終、それは始まりでもある


 ひとつの終わりは、ひとつの始まりでもある。




   ◇   ◆   ◇



 屋敷の外。

 そこでは幼い声がきゃっきゃっと楽しげに弾んでいた。


『……ちょっと、これ何度目よ』


 鬱陶しげに眉根を寄せるティアは、自身に群がる光の粒をひとりひとり丁寧に剥がしては、ぽいっと遠くへ投げやる。

 投げられた光の粒は、わーいと明滅を繰り返して宙空を跳び、地へと転がって着地すると、身を震わせて自身についた砂埃を振り払った。

 既に着していた光の粒らとわいきゃい騒いだあと、またティアの元へ駆けていく。

 そして、彼女へ群がりひっつき、もう一回投げ飛ばしてと請い始める。


『だから、何度投げればあなたたちの気は済むのよ……』


 その声がげんなりとしていても、彼女は結局は投げ飛ばしてくれるから、光の粒らも遠慮なく強請ることが出来るのだ。

 もはや何度目かなど数えるのも嫌になっていたティアは、最後の光の粒を投げやったところで嘆息をひとつ落とす。

 と、彼女の後ろから声がした。


『あいつらも、わかってんじゃねぇか?』


『わかってるってなにを?』


 ティアがしかめっ面で振り返ってやれば、くすと苦笑をもらすフウガがそこにいた。

 フウガは天を仰ぎ、手の平を上向かせて手をかざす。

 手の平に落ちる光の雨は、砕け燐光となって散っていく。

 そこから感ずる淡い気配。

 光の雨の元は精霊王が呼び寄せた雨であるため、光の雨が帯びる気配の大半は王のものであるが、そこに淡く滲む気配の中にティアのものもある。

 彼女が風をこの場へと招いたから絡まったのだろう。

 それを光の粒――下位精霊らも敏感に感じ取った。

 己らがまた自由を得られたのは、ティアが風を招いて魔を鎮めてくれたからだと。

 だから、精霊として幼い彼らはティアに懐いたのだろう。

 口元を緩めながらフウガがティアを見やると、彼女は不機嫌そうに見返してくる。


『お前がこの現状を招いてくれたと、あいつらもわかってんだろうぜ。素質、あるんじゃねぇか?』


『素質って、なんのよ?』


『んー? 次代シルフ、とか?』


『意味わかんない』


 ティアは肩をすくめ、ふいと目を逸らした。


『というか叔父さん、ジル達はいいの?』


 ちらりと、琥珀色の瞳が離れたところへ向けられる。

 向けられた先には、談笑に花を咲かすジル達の姿があった。

 久々の再会なのだろうから、それは話も弾むはずだ。

 彼らの周囲にはそれなりの数の獣達の姿がある。

 あの獣らは皆が魔族であり、屋敷の地下に囚われていたのをフウガとジル、シオで助け出したらしい。

 おそらくではあるが、あの魔水晶のオドの抽出源は彼らなのだろうなと、ティアは薄々思っている。

 そんな魔族らは、各々に輪をつくり、自分達の無事をお互いに確かめ合っていた。

 ジル達もその一つであって、灰色の猫と土色の犬と話をしている様子。

 人の姿へと変じるジルの隣には、当たり前のように並ぶ少女姿のシオが在り、ティアの顔も自然と綻ぶ。

 並ぶ二人の姿が、所謂お似合いの二人とやらに見えてどこか嬉しい。

 ジルは家族に近い存在であり、シオは精霊ティアにとっては唯一になり得る存在。

 どちらも想いのカタチは違えど大切な存在。

 そんな彼らが笑い合えているのならば、ティアとしてはこれ以上に嬉しいものはない。

 微笑ましくジル達を眺めていたティアの隣に、フウガが並び立った。


『屋敷の地下から連れ出した魔族の中に、ジルの奴の仲間もいたみたいだしな。茶々入れんのもあれだろ? だから、しばらく放っとくことにしたんだよ』


 腕を組んでジル達を眺めやるフウガの横顔が、どこか和らげな色をはらみ、それでいて嬉しげな色を滲ませる。

 そこにうずうずと悪戯心が芽生え、ティアは軽く肘で彼を小突く。


『地味にいてぇし、なんだよ』


『べっつにー、なんか嬉しげでニヤけそうな顔だなって思っただけー』


『ニヤけてはねぇ』


『でも、嬉しいって言うのは否定しないんだ』


 ふふっと笑みをこぼすティアに、フウガはうるせぇと背を向けた。

