側近女性は迷わない

中田カナ

第1話

 わずかに開いたままの扉の前に立ち、書類を抱えなおしてノックしようと手を挙げた時、部屋の中から声が聞こえてきた。

「あいつ、何してるんだ?今日はずいぶん遅いんだな」

「そうだな。俺、あの子に頼みたい仕事があるんだけどなぁ」

 第二王子殿下の側近達の声だ。おそらく私のことを言っているのだろう。

 いつもならもっと早い時間に伺うのだが、今日は来週行われる隣国の王族との懇親会についての打ち合わせで遅くなってしまった。

「俺、思うんだけどさ、仕事はそこそこでもいいから、もっと華やかな女の子に来て欲しかったよなぁ」

「そうそう、どうせなら目の保養になるような子にいてほしいよな」

「国の方針で側近に加えられたとはいえ、あんな地味でダサい子にも優しくしてやるなんて殿下も大変だな」

 それらの声に対し、ふてくされたように答える第二王子殿下。

「しかたないだろ」

 その言葉に私の中で何かが砕け散った気がした。

 

 第二王子殿下の側近は私を含めて4人いるけれど、私以外はみんな殿下の幼馴染で、外部の目がなければくだけた話し方になる。

 側近の一員として私が加わったのは、学院を飛び級して首席で卒業したのと、国が推進する女性の地位向上と社会進出をアピールするためだった。

 さらに私が宰相の娘ということも大きかったのだと思う。同じく飛び級で首席卒業した兄も第一王子殿下の筆頭側近となっている。


『男の中に女性が1人だと目立つだろうから、あまり目立つ格好はしない方がいい』

 最初の顔合わせで私にそう言ったのは第二王子殿下だった。

 だから私はいつも地味な色合いのドレスを着て、伊達眼鏡までかけていた。

 きっと殿下はそう言ったことなんて忘れているのだろう。

 もう、どうでもいいけれど。



 ノックして返事を待たずにドアを開ける。

「皆さん、ドアが開きっぱなしになっていましたよ。地味でダサい女が遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした。それで頼みたい仕事とは何でしょうか?簡潔にご説明願います。それから目の保養になるような可愛い女性は遠慮せず加えてくださって結構ですよ。私はいつでも身を引きますので」

 一気に言い放ったら、室内の空気の温度が一瞬で下がった気がした。

「あ、あの」

 しばらくの沈黙の後、側近の1人が口を開くも、

「ああ、謝罪するつもりでしたら不要ですよ。皆さんの本音を聞けましたので、むしろ私にとっては有益でしたから」

 バッサリと切り捨てる。そして私は第二王子殿下の方を向いた。

「第二王子殿下、先ほど打ち合わせしてまいりました来週行われる懇親会についてお話ししてよろしいでしょうか?」

 なぜか情けない表情の殿下。

「その、いつものように名前では呼んでくれないのか?」

「殿下に請われてずうずうしくもお名前で呼んでおりましたが、やはり失礼に当たると思いますので、これからはやめようと思います。それから女性だからと無理に優しくしていただかなくても結構ですよ。私がここにいるのはあくまで仕事なのですから。それより懇親会の件ですが…」

 殿下に口を挟ませることなく懇親会について説明していく。


 懇親会の説明が終わり、側近の1人から書類作成の依頼を受ける。

「かしこまりました。それでは作業に集中したいので、私は別室に行かせていただきますね」

 資料を手に第二王子殿下の執務室を出る。

 微妙な空気の執務室から逃げ出したようにも見えるが、別室での作業はいつものことである。執務室では他の側近達の雑談で気が散るので、空いている小部屋を作業用に借りているのだ。

