第八章 絡むその先は

終、そのきっかけは遭遇


 ここのところ数日、ニニは屋敷中を駆け回っていた。

 使用人や衛兵らは、お嬢様のお転婆には慣れているからか、微笑ましげに眺めるだけ。

 だが、そんなお嬢様のお付き兼護衛を担っているエルザには、彼女の様子が普段と違うことに気付いていた。




「お嬢様、何をお探しなのですか?」


 鏡台の前に座り、メイドに整えてもらった髪を眺めていたニニが、エルザの言にぎくりと固まった。

 なんともまあ、わかりやすい反応を。エルザが思わず苦笑をもらす。


「な、なんのこと……?」


 ニニは編んでもらった髪をふにふにと弄りながら、何事もない様子を取り繕う。

 彼女はどうやら気付いて欲しくはなさそうだが、気付かないふりにも限度というものがある。

 ニニの側仕えとして、領主へ報告する役目もあるのだ。


「エルザの目は誤魔化せませんよ。私はお嬢様の側仕えですから」


 言外に何か問題があるのならば、領主――つまりは、ニニの兄へ報告しなければならないと匂わせる。

 まだ幼いニニだが、彼女は聡い子だ。これだけでエルザの言わんとしていることは伝わる。

 鏡越しにニニが口を尖らせた。

 くるりとエルザを振り返るなり、ニニは彼女を睨みつける。


「ににがなにかをさがしているとしたら、それをえるざはおにいさまにおつたえするもの。だから、ににはなにもさがしてない」


 それは暗に何かを探していると言っているようなものだ。

 しかし、エルザを睨むニニの瞳には、確かな力強さが宿っている。

 これは意志は硬そうだ。

 エルザがニニの目線に合わせるため、膝を床に付けて屈んだ。


「ならば、このエルザにお命じください。兄君様に報告するな、と」


 簡素であるも、エルザが騎士の礼をとる。

 面食らったのはニニだ。可愛らしい目を丸くする。


「……そうすれば、えるざはないしょにしてくれるの?」


「私はお嬢様の側仕えですから、領主様への報告の任もあります。ですが、その前にエルザの主はお嬢様――ニニ様です」


 エルザが恭しくニニの手を取り、手の甲に唇を落とした。


「ですから、ニニ様。――このエルザにお命じください」


 しばし呆けたようにエルザを凝視していたニニも、やがて顔つきが主のそれになる。


「――なら、めいじる。おにいさまにはないしょだよ、えるざ」


「承知致しました」




「それで、お嬢様はいったい何をお探しだったのですか?」


 改めて問うエルザに、ニニは言いにくそうに口ごもる。

 探し物を告げたところで、彼女は信じてくれるのだろうか。

 内緒にしてくれると約束してくれたが、それがつまり、探し物まで信じてくれるとは限らない。


「……ににね、なんにちかまえに、せいれいさまにあったの。ににのおへやでねていたはずなのに、あさになったらいなくなっちゃったの」


 伏し目がちに告げて、おそるおそる上目でエルザの様子を窺う。


「精霊、様ですか……」


 繰り返す彼女の声は訝っていた。

 やはり、そういう反応になってしまう。

 ニニだってわかっている。自分らが暮らす領地は、精霊が絶えて永い。

 それなのに精霊に会ったなどと、子供の戯れ言と言われてしまえばそれまでだ。

 ニニは精霊灯の正体を知っているから、この他に精霊が訪れていたとしても不思議には思わない。

 だが、エルザらは、精霊灯は領主であるロンドらが開発した代物だと思っている。

 ニニの言が戯れ言だと思われても仕方ない。

 気落ちだろうか。ニニの肩がしょんぼりと落ちた。


「私は信じますよ、お嬢様」


「えっ……」


 ニニが顔を上げると、柔い笑みを浮かべたエルザが居た。


「……でも、えるざにせいれいさまは」


「はい。巧妙にお隠れになられる精霊様を視認するのは、私には適いません。なので、正直に申し上げますと、精霊様がこの地に訪れられているとは、少しばかり疑心を抱いております」


「じゃあ……」


「ですが」


 また俯きそうになるニニを、エルザの声が上向かせる。


「このエルザ、お嬢様が仰られることは信じますよ。お嬢様が、精霊様がこの地に参られたと仰られるのならば、きっとそうなのでしょう」


 まかせろとばかりに、どんっ、と強く胸を叩くエルザの姿は、ニニにはとても頼りがいのある姿に見えた。

 強く叩きすぎて咳き込むエルザも、なんだか大きな姿に見えて、ニニは勢いよく抱きつくのだった。




   *




 夜半すぎ。夜に包まれ寝静まった屋敷。

 エルザは幼い主をなんとか説得し、ようやく寝入ってくれたと安堵して気付けば、こんな時刻になっていた。

 静かに主の私室を下がり、自分も休むために部屋へと向かう。

 使用人の姿はなく、廊下で時折すれ違うのは夜番の衛兵。

 エルザも騎士ではあるが、所属は違うために彼女に夜番の見回りの任はない。

 だが、顔見知りではあるため、すれ違う度にお疲れ様と互いに労う。

 そうしてエルザも自室に戻り、腰に提げていた剣をベッド脇に立てかけると、そのまま己を顔からベッドへ投げ込んだ。

 小さな庭園に面した窓をからは、しんと静かな月明かりが差し込む。

 庭園といっても、申し訳程度の下草と小さな茂み、枯れそうな池があるたけの淋しい庭だ。

 お嬢様付き騎士として個室を与えられており、同室の者がいないのは気が楽だった。

 こうして身を清める前にベッドへ倒れ込んでも、小言ひとつ飛んで来ない。


「……ああ、このまま眠ってしまいたい……」


 くぐもった声がもれる。

 体力に自信はあったのに、幼子の探し物に付き合うだけでここまで疲れるものなのか。

 味方を得たニニは、これまでよりも探索範囲を広げることにしたらしく、その範囲は屋敷内に留まらず、屋敷外にまで及び、さすがに咎められやしないかとひやひやした。

 が、お嬢様は本日もお元気ですねと、お転婆の延長線に捉えられているようだった。

 ならば、それは良かったと胸を撫で下ろしたいところなのだが。


「――……空気が妙な気がした」


 ごろりと寝返り、天井を見やる。


「基本的に私の所には、お嬢様関連の情報しか下りて来ないからな」


 実は自室に戻る道中、私兵騎士団長の元に立ち寄った。何事か起きているのではと疑念を抱き、団長に問うてみたのだが、特にないよとすぐに帰されてしまった。

 団長にそう言われてしまえば、一騎士でしかないエルザには、それ以上を詰める権限もない。

 だが、屋敷内の――否、それは平常だ。

 しかし、そのさらに奥の空気は凝っている気がした。

 少なくとも団長は何事かを隠している。

 そしてまた、団長もエルザが何かしら思う事があって訊ねたことに気付いているのだろう。

 だから、団長はエルザを追い返した――これ以上は踏み込むな、と。

 これは警告だ。そして、忠告だ。


「――私がお護りすべきは、領主様でもこの領でもなく、お嬢様――ニニ様だ」


 それは履き違えはしない。

 だが、そのためにも屋敷内――その奥で、何が起きているのか、起きようとしているのか、把握しなければならない。

 知らなければ、護れるものも護れやしないのだから。

 疲れからか、はたまた、自室に戻ってきたゆえの気の緩みか。

 エルザはまぶたに重さが増し始めているのを自覚する。

 このまま眠ってしまってもいいが、せめてシャワーくらいは軽く浴びたい。

 囁く睡魔をなんとか払い、身を起こした――刹那。

 外で気配が揺らいだ。微細な揺らぎは、エルザを覚醒させるには十分だった。

 短な息ひとつ。脇に立てかけた剣へ瞬時に手をやり、息を殺して壁を背に窓から外の気配を探る。

 微細なその揺らぎは人の気配とはどこか違う気がして、エルザは訝りながらも、警戒はらむ慎重さで窓を開け放つ。

 瞬間。庭園の一角の茂みが驚いたように揺れた。


「……何者だ」


 低く問い、鞘から剣を少しばかり抜き、刀身を月明かりで弾く。威嚇だ。

 それから微風が庭園を吹き抜け、その葉擦れの音に紛れて茂みが揺れた。

 葉擦れの音に隠れるように、そそくさと茂みから抜け出す小さな影がひとつ。

 あれで逃げおおせられるとでも思っているのだろうか。月明かりに照らされ、姿が丸見えだ。

 と、思ったところで、エルザが目を丸くして固まった。


「って、リス……?」


 思わずもれたエルザの声に、今度は月明かりに照らされる小さな影が固まった。

 ぎぎぎとぎこちない動作でエルザを振り返り、凝視する。


『……今、人の言葉でリスって聞こえた気がしたの。ミント、人の言葉はわからないけど、その言葉は覚えてるの』


 小さな影――ミントは、たらたらとかくはずもない汗が流れている気がしていた。


『なんで、あなたに見えてるの? もしかしてミント、認識阻害へたっぴ……?』


 認識阻害が下手だとは、これは由々しき事態だ。

 人に姿を見咎められた。

 ミントは背に背負う大樹の種を、護るように抱え直した。

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