あたしとあんたは


 地の揺れを繰り返しながら、紅魔水晶はその規模を拡大していく。

 少しずつ、少しずつ。

 求める声に寄り添うように。

 何かを求めて手を伸ばすように。


 ――一緒にいようよ、と。




   ◇   ◆   ◇




 揺蕩う意識。

 ぼんやりとした思考。

 紅魔水晶に沈んだジルは、魔水晶の一部となることなく、内部で揺蕩っていた。

 といっても、身体の感覚はあれど実感はない、という少々不気味な状況に置かれていた。

 そもそもが、ぼんやりとしていながらも、こんなことを認識出来ていることが不気味だ。

 絶え間なく聴こえる、一緒に居ようよ、というささやき。

 始めは拒を示して抵抗していたジルだが、やがて、これは自分に対してのささやきでないことに気付いた。

 揺蕩いながらも感じる負の色。

 まるで様々な者の想いが混ざり合ったかのような、不確かで不安定なそれ。

 ああ、この魔水晶は負の集まりなのか。

 混じり気のない、純な負。

 寂しい。怖い。苦しい。そんな様々な声が、想いが集まった集合体に近いのかもしれない。

 何となくで感じでいた己以外の幾つもの意識は、きっとこの負の集まりの媒体にされた者たちのものだろう。

 奥底――深部に、より強く感ずる負のそれがあるように思う。

 あそこまで奥深くに引きづられてしまえば、おそらく彼らはもう――。あえて、言葉は濁した。

 寂しくて、寂しくて、仲間を欲しているのかもしれない。

 だから、ジルも引きづられた。

 ジルも奥底にはそんな想いを抱えているから。

 自分たちと同じだろう、と。ひとりは寂しいだろう、と。

 仲間を欲した魔水晶に、隙間を付け込まれた。

 そして、その魔水晶がさらに仲間を増やそうと手を伸ばしているのを、ジルは肌で感じていた。

 肌で感じるというのもまたおかしなことだ。思わず苦笑がもれる。

 実感のない肌でどう感ずるというのか。

 ひとりは寂しいだろう――と、ささやかれて心が揺れた。


 ――確かに俺だけの場所はねぇかもしんねぇよ。


 だけれども、だ。


 ――それでも、おかえりって、ただいまって、返したり返してくれる場所があるなら……俺はそこに帰る。


 だから、ジルは抗い続ける。もがき続ける。

 居場所はジルにだってあるのだ。

 時折は一人を寂しく思うことだってあるかもしれない。

 しかし、ジルは独りではない。一人であっても、独りではない。

 それはたぶん、きっと、すごく大切な事への気付き。

 だから、あそこに必ず帰るのだと強く想う。

 そしてまた、ジルを独りにはさせない存在が居る。

 もう少しで見えそうな姿がある。

 手を伸ばし続ければ、きっといつかは何かを掴めるはず――。




   ◇   ◆   ◇




 風に導かれるままにシオが辿り着いたのは、高台にそびえ立つ屋敷だった。

 まさか屋敷内へと促されるのかと焦ったが、風に促されたのはその屋根上。

 何があるのかと警戒したが、そこには割れた窓があるだけだった。


「――って、また揺れた」


 屋敷に近付くにつれて感じ始めた地の揺れに、シオは身を屈めてやり過ごす。

 揺れの弾みで、割れた窓から下へと、ぱらぱらと硝子の屑を崩し落としていく。

 継続的に揺れているわけではなく、断続的に揺れているらしいそれは、地震などの自然の由来ではない気がする。

 他に原因がありそうだと思ったところで、シオはそれをすぐに知ることになる。

 揺れが大人しくなったところで、シオはまるで引き寄せられるように、ゆっくりと窓から下を覗き見て様子を覗う。

 どうやら明かり取りの窓らしく、一階部分は吹き抜けており、空間は下方へと続いていた。

 そして、また小さな地揺れを感じた時、シオはその光景に息を呑んだ。


「……なに、あれ」


 下方空間に広がる紅の色。地から突き出た紅の色が先を伸ばし、下方空間を呑み込む。

 それが揺れと共に規模を広げているようだった。

 紅はきらめき、何かの結晶のようにも見えた。

 そんな刹那。不意に下から風が小さく吹き付ける。

 これは、シオを先導していた風だ。

 肌が軽くざわついた。これは――カッパー色の瞳を瞠る。


「……魔力の気配が濃い気がする。これは、オド……? もしかして、見るのは初めてだけど、あれって魔結晶っていうやつ?」


 だが確か魔結晶というものは、色の見えない透き通ったものだったと記憶している。

 それなのに、眼下の空間を呑むそれは紅の色。


「でももう、規模が魔結晶じゃなくて魔水晶じゃん」


 怖気と共に嫌悪するのはどうしてか。

 出来れば近寄りたくないもののはずなのに、なぜだが引き寄せられる――否、呼ばれている気さえする。

 行かなきゃ。その想いがシオを突き動かした。

 天窓の縁を蹴り、ふわりと飛び降りる。

 シオにまとう風が彼女を包み込むと、そっと優しく、ふんわりと降ろしていく。

 まるで手を差し出すように。

 とたっ、とシオが軽やかに足を付けたのは、伸びた結晶の先。

 見目はどうしてか嫌悪も覚える色だというのに、予想に反して、直に触れても不思議と嫌悪する気持ちはなかった。

 足場に不安定さがないことを確認すると、シオはそのいただきへと登り始める。

 先導する風がひゅうと高く鳴いては行き先を告げるため、シオの足取りに迷いはない。

 とくん、と弾む鼓動は緊張なのか。

 予感めいた何かを覚えながら、シオは足を駆る。

 木々の枝葉の様に伸びる結晶を、時折は跳び移りながら登り、やがてシオは頂へと辿り着く。

 ここまで先導をしてくれた風が鳴いた。


「どうしたの?」


 シオが問いかければ、風は彼女の周りを一巡し、くすぐるように柔く吹き付けてじゃれる。そのくすぐったさに、彼女は堪らず小さく笑った。

 それはまるで、案内できるのはここまでだよ、と挨拶のようにも感じて。

 ひと通り戯れると、風は天へと向かって細く伸び、最後にびゅうと鋭く鳴いて掻き消えた。

 シオは顔を上げてそれを見送り、ありがとう、と小さく呟いた。

 しばしその虚空を見上げたのち。


「……――」


 瞑目ひとつ。シオの呼吸する音だけがその場に落ちた。


「ここからは、あたしがジルをみつけるの」


 開かれたカッパー色の瞳。そこに宿るのは決意の光。

 瞬きひとつの間、シオは猫から少女の姿へと変じた。

 彼女にまとう風が、金茶の髪を揺らし、しゃらんと耳元には耳飾りの音を落とす。

 二股の尾をゆうらりと優雅に揺らすと、シオはその場に屈んだ。

 口を引き結んで、緊張からか乾いていた唇を舐める。

 こくりと喉を鳴らし、予感めいたものを胸に抱きながら、彼女はゆっくりと手を伸ばして――結晶の内部へと腕が沈む。

 しばらくは何かをまさぐるように手は動き、そして、今度は何かに応えるように動き、結晶内で彷徨っていた彼女の手に、何かが触れて、その何かが掴んできた。

 シオは息を詰め、唇が弧を描いた。


「――みつけた」


 手を掴んだ感触をしっかりと握り、彼女はそれを一気に引き上げた。




   *




 伸ばしていた手が何かに触れた。

 それに確信めいたものを抱きながらしかと掴めば、それはしっかりと握り返してくれた。

 触れた感覚は華奢だったのに、その感覚に反して引き上げられる力は強く、冷たい空気が肌を撫でる。

 突然の変化に肌は粟立つも、直感で外に出られたと感じた。

 柔らかな何かの上に倒れ込んだおかげで、身体を打ち付けることもなかった。

 久々にも感じる外気を急激に吸い込み、堪らずジルは咳き込んだ。

 ごほごほと咳き込みながらも、ジルはなんとか手を付いて身体を起こす。

 よかった。身体の感覚もあり、実感もある。

 あのよくわからぬ揺蕩う状態から脱せられたということか。

 ほっと安堵の息をついて目を開けたとき、己が下敷きにしていたものを見――ぴしり、と。身体が音をたてて固まった。

 一気に思考の全てが吹き飛んだ。

 己が下敷きにしていたのは、見知らぬ少女。

 金茶の髪を広げて倒れる彼女と、その顔横に手を付いて見下ろす様は、まるで自分が押し倒したかのような構図ではないか。

 いや待てよ。その前に、だ。倒れ込んだ拍子に感じた柔らかな感触は一体なにか。何だか控えめな膨らみが触れたような――そこまで考え、一瞬にして羞恥と焦りが迫り上がり、ジルの頬は熟れた果実のように染まる。

