気がする。そのまま目を閉じると、誕生に向かって蠢く雛の姿が、瞼の裏に映った。殻の中の暗闇で、雛は翼と嘴を動かし、生まれる準備を始めているのだろう。

「がんばって!」

モリオンは、思わずまだ生まれる前の雛に声を掛けた。すると卵の雛の声が、殻の中からモリオンの声に答え、モリオンは目を開けて手に抱えている卵を見詰める。どうやらモリオンは無意識のうちに卵を袋からだし、両手で抱えていたらしい。銀色の卵はモリオンの手の中で、ふるえているように見える。母鳥の温もりから引き離されて、寒さに震えているみたいに。モリオンは顔を近づけて卵の様子を卵の様子を見ると、手早く卵を袋の中に戻し、しっかりと袋の口を締める。こうして母鳥の温もりを閉じ込めた魔法の袋の中へと、卵は戻っていった。袋の口がしっかりと閉まると、モリオンは空を見上げて、今の時間を推し量った。

空の様子は、少しずつ変化していた。ピティスはさっき見た時よりも高く空に昇っており、空に浮かぶ月の数は、たったの二つになっていた。もう家に帰る時間は、とっくに過ぎている。これ以上帰るのが遅れたら、モリオンの家は大騒ぎになるだろう。こんなにも長く薬草の丘にいた事など、今までになかったのだから。今すぐにでも、家に帰らなければならなかった。ジェイドが言った事を信じるなら、彼の仲間の鳥使いが、必ずモリオンを探し出すはず。それまで卵は、どこかに隠しておけばいい。しかし今の状態では、一人ではこの卵を運べないだろう。だがイナの村人には手伝ってもらえない。なにしろ村人達は、あらゆる鳥を嫌がっている。村では家禽として飛べないマダラウズラを飼ってはいるが、その家禽にも決して心を開こうとはしない。そんな村の中では、得体のしれない卵ない鳥の卵など、絶対に受け入れる余地などないのだ。モリオン一人で、何とかしなければならない。モリオンは迷い考えた。はたしてこの卵を、どうしたら良いものか? それよりも先に、どうやってイナの村に帰るのかが問題だ。肩の傷の痛みは続いていて、とても卵を抱えて長時間歩く事など無理だ。どうしたら良いのだろう……モリオンは考える。

ああ、そうだ。この手があったのだ。上手くいけばいいけれど。

良い考えが、モリオンの頭に閃いた。それはまぁ、少々あぶなっかしい考えなのだが。しかしモリオンは、その考えを実行に移した。

まずモリオンはゆっくりと目を閉じ瞑想を始める。心の中である生き物の姿を思い浮かべながら。

[さぁここにおいで]

モリオンはホシノムクドリを呼んだ時とおなじように。心に思い浮かべた生き物を呼寄せていた。茶色い斑模様をした鳥の姿を。マダラウズラのフレプを呼んだのだ。モリオンは、ほかの村人達がマダラウズラ達とあまり関わりたがらない中で、この家禽達とは大の仲良しなのだ。おそらくフレプは、丘の下で大人しくモリオンを待っているのだろう。本当はいけない事なのだが、モリオンはフレプを薬草の丘の上まで連れてこようとしていた。しかもモリオンは、それ以上に前代未聞な事をしようとしていた。なんとフレプの背中に乗ってろうとしているのだ。

マダラウズラは、人を乗せられるだけの大きさはある。おそらくモリオンを乗せて村まで運べるだろう。モリオンに慣れてさえいるのなら。マダラウズラに乗るなんで、イナではまさに、前代未聞の事なのだが。しかし今は、なによりも助けが必要だった。たとえそれが、飛べない鳥の侘すげであっても……モリオンは、静寂に包まれながら、マダラウズラを呼び続けた。呼寄せの効果は暫くすると現れた。モリオンが瞑想を始めて少しの時間が経ったころ、家禽が草を掻き分けて、こちらに向かって走る音がした。そしてその音が近付いて来ると、低い唸り声に似た声も聞こえて来た。それは村でよく聞く鳥の声……マダラウズラの鳴き声に間違いなかった。モリオンは目を開けてマダラウズラを見た。ずんぐりとした身体に小さな目、そしてやや長めの、鼻が先端に付いた嘴……首にはちゃんと袋を取り付けた帯がある。間違いなくフレプだ。

