閑話 かの地へ向かう精霊
砂塵舞う乾いた地を進む一行の姿があった。
既に領地内に足を踏み入れているということで、一行は気を引き締める。
騎士隊に周囲を囲われ、その中を進む馬車がひとつ。
装飾は最低限だが、それでも高位の者が乗るような馬車は、それを引く馬ですら緊張しているようだった。
馬自身も感じ取っているのだろう。
自らが引く馬車に乗る存在の気配を。
御者台に座る御者も、手綱を握る手にじんわりと汗をかいている。
その隣では、三毛柄の猫が退屈そうにあくびをした。
『まあ、なんっつーか。素敵なもんを思い付くよなぁ。精霊灯だってよ、スイレン』
馬車内は賑わっていた。
へらと軽く笑ってみせるフウガに、スイレンは空の瞳を眇める。
『それが素敵なものか。全く忌々しいものを思い付くものだ』
『素敵つったのは揶揄に決まってんだろ? これを本気で素敵だと思う奴にみえんのか、俺は』
フウガが向かいに座るスイレンの足を軽く蹴ると、スイレンはすぐにフウガを睨みつけた。
その際、彼は自身の膝上に座らせていた幼子を抱え上げる。
『ヴィーが落ちる』
『んなに強くは蹴ってねぇよ、過保護』
面白くなさそうな表情を浮かべ、フウガは呆れの嘆息を落とした。
『過保護で結構。今のヴィーは魂なんだから、気を遣って当たり前だ』
『いえ。心配には及びませんよ、スイレン』
抱え上げられた幼子、ヴィヴィが声を発すれば、スイレンはそっと自身の膝上へと下ろした。
『あれから私も研究をしましたから、あの時の魂剥き出し問題は解決済みです。魂は精霊界の本体に在ります』
小さな胸を張って笑うヴィヴィは、へへんっ、とどこか得意げだ。
『え? じゃあ、今のヴィーはなんなの?』
『これは
それはまるで、奇怪なものを見るような目である。
『衝撃に少しばかり脆いのが難点ではありますが、慣れると便利なものですよ。本体と形代の動作回路は別にしてありますから、それぞれ別行動が可能なのです。なのに、形代の記憶も本体と共有ができ、その逆も然り。便利でしょう。王という立場ゆえに“外”へは出られぬ身ではありますが、これで多少の自由は効きます』
『……なあ、スイレン。意味わかったか?』
『いいや、わからん。俺の知らない間にヴィーはそんなことしてたのか。言ってることはわからんけど』
『だよな。わかったのは、王はやはり規格外ということだな』
『こんな芸当は、ヴィーみたいにマナ保有量が甚大じゃないとできないよ』
頭上でこそこそと声を潜める男連中は放っておき、ヴィヴィはスイレンの膝から降りると、馬車の窓から外を眺めた。
瑠璃の瞳が乾いた地を映す。
気配を探ってみるも、やはりこの地に精霊の気配は薄い。
思い出すのは、領地へと踏み入れる際に通る関所で、ここから先は持つようにと薦められた“精霊灯”。
表向きは視察という名目で訪れている。
代々の領主が開発に携わってようやく実現化したというそれを、当代がさらに改良させたらしく、この地特有の
マナ溜まりを浄化する精霊を模したというそれは、精霊に縁ある者が一目見るだけで気付く。
それは模したものではなく、精霊そのものだと。
誰が言ったのが始まりか、かの地は精霊間でこう呼ばれている。
『……精霊の遠い地、か』
伏し目に揺れる瑠璃の瞳。
そこに滲むは憂いの色――しかし、次の瞬間には苛烈な色を宿していた。
耳横で左右に結われた白の髪が、彼女から漏れ出る不可視の何かで翻る。
こそこそと、声を潜ませていたスイレンとフウガの声がぴたりと止まった。
緊張した面持ちで、彼らは静かにヴィヴィを見やる。
『精霊灯とは、人は素敵なものを考えるものですね』
口調は柔らかな感嘆のそれ。
だが、声音は平坦で、そこに感情の色はない。
『いや、それは俺が言った台詞』
フウガの声にヴィヴィはくるりと振り返る。
『――ですが、皆の総意です』
『まあ、違いない』
にこりと笑うヴィヴィに、同意するようにフウガもまた笑った。
『同胞をここまで手酷く扱われ、王として黙っているわけにもいきませんよね』
口の端を引き、ヴィヴィは薄く笑う。
幼子の風体には似つかわしくないそれは、けれども、王としての風格が漂う。
『素敵なものを造っていたたいたのですから、そのお礼はきちんとお伝えしませんと』
馬車内の温度が急速に下がり、フウガが腕を擦った。
『鳥肌たつねぇ、俺が鳥だけに』
『……寒いことを言うな。余計に寒くなる』
言葉を返すスイレンも、どこか顔色が悪い。
『同じ水の精霊でも、やはりヴィーには敵わないと痛感するな。力の底知れなさに、俺も鳥肌がたつ』
僅かな湿気さを感じるのも、彼女の気の昂りに、馬車内の空気中の水気が呼応しているから。
ここが乾いた地でよかった。ほぼ水気はないも同然なのだから。
だが、と。スイレンは窓から空を見上げる。
