配慮できる範囲


「――にに、きめた」


 意を決したニニの瞳が、種を大切そうに抱えるミントを真っ直ぐ見下ろす。

 光の雨が降り落ち続ける中、ニニがゆっくりと手を伸ばした。

 ミントは身体をふるりと震わせ、抱える種を振り返る。


『種さん、いいの……?』


 ささやき声に、伸びていたニニの手が止まる。

 ミントが何をささやいたのか、ニニにはわからない。

 けれども、それは種に向けられているように感じた。

 何事かを問い、そして応えを受けている様子に、ニニに言い知れぬ緊張がじわりと這い上る。

 乾いた唇を無意識に舌で湿らせると、緊張を察したらしいエルザがニニの背を撫でた。

 突としたそれに、ニニの肩がびくりと小さく跳ねるも、振り返ってエルザのものだ知れば、ニニは緊張を緩ませて細い息を吐き出した。


「ニニ様には、このエルザがついています。どの道を歩もうが、お供いたしますよ」


「うん。ありがと、えるざ」


 ふっ、と息を吐くように笑う。

 そしてまた顔を引き締めると、ニニはミントの反応を待った。


『わかったの。ミントは運び手だから、種さんの想うままに行くだけなの』


 ミントがニニを振り仰ぐ。

 自然とニニの背筋が伸び、傍で支えるエルザもすっと背筋を伸ばした。

 降り落ち続ける光の雨は、彼女らの周囲に落ちる雨だけ光の強さを増す。

 それは落ちる度に、ぽろん、と雨音を響かせた。


『ミントは運び手で、あなたは担い手』


 ぴょんこ。ミントがニニの膝に跳び乗った。

 瞳を丸くするニニへ、ミントは自身が抱えていた種を差し出す。

 光の雨粒が種に落ち、ぽろん、と祈りの音を奏でて燐光を散らした。

 種を差し出されたニニは戸惑いでエルザを振り返り、振り返られた彼女はこくりと力強く頷いて見せる。


「これは、ニニ様に受け取って欲しいということなのでは?」


「いい、のかな」


 おずおずとニニがミントを見やり、そんな彼女の背をエルザが支える。

 ミントが促すように種をもう一度差し出す。


『あなたは担い手。それを受ける覚悟が出来たなら、受け取ってなの。大樹さんの種さんは、あなたを選んだの』


 ごくりとニニが喉を鳴らした。

 ミントの言葉はニニにはわからない。

 でも、その真剣な眼差しには応えなければと思った。

 握った手は薄っすらと汗ばむ。

 それでも、ニニには見たい風景がある。

 もう一度、と願ってしまったから。

 それがわかってしまったのだから、選ぶ道はひとつしかない。


「……にに、あのもりがすきになっちゃったから」


 夢で視た風景。

 あれは夢だ。けれども、あの風景は過去に確かに在った風景なのだ。

 確証はない、ただの直感だ。

 だが、その想いを肯定するように、ぽろろん、と光の雨は祈りの音を響かせる。

 夢で会った人はニニに問うた。

 この森は気に入ったか――と。

 それにニニは答えたのだ。うんって。

 だからニニは、その己の答えに応えなければいけない気がする。

 差し出された種。それへ向けて、ニニはそっと、もう一度手を伸ばした。

 緊張はするし、なんだか重い何かを感じるし、不安の方が大きいけど。

 でも、背に感じる手のぬくもりが心強さをくれるから、大丈夫だと思う。

 指先が種に触れ、大切に掴むと、それは手の平に転がった。

 ニニの手の平ほど大きさのそれは、やはり種にしてはとても大きいようにも思える。


「ニニ様は、その種が何の種かご存知なのですか?」


 種を不思議そうに覗き込むエルザが訊ねた。

 だが、それはニニも知らないのだ。

 彼女は首を横に振る。


「ううん。ににもしらない」


「……知らないのに、受け取ったのですか?」


 エルザが少々面食らった顔でニニを見つめる。

