担い手


「――……お嬢様?」


 曖昧な思考を、上から落ちる声が揺さぶる。

 手の中に収まる種の存在を強く感じながら、ニニはゆっくりと視線を持ち上げた。

 朧な視界が、次第に輪郭を持ち始め、ニニは瞳を瞬かせる。


「……える、ざ……?」


 光の雨が降り落ちる夜空を背に見下ろす顔があった。

 視界に認めたその人物の名を口すれば、彼女はほっと安堵の息をもらした。


「お気づきになられて良かった。あまりエルザに心配をさせないでください。生きた心地がしません」


「それは、ごめんなさい……?」


 困惑するニニへエルザの手が伸び、彼女の頬に額に張り付く髪を指で梳き退ける。

 落ちる眼差しに痛みがはらんだ。


「こんなにお汚れになられて……」


 労るように頬を手の平で撫でられ、ニニはくすぐったさから目を細めた。

 そこでようやくニニは、自身がエルザの膝に頭を乗せた体勢で寝かされているのだと気付く。


「ど、して……えるざが……?」


「お嬢様の探しものを探しに地下へと忍んだ際、困り事を大精霊のシルフ様が助けてくださり、エルザはここまで辿り着くことが出来ました」


 だいせいれい。しるふ。

 聞き慣れない言葉に疑問符が過るも、その符号を追いかけるまでにニニの思考は未だはっきりとはしていなかった。


「あれ……? にに、なんで……」


「覚えておられませんか? お嬢様は一人でここに向かい、お倒れになられたとおばば様からは伺いましたが……」


 エルザは微かに眉をひそめる。

 そこには幾ばくかの困惑、混乱が滲んでいた。


「にには……にに、は……」


 ニニの意識もだんだんと鮮明になり始め、次第にこれまでのことを思い出していく。

 そうだ。呼ばれている気がして、行かなくちゃいけない気がして、ニニは一人でここまで来たのだった。

 けれども、その途中から記憶は曖昧になっていて――瞬、ニニの瞳が震えた。

 かたかたと小さく震え始めたニニの身体に、彼女の手の平に収まっていた種が転がり落ちる。


「える、ざ」


「お嬢様、どうされましたか」


 ニニの異変に気付いたエルザが、咄嗟にニニを抱き上げる。

 包むように抱き、震える小さな背を撫でる。


「大丈夫です、お嬢様。今はこのエルザが傍に居ますから」


 ニニは瞳を潤ませると、すがるようにエルザの胸に顔を埋め、小さな手が彼女の服を握り込んだ。


「にに……おもい、だした……。にに、ににじゃないのに、なりそうで……でも、ちいさなこが、たすけてくれて……」


 拙く伝える幼い主の言葉に、エルザの腕に力が籠もった。

 胸がきりりと強く軋むのは、己の不甲斐なさだ。


「申し訳ありません、お嬢様。エルザがもたついていたから、このような――」


「いいの。えるざはいま、ここにいてくれてるからいいの」


 腕の中、エルザの幼き主は、首を懸命に振って彼女の言を遮る。


「……こわかったけど、ににが、ににがきめたことだもん。いいの」


 そう言って、ニニはさらにエルザの胸へ顔を埋め、額をすりと押し付けた。

 くぐもったニニの声は、エルザにも強がった声だとわかるものだったけれども、それでも涙で濡れた気配がないのは、彼女の強さだ。

 その証拠に――。


「――だからね、えるざ」


 エルザの胸から顔を上げたニニの表情に、涙はなかった。

 やはりな。エルザの口端に仄かに笑みがのる。

 土や埃、涙に血らしき汚れも覗える顔だけれども、そこに在るのはエルザの主としての顔だった。


「あるじとしてめいじるわ」


「はい。なんでしょうか、ニニ様」


 真摯な眼差しで応えると、ニニは口を引き結んで命ずる。


「ににね、かんがえないといけないの。だから、えるざもてつだって」


「はい。仰せのままに」




   *




 エルザに下ろされたニニは、手の平に収まっていた種がないことに気付き、すぐに顔を青くして探し始める。

 大切に扱わなければならないものなのに、いつの間に手から転げ落ちてしまったのか。

 付近をきょろきょろと見回す。

 すると、まさぐっていた指先にこつんと何が触れた。

 反射的に掴もうとして、だが、掴みかけたところで、するりとそれは指をすり抜ける。


「え?」


 ニニが目を丸くしてそちらへ顔を向ければ。


『え?』


 同じように目を丸くしたリスが居た。





『ミント、大樹さんの種さんを探してたの。ちょっと気を抜いたら、種さんいなくなっちゃってたから』


 そう言ったリスは、エルザの膝上で大樹の種をぎゅっと全身で抱え込んだ。

 それはまるで守るようにも見えて、ニニはそっと指先を伸ばしてみた。

 彼女の指先が触れる寸前、さり気なくではあったけれども、リスが自身の尾でそれを阻む。

 指先を払われたわけではない。けれども、種を庇うように尾をくるりと巻く。


『大樹さんの種さんは、ミントに託された大切なものなの。とっても美味しそうで美味しかったお菓子の恩はあるけど、ミント、デキルオンナだから種さん守らなきゃいけないの』


