終、それは静かに
領都へと続く公道。
そこに物々しい雰囲気の騎士隊一行が通過していく。
乾いた地を整備した敷道を馬が蹄を打ち鳴らし、そこに混ざる馬車を引く音に、同じく領都へ向かう商人を主とした通行人らが、どこかのお偉い様だろうかと声を潜める。
あちらこちらから聞こえるその声は、好奇や怯え、様々な色が滲む。
その一行が目指すのは、領を治める領主の住む屋敷。
遠く。湿気含む風が、厚い雲を呼び込もうとしている。
人はまだ気付かぬ程度のその風は、幾ばくか荒さをはらみ始め、町中に設置された精霊灯がかたかたと震えていた。
その様子を、老狼は屋敷の屋根上から眺めていた。
『――精霊様方もいらっしゃっているねぇ』
うっそりと微笑み、満足げな息をもらす。
ここまでくれば、いよいよ大詰めだ。
ひゅおっと荒く吹き抜く風が老狼を煽る。
湿った匂いを鼻先に感じ、雨の近さを感じ取った。
『……雨なんてまあ、幾年ぶりかねぇ。いや、百幾年かもしれないね』
にんまりと笑みを浮かべる。
風が雲を呼び、雨を降らす。それはすなわち、自然の恵み。
生き物が生きるためには、水は欠かすことの出来ないものだ。
『…………それでも、さすがのおばばでも、王が来られることまでは予想ができなかったねぇ』
笑みが苦笑に変わる。
『――これは、一嵐来るかもしれないか』
と。それを感じたのは、刹那だった。
ぞわり、と。全身の毛が猫でもないのに逆立つ感覚。悪寒――なんて生易しい。
老狼が勢いよく振り返る。常に閉ざされている蒼の瞳が見開かれた。
老狼が視線を向けた先、それは地下牢のある方角。
瞬間。爆音が轟いた。
◇ ◆ ◇
突然の爆音の轟き。
廊下からは慌ただしい声が聞こえ、駆ける幾人かの足音を察知したエルザは、咄嗟に使われていない部屋へと身を滑り込ませた。
息を潜め、廊下の様子を探る。
ややして、衛兵らしき格好をした幾人かが駆けて行った。
ひどく慌てた様子だったのもあってか、エルザの気配には気付かなかったようだ。
ほっと安堵の息をもらし、扉を静かに開けると廊下へ顔を出す。
明かりを取り入れる明かり窓もなく、じじっと揺れる燭だけが廊下を照らす。
揺れる薄暗い廊下を、エルザは緊張を帯びながら先程まで歩き進んでいた。
そこに突如の爆音。何事かと身を硬くして警戒をしていたが、それはどこかの誰かもそうだったようだ。
おかげで気付かれずにやり過ごせた。
エルザが今いる階は、彼女には立ち入りが許されていない地下廊下。
そこになぜ彼女がいるのか。
簡単な話、こっそり忍び込んだ。
何やら不測の事態が起きているのか、普段は人の目がある地下への道にそれがなかった。
そして、エルザをここまで動かすのは――ちかがね、もにょもにょするの。という幼きエルザの主の言葉。
幽閉されたニニに何とか目通りが叶った際、こっそりと彼女が伝えてくれた言葉。
すべきことをしろ。そう隊長からの言質をもぎ取ったエルザは、ニニの探し物のために地下へと潜り込み、現在に至る。
「……先程の衛兵の顔は、見たことがなかったが」
ふむ、と手に顎を添えて考える。
屋敷の衛兵は、エルザとは所属は異なるが詰場所は同じ領家が抱える騎士隊だ。
規模は然程大きくはない騎士隊だ。
何かしらで顔は合わせるし、話す機会も少なからずあるもので。
なのに、見覚えのない衛兵がいる。
「――妙だな。外部からの派遣騎士が居るとも、隊長からは聞いたこともない」
それとも、別部隊が新たに編成されていたのか。
ならば、それは何の為に――。
「……――」
深まりそうになる思考に、エルザの直感が待ったをかけた。
廊下からまた人の気配。
エルザは様子を伺っていた顔を引っ込め、静かに部屋の扉を閉めた。
息を潜め、それをやり過ごす。
が、あろうことかその気配は、エルザが息を潜める部屋の扉の前で足を止めた。
無意識に息を詰め、エルザは物音をたてることなく、腰から提げる剣の柄へと静かに手を伸ばす。
