閑話 抗うかどうかだ


 先程から揺れを感じるようになり、次第に揺れは間隔を狭め、激しくなっていく。

 だが、檻に閉ざされた彼らに逃げる術はない。

 揺れに合わせ、ぱらと天井から埃や木屑が落ちる。

 それを感情のない目でみつめるのは、四肢を折りたたんで丸まる犬。

 艶をなくした土色の体毛を揺らし、のんびりとあくびをもらした。


「……おいおい。よくもまあ、あくびなんてしてられるぜ」


 そんな彼へ、灰色の猫が呆れの息をもらした。


「いつここが崩れ落ちるのかって、他もてんやわんやだっていうのによ」


 そう言って彼は翠の瞳を眇めて周りを見やる。

 彼らを囲う檻の他にも幾つもの檻があり、そこに囚われた彼らも、必死に檻から脱しようとしている。

 ある者は噛みつき、ある者は体当たりをし、己の身体が傷付くのも厭わずに必死だ。

 その様を土色の彼は冷めた目で眺めやる。


「どうせ逃げられっこないというのに、皆もよく頑張るものだよ」


 やれやれと憐れみすらはらんで首を振る。


「身体を傷つけてまでも適うというのなら、僕も頑張らないこともないんだけどね。その格子を突き破るには足りないよ」


「……クッションは、逃げようとは思わねぇの?」


「そうまでしよう、とまでは思わないだけさ。ここで尽きるというのなら、僕はここまでだったというだけだよ」


 土色の犬――クッションは、そう言うとさらに身を丸めた。


「その檻は壊せっこないよ。頑張るだけ無駄というものだ。余分に痛い思いをするだけで、早々に諦めた方が利口ってものさ」


 その姿はまるで不貞腐れているようにも見えて、灰色の猫――グレイは翠の瞳を和らげる。


「――壊せるか壊せないかじゃない。諦めるか、抗うかだぜ?」


 グレイは身を振って格子と向き合うと、力強く体当たりを決め始める。

 がんっと硬く鈍い音が響く。

 彼が体当たりを繰り返す度、それと同じだけ身体は跳ね返され、次第に灰色の体毛にじわりと赤が滲む。

 それをクッションは、重ねた前足に顎を乗せた体勢のまま、じいと見つめるだけ。

 しかし、憐れみで揺らぎそうな彼の瞳は、さもすれば憂いげに揺れる。


「……君をそこまで衝き動かすものは、一体なんなんだい?」


「あ? まあそれは、帰りたい場所があるからかな」


「……」


「それに、ここにジルが来たんだろ? あいつまで捕まっちまってたのは驚いたが、あいつもあいつで頑張ってるみたいじゃん。なら、俺もって思っただけ」


 ジル。その名でクッションの脳裏に過るのは、銀灰色の髪をした少年と銀灰色のねずみの姿。

 ここで会った彼も、何かに対して一生懸命だった。

 少しだけ自分に自信はなさそうだったけれども、それでも、彼も彼なりに足掻いているようだった。


「……全く、どいつもこいつも」


 そして、目の前の一生懸命な姿のグレイに、クッションは眩しいものを見るような目でその姿を見やる。


「動く利点のない僕には、無駄な行動にしか見えないけどね。ありのままに現状を受け入れていく――それが自然の流れだろ」


 仮にここを脱しても、クッションを待ってくれている存在はない。

 己という存在を恥じてはいないし、むしろ誇りにすら思っている。

 だからこそ、現状を嘆きもしないし悲観もしない。

 ありのままを受け入れるのが自然の流れであり、ここで尽きるのならば、己はそこまでだったということだ。

 なのに、その流れに抗おうなどと――彼らは物好きだ。

 彼らがそうだと、まるで己が惨めな者のように思えてしまうのはどうしてか。

 絶え間なく檻内に響く、硬くて鈍い金属の音。

 それと同じ数だけグレイが弾き返される。

 それでも彼は立ち上がる。立ち上がろうとする。

 しかし、四肢が痛んだのか、ついに彼の身体が傾いだ。

 グレイは打ち付けられる痛みを覚悟するも、予想していなかった柔らかな感触に驚きで目を開ける。

 のろのろと翠の瞳でそれを見上げ、弱々しくもにやりと笑った。


「……あんたも動くって、知ってたぜ」


「煩いな。僕はもう、抗うなんてことには疲れたんだよ。けど、絞り取られ続けて、万全な体調でない君がするより、まだ余力のある僕の方が確率が上がるってだけさ」


 倒れ込むグレイを受け止めたクッションは、そっと彼を横たえると、今度は自身が格子と向き合う。

 挑むように格子を睨むが、本当はグレイを手伝おうと動いてしまった己が、嫌で嫌で仕方がなかった。

 本当は、抗う、なんてのは好きじゃないのにね。

 胸中で毒突きながらも、意を決したクッションは駆け出し、格子へ向かって自身の身体をぶつける。

 が、鈍い音を伴った反動の力で押し返された。

 床を滑るも、四肢に力を入れて踏み止まる。

