「最強職だった男が復讐の為に専門学校に通う」そんな話

時雲

目が覚めると

 息を吸い込む音がする。

 深く大きく吸い込む音だ。


 今度は吐き出す音。

 ゆっくりでいてリラックスしている。


 この呼吸の主は疲れているのだろうか?

 いや、そう決めつけるのは早いだろう。


 逆の可能性だってある。


 何らかのストレスから解放され、その結果こんなに穏やかな寝息を立てられている。


 ――そんな可能性が。


「……ううん?」


 ぼんやりとした視界と周囲の雑音が、段々と意識を覚醒させてゆく。聞こえてくるのは何やら堅苦しい挨拶の言葉。どうせまた、あの頭の固い総務部長が長々と訓示でも垂れているのだろう。


「ああ、もう良い良い。そう言うのは後にしてくれ」


 言いながら欠伸をすると、まぶたを擦ってマッサージを始めた。


 この硬くて尻が直ぐ痛くなる感触。きっとここは"第三会議室"だ間違いない。そもそも、長引きがちな会議を短縮する為に座り心地最悪な椅子にしたって言うのに。これでは何の意味もない。


 仕事は出来るんだけどなとため息を吐きながら、言い訳か抗議の言葉が飛んで来るのを待った。


 しかし、いつまで経っても聞こえて来ない。


 おかしいな。


 いや待てよ。おかしいと言えばだ。何となく普段より窮屈な気がするし、向けられているであろう視線も、いつもとは少し違う気がする。何と言うかこう、遠巻きにヤバいヤツを見ているというか。


 ちょっと待てよ?

 今日は何日だ?


 上って来る悪寒は、前回会社の株が急落した時以来だった。

 視線を伏せたまま、恐る恐る腕元に視線を向ける。


 四月十五日、十時十二分。

 ……ふむ、まずいかも知れない。


 春日の香るうららかなる四月。

 そして、初めでも終わりでもなく丁度中日である十五日。


 これらから導き出されるのはズバリ、入・学・式!!


 誰の?俺の。

 何で?入学するから。

 ここは?式場。

 俺は?生徒。


 目の上にあった両手を口元に移動させると、心の中で絶叫していた。


(ぐはぁー! すみません、寝ぼけてました! 完全にやっちゃいました!)


 若干前傾姿勢でうずくまっているも、それではかえって目立つと思い直した。


 鉄の意思で体を起こすと背筋を伸ばす。

 そして、両手は軽く握って顎を引き、顔は真っすぐ目を開ける。


 どうやら想像よりは周囲の視線を集めていなかったらしい。

 ……いや、すまん。嘘だ。ばっちり見られてた。


 顔は前に向けつつも、眼球だけこちらに向けて来るような器用な事をしている。

 だが、そんなのは今はどうでも良い事だった。


 今問題なのは、話を遮ってしまった相手。

 そう、それは壇上にいて今もこちらを睨みつけている男……。


 頭部が少し寂しく、両サイドを固めるようにちょこんと残った頭髪。それを真ん中に寄せる事で、どうにか全体を黒く見せようとしているらしい。


(いっその事全部剃った方が良さそうだけどな)


 まさか心の中で呟いた事が伝わった訳では無いだろう。しかし、何故だか次第に顔を赤くし始めた男は、こちらをジッと見ると人差し指と中指で自分の目に当て、それをこちらに向けて来た。


 恐らく「顔を覚えた」とか「俺は見たぞ」とかそんな事を言いたいのだろう。


 だが残念。俺がお前如きに嫌われて困りなど……す、するかも知れない。


 壇上に立っているの男の立場と、その下で椅子に座っている自分の立場を思い出してハッとした。そう、壇上に居るのは"教師"で自分は"生徒"なのだ。このままでは今後に響いてしまう。


 どうしようかと慌てた所で、その後ろに座っていた女性が立ちあがった。


 端正な顔立ちに引き締まった身体。着ているのがスーツでなければ、モデルか女優と言われても納得していたかも知れない。


 女性はそのまま壇上の男へ近づくと、何か耳打ちした。


 それにムッとした男だったが、頷くと再び原稿に目を落として話し始めた。どうやら助けられたらしいと、それだけは分かったが戻り際送って来た視線には苦笑せざるを得なかった。


 ……既にだいぶ寄付していたと思ったけどな。


 何にせよ、男にはひと言謝る必要があるだろう。既に嫌われている可能性もあるが、それでもこう言ったものは筋を通しておかなくてはいけない。


 少なくとも、あの男から学べる事を全て学んでしまうまでは。


(そう、俺はここに学びに来たんだ。このデザインの学校に!)


 その為に会社の経営も任せ、余程の事以外は呼び出さないように言って来た。全てはあの日、せっかく徹夜して考えたデザインを笑った社員ヤツらを見返す為。


 大丈夫、出来る筈だ。


 何せこれまで、やってやれなかった事など無いのだから。


 大丈夫。


 事業を立ち上げて上場させる事に比べれば、何てない事だ。


 まだ成人すらしていない子供達が同級生で戦友ライバルだが、この中であれば、その若い感性に刺激され自分の内に秘めた才能が開花する事だろう。


「よし!」


 気合を入れたと同時につい拳が上がったが、それに集まる注目も心地よかった。


「おいそこ、いい加減にしろ!」


 飛んで来る言葉に、ちょうど良かったと立ち上がると言った。


「若輩者ですが、ご鞭撻のほど宜しく!」

「ふざけるな何様だ! 先ず社会の常識から学んで来い!」


 それに(ほとんどの生徒が社会に出た経験が無いと言うのに、無茶を言うなぁ)と思うも、確かに自分には常識と言うモノが無いのかも知れないと納得した。


「それも併せてお願いしたい!」


 そう答えた瞬間、吹き出す声が聞こえた。


 何かおかしかった事があったかなと振り返るも、それ以上返って来なかったので座り直した。


 壇上の男はしばらく口をパクパクとさせていたが、しばらくして我に返ると「以上を以って私からの激励の言葉に変えさせていただきます」と下がって行った。


 どうやら先程までのは教師陣による、生徒への激励の言葉だったらしい。


(だとしたら、やっぱり少し長いよな)


 心の中でそう呟くも、その後も続く式典に弾み始める心を止められなかった。


(ダメだ落ち着け。これは飽くまで見返す為……いや、そうだ。これは復讐だ。これまで絵を描く度笑って来た全ての者達に対する"復讐"なのだ!)



 これは、業界では名の知られた若手経営者が、その正体を隠しながら個人的復讐のため学校に通う――そんな話である。続きはあなたの想像と、その自由な世界の中に。

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