 と。足元にわらわらと光の粒らが集まって来ているのに気付き、ティアはげんなりと肩を落とす。

 ふうとひとつ息をもらし、なるだけ目線を近づけるため、膝を折り曲げてしゃがみ込む。


『……ねぇ。私ね、疲れちゃったの』


 遠慮して欲しいなと、やんわりにおわせてみる。

 だが、精霊としてまだ幼い彼らに伝わることもなく、はやくはやくとせがむため、ティアの膝に肩にと登りだしてしまう。

 これはもう少し付き合うべきかと、疲れの滲む琥珀色の瞳が天を仰いだときだった。


『――みんな、ちあから降りようね』


 ティアの横から手が伸びてきたかと思えば、その手が次々に光の粒らを掬い上げては地へと降ろしていく。

 琥珀色の瞳が見上げる。


『……シシィ』


『やめて欲しいならはっきり言わないと、この子達にはまだ伝わらないよ』


 碧の瞳が軽く笑った。

 シシィは最後の光の粒を掬い上げて降ろすと、彼もまたティアと同じようにしゃがみ込んで、言い聞かせるように優しく声にする。


『ちあはちょっと疲れちゃったみたいだから、休ませてあげて欲しいの』


 シシィを見上げていた光の粒らが一斉にティアを見やるものだから、彼女の肩が驚きで小さく跳ね上がった。


『だからね、まだ遊び足らないなら、シルフ様に遊んでもらうといいよ』


『は? 何言っちゃってくれてんだ』


 シシィの言に、勝手に部外者を決め込んでいたフウガは枯れ葉色の瞳を見開いた。


『俺、もうおっさんだからそんな体力、つか、気力が足んねぇよ』


『みんな、シルフ様が遊んでくださるって』


『おいっ! ちょい待ち、シシィ……!』


 シシィが騒ぐフウガを無視し、光の粒らへにこりと笑顔を浮かべる。

 光の粒らがフウガを振り向き、わくわくしているのか、明滅する間隔が短い。


『うん、行っておいで』


 その声を合図に、光の粒らが一斉にフウガへ向かって駆け出した。


『いや、ちょっと待てっ! 俺はちび達に付き合ってられるほどのあれはねぇよっ!』


 顔をひきつかせたフウガは逃げ出した。

 わあと声が一気に賑わい、フウガはひえっと情けないを声をもらした。


『もしかして、仕返し?』


 ゆっくりと立ち上がったティアが、シシィの隣へ並び立つ。


『ん、何のこと?』


『えー、だって、叔父さんのせいじゃん、私達がなんか大変な目に合ったのって』


『まあね』


『ほら、シシィだって否定してないじゃん』


 くすくすと笑って肩を揺らすティアを、シシィは軽く頬を膨らませて見やった。


『それはだって、僕はまだ、フウガさんのこと怒ってるからね』


『うん。ありがと』


 彼が何に対して怒っているのか。

 それはティアにもわかっているつもりだ。

 そしてまた、理由が己にあるということに、じんわりとあたたかなものを胸に感じてしまうのがくすぐったくもあるのだ。

 この気持ちが伝わればいいなと、ティアはそっとシシィの手に触ってみる。


『――』


 瞬間、彼が小さく肩を跳ねさせたのが視界の端で見えたが、ややして、触った手を重ねて繋いでくれた。

 その手の平が汗ばんでいたのが、なんだか愛おしいなと感じ、ティアは顔を綻ばせた。




   ◇   ◆   ◇




 それから間もなくだった。

 突然、魔力が膨れ上がった。




   ◇   ◆   ◇




 ぞわり。肌が粟立つ、なんて生易しい。

 突としたそれに、ティアは繋いでいたシシィの手を思わず握り込んだ。

 自身もじんわりと手が汗ばんでいるのを自覚し、堪らず隣の彼を見上げる。

 だが、彼はすでに周囲へと視線を走らせていた。

 光の粒ら下位精霊達へ視線を向ける。フウガによって呼び集められ、下位精霊達は落ち着いていた。

 ジルら魔族達を見やる。一箇所に身を寄せ、様子を窺っていた。

 大丈夫だ。誰も取り乱したりはしていない。

 シシィはほっとして表情を緩めた。

 次いで、強く握られた手を強く握り返し、ティアを振り向く。

 だが、彼女は何かに意識を傾けているようで、瞑目し、緩く編まれた髪が小さくなびいていた。

