閑話 さあ、時は来たり


 班の執務室の続き間は、班長の仮眠室にとあてがわれた部屋へ通じる。

 パリスは今日もその部屋で朝を迎えた。

 この頃は自宅に戻らず、この仮眠室での泊まり込みが続いていた。

 むくりとベッドから起き上がり、あくびを噛み殺しながら窓辺に寄ると、カーテンを開けて朝陽を浴びる。

 伸びをひとつ。筋が凝り固まっているのか、節々がぱきぽきと、時にごきと鈍い音を響かせた。


「と、ヒョオはどこいった?」


 寝起きで乱れた髪を手で梳きながら、ベッドを振り返る。

 ヒョオは昨夜も枕元でとぐろを巻いて共に就寝したはず。

 仕事をするにしても、まだ時間的には早い。

 もしや、急案件でも入ったか。

 疲れた吐息がパリスの口から漏れ出た。

 それならば、さっさと身支度を済ませよう。




 給士に頼んで運んでもらった軽食を腹に詰め、剣の刃先を磨き終わった頃にヒョオは戻ってきた。

 鞘から半身を抜き、刃先の反射で程度を確認していたパリスは、剣を鞘に戻して顔を上げると、その瞳を丸くする。

 初老手前程に見える淡紅色の髪を持つ男性姿のヒョオの肩には、彼女がちょこんと座っていた。

 背には綺麗な水面色の蝶の翅。花弁で服を模し、人の幼子の容姿を持った彼女。

 新緑色の瞳がパリスを見やって笑うと、元気な声が挨拶を告げた。


「ぱりすさま、おはようございます!」


「おはよう、ミナモ。スイレンさんの使いか?」


「そーなんです! みなもちゃん、朝からすーさまの前触れにきました! みなもちゃんってば、えらいっ!」


 どんっと小さな胸を張ってみせるミナモに、朝から元気だなとパリスは苦笑を浮かべる。


「朝から煩い気配を感じてな。パリスの眠りの邪魔はさせたくなかったゆえ、我がなんとか引き止めておった。――ほんにやかましい小娘だ」


 嘆息をもらすヒョオからは、幾分か疲労の色が滲み出ていた。


「ひょーさま、最後の呟きが聞こえてますよ」


「聞こえるように言ったゆえ、当たり前であろう」


 ミナモが軽くヒョオを睨んでみせるも、その程度では彼に通じる筈もなく、そっぽを向かれて終いだった。


「みなもちゃんのお仕事の邪魔はしないでください。すーさまからの大事なみなもちゃんのお仕事ですよっ!」


「お主の都合など知らぬ。我はパリスの眠りの邪魔をさせたくなかっただけだ。この頃は眠れぬ夜もあるゆえな」


 今度はヒョオがミナモを軽く睨んでみせた。

 すると、ミナモはびくりと小さな肩を震わせるなり、新緑色の瞳を潤ませる。

 そしてミナモは、潤んだ瞳でパリスを見やり、蝶の翅を動かしてヒョオの肩から飛び立った。

 パリスへ救いを求めるように手を伸ばすと。


「ぱりすさまぁ……ひょーさまがみなもちゃんをいじめてきますぅ……」


 彼へと泣きつき、縋り付く。

 パリスの肩に留まり、うりうりと彼の頬へ泣き面を押し付けた。

 その様をヒョオが冷めた目で見下ろし、パリスへ距離を詰めると、手を伸ばしてその首根っこを捕まえる。


「茶番はいいゆえ、さっさと用件を申せ」


 ヒョオはぎとりと、今度こそ冷めた瞳でミナモを睨みつけた。


「そうだね。オレもそろそろ用件は聞きたいな」


 パリスの追撃もあり、ミナモはつまらなさそうな表情を一瞬浮かべたあと、鬱陶しげにヒョオの手を振り払って近くの卓へと降り立った。

 くるりと振り返ると、今度は真面目な顔をしてパリスへと向き直る。

 先程までの泣きっ面はとうになく、真剣な光を携えた新緑色の瞳がそこには在った。


「すーさまがぱりすさまにお話があるそうで、後程こちらへ伺うとのことです」


「それはなんの?」


「――動く用意が揃った、とのことです」


 パリスとヒョオに緊張が走った。




   ◇   ◆   ◇




 応接室。テーブルを挟んで隊長とスイレンが向かいでソファに座り、パリスは隊長の後ろに控えていた。


「――それでこれが、風のシルフより預かった契約書だ」


 そう言って、スイレンはテーブルの書面を示す。

 彼は足を組み、息を落とした。


「輩の言う精霊狩りの現場にて、シルフが捕えた男から押収したものだ。男曰く、裏の窓口から受けた仕事とのことだ」


「……拝見しても?」


「ああ、構わない」


 スイレンから許可を得て、隊長が書面を手にそれへ視線を落とす。

 契約書を険しい目付きで記された文を追い、そして、最後に記された依頼主の欄に目を止めた。


「見覚えが?」


「ええ、そうですね。――パリス、見覚えあるな」


 隊長が後ろに控えるパリスへ書面を渡す。

 それを受け取ると、パリスもさっと文面に目を通し、そしてやはり、依頼主の欄で視線を止めた。

 眉間にしわを寄せ、記憶を手繰るように瞳を伏せたのち、スイレンを見やる。


「その方面に精通した我々の手の者に探らせたところ、近頃とある者が複数の依頼を出し、尚且、とある集団が一切の依頼を受付なくなったとの情報を得ました」


 スイレンの空色の瞳が細められた。


「それはつまり、そのとある者のお抱えにその集団がなったため、他の仕事は受けなくなったと」


