どっちかがぐらついたら


 ほろ苦く笑ったシシィを、ティアは複雑な気持ちで見やる。

 そんなことはないと思うんだけど。

 こぼれそうになった言葉は、寸前でむぐと飲み込んだ。

 口にしたところできっと、終わりのない言葉のやり取りになるだけだ。

 そう思うと、なんだか少しだけ笑えてくる。

 ティアがくすと小さく笑うと、シシィが目を丸くした。

 そして、彼もまた何かが可笑しかったようで、釣られたように小さく笑いだす。


『ないものねだりしてるみたいだね』


『そうね。だから、私達は一緒に居るのかも』


 ティアのこぼした言葉に、シシィはぴたりと動きを止めた。

 それに気付いたティアが訝しげに彼を見上げる。


『シシィ?』


『あ、ううん。なんでもない。なんでもないけど、ただ――ただ、そういうのはなんか、くすぐったいなと思っただけ』


 そう言うと彼は、照れくさそうにほんのりと笑った。


『どっちかがぐらついたら、どっちかが支えればいいんだよ。だって、僕達は番なんだからさ』


 はにかむ彼に、ティアは言葉が継げなくなった。

 つがい、と。声もなくその言葉を呟く。

 その言葉には熱が灯っており、口だけを動かして呟くだけでも、頬に熱が集まるのを感じる。

 なんてすごい言葉なのだろう。照れが先立ち、困ってしまう。

 だが、それが嫌でもなく――むしろ心地よさを覚えてしまうのがまた、やっかいだった。




   *




 和やかな空気は、唐突に終わりを迎えた。

 変化は揺らぎの一瞬。

 ふわりと宙から舞い降りた彼女は、左右に束ねた髪を揺らしながら地に足を付けた。

 突然の降り立ちに、シシィとティアは同時に身体を硬直させる。

 瑠璃の双眸がそんなふたりへ向けられた。


『空気を壊してしまってごめんなさい』


 彼女――ヴィヴィは、両手を後手に回しながら苦笑を浮かべた。

 ヴィヴィの醸し出す柔らかな雰囲気に、ぎこちなさと気まずさで固くなっていたシシィとティアからは、ほっと気の抜けた息がもれる。

 ちらりと互いを見やり、緩く笑い合う。

 が、空気が緩んだのはこの一瞬までだった。


『――早急で申し訳ありませんが、精霊達を連れてこの場を離れなさい』


 緩んでいた空気が引き締まった。

 瑠璃の瞳が身を寄せ合う光の粒達を一瞥すると、彼らはすくみ上がり、より身を寄せ合う。

 そこから逸らされると、瑠璃の瞳は遠目に見える魔水晶を見上げた。

 その瞳が何かを堪えるように細められ、揺らぐ。


『私は魔水晶を片さなければなりません。この身体では、どこまで周囲へ気を配れるのかも判然としませんから……』


 そう言うと、ヴィヴィは後手に回していた手をそっと前へ出す。

 片方は既に失われ、先のない腕。

 シシィとティアは息を飲み、細い息が気道を通って喉が鳴った。

 シシィに至っては、碧の瞳を見開いて口を震わせる。


『……はは、うえ』


 発した声は震え、速くなりかける呼吸が動揺を大きくする。

 シシィは思わず手を伸ばした。が、その手は虚しく空を切る。

 透けているだけでもなく、本当にそこに無いのだ。

 伸ばした手が震えていた。それに気付けば、より震えは大きくなって。

 震えは動揺を呼び――それはやがて、恐さへと変様する。

 だから、これ以上震えないようにと、その手を胸の前で握り込んだ。

 なのに、震えはおさまらない。指先が冷たい。

 その上から、もう片方の手で握り込もんでも、震えは止まらなかった。

 視界が滲んで堪らず瞑れば、目尻に熱いものが溜まる。

 もしかしたら、母は――。

 そう思えば思ってしまうほど、次第に呼吸は速く浅くなり、思考から色が抜けていく。

 もう、何も考えられない――喘ぐように息を継いだとき。


『――ィっ! シシィっ!』


 激しく肩を揺すぶられ、はっとして相手を見やった。


『……ル、ゥ――?』


 呆然とティアを見、愛称を口にする。

 ティアは目に見えて安堵の色を浮かべていて、彷徨うように視線を動かせば、目の合った母もほっと表情を緩ませたのがわかった。

 もしかして、何度も呼ばれていたのだろうか。

 シシィは碧の瞳を瞬かせ、繕うように曖昧に笑う。


『ごめん。ぼおとしてた』


 はははと笑った声は乾いていて、空を滑った。

 それがより、ティアとヴィヴィの表情を痛くする。

 とっ、と腰に軽い衝撃。


『ははうえ……?』


 シシィが視線を落とすと、ヴィヴィの小さな身体が彼の腰に抱きついていた。

 彼に埋められていた顔が上向く。


『母上の言葉が足りませんでしたね』


 申し訳無さそうに揺れる瑠璃の瞳。

 幼い風貌なのに、その瞳に母としてのぬくもりが垣間見えた。

 それはつきんとシシィの鼻奥を刺激するのには十分で、彼は碧の瞳を潤ませる。

 口を引き結び、シシィは頑張って堪えてみせたが、下を向く姿勢ゆえか、堪えきれずに涙となってヴィヴィの頬に落ちた。


『はは、うえは……いなく、なっちゃうの……?』


 ぐずぐずに顔を崩し、涙声になって母へと問う。

 そんな己が子を見上げ、ヴィヴィは表情を、目元を和らげた。


