第九章 その地に鎮めを
輪廻の外側の精霊
――おばば様はニニを頼みます。
精霊王らと別れたあと、屋敷へ共に向かっていたロンドから託された言葉だった。
ニニは部屋に幽閉したと言う。
それを聞いた老狼はなるほどと得心した。考えたものだ、と。
ロンドもわかっていたのだ。
自らの手でこの地を豊かにしたいという理想は抱けど、最後に手にするのは己ではないと。
既に彼は、手を出してはならない領域に手を出してしまった。
後戻りは出来ないし、始めからするつもりも彼にはなかった。
いずれはその償いをしなければならない――と、わかっていた。
だが、それはあくまで自身の腹括り。
それは領主の座を継いだ時からの覚悟。
そこに妹は関係ない。
だからロンドはニニを幽閉したのだ。
彼女は関係ないと、体裁を繕う必要があった。
ニニは何も知らないと――事実、彼女は何も知らない。
それで良い。彼女の行き先には、出来るだけ
しかし、苦労はさせるだろう。それだけがロンドの、ひいては老狼の悔恨だ。
だが、ロンドも老狼も己の行動に後悔はしていない。なれば、悔恨などと思ってはならないのかもしれない。
あえて言葉にするならば、気がかり。
彼女の歩く道が、明るく敷かれた道であるように――そう、切に想う。
ニニを幽閉したという彼女の自室へ、老狼はふわと降り立つ。
ロンドから言葉を受けて直様転移をしたが、部屋に満ち始めている魔力に息を呑む。
廊下からはどたばたと忙しなく駆ける足音がする。
その中の誰もが、幽閉されているはずのニニを気にしない。
近くにメイドが数人控えているはずだと、ロンドからは聞いたのに。
そこまでの余裕がないのか。もしくは――。
「……ニニが先に逃しちまったのかねぇ」
老狼が気配を探っても、直に自身の目で探しても、部屋の何処にもニニの姿はなかった。
「どこに行っちまったんだい、ニニや」
焦りの滲む声がぽとりと落とされる。
魔力の濃さが邪魔をし、転移するためのニニの座標の割り出しすら出来なかった。
*
ひゅうひゅうと気管の狭まる音が、呼吸の度に耳に届く。
現に歩を進める程に呼吸は細くなり、その分だけ苦しさが増す。
そして、その度に咳き込んでは足を止める。
なんとなく原因はこれなのだろうなと、彼女――ニニは俯かせていた顔を上げた。
通路を埋め尽くす紅の色。
きらきらとした煌めきは、まるで宝石のようで綺麗だ。
だが、これを身に着け自身を飾りたいとは思わなかった。
触れることすら忌避を覚えるこれは何なのか。
ニニにはわからないそれは、しかし、あまり良いものだとは思えなかった。
やっぱり、あの時部屋に駆け込んでくれたメイドらと逃げればよかった。
心配してくれているのも表情から伝わった。
けれども、来るはずはないが、エルザが来てくれるからと嘘を呟けば、躊躇する素振りを少しだけ見せながらも、メイドらはそのまま去ってしまった。
逃げたのか、別の役割りがあったのか。それはニニにはわからない。
けれども、彼女達の優先にニニは含まれていなかった。
ニニはそれで構わなかったし、抜け出すつもりでいた彼女にとっては都合もよかった。
状況的に優先されるそれでないのも仕方ない。
領主の妹だとしても、この屋敷の現状で幼い身はただ邪魔なだけだ。
ぐっと手を握り込んだニニは、通路を埋め尽くす紅の中へ、隙間を潜りながら足を踏み入れた。
◇ ◆ ◇
屋敷の敷地内がにわかに騒がしくなり、身を潜ませていたシシィは、そろりと顔を出して様子を伺う。
彼が身を潜ませているのは、屋敷から離れた倉庫らしき建物。
頻繁に使われることはないのか、どこか薄汚れた寂しい建物だった。
人気がないのは都合がよく、そこの影に隠れ、認識阻害の効果を丁寧に発動させた。
本当は屋敷から離れたかったのだが、町中は人の気配が雑多に有り過ぎる。
意識を失ったティアを抱えてでは危険過ぎた。
『この騒がしさ、さっきの揺れと関係が――?』
建物の影から顔を覗かせたシシィは、すぐにはっと息を呑む。
なにあれ、と声にならない言葉をこぼし、碧の瞳を見開いた。
腕に抱えるティアを無意識に抱き寄せた。
彼が見上げる先。紅色の魔力の華が、本邸である屋敷の一部を壊して咲き誇っていた。
あれは、先程まで自分らを捕えようと先を伸ばしていた紅魔水晶だ。
それが拡大し、魔力を垂れ流している。
口を真一文字に引き結ぶ。
『……ここまま魔力を溢れさせたら、ここは今度こそ生き物が暮らせない土地になっちゃう』
人が住めなくなれば、精霊は寄り付かなくなる。
