老狼と王
「――入都は許可しましょう。ですが、精霊灯研究施設への視察は許可できない」
王都から訪れた騎士隊代表の願いを、ロンドはばっさりと切った。
革張りのソファに対面で座る両者は、互いに穏やかに笑う。
「このところ数年の領の発展ぶりは、遠くの王都にまで届いています。ぜひ、その叡智を国の発展にも取り入れたいと王はお思いで、今回の騎士隊遠征になったのです」
「そのわりには、物騒なものを提げた騎士の方しか隊内で見かけないが?」
ちらりと、ロンドが代表の腰元へ視線を向ける。
向けられた先には、代表が所持する剣が提げられていた。
「編成された隊に騎士が居るのは当然ですよ。道中何が起こるかわからぬもの――護衛は必要です」
「では、その護衛対象はどこにおられるか?」
「この場にきちんといらっしゃるではありませんか」
代表の言に、ロンドは訝しげに眉を寄せる。
小さくロンドの目が動く。だが、それらしき人物などこの場に見えない。
そもそもが、この場にはロンドと後ろに控える付き添い、そして代表の彼しか姿はない。
代表は何を言っているのか。奇怪なものを見るような目を向けた。
「そんな目で見なくとも――」
やれやれと代表は肩をすくめると、徐にソファを立ち上がる。
ロンドの目に増々の不審が滲む。
代表は構わずに己の背後を振り返り、省略されたものではあるが、恭しく頭を垂れた。
「――お姿をお見せいただいてもよろしいでしょうか?」
がらりと変わった代表の声音に、ロンドとその付き添いの背筋が自然と伸びた。
そうしなければならない気がした。
「――……」
吐息が落ちる。
突として、ロンドの視界に白が映り込んだ。
ずっとそこに在ったかのように、当たり前のようにそこに“白”が在った。
どうして今まで気付かなかったのか。
代表がロンドを振り返る。
「――こちらの方々が、我々が護衛する方々です」
彼が薄く笑う。
「さあ、次へ話を進めましょうか」
「我らが子が、こちらにお邪魔しているようで」
白の髪に空色の瞳を持つ青年が、代表の言を継ぐように口を開いた。
「その話を是非とも聞きたいと、我らの王が仰せだ」
我らの王。その言葉に、ロンドの息がひくと引きつる。
目の前に現れた白。それが人ならざる者だとロンドは知っている。
青年に抱き上げられた幼子がロンドを振り返った。
幼い風体の女の子。だが、見目に騙されてはならないと、彼女が放つ雰囲気が告げる。
左右に束ねられた白の髪、瑠璃の瞳から感情は読み取れない。
「私が――」
そんな彼女が口を開いた――その瞬、気配が舞い降りた。
ふわり、柔らかに白が踊る。
「……おばば様」
掠れたロンドの呼び声に老狼が振り返る。
その顔が、老狼にしては珍しく焦燥に滲んでいたから、ロンドも知らず、顔に焦燥が広がった。
「こんなとこにいたのかい、ロンド坊や。早く――」
言いかけたところで、老狼は振り返りざまに魔力の波を放つ。
常は閉ざされている老狼の蒼の瞳が、剣をはらんで睨んだ。
「無視とは――ご挨拶ですね、老狼殿」
老狼は放った魔力の波で、幼子から放たれた魔力の波を相殺する。
その余波がロンドや代表らを襲って、彼らは本能的に押し黙った。
これに割り込んでは危険だと警鐘を鳴らしている。
「これは驚いたねぇ。やけに強い気配が主張すると思ったら、まさか王がおられたとは」
「そんな御冗談を。始めから気付いていらして、その上で気にしていなかったはずですのに」
「あたしも老いぼれだからねぇ、気付かなかったんだよ。まさか当代の王が、こんな可愛らしい幼い風体をされているとは思わなんだね」
「必ずしも、王の技量が見目通り、というわけではありませんよ?」
幼子がにこりと可愛らしく笑う。
だが、彼女の瑠璃の瞳は挑戦的だ。
「……なるほどさね。どこまで嗅ぎつけたんだい?」
