閑話 想うその先を
刹那的に熱せられたそれが、ロンドの中で瞬間的に弾けた。
「……は? ニニがいない?」
思わずもれた声に、知らせに来た従僕は身を縮こまらせる。
声が低くなってしまったとロンドはぼそをかむも、取り繕っている余裕はなかった。
「ニニがいないとはどういうことだ。おばば様はどうされている?」
「そう仰られましても、お嬢様のお姿が見られないのは事実で、おばば様のお姿がどこにも見受けられないのも事実です」
凄みを見せるロンドに、従僕は瞳に怯えを浮かべながらも悠然と立つ。
「お嬢様を探せと命ぜられ、探した結果を報告しているまでですが?」
「……確かにそうだ」
従僕は何も間違った行動はしていない。
だから、苛立ちをぶつけるのは筋違いだ。
舌打ちしそうだったそれを、ロンドはなんとか飲み込んだ。
「――わかった。お前は下がって騎士隊の手伝いを」
従僕は短く応えを返し、一礼してその場を下がる。
炊き出しを行っている騎士隊の部隊へと歩いていく背を見送り、ロンドはほおと細い息を吐き出して空を見上げた。
星を抱く夜の空、雲は流れて晴れが広がる。
なのに、その空から降り落ちる光の雨は降り止む気配がない。
手の平を空へ向けてかざせば、雫が手の平を打ち、あたたかな韻を残して燐光を散らす。
これは雨ではない。だが、それが何かをロンドは知らないし、今の彼にそれを知る術はない。
背後の喧騒を振り返る。
ちょうど炊き出しが配膳され始めた頃合いだったようで、領民らが顔を綻ばせる様子が、少し離れた場にいるロンドにも窺えた。
領民へと食の盛られた碗を手渡す隊の中にロンドの従僕の姿もあった。
皿を受け取った領民の綻んだ顔に、従僕は笑みを向ける。
領民もゆるりと一息つけた様子で、受け取った碗を大切そうに抱え、天幕の方へと引き返して行く。
明かりの灯る天幕内に影が見える。
そう、あの領民は式を近頃上げる予定だと、嬉しそうに話していたのを覚えている。その際にはぜひ領主様もご一緒にと、こっそり招待を受けたのだ。
先程の領民の顔は綻んでいたが、それでも疲労の色は濃く残っていた。
「……」
ロンドの胸中に苦くどろりとしたものが凝る。
「……悔やんではいない。だけど――っ」
これ以上何かを口にしてしまう前に、ロンドは口を引き結び噛む。
そう、悔やんではいない。後悔してはいけない。やると決めたのだから、それを最後まで貫き通せ。
握り込んだ手の平に、爪が突き刺ささった。
「ニニ、お前は今どこにいる……?」
そう呟いたロンドは、今は遠く小さく見える屋敷を見上げた。
屋敷の使用人らを避難させたロンドは、彼らと共に領都の外れまで退避した。
一度領都外に出てしまったロンドは、今はもうあれに阻まれ、彼が戻る事は適わない。
領都は精霊により、大きな結界に囲われてしまっているから。
◇ ◆ ◇
『すーさまぁー! 領民さんたちの総出の確認ができましたぁー!』
元気いっぱいな叫び声に、精霊灯の上に佇むスイレンは顔を上げる。
視線を遠くへ投げれば、こちらへ向かって声を張り上げ、両の手を全力で振るミナモの姿があった。
『お屋敷もぉー! 関係するお方以外の総出は確認済みですぅー!』
声を張り上げ終えると、ミナモはくるりと背を向けて飛び立っていく。
降り落ちる光の雨が、彼女の蝶の翅に弾かれて光を散らした。
彼女が向かうのは、次のために待機するシマキとスフレの元。
スイレンは佇む精霊灯の頂きを静かに蹴り上げた。
ふわりと彼の身体はしばらく宙を舞い、やがてゆっくりと下降していく。
町の敷かれた通りへと足が着したとき、靴音の代わりに水音が響いた。
刹那。そこを起点に水の膜が展開する。
それは広がりを見せ、あっという間に領都である町を覆ってしまう。
光の雨が水の膜をすり抜けていく。
その度に膜は揺蕩い、水音が鳴り響く。
スイレンが夜の空を仰いだ。
星瞬く空を背に、二羽の鳥が旋回していた。
ミナモの合図に、待機していた二羽は互いに頷き合うと、空へと舞い上がった。
その瞬、町に水の膜が展開する。
二羽は膜の頂にまで高度を上げると、そこで二手に分かれ、膜の頂を基点に旋回を始めた。
風が唸る。
二羽の動きに引き寄せられた風が渦を描き始めると、シマキとスフレは同時に風の層を成形し始めた。
風が揺蕩う水の膜を支えるように展開される。
こうして、領都を囲う強固な結界が、精霊の手によって織り成された。
*
上空を旋回するシマキとスフレの姿を認め、スイレンはほっと息を吐き出した。
二羽が旋回を続けるのは、この大きな結界を維持するため。
水の膜では揺らぎが生じてしまうところを、風によって結界としてのカタチを維持しているのだ。
『シマキさん達には負担を強いることになるが――』
こつこつ、スイレンが敷かれた通りを歩くと靴音が響く。
そこから発せられる燐光は、彼から漏れ出てたマナが光の雨――祈り――をまとったそれ。
そのマナを、何処からともなく現れる蝶の姿をした眷属らが受け取り、また何処かへと飛び去っていく。
仄かな光を帯びた翅は、羽ばたく度に燐粉の如く光を振り撒き、軌跡を残す。
それをちらりと横目で確認しながら、スイレンは町中を渡り歩いていく。
魔力濃度の高まっていた町は、その大半を光の雨によって鎮められた。
だが、やはり魔力の凝った場は残されるもの。
『最後の仕上げといこうか』
こつこつと靴音を響かせながら、スイレンは夜に沈む町奥へと踏み出していく。
だが、彼から漏れるマナに惹き寄せられた蝶が追従し、蝶らが振り撒く光の燐粉が、彼の姿を夜から淡く浮かび上がらせていた。
その横顔がふいに遠くを見やった。
夜の暗がりの中、空の瞳が揺らぐ。
視線を追いかければ、幾つもの魔力の華を咲かす屋敷が覗える。
目元に険を宿し、スイレンは目を細めた。
『……ヴィー』
幼い姿をした王にして最愛の姿が脳裏を過ぎていく。
険しかった目元がふいに和らぐ。それは切な色を滲ませて。
『……やっぱり、想うだけっていうのも歯痒いとこあるよなあ』
皮肉げな吐息をこぼし、スイレンはいつの間にか止めていた歩みを再開させた。
改めて身を引き締める。
『――俺は俺に集中。じゃないと、あとでヴィーに怒られちゃう』
息を吐くように、緩い笑みがスイレンの顔に浮かんだ。
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