そうなってしまえば、魔力を散らす動きはなくなり、その地の生き物は全て魔物となって――。
そこまで考えを巡らせ、シシィはそれを振り払うようにかぶりを振った。
『ともかく、今の僕の優先すべきはルゥ』
覗かせていた顔を引っ込め、座り込んで外壁にもたれた。
腕の中の真白の鳥へ視線を落とし、大切そうに抱え直す。
呼吸は比較的穏やかであり、やはり、あれ以上の消耗を防ぐための一時的な休眠状態のようだ。
それならば慌てる必要はない。
快復すれば、自然とまた目を覚ますはず。
なのだが――シシィは細く息を吐き出す。
『ここは精霊が遠くなった地。人からの信が薄い中で、どれくらいの時が必要なのかは僕にもわからない』
シシィには、精霊としての唯一の存在の繋がりがある。
その唯一が、未だ想いをシシィへ傾けてくれているのを感じている。
しかし、ティアにはそれがない。
もともと精霊の輪廻から外れた存在――つまりは、輪廻の外側の存在である彼女に、精霊としての“唯一”という存在もあるはずがない。
そんな彼女はどこから信を、想いを向けてもらえればいいのだろうか。
それはシシィもまた、ティアと同じ精霊だから。
だから、今の彼に出来る確かなことは、彼女が目覚めるまで護りぬくこと。
人の姿が増えて行く様子をちらりと覗いながら、口を引き結び、認識阻害の効果を慎重に張り巡らせる。
ここまで丁寧に張っているのだ。そう簡単には看破は出来まい。
もし認識阻害を通り抜けて存在を認識出来るとすれば、それはシシィが警戒していない相手だけ。
そんな時だった。ふいに地を踏む砂擦れの音がした。
様子を覗っていた視線を瞬時にそちらへ向けると、身体を硬直させた三毛柄の姿があった。
明らかに彼と目が合った。
認識阻害を通り抜ける存在。そう例えば、その猫に咥えられ、ぶらりと揺れる銀灰色のねずみのような存在とか。
『……ジル――?』
呆然とした声がシシィの口からもれ、呼ばれた当ねずみは気まずそうに小さな前足を振った。
「……よぉ」
「えっ、なに……もしかして、食べられる寸前な場面……?」
「その台詞はもう聞き飽きたし、先に言っておくけど、あたしはナマモノは好まない
咥えていたねずみをそっと地に下ろした三毛柄の猫――シオは、うるさそうにカッパー色の瞳を細めて早口に告げた。
その勢いにシシィが気圧される中、ジルは小さく首を傾げていた。
「イイ仲……?」
オウム返しに呟いてから、じんわりと意味を解した彼は、一気に両の頬を熟れた果実のように深く色付かせる。
小さな両の手を頬に添える様は、さながら乙女なよう。
「ちょっと、そんな可愛い照れ方しないでよっ! さすがのあたしも照れてきちゃうじゃん!?」
「そ、それこそ今更だろ! お前の方からあ、あんなことしておいてっ!」
互いに頬を染めながら騒ぎ始めた彼らに、シシィの碧の瞳が徐々に険をはらみ始める。
「――ちょっと煩いよ」
ひやりとした、微かな怒気すら感ずる声に、ぴたりとふたりは動きを止めた。
「認識阻害が切れるかもしれない要素は、今は出来るだけ避けたいんだ。だから、頼むよ。君達も範囲内に入っているとはいえ、安心しきるのは禁物」
シシィが己の腕の中へ視線を落とし、そこで初めてふたりはティアの存在とその状態に気付く。
顔を強張らせたジルは彼女のもとへ駆け寄り、ただ眠っているだけだと気付けば、目に見えて安堵で表情を緩ませた。
「……よかった。とりあえずは、眠ってるだけなんだな」
「そうなんだけど、いつ目覚めるのかは僕にもわからない。ここは精霊への信が遠すぎて薄い」
そう言ったシシィは、視線をジルの後ろへと投じた。
彼の見やる先には、紅に咲く魔力の華がある。
「僕、ジルのことも心配してたんだ。自分達のことで手一杯で、ジルにまで気がまわらなかった。ごめん」
同じようにジルも魔力の華を見やり、静かに首を振る。
「いや、それはいいんだ。勝手に首を突っ込んだのは俺の方だし、今ここにこうして俺が在るんだ。気にすんな」
「助けてくれたのは、イイ仲の彼女?」
「彼女って、あれだよな、二人称的な意味合いでの、あれだよな」
「さあ、それはどうかな?」
明らかに狼狽え始めるジルに、シシィは面白そうにくつくつと喉奥で笑う。
そんな彼らのやり取りを、シオは少し離れたところから眺めていた。
否、凝視していた。シシィの腕に抱かれる鳥の精霊を。
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