絡む想いを紐解いて
「……王の身体が――」
光の雨が降りしきる中、驚きをはらんだ老狼の声がぽとりと落ちる。
ヴィヴィの身体――器――に走る亀裂に雨が触れる度、その雫は砕け、そして亀裂を覆っていく。
少しずつ修復をされていくその様に、ヴィヴィは僅かに息を震わす。
「――……この祈りの雨、僅かに私の力を帯びている――?」
雨の気を探っているうち、慣れ親しむ気配を感じ取り、はっと瑠璃の瞳を見開いた。
「この気は、シシィの……?」
天を仰ぎ、仄かな柔い笑みが口の端にのった。
「シシィ、本当に大きくなりましたね。まさか、私の気を利用するだなんて」
湧き上がる想いは、子の成長を喜ぶ親のそれか。
そして、雨を包むような気配をひとつまとっていた。
これは、ティアの気配だ。
彼女が幼かった頃に比べ、その気配は色濃いものとなっていた。
なるほど。ティアの風によって雨の範囲を広げているのだろう。
肌をぴりぴりと刺していた魔力が、すっかりと鎮められている。
あれ程にこの場を満たしていたというのに。
しばらく見ないうちに、随分と精霊の子らは成長していたようだ。
それは嬉しくもあり、同時にさみしくもある。
そんな複雑な気持ちに苦笑しながら、努めて深呼吸をした。
欠如した中を巡る気を吐き出し、新たな新鮮な気を取り入れ、器を巡らせる。
すると、崩れかけていたヴィヴィの足が修復されていく。
さながら、かさぶたの様で。崩れかけていた箇所を繋ぐようにして光が覆っていく。
頬に走っていた亀裂も、雨が打ち付けて砕けたそれが覆って修復していく。
しかし。
「……やはり、既に失っている箇所は無理ですか」
肘から先のない己の片腕を見つめ、ヴィヴィは軽くため息をこぼす。
だが、すぐに生気の増した瑠璃の瞳が魔水晶の華を見上げた。
「でも、この程度の損傷ならば支障はありません」
不敵に笑い、老狼を振り向く。
「――私は華の対処を負います。老狼殿はその子と後のことを」
「心得ているよ、王。ニニと、この場の後のことは任せて欲しい。それよりも、老いぼれの後始末をさせてすまないねぇ。あたしが言えることでないのは解ってるけど」
老狼の目尻が僅かに下がった。
彼女に抱えられたニニは、泣き疲れたせいか消耗していたせいか、今はすうすうと安心しきった顔で眠っている。
ヴィヴィはそんな幼子を見下ろしながら、いいえ、と緩く首を振った。
「これは精霊王の責でもありますから」
瑠璃の瞳に力強い光が宿る。
「ですから、華の対処は私にお任せを。その代わりではありませんが、私ではこの場の
ですから、と。瑠璃の瞳が老狼を一瞥した。
「老狼殿には無理をさせてしまうかもしれませんが……」
それを受け、老狼はしかとひとつ頷く。
「それくらいなら、この老いぼれも力添えが出来るさ」
*
幼き姿を持つ精霊王は、転移で華の花弁へと舞い降りる。
崩壊し、ぽっかりと空いた屋根から覗く空は、いつの間にか夜へと塗り変わっていた。
そこに掛かる雲からは、絶え間なく光の雨が降り落ちる。
ぽろん。ぽろろん。ぽろん――祈りの音が響く。
精霊王の立つ華へ光の雨が落ちる度、光の雨粒は打ち砕け、燐光を散らす。
華――紅魔水晶からは紅の光が登り始め、花弁に立つ精霊王の髪が揺蕩う。
「――絡む想いの糸を、解いていきましょう」
すうと息を吸い、瑠璃の瞳を閉じる。
ふっ、と精霊王がその息を吐いた時、彼女が立つ華に、水面の波紋のような光のそれが広がった。
ぽろん、ぽろろん。ぽろん。祈りの音が木霊する中、祈りへと転じる光の雨が魔水晶の華を浄化していく。
それは少しずつ、少しずつ。
光の雨粒は弾け、散る燐光が魔水晶から立ち昇る紅の光を空へと還していく。
精霊王の髪が、彼女から迸る力の奔流で浮かびたなびき――瑠璃の瞳が開かれた。
「さあ、おいで」
精霊王が残る片腕を上げる。
細い指先が天を向き、そこに光の雨が落ちたかと思えば、燐光をまとって指先が下ろされた。
つぅー、と花弁の表面をなぞると、ぽろん、と音が零れる。
そして、彼女は掬い上げた。それは光の粒――下位精霊だった。
掬い上げられた精霊はしばらくそのままだったが、ややして、呼吸の仕方を思い出したかのように、ぷはっと息を吐き出した。
ふるりと身を震わせると、ふわりと慎重に精霊王の指先から離れていく。
暫しその場で揺蕩って調子を取り戻したのか、一度精霊王の周りを一巡する。
そして、精霊王の耳元で何事かをささやき、彼女がひとつ頷けば、精霊は空から降り注ぐ光の雨――祈りをまとって、何処かへと飛び去っていく。