 いつも持ち歩いている鍵でテーブルと椅子のみの小部屋の扉を開け、中に入るとすぐに鍵を閉める。

 資料と伊達眼鏡をテーブルに置くと、しゃがみこんで声をできるだけ出さないようにして泣いた。

 いろんな感情が入り混じってしまい、涙が止まるまで少し時間がかかってしまった。


 なんとか泣き止んでから書類を作成している間に何度かノックの音を聞いたけど、すべて無視した。

 泣いた後のみっともない顔を誰にも見られたくなかったから。

 書類作成が終わり、気持ちもようやく落ち着いたので、小部屋を出ると扉の脇に小さな紙袋が置いてあった。中を見るとクッキーが入っていたけれど、今はとてもじゃないけど食欲がなくて、小部屋のテーブルの上に置いて鍵を閉めた。



 もう夕方でみんな帰ってしまったらしく、第二王子殿下の執務室には鍵がかかっていた。

 殿下も側近も全員鍵を持っているので、私は手持ちの鍵で扉を開け、作成した書類を殿下の机の上に置く。

「ちょっと待ってくれ」

 執務室から出ようと扉に向かうと男性の声で呼び止められた。

 声がした方を見ると、夕方の薄暗い執務室の片隅にしゃがみこんでいる人がいた。

「第二王子殿下、そんなところで何をなさってらっしゃるんですか?」

「貴女に謝ろうと思って、ずっと待っていた」

 立ち上がろうともせず、うつむいて話す殿下。


「わざわざ鍵をかけて、いないふりをして、ですか?」

「誰かいるとわかったら貴女が入りづらいだろうと思ったから」

 本来はこういう気遣いが出来る人なんだけどなぁ。

「お気遣いありがとうございます。ああ、それからクッキーもありがとうございました。食欲がなかったので明日にでもいただきますね」

 殿下がようやく顔を上げる。

「え、食欲がない?大丈夫なのか?」

 殿下が心配そうな顔をしているので笑顔で答える。

「今はもうだいぶ落ち着きましたし、一晩ぐっすり眠れば気持ちも晴れると思いますので」

 気持ちの切り替えは早い方だから、きっと大丈夫。

 今が夕方でよかった。この薄暗さなら泣いた後の顔もきっとよくわからないはず。


 のそのそと立ち上がった殿下が私の方を向いて深々と頭を下げる。

「昼間の件、本当にすまなかった」

 王族に頭を下げさせるなんてとんでもないことである。

「殿下、どうか頭をお上げください!謝罪は不要と申し上げたはずですわ。あのように本音というものは本人がいないところで出るということがよくわかりましたしね」

 頭を上げてため息をつく殿下。

「まったくその通りだな。あいつらは明日から来なくていいと言った。いつまで経っても幼馴染気分が抜けず、仕事もほとんど貴女に任せてしまって満足にこなせない。そして何より貴女に対しての無礼極まりない発言は許しがたい。このまま側近からはずれてもらうことになるだろう」

「厳しいですね」

「これが初回だったらまだ温情もあっただろうが、貴女が加入する前から問題をいくつか起こしていたからな」

 幼馴染の側近達は高位貴族の次男や三男だったはず。ここではずされるのは彼らにとって大打撃ではなかろうか。


「彼らのことはもちろんなのだが、私自身の発言に対しても貴女に謝らなければならない」

「何でしょう?」

 なんとなく予想はついているけれど。

「あの場で『地味でダサい子にも優しくしてやるなんて大変だ』と言われた時に私が『しかたがない』と答えたこと、覚えているか?」

「ええ」

そう、その言葉が私にとっては一番痛かった。

「あれは貴女に地味な服装を強いているから『しかたがない』と言ったつもりだった。だが、彼らに貴女の服装の指示については伝えていない。あの場で言うわけにもいかず、言葉が足りなくて発言を耳にしてしまった貴女を傷つけたと思う。どうか許してほしい」

 もう一度深々と頭を下げる殿下。

 なんだ、忘れてたわけじゃなかったのね。よかった。

「そういうことでしたか。謝罪を受け入れますわ」

 笑顔で答えたつもりだった。


 第二王子殿下が私の方に歩み寄ってくる。

「実はしばらく貴女がいる小部屋の前にいたんだが、かすかだけれど嗚咽が聞こえていた」

 伊達眼鏡を取られてしまい、顔をのぞきこまれる。

 そしていきなり抱きしめられた。

「で、殿下?!」

 突然の出来事に私は抵抗するのも忘れていた。

「本当にすまない。貴女を泣かせてしまうなんて私は最低な男だな」

「いえ、これは私が勝手に落ち込んでしまっただけで」

 殿下が私の頭をなでながら言葉をさえぎる。

「いや、謝らなければならないことはまだあるんだ」

 えっと、何かありましたっけ?