フレプが傍らにやって来ると、モリオンは首を傾ける撫ででやる。頭を撫でられたフレプが低く喜びの声を出すと、モリオンは家禽の首に垂れている空っぽの袋に、ジェイドから預かった卵の袋を滑り込ませた。フレプに気付かれないように。マダラウズラは敏感な鳥だ。見慣れないものを、身に着けた袋に入れられるのを嫌がる時もあるのだ。上手くいった。マダラウズラは卵には全く気付かず。モリオンの愛撫に目を細めている。

「ねぇ、あなたの背中に乗ってもいい?」

モリオンは家禽の顔を見ながら話し掛ける。するとフレブは、モリオンの目を真っ直ぐに見つめ返す。そしてそのまま地面に蹲る。まるで、背中に乗っても良いといっているみたいに。モリオンは、フレプを信用してその背中に乗ってみた。肩の傷を庇いながらゆっくりと鳥の背に跨り、家禽の首の帯を掴む。

「さぁ、走って!」

何とかフレプの背中にしがみ付くと、モリオンはマダラウズラを走らせる努力をした。頭の中で、人を乗せたマダラウズラが入っているのを想像し、フレプに意識を合わせる。するとまだらうずらは立ち上がり、モリオンを乗せたまま走り出す。

「その調子よ、そのまま村に行きましょう。頑張って!」

家禽の背中でモリオンは、自分が行きたい場所を頭に浮かべ続けた。するとフレプは薬草の丘を後にして、間違いなくイナの村目掛けて走り続けた。

「有難う。フレプ」

鳥の背中で揺られながらモリオンは、自分を乗せてくれたフレプに感謝したるこの優しいマダラウズラのおかげで、早く楽に村に帰れるのだから。そして自分と一緒に揺れている、家禽の物入れの袋に触った。袋に触れると、中の卵の丸い輪郭が感じられる。この卵をどうするかが、村に帰ってからのモリオンの課題だ。もっともモリオンの頭には、ある思い付きが浮かんでいた。しかしそれは、マダラウズラに乗る以上に、さらに荒唐無稽な思い付きなのだが……。でもきっと、村のマダラウズラなら出来るはず。ジェイド……約束は必ず果たすから。モリオンは鳥使いジェイドの姿を思い浮かべながら、そう自分に言い聞かせた。

モリオンを乗せたマダラウズラは、イナの村への道を、黙々と進んで行く。その頭上では、春の空に高く昇ったピティスが、藍色と水色の空に輝いている。どうかジェイドから預かった卵を、無事鳥使いの元に返せますように。家禽の背中でモリオンは、さっきよりも高い空に昇ったピティスに祈っていた。家禽の物入れの袋に入れた銀色の卵を安全な場所に隠し、後からやって来ると言う鳥使いに卵を渡す。今のモリオンは、その事で頭がいっぱいだった。自分を助けてくれた鳥使いとの約束を守らなければ……。しかしその後、自分はどうなってしまうのだろう? 上手くジェイドの仲間の鳥使いに、銀色の卵を手渡せるだろうか? もしもジェイドの仲間が村に来たのを、鳥嫌いの村人に見つかったらどうしたら良いのだろうか? いや、その前に卵から雛が誕生していまったら……。様々な事が頭に浮かび、不安が募る。自分の運命解の行方が、解らなくなったようだ。しかし一つだけ、確かだと思う事があった。

あの銀色の巨鳥と、ジェイドと名乗った鳥使いに出会った瞬間から、何かが大きく変わったと言う事だ。何がどう変わったのかは、まだ混とんとしていてはっきりとしていないのだが。


 モリオン……。一年の長さが、生まれたばかりの子供が思春期の少年少女になるまでの時間があるこの世界で、二度目の春を迎えて、思春期に入ったばかりの少女だった。

  


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