『先程も言いましたが、母上の言葉が足りませんでした。大丈夫ですよ、シシィ。母上はいなくなったりしませんから、安心なさいな』


 ヴィヴィは手をシシィへ伸ばそうとして、その腕がないことを思い出し、彼の背に回していた手を伸ばす。

 が、足りない身長がその手を阻む。

 本当は頭を撫でてやりたい。頬を撫でてやりたい。子に触れたかった。

 それが叶わず、ヴィヴィの顔が微かに悔しげに歪む。

 けれども、そんな小さな母の手をシシィがとった。

 膝を曲げ、目線をヴィヴィと合わせる。


『本当……? 母上』


 少し立ち直ったようで、涙声だったそれは芯を持っていた。

 掴んだヴィヴィの手を、シシィは自身の頬へ持って触れる。

 その手に頬ずる様は、存在を確かめているようでもあった。

 そして、そこでシシィは気付く。


『母上、この身体って――』


 涙で濡れる碧の瞳がきょとりと瞬いた。


『この身体は仮初めのものです。なので、本体はきちんと精霊界にありますよ』


 ヴィヴィは淡く笑むと、シシィに包まれたままの手を動かし、指の腹で彼の頬を撫ぜる。


『だから、母上はいなくなりません』


『……うん。わかる、よ。というか、気配がちょっと……違う、もんね……』


 微細だが、気配を探ればすぐにわかるくらいの違いはあった――なのに、どうして気付けなかったのか。

 早とちりして、泣き出した。なんとも言えぬ気持ちが迫り上がり、思わず口を引き結ぶ。

 ――恥ずかしい。

 安堵がたちまち、瞬時にして羞恥に置き換わった。頬が熱を持つ。

 頬を撫でていたヴィヴィの手を剥がし、勢いよくシシィは立ち上がる。


『僕達、あの子達とここを離れなきゃ』


 未だ乾いていない碧の瞳がティアを見やった。


『行こう、ちあ』


『え、あ、そうね』


 戸惑うティアを促すと、シシィはそそくさとその場を離れるように、遠巻きに彼らを見ていた下位精霊らのもとへと歩いて行ってしまう。

 ティアも彼の背を追いかけるべく足を踏み出し、ヴィヴィの横を過ぎる。

 そんな彼女をヴィヴィが呼び止めた。


『ティアさん』


『は、はい、精霊王様』


 振り返ったティアは、慌てて姿勢を正そうとする。

 だが、それをヴィヴィは首を振ることで制す。


『これは王としてではなく、あの子の母としての言葉ですから』


『は、い……?』


『あの子を――シシィを頼みますね』


 瑠璃の瞳が真摯にティアを据えた。

 一瞬、何を言われたのかわからず、琥珀色の瞳を瞬かせる。

 だが、すぐに言葉の意味を解して、ティアは息を詰まらせた。

 弾みでつんっと鼻の奥が痛んだ気がしたが、口を引き結んで誤魔化した。


『はっ、ぃ……っ!』


 声は上ずった。

 ぺこりと会釈し、ティアはヴィヴィに背を向けて駆け出す。

 やはり、つんっと鼻奥は痛かった。




   *




 下位精霊達をひとところに集め、ティアは転移術を展開し始める。

 その際に、隣に立つシシィへ手を差し出した。

 が。


『……なに、この手は』


 ふてくされた声をもらすシシィが、ティアの手と彼女の顔を交互に見比べる。


『べつに慰めはいらないよ』


 変な意地が表立つシシィは、口を尖らせてふいとそっぽを向いた。


『違うわよ。手でも繋いでないと、あなた何処かへ行っちゃうじゃない』


 ティアの呆れた息が聞こえ、シシィは口をへの字に曲げる。

 そんなことないもん、と子供じみた反論さえ、図星すぎて出来なかった。


『それに、ここの皆と一緒に転移するのだって楽じゃないの。だから、シシィも手伝うのっ』


 そう言って、ティアは無理矢理シシィの手を掴んだ。


『転移の方向は私が維持するから、この場から転移することだけに意識を傾けて』


 シシィはおずおずとティアを見やり、見上げてくる彼女の琥珀色の瞳にばつが悪そうに頷いた。

 すると、彼女の顔が柔くなる。


『どっちかがぐらついたら、どっちかが支えるんでしょ?』


 きゅっ、と。手が優しく握り込まれた。

 はっとしてシシィが碧の瞳を瞠った頃には、ティアは下位精霊達へ視線を向けていて。


『――さあ、皆も転移しやすいように、もっと近くまで来てくれると助かるわ』


 柔らかな声をかけているところだった。


『あの、ちあ――』


 シシィが彼女へ声をかけようとした、刹那――わらっと、下位精霊達が一斉にティアやシシィに貼り付く。


『……いや、これは近すぎ』


 思わずもらした声は誰のものか。

 淡く明滅を繰り返す光の粒はどこか楽しげだ。

 全身にそんな彼らを貼り付けながら、ティアとシシィはその場から転移した。




   *




 精霊らを見送り、ヴィヴィは紅魔水晶を振り返った。

 瑠璃の瞳に険しさが宿る。


『事は急がないと――』


 彼女の呟きに被さるように、微かに地鳴りが響き始める。


『……抑え込んでみたけれど、やっぱり長くは持ちそうもないわ』


 それは、魔水晶が己を拡大しようと、再び動き始めた音だった。

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