「なんのことでしょうか。私はただ、子がここで行方を絶ったと耳にし、探しに来ただけで――」
老狼が幼子らを凝視し、蒼の瞳を細めた。
幼子を抱いた青年がぴくりと微かに震え、身体が揺らぐ。彼女を取り落としそうになって、慌てて抱え直した。
青年の異変に気付いた彼女は、彼を護るように水の膜を展開する。
青年が自身の異変に気付き、老狼から目を逸した。
目を合わせさえしなければ、これは効果を成せない。
しかし、幼子の方はしかと老狼の視線を受け取め、さらに、平然としている。
これにはさすがの老狼も驚き、感嘆の混ざった息をつく。
「……王のお子たちはすぐに意識を落としたというのに、さすがだねぇ」
王のお子。その言葉に、幼子と青年のまとう空気が色を変えた。
代表とロンドらが、瞬時にその空気の変化を感じとる。
肌を刺すようなぴりついたそれに、身体が無意識に萎縮してしまう。
人ならざる者のやり取りは、既に彼らの範疇を超えてしまっている。
それでも、彼女らのやり取りは続く。
「――子らに何をしたのです?」
幼子が青年の腕から降り立つ。
彼女は自ら張った水の膜を出て、老狼へ足を踏み出した。
「大人しくしてもらっただけさ」
老狼が練り上げたマナを幼子へなげると、堪らず彼女は足を止める。
絡みつくそれに眉をひそめた。
熟練された老狼の手腕。練られたマナはあまりに濃密で、ここで初めて幼子の顔にじんわりと苦悶が浮かぶ。
左右に結われた髪が、彼女に絡みつくマナで暴れ狂う。
が、幼子の口端はすぐに持ち上がった。
「熟練されたその手腕。さすがは老狼殿ですね」
称賛の言葉は、心からの賛美。
瑠璃の瞳が余裕を持って老狼を据えた。
「王といえど、私はたかが数百程度の時を重ねた小娘。老狼殿の重ねた時には到底追いつけない。ですが――」
腕に自らのマナをまとわせる。
それは膨大な量のマナで、応接室内の魔力濃度を急速に高めていく。
慌てて幼子を抱いていた青年が代表とロンド、その付き添いへ幾重にも重ねた水の膜――結界を張った。
幾重も重ねないと、人はすぐにこの魔力濃度に殺られてしまう。
老狼が後ろへ一歩、足を引いた。
幼子からは際限なくマナが溢れ出る。底なしと謂われる彼女のマナは、王となった理由のひとつ。
幼子が腕をひとつ振った。
濃密に――繊細すらある手腕で練られた老狼のマナを、彼女は膨大な量のマナ一振りで、自身に絡みつくマナをいとも簡単に払い去る。
「……ヴィーの底なし魔力は、相変わらず畏怖すら覚えるな。熟練された手腕を、魔力量で物理的に退けるなん――」
背後からの感想は、肩越しに睨んで黙らせた。
老狼へと向き直った幼子は、彼女に向けて再び足を踏み出す。
左右の髪が力の奔流でふわりと浮かび揺れる。
老狼が練り上げたマナを再び投げた。しかし、それは投げる度に弾かれてしまう。
もう幼子にこの手段は効かないのだろう。
縮まる距離に、老狼の傍に居るロンドが身体を強張らせ、すがるように老狼を見やる。
老狼はそんな彼を護るためか、ぐっと体勢を低くするも。
「……おばば、様……?」
ふいに身体から力を抜いた。
戸惑うロンドを一瞥し、朗らかに笑う。
「前にも言ったさね。これはあたしの望み通りだと」
「この現状がですか?」
「ああ、そうだよ。……けどもまぁ」
そこで彼女は、不審そうに老狼らを見やる幼子と青年へ視線を向けた。
「少々、おばばにも予想だにしなかったことも起こっててねぇ」
彼女が軽く息をついた――刹那だった。
下から突き上げるような激しい振動が、応接室に居た彼らを襲う。
揺れに堪えきれなかった一同は、倒れもつれてその場に伏せる。
「――ああ、どうやら。あたしの結界を破ったようだね」
不穏な老狼の呟きに、皆の胸中に嫌な予感が広がった。
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