繋ぎ紡ぐこと


 人の姿に転じるティアは、怯えて震える下位精霊達を抱き上げていきながら、自身のマナを周囲に散らし、彼らを――その魂を包み込んでいく。

 これで簡易的にだが、彼らを保護する結界の役割を果たしてくれる。


『さあ、みんなのところに行きましょ』


 腕の中の精霊らへ笑いかけてやれば、彼らの怯えの表情は薄らぎ、緩くぎこちないものながらに笑んでくれた。

 それにほっと息をつきながら、ティアは顔を上げて気を引き締める。

 保護すべき精霊達はまだ居るのだ。

 この子達は魔水晶に捕らわれていた精霊達だった。

 そこを王の手によって掬い出され、そして老狼のすべによって、絡み付いてしまった負の集まりを解かれた。

 この辺りは光の雨によって満ちていた魔力が鎮まったとはいえ、未だ不安定な状態。

 そこに魔力に対して抵抗力が落ちている精霊では、再びその身を侵されてしまう。

 だから、ティアとシシィは手分けして保護に勤めていた。


『シシィと合流しなくちゃ』


 と。地から突き出た結晶の向こうに幾つかの光の粒が見えた。

 あとで迎えに来るね。そっと胸中で告げながら、ティアは風をまとって地を蹴り上げる。

 風が彼女の身体を押し上げ、高く伸びた結晶の上へと跳ばした。




   *




 シシィが戻って来たとき、結晶の向こうへと飛び越えて行くティアの背が見えた。

 まだ残された精霊達が向こう側に居るのだろう。

 彼女の背を見送り、シシィは腕に抱いた下位精霊達をゆっくりと下ろす。

 下ろされた途端、彼に抱えられていた精霊らは、すでにこの場に保護されていた精霊らの元へと一目散に駆けていく。

 彼らは再会出来たことを喜び、手を取り合って分かち合うように身体の明滅を繰り返す様は、安堵の息をもらし合っているのかもしれない。

 その様子を遠目に見やりながら、シシィはゆると顔を綻ばせた。


『よかった。みんな嬉しそう』


『――この子達で最後かな』


 重なった声にシシィが振り向くと、腕に精霊達を抱いたティアが戻って来ていた。


『この辺りはこの子達で?』


『うん。風に確認してもらったから』


『わかった』


 ティアの腕から下ろされた精霊らは、ぴえっとぐずりながら仲間の元へと駆け出していく。


『あの子達は深くまで取り込まれてたみたい』


 シシィの隣に並び立って呟くティアの表情が曇る。


『幼い子達まで巻き込んだのはやっぱり許せないけど、それでも、私はもうおばあちゃんを敵視することは出来ないなあ』


 困ったような、やるせなさをはらんだティアの呟きに、シシィもそうだねと小さく頷き返しながら、そっと彼女の頭を引き寄せる。


『僕も同じだよ。もっと違う方法があったんじゃないかって、ずっと考えてる』


 彼へ頭を預けながら、ティアは静かに彼の言葉へ耳を傾ける。


『それで僕思ったんだ。どうすればよかったのかって考えるより、たぶん、これからどうするかを考えるべきかもって』


『これから、どうするか……?』


 ティアは思わず顔を上げた。

 小さな驚きで琥珀色の瞳が見開かれる。


『なに、その顔? 意外な答えだった?』


 少しだけ不満な色を宿した碧の瞳がティアを見下ろす。

 それに彼女はゆるゆると緩く首を振って、驚きを持った顔で見返した。


『ううん、そうじゃないわ。ただ素直に驚いただけ。私、そこまで考えられなかった』


 そう言って、ティアはシシィの胸に顔を埋める。


『シシィが先を据えて考えてて、ちょっと悔しい』


『そんなことないよ。昔からちあの方が僕よりも先を歩いてるよ』


『お世辞』


『お世辞じゃないよ』


 あやすような響きをはらんだシシィの声に、ティアは埋めた顔のまま口をへの字に歪める。

 おまけに自身の頭を優しく撫でてくれる彼の手が、ちょっぴりとだけ憎らしかった。




   *




 ヴィヴィは神経を研ぎ澄まし、意識を深く沈めていた。

 そんな彼女のまぶたが震える。

 覗いた瑠璃の瞳はひどく憂いげで。