『……風も吹かぬと聞いていたが、風が吹いているな。それも、荒さが増している気がする』
『それはティアだな。あいつは風の愛し子だから』
『前から気になってたが、フウガの言うそれ、“風の愛し子”とはなんだ』
スイレンの空の瞳が怪訝そうに瞬く。
その際に、ヴィヴィを再び己の膝上に座らせ、彼女の気を落ち着かせようと頭を撫でる。
『ティアは風に好かれた魂の宿主。ゆえに
どこか諦めた息をもらし、フウガは背もたれに寄りかかって屋根を仰ぐ。
『風の声を聞き、風に触れられる風の精霊として、あいつの魂の輪廻を外れさせる程には、この地の想いは強かったってことさ。……もしくは、かの精霊――老狼殿の想いもあったのかもしれない。風ならば、きっとどこかで精霊の耳にはいるだろうしな。うまく動いたもんだよ、まったく』
『それってつまり――』
『それだけ老狼殿の力は甚大で未知数。そこにまで影響を及ぼすなんざ、とんでもねぇよ。俺はそこまで永くは生きたくねぇな』
肩をすくめ、冗談めかしてフウガは言うが、限りなく本心だろう。
確かにその通りだ。スイレンもそう思う。
老狼をそこまで想わせる何かがこの地に在るのか、在ったのか。
想いは時に理解を越える。
スイレンが重い息を吐いたところで、膝上の幼子が声を上げた。
『……そうなってしまうまで気付かなかった私も、何とかしなければと気にかけながらも、今まで何もしなかった私も、王としての責は負わなければなりません』
『それは俺も同じだよ、ヴィー』
彼女の顔を覗き込めば、泣いているかと思った瑠璃の瞳は乾いていた。
『いいえ。これは私の課せられたものの範疇です』
『でも、ヴィーは王としてはまだ日が浅いよね。王をかの存在から賜ってから、まだ百数十年だよ』
『それでも、当代の王は私です。歴代の王らが目を背けてきた問題だとしても、今の王は私なのです。そこに時の長さや比重は関係ありません』
しかと空の瞳を見返す瑠璃の瞳に、スイレンは、そっか、と静かに息をついた。
姿勢を戻し、彼女の頭をもう一度撫でる。
『なら、俺はもうなにも言わないよ』
『――ですが、それと精霊灯はまた別の問題ですから、目をつむるわけにもいきません』
淡く微笑むヴィヴィに、向かいに座るフウガは薄ら寒さを感じて腕を擦った。
と。その時、馬車の窓を叩く風がひとつ。
ん、と視線を投じ、フウガが窓を小さく押し開けてやると、するりと風は身を滑り込ませた。
そして、風は抱えていたそれをフウガに渡すと、再び外へと出て行った。
『なにを受け取った?』
窓を閉めたフウガは、スイレンの問いに対し、受け取ったそれを散らすことで答える。
『表向きは、助けを求めるマナさ――お前と王がよく知る、な』
散ったマナはすぐに空気中に溶けてしまうも、その質は彼らの肌に感ずる。
空と瑠璃の瞳が小さく見開かれる。
『……これは、シシィの……』
『おうさ。きちんとティアのもとに辿り着いたようだ』
『……お前』
きろりとスイレンがフウガを睨む。
『おっと。苦情は全て終わってから受付けるぜ』
肩をすくめて見せるフウガに、スイレンの瞳により鋭さが宿った。
が、膝上の幼子が彼の服の袂を引いて静止をかける。
『――スイレン。それが大精霊のもとに身を置いた精霊の役目ですよ』
『王の仰る通りだ。これでお前も王も立ち入る名目が出来た。――子が囚われている、と』
『だが、そのやり口は気に入らん。それは覚えておいてもらおうか、フウガよ』
『それはシルフとして覚えておこう』
その物言いにスイレンは眉をひそめた。
『……フウガとしては、俺も思うところがあるってことだ』
『ならば、一緒に助け出しにいきましょう、フウガ』
『ああ、そうだな』
揃って頷くヴィヴィとスイレンに、フウガもまた黙って頷いた。
しかし、フウガが窓から空を見上げて。
『……しかし、王も怒っておられる』
と、顔を引きつらせるのだった。
空では吹き荒れる風に呼ばれ、厚い灰色の雲が向かい始めていた。
馬車内の温度は冷えたままであり、ひんやりとした王の昂りに呼応した水の気が、風に頼んで灰色の雲を呼んだのだ。
ぽつ、と。風に運ばれた水の粒が、馬車の窓を撫でる。
この乾いた地に、永らく降ることのなかった雨が降ろうとしていた。
雨の気配が、近い――。
そんな馬車内の精霊らの不穏な気配を背に感じたのか、御者は身震いし、砂塵避けの
馬も落ち着きなく、御者は懸命に大丈夫だからと宥めていた。
その横で、三毛柄の猫は鼻先を天に向けてひくつかせる。
雨の匂いを遠くに感じ、ぴしり、と座る御者台に尾を軽く打ち付けた。
―――――――――
今年もよろしくお願いいたします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます