求むるはその姿
下敷きになる――せめてもの抵抗にと、ばななの小さな身体がティアに覆い被さった。
崩れた結晶が雪崩れ込む。息も何をも呑み込んで。
舞う砂塵の中に結晶の欠片が散り、周囲に紅の煌めきが光を弾いた。
崩れて山となった結晶――それが不意に盛り上がる。
ぱらぱらと紅の煌めきを振り落としながら、山から盛り上がって抜き出た影。
『……間に、合った』
影は安堵の息をもらし、腕に抱き上げた存在へと視線を落とした。
『ちあ、ばなな、大丈夫? まさか転移した直後に雪崩込んでくるなんて思わなかったし、さすがにちょっと焦った』
その声に、ティアはぼんやりとした思考でゆっくりと顔を上げる。
白の髪に紅の煌めきを乗せて苦笑するシシィに、ティアは緩く顔を綻ばせた。
ああ、よかった。彼は無事だ。
落ちる彼の声に安堵し、自身を包む彼の温度に身を委ねる。
『――っ、ちあ、大丈夫!? ちあっ――ルゥっ!!』
シシィだけが口にする呼び名。
シシィだけに許した愛称。
それを耳にしながら、ティアはゆっくりと意識を手放した。
シシィは何度か腕の中のティアを小さく揺する。
揺すっても呼びかけても応えのない彼女。
動作の弾みで髪からは、ぱらぱらと紅の欠片が光を弾きながら落ちていく。
思考は一瞬真っ白に染まるも、はっと気付いてシシィは緩く息を吐く。
『――これ以上の消耗を避けるための、一時的な休眠状態……?』
確認するようにシシィがばななへ視線を向けると、彼はこくりと静かに首肯した。
『てぃあ、がんばってた。げんかい、だった』
限界――その言葉に、シシィは下唇を噛む。
視線をティアへ落とし、その頬を指先で撫でた。
『……無理させたね。ごめん、ルゥ』
気落ちなのか、息が落ちる。
だが、ゆっくりと気落ちをしている時間はなかった。
大人しくなっていた揺れが再び襲い始める。
ぐらりと傾ぎかけた身体を踏ん張ることで堪え、シシィは焦燥滲む顔で紅魔水晶を見上げた。
『なんか、大きくなってる……?』
シシィの腕に抱かれたままだったばななが、風に姿形を溶かして舞い上がる。
風はシシィの周りを旋回し、やがて出口へと向かって走る。
ひゅおと鳴き、逃げ道はこっちだと促す。
それを彼は振り返って目で追うも、足が動かなかった。
紅魔水晶をもう一度振り仰ぐ。大きく成長しているようにも見えるそれ。
見上げる碧の瞳が腕に抱く彼女へと落ち、悔しそうに歪んだ。
『……ジル、ごめんっ』
苦く言葉をこぼし、シシィは風を追って走り出した。
鳥籠の結界を壊されて遮りをなくした紅魔水晶は、求める声に寄り添い、手を伸ばすように規模を広げる。
◇ ◆ ◇
揺蕩う意識。
幾つもの意識が揺蕩っていた。
自身以外に感ずる意識はなんなのだろうかと、淡い疑問が気泡の如くぷかりと浮かぶ。
ここはどこだ、と自問し、内に引っ張られたんだ、と自答する。
ぼんやりとした意識は揺蕩いながらも抗う。
ここから這い出ようともがき、しかし、どこにも手足は届かなくて。
寄り添うのは、一緒にいよう、とささやく声だけ。
――だから、ここは俺の場所じゃねぇっ。俺にはっ
拒む声は声にならず、抗うために伸ばした手は何も掴まず掴めず。
それでも、彼は懸命に手を伸ばす――。
◇ ◆ ◇
「……精霊の力って、すごいのね」
感嘆の声をもらしながら、駆ける影がひとつ。
それはまるで疾風の如く。誰も何者かが駆けて行ったとは思うまい。
「さすが、大精霊様ってところかしら」
こっちだよと先導する風の誘いのままに、風をまといながら三毛猫シオは疾走する。
*
関所に着いたというのに、領都手前までやって来たというのに――あと少しなのに。
何やら一行がざわついている。
早く関所を通らないのかと苛立つシオの尾が、ぴしぱしと馬車の御者台を小さく叩く。
シオの耳が様子を探ろうと前方へ向けられる。
ざわつく人らの声を拾う。
揉め事だろうか。まったく面倒な。
そっと嘆息を落とした。
要人を乗せているということで、シオも乗る馬車は一行の中央に配され、先頭との距離は離れている。
今は御者が様子を伺って来ると前へと行っているところだった。
「――まあまあ、猫の嬢ちゃん。そう急くなって、ぴりぴりしてんよ」