 と。そんなジルの様子が可笑しかったのか、彼の下で少女がふふっと笑いをもらした。


「あたしが誰だかわかんない――?」


 その声に、慌てふためいていたジルの思考が落ち着いていく。

 熱の引いた彼の頬へ少女が手を伸ばし、指の腹がその頬を撫でる。

 揺らぐカッパー色の瞳。ジルの紅の瞳が見開かれた。


「今度はあんたに届いた」


「シオ、なのか……?」


 呆然と呟くジルに、シオは妖艶に微笑む。


「そうだよ。かわゆい猫ちゃんのシオだよ」


 だが、その微笑みが一気に鋭くなった。

 カッパー色の瞳はジルを睨み、頬を撫でていたシオの指が、突としてそれをつね上げる。

 そのあまりの痛みに彼から悲鳴が上がるも、彼女は構わずつねり続ける。


「あたしの知らないとこで、なに勝手に捕まってんのさっ」


「お、俺だって別に、好きで捕まってたわけじゃ――」


「黙らっしゃいっ!!」


 より増したつねる力に、ジルの紅の瞳に涙が滲み始めた。

 つねられたままぐいと引っ張り上げられ、その上シオの方へと引き寄せられる。なにがなんだかジルはわけがわからなくなり、思考が回る。

 反射的に身体を支える手に力を入れて堪えてみせると、彼女も諦めたのかふいに頬をつねる手が離れた。

 やっと開放されたかとジルが安堵する。

 が、その隙にシオの腕がジルの首へと回されて――紅の瞳が見開かれ、思考が真っ白になる。反射的に息を詰めた。


「――っ」


 シオが顔を寄せ、文字通りにジルの唇を奪っていたから。

 詰まらせた息ごと呑み込まれた。

 ジルはいつだったかにひっそりと妄想をしたことがあった。

 今のそれは、そういうことへの妄想よりも柔い感触で、どきんと鼓動が跳ねる。

 あ、この感触好きだ、と初めての経験に浮かれそうになる――前に。


「――っ?!」


 びりと痺れる感覚が走った。

 シオから流れ込む何かに気付く。

 それを反射的にこくりと喉を鳴らしてしまい、飲まされた。

 間近に見えるカッパー色の瞳が、愉しげに細められる。

 きゅっと絞られた瞳孔は猫のそれであり、少女の姿へと変じていても、やはり彼女は猫なのだ。

 ゆっくりと離れる唇に、ジルは咄嗟にシオと距離を取って身を固くする。

 痺れた感覚は微かに残り、その正体に感付いた。


「……っ、おまっ、魔力流したな……!」


 思わず手の甲で唇を拭うも、彼女の魔力の気配においは消えない。

 飲まされたのだ。拭ったくらいで消えはしない。


「気付いた? これであんたからは、あたしの魔力の気配においがする」


 上体を起こしたシオが、満足げにうっそりと笑う。


「そ、そりゃ、あんだけ飲まされたら……っ」


 す、するのは、当たり前じゃねぇかよ。

 顔を真っ赤に熟れさせたジルの最後の言は、口ごもってしまって言葉にならず、シオはふふっと笑いを苦笑に変えた。


「驚かせたのは謝るわ。でも、これで次にあんたが捕まっても、あたしがみつけられる」


 シオから笑みが消え、真摯な眼差しがジルを見やる。

 時折揺らぐその眼差しに、ジルの方も身体から力が抜けたのを自覚する。

 同時に、つきんとジルの胸が切なげに痛む。