『……ここまで、ですか』


 彼女から湧き出ていた力の奔流がぴたりと止むと、大きく煽られていた左右の束髪が大人しくなった。

 瑠璃の瞳が足元へと落ちる。

 彼女の立つそこは、魔力の華――その花弁。


『これ以上、深くは――』


 ヴィヴィの立つ魔力の華は、彼女を起点としてその色合いを変えていた。

 オドが持つ紅の色から、魔水晶本来の純度ある光を通す透き通った色へと。

 しかし、深部へいくにつれて紅の色は残ったままで、ヴィヴィの表情は曇って暗くなるばかり。


『――……』


 しばらくの間、沈黙の時が続き――やがて、彼女は静かにかぶりを振った。

 やはりその表情は暗く、瑠璃の瞳に悲しげな色を滲ませては悔しさに揺らす。

 ともすれば、責の色を宿して固くつむられた。


『……ごめんなさい。私の力不足で』


 幼い姿をした王の肩が、小さく震えていた。

 目尻にじわりと熱いものが滲んだ気がして、ヴィヴィは乱暴にぐいっと手の甲で拭い去る。

 けれども、ぽろぽろぽろぽろと熱いものが目尻から零れ落ちて、足元に、魔力の華の花弁に珠をつくっていく。


『泣いている場合じゃありませんよ、ヴィヴィ』


 己に言い聞かせる。

 だが、拭えども拭えども零れ落ちるそれ。とめどなく溢れるそれ。

 このときばかりは、片腕を失ってしまっているために、両腕で拭えないのがもどかしかった。


『――私は王としてここにあるのです。しゃんとなさい、ヴィヴィ』


 これで悔やむのは終わりだと、最後に強く拭う。


『救えなくて、ごめんなさい――』


 言葉は力なく失墜し、落っこちる。

 魔水晶の深部は紅の色を残したままで、そこは時折きらと光が瞬く。

 それは未だ掬い上げられていない光の粒――下位精霊だということに気付く者は果たして。

 深部は複雑に絡み合い、それは密を高めてより強固にしていた。

 それを解すことはできるだろう。

 だが、精霊らを掬おうとする慎重な程度では解れなく、強固な深部を解そうとなると、精霊らを壊すことになってしまう。

 精霊は壊れてしまうと、もう廻ることは出来ない――それはつまり、精霊の死を意味する。

 精霊自身、廻ることを知覚する種。ゆえに生を失うことは、実はあまり恐れないのだ。

 しかし、そんな精霊でも恐れることが一つ。

 それは壊れてしまうことだ――。

 ヴィヴィは顔を上げる。

 その目元は腫れており、彼女は残る片手で目元を覆うと、己の水の気で目元を冷やす。

 その手を下ろしたあとには彼女の目元に腫れた様子はなく、ただそこに在ったのは、王として厳格な光を宿した瑠璃の瞳だった。


『王として、この華をこのままにはできません』


 瑠璃の瞳が揺らいだのは一瞬であり、すぐに瞬きひとつで掻き消える。


『――片さなければ』


 もう、出来ることは終わった。

 なれば、あとは最後。魔力の華を残すのみ。

 魔力の巡りを保つ精霊として――その精霊を統べる王として、このまま魔水晶を放置することは出来ないのだ。

 そこに同胞が未だ取り残されたままだったとしても。




   *




 風が震え、か細く鳴く。

 シシィの方へと身を寄せたままだったティアの身体が、ぴくりと小さく跳ねた。

 彼女は預けていた頭を上げ、虚空を見上げる。


『ちあ、どうかしたの?』


 ティアの横顔を覗き込んだシシィが声をかけるも、琥珀色の瞳は虚空を見つめたまま。

 訝ったシシィはその視線を追いかけて、そこで気付く。彼女が見やっているのが虚空でないことに。

 追いかけた先。そこには魔力の華がそびえ見えていた。

 魔力の華――魔水晶の深部が時折きらりときらめいて見えるのは、月明かりを弾いているからか。

 それとも、未だ衰える気配をみせない、降り落ち続ける光の雨の反射か。

 少しだけ目を凝らしてみれば、その花弁に佇む幼子の姿をみつけた。

 見覚えのあるあの姿は。


『母上だ』


 思わずシシィが呟けば、ティアがそっと彼から身体を離して振り返る。