「最初の顔合わせの時に『派手な格好はしない方がいい』と言った本当の理由は、貴女の可愛らしさを他の男達に知られたくなかったからだ」

「えっ?」

 ちょっと待って。なんかヘンなこと言い出してるんですけど。


 しばらく私を抱きしめていた殿下がようやく離れてくれたけど、今度はソファーに並んで座らされた。

「貴女がまだ幼かった頃、宰相の執務室へ時々遊びに来ていただろう?」

「ええ」

 当時、宰相になったばかりの父はあまりに仕事が忙しく、『帰宅しても子供達の寝顔しか見れない!』と不満を爆発させていたので、兄や私は時々執務室を訪ねていた。執務室のソファーに座って本を読んだりお菓子を食べたりして、休憩時間に父と王宮の庭を散歩しながら話をしただけだったけど、それでも十分だったらしい。

「私はその頃から貴女のことが好きだった」

「は?!」

 あれって確か10年くらい前のことなんだけど。

「宰相と話している時の笑顔が本当に可愛くて、ずっと忘れられなかった。いずれ婚約を申し込むつもりで、両親を通じて早くから宰相に打診もしていた」

 ということは、父はずっと前から知ってたってことなのか。

 学院時代、友人達は次々と婚約が決まっていったけど、もしかしてうちはお見合いのストップがかかってた?


「だが、貴女が学院で飛び級するほど優秀であることを知り、考えを改めることにした。ちょうど王宮で女性の登用を増やそうという機運が高まってたこともあり、初の女性の側近として貴女を採用しようと私が主張したら無事に通った。幼馴染から側近になった奴らよりも仕事ができそうだし、側近の方が一緒にいられる時間が多いかもしれないと思っていた」

 いやいや、おかしいでしょ。側近ってあくまで仕事だよね?

「仕事でずっと一緒にいて、真面目で有能な貴女のことがますます好きになっていった」

 今まで仕事で手一杯で、殿下が私にそんな感情を持っていたなんて全然気づかなかった。


「その、貴女は私のことをどう思っているだろうか?」

 急に見つめられてそんなことを聞かれても困ってしまうんですけど。

「あ、あの、いろんな面で気遣ってくれていたのもわかりましたし、優しい方だなとは思っていました。仕事も誠実にこなしてらっしゃるのも見ていればよくわかります。ただ、そういう面では意識はしていなかったので、なんと答えていいものやら…」

 苦笑する殿下。


「そうだな、突然こんなことを聞かれても困るだろう。嫌われていないのなら今はそれでいい。念のため確認しておきたいが、貴女には誰か気になる男性はいるのだろうか?」

 私は首をぶんぶん横に振る。

 今まで人生でそんなの一度もなかったから、この状況にかなりとまどってるんですけど。

「ならいい。これから貴女に意識してもらえるよう努力しよう。ただ、殿下呼びではなく、今までとおり名前で呼んでほしいのだが」

「かしこまりました」

 ぎこちない笑顔で私は答えた。


「ああ、それからもう1つ貴女に詫びねばならなかったんだ。今にして思えば『目立たないように地味にしろ』などというのは女性である貴女を軽視していた部分もあったのだと思う。その点においても深く反省している」