それはより、この場を満たす魔力を鎮めるため。より深く、浄化するため。
そして、精霊王はまたひとつ、光の粒を救い上げた。
◇ ◆ ◇
疲労からの呼吸が落ち着いてきた頃。
ひとつの風がティアの頬を撫でた。
刹那。彼女の背筋に、ぞくりと言い知れないそれが這い上った。
反射的に己の腕を掻き抱き、弾かれたように後ろを振り返る。
夜へと塗り替えられた空を仰ぎ、魔力の鎮まった静かな町並みを見下ろした。
しかし、姿を見出すことは出来ず、絶えず光の雨が降り落ちるだけの光景に、ティアは顔色を悪くさせる。
『……来る。なんで』
口を引き結び、ぐっと強く噛む。
そんな彼女の異変に、隣に座するシシィが気付かぬはずもなくて。
『……ルゥ、何が来るの?』
低く問いながら、瞬時に腰を浮かしてティアの傍へとにじり寄る。
彼女を護れる体勢を取りながら、彼もまた、視線をあちらこちらに走らせた。
今ところ影らしきものは視認出来ないが、風から何かを得たらしいティアの慌てぶりと怯えから、気を緩めることは出来ない。
何が来るというのか。シシィの頬に汗が伝う。
ひゅうと細い夜風が吹き抜けた。
瞬、周囲の空気が僅かに色を変えた。
シシィに緊張が走る。忙しなく視線を動かし、周囲への警戒を強める。
『――シシィ』
ふいに、そんな彼の腕をティアが掴んだ。まるですがるように。
『……シシィ』
すがる彼女の声に、彼は堪らなく振り返る。
『大丈夫だよ、ルゥ。僕も傍に居るし、いざとなれば父上のとこに逃げよう――』
だから、大丈夫だよ。と、再度言葉を続けようとして――風がシシィの言葉を遮った。
吹き抜ける風を振り返って夜空を仰いだ。
緊張などいざ知らず、星が呑気に瞬く。
今度は何をティアへ届けたのだろうか。
碧の瞳に緊張と険がはらんだ。
だが。
『げぇっ!! 本当に来るっ!!』
突としてティアが大きな声を上げた。
シシィが慌てて振り返れば、彼女はぎりっと彼を真っ直ぐ見つめて、掴む彼の腕をさらに強く掴んだ。
『……えっと、ルゥ……?』
ぱちくりを瞬く碧の瞳は、彼女のその形相があまりにも必死な様子だったから。
けれども、それは恐怖からというよりも、なんだか少しだけ毛色の違う何かな気がして、シシィは少しばかり面を喰らう。
そして。
『ママが来ちゃう。ついでにパパも来ちゃうし、どうしよう。絶対、ママに突かれる。――逃げよう、シシィ』
『………………は? 突か……?』
『じゃないと、ママに風穴あけられちゃうかも』
『………………かざ?』
ティアはぶるりと身体を震わせ、次の瞬間には、シシィには有無を言わせず転移術を発動させた。
『あ、ルゥちょっとま――』
瞬きひとつの間に、ティアとシシィの姿はその場から掻き消える。
それから数呼吸程の間ののち、淡い黄の鳥が舞い降りた。
先程までティア達がいた屋根上に舞い降りた彼女は、空から落ちる光の雨に打たれながら、辺りをぐるりと見渡す。
『あの子、いないわね』
小首を傾げ、風に問いかけた。
『ここに居るんじゃなかったの?』
風はびゅいっと短く鳴くと、砕けた雨の燐光を拐って空へと舞い上がっていく。
その軌跡を追いながら、彼女は琥珀色の瞳を胡乱なそれへと変える。
『……逃げたって、なんで』
解せないと唸った時、彼女の隣にもう一羽の淡い黄の鳥が舞い降りた。
『ねえ、シマキ聞いた? あの子、私達のことを察知して逃げたっていうのよ?』
どう思う、と彼女――スフレがシマキを振り向いたところで、当の彼は光の雨が降り落ちる夜空を睨んでいた。
『シマキ?』
『祈りの雨。何事かあったのか。スイレン様に伺えば、あるいは……』
枯れ葉色の瞳に険を宿し、シマキはひとりごちる。
そして彼は、スフレを振り返ることなく、再び夜空へと舞い上がっていった。
『……』
彼を見送ってしまったスフレは、はたと我に返ると、琥珀色の瞳にむっとした色を滲ませる。
『シマキもティアも、なんなのよ』
自分のことばかりであり、言葉にしてくれなければ少しもこちらには伝わらない。
自分はこんなにも心配しているというのに。
この地の違和は、もちろんスフレも感じていることであり、もとより抱えていた不安の想いをより色濃く深まるばかり。
そして、スフレもまた、シマキの後を追うべく翼を広げた。
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