 身体が痛い。無駄な痛みは嫌いだ。

 だが、どうしてか身体は動いてしまう。

 クッションは少し下がると、今度は助走を付けて駆け出し、格子へと体当たりを決めた。

 そして、やはりと言うべきか、案の定跳ね返させる。

 今度は踏んばりが効かず、床を滑った。

 じんじんと襲い来る鈍い痛みに顔を歪め、立つ気力が削がれかける。

 けれども、再び立ち上がるために四肢に力を込める。

 こんなの、らしくもない。

 なのに、身体は立ち上がろうと懸命だ。

 ふいにクッションの視界に灰色がちらつく。

 ちらと横目で見やれば、灰色の足が立ち並んだ。


「なんだい、猫ちゃん。もう少しオネンネしていればいいのに」


「寝すぎちまったからな。寝起きの運動だ」


 ゆらり、クッションが立ち上がる。


「全く、寝起きの運動に付き合うとか、今の僕はどうかしているよ。無駄なことは嫌いなのに」


「なんだかんだ言ってるけどよ、俺はお前のそーいうとこが好きだぜ?」


「……やめてくれたまえ。本気でぞっとする。どうせなら、かわい子ちゃんに――」


「あーあー、うるせ。ここから脱せたら、いくらでも俺がめかしこんで可愛くなってやるよ」


 ふたり揃って悪態をつきながら、同時に足で床を蹴り上げて格子へ身体をぶつけた。




   *




 檻に囚われた動物達が、各々に檻から脱しようと足掻いている。

 始めは、いきないどうしたのかと訝ったものだが、次いで襲った地揺れに合点がいった。

 彼女には何が起きているのかは判ぜられないが、人でない彼らには、何か感ずるものがあるようで、それを察知していたのかもしれない。

 しかし、いくら人ならざる身――魔族であろうと、簡単には檻の格子は壊せないらしい。

 だから、何か自分に出来ることはないかと、彼女――エルザは、室内の片隅に捨て置かれたがらくたを探っていた。

 本当はニニの探しものを探しに忍び込んだはずなのだから、こんなことで時間を費やしている場合ではないのかもしれない。

 次第に地揺れは激しくなり、その間隔も狭まっている状況。もしかしたら、自分の身すら危うい状況なのかもしれない。

 だが。それでも。


「――きっとお嬢様は、逃げたりしない」


 そう思うから、エルザも逃げるわけにはいかない。

 じんわりと滲む汗を服の二の腕部分で拭いながらも、がらくたをあさる手は止めない。

 探す物はあれだ。何かそれらしいものがみつかれば、きっと彼らを檻から出せる。

 ここはもともと倉庫か何かだったらしく、様々なものが捨て置かれている。

 長年放って置かれた影響で降り積もった埃に咳き込みながら、ふいにエルザの肩が跳ね上がった。

 びくりと驚かされたのは、シンバルを持った猿の人形。

 その面が妙に不気味に映る。

 なぜこんな場所にあるのか、持ち込まれた理由は察せられなかった。

 だが、知っている。こういう類のものは不意に動き出すものだ。

 と。その影にエルザが探し求めていたものがあった。

 迷わず手を伸ばす――が、猿の人形の存在を思い出し、そろりと慎重にそれを手に取った。


「――これで、檻の鍵を開けられるかもしれない」


 エルザが探していたもの。それは、もとは何かしらの部品の一部だったろう、巻かれた針金――スプリング。

 彼女にとって解錠は、騎士見習い時代に先輩からこっそりと教わった小技の一つだ。


「ここぞという場面に使えと先輩は仰っていたが、こういう場面のための小技だったか」


 ふふっと、穏やかではない笑みを浮かべ、エルザは納得したように深く頷いた。

 そして各檻を解錠すべく、エルザは動き出した。




   ◇   ◆   ◇




 関所の応接室。

 そこに王都からの、それも王城編成の騎士隊をまとめる人物が、革張りのソファに座っていた。

 カップを持ち、茶を口に含んでソーサーへと戻す。

 領都への入都許可申請の最中だというのに、その動作はあまりに落ち着いており、一見すれば呑気にすら映る。

 彼に余裕が感ずられるのは、彼の背後に控える人ならざる者の気配があるからか。

 その者らは認識を阻害させるそれをまとっているゆえに、人の目には映らない。

 落ち着いた動作で、代表がもう一度カップに口を付けた。

 それから間もなく、応接室の扉がノックされる。

 ノックに代表が応えると、応接室を訪れたのは関所の責任者だった。

 その責任者が許可を得て入室し、その後に続いてい入室して来たのは。


「遥々王都からのお客人をお待たせしまい申し訳ない。私がここの領主ロンドだ」


 若き領主である青年、ロンドだった。

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