 また私に頭を下げる殿下。

「だからここで前言を撤回させてもらいたい。これからは貴女の好きな服装でかまわない」

「わかりましたわ」

 うなずいた私に殿下が微笑みかけた。

「さて、すっかり遅くなってしまったな。馬車まで送ろう」

 有無を言わさず殿下に手を取られ、私は執務室を後にした。



 翌日。

 昨夜はしっかり眠って気分も晴れた。いつもの時刻に登城して第二王子殿下の執務室に向かう。

「おはようございます!」

「ああ、おは…?!」

 ノックして入室すると、なぜか殿下は目を丸くして固まっていた。

「どうかなさいましたか?」

「い、いや、確か昨日は貴女に好きな服装にしていいと言ったはずだが」

 戸惑う表情の殿下。

「ええ、ですから着たかった服にしてみました」

 ニッコリ笑って答える。


「だからって、なぜ男装になる?!」

「王宮内の移動とかが結構多いですから、仕事するのにドレスじゃ動きにくいんですよ。もう地味にしなくていいということで、多少目立っても便利な方を選ぶことにしたんです」

 いやぁ、これホント楽だわぁ。

 執務室に来るまでにジロジロ見られたけど、そんなことは気にしない。

「も、もしかして、その服は前から用意していたのか?」

「いいえ、兄の昔の服を手直ししました」

 兄のお古はまだたくさんあるんだけど、なぜかノリノリの母や女性使用人達は新たに仕立てたいみたいで、昨夜はがっつり採寸された。


「1つ確認したい。それはあくまで仕事のための服装、ということでよいのだろうか?」

「もちろんですよ」

 本当は動きやすいから普段もこれでいきたいくらいなんだけど、昨夜試着した姿を見せたら私を溺愛する父と兄がすごく悲しそうな表情になったので、ちょっと難しそうかも。

「すまないが私は急用を思い出したので少しはずすから、貴女は通常業務を始めていてくれ」

 そう言い残すと第二王子殿下は執務室を飛び出していった。



 数時間後、ノックもせずに第二王子殿下が執務室に飛び込んできた。

「まぁ、どうなさったんですか?」

 驚いて立ち上がり、駆け寄ろうとすると、いきなり殿下が私の前にひざまずいた。

「少しずつ距離を縮めるつもりでいたが、そうも言っていられなくなった。双方の両親には話を通してきた。どうか私の婚約者になって欲しい」

「は?」

 何で突然そういうことになるの?

「貴女のことを好きなのはうちの家族全員が知っていて、『やっと動き出したのか』と言われた。貴女の両親にも前から伝えてあって、他の見合いを阻止してもらっていた」

 あ、やっぱりそうだったんだ。

「突然動き出した理由を聞かれ、このままでは貴女のドレス姿が見られなくなるという本音をうっかり漏らしたら、双方の両親から大笑いされた」

 婚約したい理由がそれなら確かに笑うしかないよね。


「そして双方の家族からは、すべては貴女の気持ち次第だと言われた。貴女の父である宰相からは、貴女の仕事に対する熱意も聞いている。今後に関しては出来る限り貴女の希望に添えるようにしようと思う。すぐに心が決まらないのなら仮のままでもいい。どうかこれから私と歩む道を考えてはもらえないか」

 手の甲に口づけがそっと落とされる。

「わかりました、お受けいたしますわ」

 ぐだぐだ悩むのは好きじゃないから即断即決。

 いつでも真っ直ぐなこの人とならば、ともに歩んでいけると思う。

「ありがとう!」

 立ち上がった殿下にぎゅっと抱きしめられた。


「ただ、いくつかお願いがございます」

「な、何だろうか?」

 殿下の表情に緊張が走ったように見えた。

「私は出来る限り仕事を続けていきたいと考えております。そして仕事中は動きやすい男装で通したいと思いますが、それでもよろしいですか?」

「わかった。念のため確認するが、仕事を離れればドレス姿ということで間違いないな?」

「それはもちろんです」

 私の答えに少しホッとした表情になる殿下。


「それから公私の区別はきっちりつけていただきたいと思います」

「わかった。それは当然だろう」

 殿下がうなずく。

「特に男装姿の時にいちゃつかれますと、あらぬ誤解を受けることになりますからお気をつけくださいね」 

「き、肝に銘じる」

 釘はきっちり刺しておかないとね。

「それでは、もう離れてくださいませんか。先ほどサボられた分の仕事がたまってるんですからね」

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