 風が吹く。

 それからややし、ティアはそっと目を開く。

 琥珀色の瞳が揺れ、シシィを一瞬で据えた。


『……シシィ』


 すがるような声に、シシィは自然な動作で彼女を抱き寄せる。


『風から何を聴いたの?』


 腕の中でティアは顔を埋めた。


『……大樹の種の苗床』


『……?』


『おばあちゃんが……』


『老狼殿が……?』


 要領を得ないティアの言葉に、シシィが腕の中へ視線を落とす。


『ねぇ、もう少しだけわかるように――』


 言いかけて、風が吹き抜けた。

 さわり。誰かに撫でられるような、そんな優しげな風だった。


『――ひとつの終わりは、ひとつの始まり』


『ちあ……?』


 ティアがどこかを見上げる。

 その琥珀色の瞳が揺れ動くのは、憂いか哀しみか、寂しさか。

 どの色かはわからず、シシィも彼女の視線を追いかけるように見上げた。

 そして、碧の瞳を見開く。

 吹き飛んでぽっかりと空いた屋敷の屋根部分から、何かが伸びている。

 あれは、あの地下牢にあった魔水晶に見えた。

 そこから吹き付ける風がシシィ達の肌を撫でる。

 その肌を撫でた感触が、精霊にとっては慣れ親しんだ気配な気がして。


『……この気配って、まさか、大樹……?』


 呆然と呟きを落とす。

 吹き抜ける風がぱきぱきぱきと、何かが軋むような音を響かせる。

 それはまるで、何かと攻めぎ合っているような音。


『――大樹が抱き込もうとしてる』


 ティアの意味深な言葉に、シシィの視線が一度彼女へ落とされる。

 彼女は真っ直ぐにそれを見ていて。けれども、その手はしっかりとシシィの服を掴んでいた。

 びゅっと、強く風が吹き付ける。

 同時にシシィの耳に届いた、さわざわ、と梢の擦れる音に、視線を持ち上げた。


『大樹……』


 シシィの呟きに、ティアは静かに首肯する。

 彼らの見上げる先。屋敷のぽっかりと空いた屋根部分から伸びるそれは、若い緑を茂らせた樹。

 その樹皮から所々に覗く鉱物の表面は、あれは魔水晶だ。


『あの魔水晶を大樹が飲み込んだってこと……?』


『違うわ。抱き込んだのよ』


『抱き込んだって、どういう――』


『魔水晶に取り込まれた精霊達を、絡んだ負の念を解くためよ』


 ティアがシシィの胸元に顔を埋めた。


『……おばあちゃんを、そのみなもととして……』


『――え……?』


 くぐもったティアの声に、シシィの碧の瞳は戸惑いを多分に含んで瞬いた。

 彼女がそれ以上の言葉を口にすることはなく、さらに深く顔を埋めるだけ。

 けれども、その身体が微かに震えているのはシシィにも伝わり、彼はそっと彼女の身体を抱きしめた。

 彼女の髪を撫でながら、シシィは見上げる。

 吹き抜ける風に若葉を揺らし、さわざわと擦れる音を響かせる。

 絶え間なく降り落ち続ける、シシィとティアとで降らせた光の雨。

 その雨が転じて祈りの音を響かせる。

 ぽろん、ぽろろん、ぽろん。と。

 これは誰の想いで、誰の祈りなのか。

 祈りの音が響き続ける。

 シシィは静かに瞑目した。

 これは誰へ向けるべき祈りなのか――。




   ◇   ◆   ◇




 突として伸びた大樹。

 根を降ろし、急速に幹を伸ばして枝葉を茂らせたその大樹は、のちに“精霊樹”と呼ばれることとなる。

 そう呼ばれる所以は――あまり広くは知られていない。

 だが、突然の精霊樹の出現により、様々な者を巻き込んだこの騒動は、やはり、突然として終わりを迎えたのは確かだった。

 さらにのちの世にて、精霊樹を始とした森が育つ。

 その森もまた、“精霊樹の森”と呼ばれることとなる。

 豊かな地に人は住み、そして精霊も惹きつけられて集まり、のちに人と精霊の調和の地とも評されるようになる――。





次回更新分から終章になります。

土曜、日曜の二日更新、のち完結となります。

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