閑話 想いの方向


 がんっ、がんっ。

 硬い物へ何かをぶつける音が、先程から幾度もしている。

 閉ざされた室内に反響し、余韻を残しては響く。


「次は俺らの番だぜ、お姉さん」


 光があまり射し込まない造りなのか、常に薄闇に包まれた室内だが、それにもとうに慣れてしまった。

 ぼんやりと浮かぶ灰色は、ともすれば薄闇に溶けてしまいそうだ。

 だが、振り返る翠の瞳は、その中で生き生きときらめいている。


「さて、グレイもお姉さんも準備をしたまえよ。出来ればこれで開いてくれることを祈りたいものだね」


 グレイの隣で、クッションが小さくため息を落とした。

 彼の土色もまた、気を抜けば見落としてしまいそうなくらいに、薄闇との境界は曖昧だ。

 だが、その彼が常にまとう気位の高さが、薄闇の中でも彼という存在を決して見失わせない。


「誰も好きこのんで身体を痛めつけたいわけでもないし、僕は身体は労ってあげたい方だからささ」


「だから、こうして交代交代で体当たりしてるんだろ」


「それはそうだが、既に何回目だい?」


「二十三回目だな」


 グレイとクッションがお姉さんを振り返る。


「まさかお姉さん、数えていたのかい?」


 幾ばくか驚きはらむ声をクッションはもらす。


「俺は二桁いったあたりからやめたけどな」


 グレイからは感心するような声がもれた。


「グレイはおつむがあれだから仕方ないさ」


「なんだか引っかかる言い方だなあ」


 小馬鹿にしたクッションの物言いだったが、グレイはさして気にしていないらしく、言葉と裏腹にからりと笑った。


「さあて、じゃあ二十四回目の体当たりいきますかっ!」


 その声を合図に、グレイとクッションは身構える。

 その後ろで、お姉さん――エルザもまた、ぐっと己に力を込めた。




   ◇   ◆   ◇




 ねっとりと絡みつくような空気を吸い、肺が拒んで堪らず咳き込む。

 ひゅうひゅう、ぜえぜえ、と。

 苦しさに喘ぐように、時に拒するようにしながら、呼吸というものをなんとか繋ぎながら、ここまでよろめく足取りで進んできた。

 額から珠のような汗がふきだし、貼り付く髪や服が煩わしい。

 堪えきれずに無意識下で壁に手をつき、刹那に這い上がる怖気にすぐに手を離す。

 怖気が余韻として残り、肌を粟立たせた。

 忌避で歪む顔が、屋敷の廊という空間を埋め尽くす紅色の魔結晶に映る。

 壁も床も天井も囲う魔結晶の紅のきらめきは、さもすれば目眩がしそうな程で、傾ぎそうになった身体は足を踏ん張ることで堪えた。


「……にには、このさきにいかなくちゃいけないの」


 己に言い聞かすと、ニニは再び足を踏み出した。

 廊を埋め尽くす魔結晶は枝葉のように先を伸ばし、大人では入り込めなそうにはないが、身体の小さなニニならば、その隙間を掻い潜れる。

 そうしてニニは、ここまで歩を進めてきた。

 頬を伝う汗を服の袖で拭いながら、ニニはまたひとつ隙間を潜る。

 なんとか呼吸というカタチを保ちながら、それでも時折咳き込みながら、息はしっかりするように努める。

 ここまでして、どうして自分はこの先を目指すのか。

 何が自分をここまで掻き立て、突き動かすのか。

 それがわからないまま、ニニはひたすらに、真摯なままに、この先を目指す。




 どれだけ足を動かしたのか。

 どのくらい奥まで進んで、あとどのくらい先があるのか。

 感覚もとうに薄れていた。

 ただひたすらに、ニニは足を動かし続ける。

 足が重いような気がするのも、気がするだけなのか、本当にそうなのか。それすらも己では判ぜられなかった。

 それだけニニの感覚が薄く、そしてまた、意識も薄くなっていた。

 廊を満たす濃い魔力のそれが、ニニの知らぬ範疇で負担を課している。

 ニニの身体を動かしているのは、もはや、この先へ行かなければ、という想いひとつ。

 そうして、廊の奥へと小さき身体は進んでいく。

 しかし、それはふいに響いた。

 がんっ、と何かを強く押す物音が静かな廊に響いた。

 ぱきとひび割れる音がし、廊を埋め尽くす魔結晶に亀裂が走る。

 外側から押された魔結晶は一部を崩し、きらめく紅の欠片を落としながら、少しの隙間を作った。

 まるで廊へと繋ぐ扉を開けたような隙間。

 だが、ふらりと小さき身体は廊の先へ進んで行く。

 できた隙間から廊の様子を伺う気配が動き、一対の視線が廊の奥へと消えゆくニニの後ろ姿を捉えた。


「お嬢様っ!!」




   ◇   ◆   ◇




「お嬢様っ!!」


 突然声を張り上げたエルザに、クッションとグレイは驚きで瞬的に身体が跳ねた。

 グレイに至っては全身の毛が逆立っている。


「お姉さん、どうしたっていうんだい?」