『――ねぇ、シシィ』


 振り返った琥珀色の瞳が、シシィを見上げて震えた。

 その瞳は、今にも泣き出しそうだった。


『これからのことを考えたとき、何かを手放すことが必要だとしたら、それを是とすることは出来る……?』


『……?』


 影を帯びた問いに、碧の瞳が不安に瞬く。

 ふいに風がティアの背後から吹き抜けた。

 彼らの周りで、もう一度会えたことに歓喜していた光の粒達が、突として吹き抜けた風に竦み上がり、身を寄せ合い始める。

 そんな光の粒達を見やりながら、シシィは困惑げにティアを見返した。


『どういう意味?』


『風が教えてくれたの。精霊王様が何をお決めになられたのか』


『決めたって、母上は何を決めたの?』


 眉を寄せ、視線をティアの後方――花弁に佇む幼子の姿を見やる。

 ここからでは距離があって母の様子は窺えない。

 それでも、母の視線が足元に落とされているのは窺えた。

 母は一体何を見ているのか――そこでシシィは気付いてしまった。

 彼の眼は、きちんと“それ”を“それ”として映す。


『……あの、魔水晶の深いところのきらめきって――』


 ――精霊達、なの……?

 最後は衝撃のあまりに言葉にはならなかった。

 だが、それと同時にシシィは、先程のティアの言葉の意味を正しく理解する。

 そしてまた、衝撃から抜け出てしまえば、その問いに対する答えもすぐに出た。


『母上があの魔水晶をどうするのかはわからないけど、でも、そのために同胞を手放すと決めたんだ。なら……そういうことなら、僕もそれを是とすると思う』


 シシィは静かにティアを見返した。

 その揺らぎのない碧の瞳を前に、ティアは逆に琥珀色の瞳を伏せてしまう。


『ちあは、納得いかない?』


 シシィの声音は柔く、責めるような声ではなかった。

 だから、ティアも身構えることなく素直に答える。


『私達は精霊だもの。魔力を鎮めることを課せられた存在なら、それを乱す存在は排除しなくちゃいけない』


『それが精霊という存在だからね』


『だから、私の立場で軽々しく言えないわ。他にも方法があるはずだよ、なんて理想論』


 ティアは風を通じて知ってしまったから。

 王の慟哭を。

 想いを抱えながらも、それを表に出すことなく立つ王の前で、もはやそれは意味を成さない――むしろ、王に対して失礼なこと。

 それは、王自身の強さでもあるのだから。

 そしてまた、それに似た強さをシシィも持っている。

 ティアがゆっくりと彼を見上げた。


『……私も、そんな強さ持てるかな』


『ちあにもあるよ、強さは』


『……ここでお世辞はいらない』


『だから、お世辞じゃないってば』


 ぷいっと顔を背けるティアに、シシィが呆れたように息をつく。


『ちあは駄々をこねないじゃん』


 軽く肩をすくめた彼を、ティアはじとりとめつけた。

 そんな聞き分けのない子供時分は終えているのだから、当たり前だ。

 ますます彼女の顔が不機嫌で染まる。


『私、そんな子供じゃないもん』


『駄々をこねないっていうのは、そういうことじゃないよ』


『じゃあ、どーいうことよ』


『ちあ、言ってたじゃん。理想論は言えないって。それって、母上を尊重してくれてるってことでしょ?』


 シシィの言葉に、ティアは琥珀色の瞳を小さく瞠った。


『それがちあの強さだって、僕は思うよ』


 だが、すぐに琥珀色の瞳は揺らぎを見せる。


『でも私、そう言いながら、他に方法なかったのかなって、みっともなくずっと思ってる』


『うん。それも大事な事じゃないかな。それが次に繋がるかもしれない。僕は他に方法なかったのかなって思えなかった。心は痛むけど、仕方ないことだって、そこで終わりにしてた』


 そう言ったシシィは、ほろ苦く笑った。

 ほら。やはり彼女は、いつも自分の先を歩いている。

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