 種なのだから、これを育てろというのが託されたそれなのだろうが、何の種なのかがわからなければ、それも難しいように思う。

 エルザに不安が一気に押し寄せた。

 精霊から託された種。それを育てることがニニに、そして、それを支えることが自分に出来るのか。


「だいじょーぶだよ、えるざ。たねからは、きっともりがそだつのっ!」


 両の手で大切に種を包んだニニが、にぱりと晴れやかに笑ってみせる。

 それはエルザの胸中なんてお見通しだよ、と言わんばかりの笑顔で、どこか自信がはらむ。

 だが、エルザはちっとも安心など出来ない。

 精霊から託された種の行方。それが自分にかかっているのではと思うと、既に今から胃がきりきりと痛むようだった。

 目に見えてげんなりとするエルザに、ニニが不思議そうに首を傾げた――刹那。


「――それならば、精霊が力を貸しましょう」


 幼い子供の声が響く。

 エルザが瞬時に警戒の色をにじませ、ニニを背へ庇う。

 彼女が鋭い視線を向けた先で、ふわりと少女が舞い降りた。

 少女というには幼い風貌で、左右で束ねた白の髪が軽やかに跳ねる。

 突として舞い降りたその幼子は、ついとニニへ瑠璃の瞳を向けた。

 瞳を向けられたニニはびくりと身を震わせ、エルザが警戒の色を強める。

 が、瑠璃の瞳が見やるのは、ニニではなく、その彼女の肩にいるミントだった。


『ミントさん、彼女達へ力を貸してあげてはくれませんか?』


 いつの間にニニの肩へ上っていたのか。

 ニニとエルザが小さな驚きを見せる傍ら、ミントは元気に返事をした。


『あいっ!』


 そのままミントは、ニニの肩から膝上へと降りて彼女を見上げた。


『ミントは運び手なの。だから、運び入れた者として、その、いくすえっていうのを見守らなきゃなの』


 ニニの手にある種へ、そっと触れる。


『それにミントは土の精霊だから、植物のことも、たぶんだけど、役にたてるかもしれないの』


 小さな身体で自信満々に胸を張り、どんっと前足で叩いてみせた。

 が、ミントの言葉を解せないニニとエルザには困惑が広がるばかりであり、エルザの方が助けを求めるように幼子を見やった。

 視線を向けられた幼子は、安心させるように柔く笑う。


「ミントさんは土の精霊です。あなた達の手にある、種のこれからに力を貸してくれるでしょう」


「みんと……?」


 ニニがぽつりと呟く。

 呟いてから、自身の膝上で胸を張るミントを見下ろして。


「あなた、みんとっていうのね」


 彼女の頬を指先でくすぐった。

 ミントはそのくすぐったさに目を細め、笑い声をもらす。

 一方で、エルザはそんな彼女らを背後に庇いながら、幾分か鋭さが和らいだ瞳で幼子を見やる。


「あなたが何者かを問うてもいいだろうか?」


 だが、エルザの醸し出す警戒の色は消えない。

 さり気なさを装い、腰に提げる剣の柄に手を添える。


「推測ながら、“白”の髪を持っているあなたは、おそらく精霊様なのだろうと判ずるが――」


 人の姿を持つ精霊など、エルザは初めて目にした。

 だから、その秘めたる力を想像も出来ない何者かに、警戒の念が拭えない。

 むしろ、警戒を通り越して恐れすら抱くのは、目の前の幼子から漏れ出る気配のせいか。

 気配は人ならざるそれ。


「――精霊様にしては、気配が冷たい」


 重く、エルザは呟いた。

 瑠璃の瞳がぱちくりと瞬き、そして、ゆっくりと幼子は口の端を持ち上げた。


「――なるほど。さすがは騎士様というべきですね」


 瞬間。幼子は気配を隠すことをやめた。

 一気に周囲の空気が色を変え、呑気にミントと戯れていたニニが身体を硬直させる。

 精霊であるはずのミントですら、瞬的な変化に身体を強張らせた。その表情を戸惑いに染め、幼子を見やる。