 カッパー色の瞳が揺らいだ。


「……心配、した」


「……うん」


「すっごく、した」


「うん……ごめん……」


 カッパー色の瞳が潤み、くしゃりと歪む。

 堪らずジルの腕が伸びた。

 が、その腕がシオへと届く前に、彼女の方がいち早くジルとの距離を詰め、彼の首へと腕を回す。

 そして、そのまま抱きしめられる。

 ぐえっ、とジルは潰れた声が出てしまい、せっかくの雰囲気の欠片もない声に羞恥に襲われかけるも、自身の首元に顔を埋めるシオにはっとした。


「……ジルの匂いがする。あんた、ここに居るんだよね」


 消え入りそうなか細い声が、ジルの耳を震わせる。

 胸が切に軋む。仄かに痛む胸に、愛おしさが落ちて堪らなかった。


「俺はここに居る。不安なら、お前が捕まえててくれよ……」


「……うん。あたしの気配においが消えたら、また、あんたに飲ませるから」


 首に顔を埋めれられ、くぐもるシオの声が濡れていた。

 きゅっ、と回されていた彼女の腕に、さらに力が入る。

 しかし、ジルからもれた今度の声は、ぐえっと潰れた声じゃなく、うえっと緊張に満ちる裏返った声だった。


「なにさ。あたしとの口付けは不満なわけ? なんなら、あんたを噛じってつけた傷に、魔力擦り込ませて気配におい付けしてもいいんだけど?」


 不満そうな声に、シオの二股の尾がたしたしと座り込む結晶を叩く。

 顔を上げた彼女のカッパー色の瞳が、不機嫌にきらめきながらジルを睨んだ。

 それでも、ジルの首に回した腕はそのままだった。


「傷口って……お前、なんか過激だな……」


「あたし、もう決めたの」


「決めったって、なにを?」


「あたしとあんたは同じ魔族でも、猫とねずみで同じじゃないから、想っても欲しがってもしょうがないって諦めてた。だけどさ――」


 シオがきゅっと口を引き結ぶ。

 その頬がほんのり色付くのを、ジルは確かに見た気がした。


「今のあたしとあんたは、同じカタチをしてる魔族。だから、一生一緒っていうのも、できそうじゃない――?」


「――っ」


 ジルはわかってしまった。彼女が何を欲しがっていたのか。

 それがわかってしまったから、彼の顔は今までにないくらいに真っ赤に熟れる――熟れすぎて爆ぜてしまいそうな程に。

 彼女が上目で見上げてくるのがずるいと思う。

 蓋をしようと思っていた気持ちが溢れそうになる。

 シオもジルと同じだった。

 自分だけの場所が欲しくて、そしてまた、ぬくもりを欲していた。


「……俺とお前は、一応の男と女になる……もんな。そんで……まあ……かぞ、く、とか……」


「そうだよ。それもいつかは考えてもいいかもしんないよ、あたしはかわゆい猫ちゃんの女の子だし」


 シオはくすりと小さく笑いながら。


「そんなあたしが、あんたの傍に居てあげるって言ってんの。感謝しなよ?」


 ジルを引き寄せた。

 ああ、そうだな。ジルの応える声は、シオの唇に呑み込まれる。

 代わりに、ジルはそっとシオの後頭部に手を回して応えた。

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