 確かたる意志を秘めたリスの瞳が、真っ直ぐにニニを見上げる。

 ニニに種を触れさせる気はないらしい。

 困ったようにニニはエルザを見上げる。


「……えるざ、せいれいさまのことばは――」


「申し訳ありません……」


 すでにわかっていることを訊かずにはいられなかったが、目尻を下げるエルザに訊くんじゃなかったと後悔した。

 しょんぼりと肩を落とし、ニニはもう一度リスを見下ろす。

 エルザも、足を折りたたんで座った膝上のリスの精霊を見やった。

 物言いたげな二者の視線に、リスも戸惑いを覚えたのか、種に巻いた尾がゆらりと揺れる。


『そ、そんな目で見てもだめなの』


 揺らぐ気持ちを隠すように種を抱き込む。

 互いに言葉は通じず、沈黙だけが横たわった。

 その間も夜空からは絶えず光の雨が降り落ち続け、雫が肌を打つ度、燐光を散らしてくうへと溶ける。

 そういえば、この光の雨はなんなのだろうかとニニが疑問を持ち始めた頃――変化は不意に訪れた。


『――……』


 リスの抱える種に光の雨の一雫が落ちた。

 弾けて燐光を散らし、リスがふるりと身を震わせる。


『――担い手……?』


 何事かを呟き、何かへ耳を傾けているかのようなリスの仕草に、ニニとエルザは不思議そうな顔で互いを見合う。

 ややして、何事かを聞いたらしいリスが、エルザの膝上からぴょんこと降りた。

 そして、種を抱えたままニニの傍まで歩み寄ると。


『あなた、担い手なの? 大樹さんの種さんが、あなたを選んだって言ってるの』


 彼女を見上げ、首を傾げる。

 だが。


「……えるざ、どうしよぉ」


 ニニは助けを求めてエルザを見やる。

 その瞳には窮した色が濃く揺らいでいたが、エルザだってこの状況に窮している。

 エルザも眉を下げ、申し訳ありませんと苦々しく言葉を落とした。


「こちらの精霊様には、おばば様がお戻りになられるまでお待ちいただきましょう」


 エルザに提示できるものといえば、保留する、ということだけだ。


「あ、そうだ。おばばさまがいない」


 一方のニニは、エルザの提示から老狼の存在を思い出し、辺りを見回す。

 意識を失う前に老狼にすがって泣いたのを覚えている。

 しかし、目覚めた今、その老狼の姿がない。

 少しばかり心許ない感覚がして、心がきゅっと縮こまった。


「おばば様ならば、やるべきことがあるとニニ様の傍を離れられましたよ。私が居るのならば、ニニ様を任せられると仰られて」


 ついっ、と。エルザの視線が遠くへ投じられる。

 ニニもその視線を追いかけると、遠目に鮮やかに咲く紅の華が見え、知らず身体が強張り震えた。

 だが、すぐにニニの瞳は老狼をみつけ、強張った身体からは、ほおと緩い息が吐き出される。

 老狼は瞑目し、何かに集中しているようだった。

 何をしているのかニニの目には映らないが、紅の華の周囲を揺蕩う光の粒がふるりと小さく震えかと思えば、燐光を散らして飛び上がるのが見えた。

 光の粒が飛び上がる様は、途端に元気を取り戻したかのようにも見えて、何が起きているのだろうかと、知らぬゆえの不安を抱く胸を抑えた。


「おばば、さま……」


 そして、よろりとよろめいては、その度にしかと踏ん張る老狼の姿を見てしまい、言い知れない不安に胸の内が冷たく吹き荒ぶ。


「それで、おばば様のお邪魔にならぬようにと、ニニ様をこちらへ運ばせていただいたのですが……――ニニ様? どうかなさいましたか?」


 エルザの声にニニははっとして、慌てて頭を振った。


「ううんっ、なんでもないっ」


「そう、ですか……?」


 ニニの返しに疑念を抱いたのか、エルザがじいとニニをみつめる。

 奥底を見通そうとするような瞳で、居心地の悪さを感じたニニが身じろぐが、それでも彼女は隠し通すように笑みを浮かべた。

 やがて、エルザが嘆息をひとつ落とす。


「――今はそういうことにしておきましょう」


 よかった。うまく隠し通せたようだ。

 ニニはほっとして、浮かべた笑みが少しばかり緩んだ。

 その様子をエルザはちらりと見やり、含みのある息をもう一度もらした。


「それでニニ様。こちらの精霊様はどう対応致しましょうか。またお菓子で足を止めていただきますか?」


 エルザの視線が落ちる。

 リスは変わらずニニを見上げたままであり、彼女の応えを待っているようにも思えた。

 だが、如何せんその問いがわからない。

 足を止めて――餌付けとも言う――いただくべく、菓子が必要だろうかと、エルザが懐をまさぐろうとした時。


「おかしはひつようないよ、えるざ」


 声に顔を上げる。

 ニニは真っ直ぐにリスを見据えていた。


「ゆめ、みたいなところでね、おいらさんがいってたの。にには、にないてなんだって」


「担い手?」


 おいらさん、も誰の事かと訊ねたかったが、それよりもエルザが気になったのはその単語だった。

 ニニは静かに首肯する。


「うん。ににはにないてで、えらばれたんだって。だから、どーするのかはににがえらばなくちゃいけないの」


 彼女が選ぶべく瞬は、すぐ近くに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る