『もとの空気があれだったからあの子達は誤魔化せただけで、やっぱりこの器も欠点があるということね』


『精霊王様……?』


 何事かを呟く幼子に、ミントは心配そうな声をもらした。

 そんな彼女へ、幼子は少しだけ困ったような曖昧な笑みを向けてから、ニニを一瞥してエルザへ視線を向ける。

 エルザが一歩、後方へ下がった。


「ごめんなさい。この器では、気配を巧妙には隠せないようなのです」


 眼尻を下げ、幼子は手を見下ろす。

 幼子の片手がないことに気づいたニニが小さく悲鳴を上げる。


「その上今の私は、少し気が急いていますから」


 一瞬だけ、瑠璃の瞳に感情の揺らぎが映った。

 だが、それもすぐに掻き消え、幼子は顔を上げる。


「さて、私が何者なのかについてですが、それはこの場において関係はありません」


「なっ」


「それよりも、あなたはそちらの方と共にこの場を退きなさい」


「あなたに命ぜられる理由はないが」


 ばちと交差する両者の視線。

 ひりつくような空気の中で、突如として地鳴りが響いた。

 瑠璃の瞳に焦ったような色が滲んだ。


「ついに聞こえ始めましたか……」


 ニニが身をすくませ、エルザの服を掴む。


「えるざぁ……」


「大丈夫ですよ、ニニ様」


 エルザがニニを腕に抱き、大丈夫、大丈夫と彼女に言い聞かせるように繰り返す中で、エルザは視線だけを走らせて周囲を探る。

 継続的というよりは、断続的に聞こえる地鳴り。

 それは一体何処からだろうか。

 聴覚を研ぎ澄まし、その音の方角を探す。そして――。


「あそこか」


 がばりと振り返った。

 そこに在ったのは、光を透かす水晶の華。

 その深部は紅の色を残していて、水晶の組織なのだろうか、時折きらめきがある。

 綺麗だと見惚れるべきなのだろうが、その色合いに不気味さと恐れを覚える。

 知らず身震いし、エルザは幼子を一瞥した。


「あなたがこの場を退けというのは、あの水晶のことか」


「あれは水晶ではありません。魔水晶です。それも濃密度な」


 つい、と。幼子の視線が魔水晶へと投じられる。


「私は魔の巡りを保つ者として、あれを片さなければなりません」


 だから、と。

 言を繋ぎ、幼子はエルザを再度見やった。


「今の私では力を加減出来ませんから、この辺り一体が吹き飛ぶ可能性も否めません」


 そう言った幼子は、具合の確認をするため視線を手元に落とし、残る片手を握りったり開いたりを繰り返す。

 一方でエルザの方は瞠目していた。

 今、目の前の幼子はなんといったか。

 この辺り一体が吹き飛ぶ――?

 無意識に、腕の中のニニをきゅっと抱え込んだ。

 強張りを感じさせるエルザと、緊張がただよう空気に、ニニはただ息を潜ませることしか出来なかった。


「……吹き飛ぶとはまさか、屋敷ごと、ということか……?」


 呆然と問うエルザに、手元に視線を落としていた幼子が顔を上げる。

 眼尻が心なしか下がっているようにも見えた。


「ごめんなさい。あなた達が困ることも承知しているのです。ですが――」


 エルザに向けられた瑠璃の瞳。

 そこに謝の色が揺らぐ。


「既にもう、人側へ配慮できる範囲は超えているのです」


「は……?」


「力をぶつけなければ、あれは片せないということです」


 ぐっと幼子が小さな拳を握り込んだ。

 瑠璃の瞳は悔しげに伏せられる。


「同胞を取り込んだあれは、残された同胞を糧に拡大しようとしている」


 先程から、幼子はどこまでの範囲のことを言っているのか。

 エルザが困惑に揺らいだときだった。


「――それはちょっとばかしお待ちいただこうかねぇ、王よ」


 老狼が降り立った。

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