突とした声に、馬車に残された馬が小さく足を踏み鳴らす。
それを手綱を握って落ち着かせたのは、馬車内から転移術で移ってきたフウガだった。
シオは苛立ち滲むカッパー色の瞳で彼を見上げる。
「あとちょっとだっていうのに、こういうところが人ってめんどう」
首に通したターバンに鼻先を埋め、か細く呟いた。
「あたしが言える立場じゃないのはわかってる。ここまで連れて来てもらっておいて、何様って感じかもしんないけど、それでも、気ばかりが急いてしょうがないの」
「それは俺も、後ろに乗ってる奴らも同じだ」
くいっと、フウガが親指で後ろの馬車を指し示す。
シオも視線を投じ、フウガを見上げた。
ちらりと互いに見かけた程度で、挨拶もろくに交わしていない間柄の精霊達だ。
それでも、シオの気持ちも
感謝をしている。だから、そんな彼らへ苛立ちをぶつけるのは間違っている。
「……ええ、ごめんなさい」
耳が垂れ、動作に伴って揺れた耳飾りが、しゃらんと耳元に情けなく音を落とした。
しゅんと沈むシオに、フウガの大きな手が伸び、慰めるように彼女の頭を撫でる。
「いんや、謝ることはないぜ。それだけ、ジルのことを好いてくれてんだろ?」
「……別に、好いてはないわ。ジルと居ると息がしやすいってだけ、あたしがあたしのままで居られるってだけで――」
「言い訳はいいさ」
「言い訳なんて……」
シオは首元のターバンへ再び鼻先を埋めた。
薄まってしまったジルの匂いだが、それを感じていたくてさらに顔を埋める。
「でも、想ってはくれてんだろ?」
シオの耳が立つ。しゃらんっ、耳飾りが軽やかに鳴った。
「ありがとな、猫の嬢ちゃん。俺たちじゃ埋めてやれない隙間っつーものも、あいつにはあったからさ」
撫でるフウガの手が、一層優しく頬をくすぐる。
「――……かな」
「ん?」
ターバンでくぐもるシオの声に、フウガの声が促すように爪弾かれた。
「気付かないふり、しなくてもいいのかな」
気弱な声。彼女の顔が上がる。
「あたしとジルは、猫とねずみ。でも、今のあたしは人に化けられる――ジルの隣に並べる、だから」
「難しく考えなくとも、お前らは自由。やりたいようにやればいい、動けばいい」
フウガの枯れ葉色の瞳に羨望の色が滲むも、それは一瞬であり、すぐに瞬きの間に掻き消える。
「……この想いと向き合ってもいいのかな」
「おうさ」
シオの喉元を撫でるフウガの手に、彼女は柔く目を細めた。
「――つーわけでよ。猫の嬢ちゃん、こっから別行動ってのはどーよ?」
「べつこーどー……?」
楽しげにくつくつと喉奥で笑うフウガに、シオは小首を傾げた。
「人はなにかしらでもたついてる現状だが、このまんま中に入れても、俺ら精霊の目的はやっぱ精霊なわけで、俺も立場上ジルを優先はできねぇんだ。……ごめんな?」
最後のフウガの謝は、微かな力ない揺らぎを持った声音だった。
揺らぐ枯れ葉色の瞳。それが真摯な光を宿した。
「だから、猫の嬢ちゃん」
「なに?」
「――あんたに、頼んでいいか? あいつを」
小さく見開かれたカッパー色の瞳。されど、確かにその真摯な光を受止める。
シオの口の端がゆっくりと持ち上がり、彼女の顔に柔らかな笑みが浮かぶ。
「いいよ。頼まれた」
シオがしかと頷いて見せれば、フウガの瞳は数度瞬いたのち、破顔した。
「ありがとよ。手助けする風は出す」
そう言ったフウガは、虚空に息を落とす。
落とした息吹が風となってシオを取り巻けば。
「俺は大精霊様だからな、わりかし何でもありなのよ」
枯れ葉色の瞳を悪戯にきらめかせた。
*
行先を示す風は、既に彼の居場所を知っているかのように、迷いなくシオを先導する。
もめてる風情の関所を抜け、町中を抜けた先。風が導く先には、高台にそびえる屋敷が見えた。
「ジル――!」
逸る気持ちを抑えながら、シオは地を蹴る足に力を入れた。
動作に応え、シオにまとう風が彼女の背をそっと押し上げる。
次の瞬にはシオの姿はなく、残るは微かに舞い上がった砂塵だけ。
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