気配が扉に手をかけた。
がちゃ、と無機質な音が室内に響く。
気配相手に聞こえてしまうのではと不安を覚えるほどに、どくどくと鼓動は大きく脈打つ。
嫌な汗が噴き出す中、扉ののぶがゆっくりと回される。
エルザが柄を掴み、僅かに鞘から引き抜くと、暗がりの中でも刀身が鈍い光を放った。
が――開きかけた扉が閉まる。
「いいのか? ここに見張りはおかなくて」
「たっぷりとオドを搾り取った魔族共は動けまい。ともかく、今は地下牢へ行けとのご達しだ」
「あの爆音はなんだってんだ。たくっ、仕事増やすなよなあ。ただでさえ、王都からの客人対応で慌ただしいってのに」
再度扉は開かれることはなく、ばたばたと忙しない音を響かせながら、廊下の気配が遠退いていく。
気配が遠退いてからも、しばらくエルザは剣の柄を掴んだままだった。
扉に耳を付け、音と気配を探る。
ようやく大丈夫だと確信が得られた頃に、やっとエルザは息を吐き出せた。
「……地下牢、だと――?」
そんな存在をエルザは知らない。
それに、奴らは他にも気になることを言っていた。
「魔族とは一体――」
なんのことだ。そう呟きかけて、反射的に口をつぐんだ。
どうして気付かなかったのだろうか。
どくん、と大きく脈打った。
エルザの鼻腔を刺激するこれは――獣の匂い。
ゆっくりと視線を這わす。
のろのろと持ち上がる視線に、暗がりに慣れたエルザの瞳がそれを映した。
ぼんやりと暗がりに浮かぶのは、幾つもの檻。
その中に獣の息遣いが幾つもあるのを、エルザの耳はしかと拾っていた。
◇ ◆ ◇
地下牢――爆音が轟く少し前までに、時は遡る。
『……ちあ、だいじょ……ぶ……?』
『そう、きく……ししぃ、こそ……だい……ぶ……?』
地下牢に張られた鳥籠を模した結界牢は、その中を
それは地から突き出た
逃げ惑っていたふたりも、ついには四方を結晶に囲われ、檻の中に檻で囚われるような二重牢状態になっていた。
ふたりは互いの存在を確かめるように、か細く声をかけ続ける。
息も絶え絶えなのは、牢内を満たす魔力が濃くなっているゆえ。
牢内に居た彼ら以外の精霊は、殆んどが結晶に取り込まれてしまった。
結晶牢に囚われ、力なく横たわる白狼が喘ぐように息をつく。
『……ジルを、探さ、なきゃ』
起き上がろうと四肢に力を入れるも、すぐに身体は崩折れる。
『…………まず、は……わたしたち……が、ぬけなく、ちゃ……むり、よ……』
ティアは既に、身体を動かす気力すら奪われていた。
消耗は彼女の方が激しい。シシィは内心で歯噛みするも、動けないのは自分も同じだ。
彼らが結晶に取り込まれないのは、ティアが咄嗟に張った結界のおかげだ。
風の層で張られた結界に、ばななが風に姿形を溶かして上乗せてくれたから、なんとか彼らは持ち堪えられているに過ぎない。
ティアが力尽きれば、たちまち彼らも結晶へと取り込まれるだろう。
ばななは結界の強化は出来ても、張ることは出来ない。
シシィは目を閉じ、大きく息をする。
そして、もう一度目を開くと、覗いた碧の瞳に強い光が宿っていた。
『……ちあ、もう少しだけ頑張って』
『しし……?』
シシィはゆらりと立ち上がると、深く呼吸をひとつ落として、結界から飛び出した。
ぎょっとしたティアから静止の声が飛ぶも、彼は足を止めることなく、突き出た結晶を踏み場に上へと駆け上がっていく。
が。身体の動きが鈍い。
駆け上がる毎に身体の重さが増し、あともうひと踏ん張りで地下牢の頂点部というところで、踏み場にしたはずの結晶に足が沈むのがわかった。
下から悲鳴じみたティアの声が聞こえた。
爪に水の気をまとって裂けばいいのはわかっているのに、もう身体が動かない。
やはり無理だったのか。
沈み始める身体に、シシィは諦めたように目を閉じた。
―――――――
今週は、明日も閑話を更新します。
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