 問うクッションの声は聞こえていないのか、エルザは扉の隙間から外を覗いたまま微動だにしない。

 クッションはグレイを見やり、ダメだと首を振る。

 グレイも訝って彼女を見上げるが、何かを凝視したような横顔しか確認出来なかった。

 そんなとき。エルザが唐突に扉から離れる。

 そして、グレイとクッションが反応する前に、エルザが勢いをつけて扉へ体当たりをした。

 が、扉の外は何かに阻まれているのか、引っ掛かっているのか、びくともせず、体当たりの強さなだけ反動があり、エルザは跳ね返される。

 その際にどこかを打ち付けたのか、エルザの顔は歪み、呻き声がもれる。

 だが、それでも諦めることなく彼女は再び立ち上がる。

 しかし、それを阻んだのがクッションだった。

 ゆらりと立ち上がったエルザの前に立ち塞がり、グレイへ鋭く声を飛ばす。


「グレイっ! 扉を閉めたまえっ!」


「え、なんで?」


 呆けた声で返すグレイに、クッションは苛立ちに任せて叫んだ。


「いいから早くっ!」


 そこに焦燥が滲んでおり、グレイもその声から何事かを察して、猫の身体で器用に扉を閉めた。

 こんな時に魔族でよかったと、妙なところで感心してしまう。

 閉めたところでエルザらを振り返れば、その彼女から批難混じりの鋭い視線が向けられていた。

 鋭い視線に苛烈な瞳。なるほど、彼女は間違いなく騎士だ。

 場違いにも納得してしまい、グレイの身体は無意識に動いていた。

 四肢を曲げて身体を低くし、尾はその身体の下に入り込む。耳も後ろに流れ、ぺたりと折れた。

 クッションが憐れな目でグレイを見やっていた。

 その視線にもグレイは気付いているが、彼女からの圧で平然としてられるほど強靭な心は持っていない。


「なぜ、邪魔をする?」


 静かな問いは、静寂に包まれた室内にとてもよく響いた。

 他の魔族らは、不安そうに、あるいは興味深そうに成り行きを見守っている。

 グレイはぴえっと息が詰まり、言葉は発せられない。

 彼の翠の瞳が助けを求めるように、クッションを見やった。

 自分は彼の意を汲んだだけだ。なのに、この仕打ちは酷い。理不尽だ。人でなし。いや、この場合は犬でなし。

 翠の瞳から必死なそれらの訴えを読み取り、クッションはこっそり息をついた。

 確かにそうか。ちょっぴり腹を括り、クッションはエルザを振り向く。


「……お姉さん」


 つい、と。静かにエルザの瞳がクッションを見る。

 瞬間。クッションは速攻で仰向けに転がり、腹を見せて降参をしたくなった。

 なるほど、彼女は確かに騎士なのだ。

 グレイと同じく場違いな納得をしながら、それでも彼は己の本能を堪えた。

 毅然とした態度を意識しながら、クッションは言葉を続ける。


「お姉さんは気付かなかったかい?」


 彼女からの返答はない。

 だが、微かに鋭さが緩んだのを感じ取る。


「扉を塞いでいるのは魔結晶だよ」


「……それは、魔力が凝り固まって結晶になった……?」


「そうさ」


 エルザの瞳に険しさが滲む。


「――……では、扉の外は」


 扉を振り返るエルザにクッションの声が頷いた。


「ああ、そうだね。魔力で満ちている。だから、僕はグレイに扉を閉じさせたのさ」


 クッションは辺りを一瞥する。

 彼らの成り行きを見守っていた魔族らから、ざわめきとどよめきが広がった。


「あの濃さが逃げ場のない室内に流れ込んだら、さすがの僕らだってひとたまりもないよ。それが人であるお姉さんなら尚の事」


 意味ありげな視線を、クッションがエルザへ向ける。

 その視線が、少しは状況を見極めろと告げていた。


「なにがそんなに冷静さを欠けさせたかは知らないけど、少しは落ち着きたまえ」


「……すまない。確かにクッション殿の言う通りだ」


「なら、別の方法を――」


「しかし、状況が正しく判ぜられたからこそ、私は行かねばならないのだ」


 クッションを振り向くエルザの瞳に、焦りと必死な色が滲んでいた。

 彼が揺らぎを見せる。


「……君は何に焦らされている?」


「廊の奥へと消えたおじょ――」


 エルザが言いかけた刹那。


「今から扉を開ける。近くに居るやつは離れろよっ!」


 扉の外から誰かが叫び、本能的危機に従って皆が飛び退った――その直後。

 扉は吹き飛び、強烈な風が室内に吹き込んだ。


「……さすがは大精霊様」


「フウガ……やりすぎ……」


 感嘆と呆れ。

 そんな混じり合った声が聞こえた。





―――――――――

 次回更新分から最終章に突入します。

 九月初旬にて完結予定です。

 残り約三ヶ月。最後までのんびりとお付き合いいただけましたら、嬉しく思います。

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