「そういうことかと」


 パリスは静かに首肯する。


「そして、そのとある者の名が、この契約書の依頼主欄に記された名です」


 パリスから契約書を受け取った隊長は、テーブル上に契約書を置き、パリスの言を引き継ぐ。


「そのとある者の名ですが、どうやら偽名のようで、それも様々な窓口を通しての依頼だったらしく、探るのが難航し……」


「それで、未だ特定に至っていないと――?」


 スイレンはただ隊長を見やっただけだが、隊長の身体が無意識に強張るくらいには冷たかった。


「い、いえ――」


「オレ達を見くびらないで欲しいッス」


 突としたパリスの砕けた物言いに、張り詰めかけていた空気が一気に緩む。

 スイレンは目を丸くし、隊長は顔を青くして彼を振り返る。


「パリスっ! スイレン様の前で、まだそんな砕けた物言いをしているのかっ!」


「スイレンさんには咎められてないからいいじゃないですか」


「なら、せめてこういった正式の場では改めろ」


「堅苦しいのは疲れました」


 控えていた際のきちんとした姿勢を崩し、パリスは頭の後ろで腕を組んで筋を伸ばす。


「……パリス、お前という奴は」


「まあまあ、隊長殿」


 嘆く隊長に、スイレンはくつくつと喉奥で笑いながらなだめた。


「しかしですね、スイレン様」


「俺は気にしていない。それに、俺も少しばかり苛立っていたのかもしれない。場を和ませるためだったのだろう」


「スイレン様がそう仰るのならば……」


 スイレンに向け、にへらと崩れた笑みを浮かべるパリスを、隊長は軽く睨み、改めてスイレンへと向き直る。


「――話を戻します。先程の依頼主の名ですが、探るのに難航はしましたが突き止めてはいます」


「ほお」


 スイレンが組んでいた足を解き、反対に組み直す。


「そして、行き着いたひとつの名が――ロンド」


 隊長の瞳がスイレンをしかと据えた。


「この者は年若い領主ですが、我が国の端の領を治める者でございます」


「……なるほど。やはり行き着くのは、精霊も絶えたとされる閉ざされたかの地か」


「はい。スイレン様方の先見通りに」


「とすれば、かの精霊も関わっているのだろう」


 スイレンがソファの背もたれに沈む。

 やっかいな。彼の口から溢れた言葉は、しっかりと隊長やパリスの耳にも届いていた。


「……かの精霊というのは、以前仰られていた、途方もない時を重ねた老狼の精霊様のことでしょうか」


「そうだ。かの精霊はおそらくではあるが、時を永く重ねている」


 息を呑んだのは隊長の後ろに控えるパリスだった。

 ヒョオと結ぶ彼だからこそ、時を永きに渡って重ねた精霊の絶大さがわかる。

 それは目の前に居る大精霊と肩を並べるスイレンよりも、精霊としての格は上ではないのだろうか。

 もしかしたら大精霊よりも、いや、それよりももっと、精霊王すら超える――そこまで考え、やめた。

 考えたところで途方のなさを突きつけられるだけだ。


「……それは、立ち向かえるのですか――?」


 こわごわと発せられた隊長の声に、パリスとスイレン、双方の視線が向けられる。

 スイレンの空色の瞳が、隊長のそれを真っ直ぐに受け止めた。


「俺だけでは無理だな。だが、数が有れば或いは……」


 考え込むようにスイレンが深く息をついた時だった。


「――そっちには、既に俺の手元に居る精霊を送り込んでるぜ」


 突として割って入った声に、パリスと隊長が瞬時に警戒の色をまとう。

 二人は鋭く周囲に視線を巡らせ、パリスは帯剣する柄に手を添えた。

 視線を巡らせるも、声の主の姿はない。

 ふいに空気が震え、気配が揺らいだ。

 瞬時にパリスと隊長の視線がそこへ向く。


「まあ、そう警戒すんなって」


 とん、と降りたのは、朱夏頃の見目な男。白の髪を無造作に後ろでひとつに括り、枯れ葉色の瞳が愉快げに彼らを見やる。

 スイレンの背後に降り立ったその男は、親しげに彼の肩に肩肘を置くと隊長らへ笑いかける。


「俺はスイレンの知己の精霊だ。突として現れたことは詫びる」


「警戒は解いてもらって大丈夫だ。奴はシルフの名を冠する精霊――一応、人の世でいう大精霊にあたるやつだ」


 スイレンが迷惑そうにシルフの手を払った。


「一応っつーのは失礼じゃねぇか?」


「そうだろうか。先触れなしに訪れるのは、いたずらに萎縮させるだけであって歓迎されたものではないぞ」


「そーなの? ミルの嬢ちゃんの時は、嬉々として距離を詰められ歓迎されたんだがなぁ。あれは、さすがの俺も引いたな」


 思い出しているのか、シルフがしばし遠い目をする。

 しかし、スイレンはなぜか身体を震わせた。まるで、何者かに怯えるように。


「ん、スイレンはどした?」


「いや、気にするな。少々、ミルで始まるとある者を思い出しただけだ」


 疲れたようにスイレンは息を吐く。

 そんな精霊らの様子を、パリスと隊長は困惑気味に見やっていた。

 隊長が指をくいと動かすと、パリスが顔を寄せる。


「パリス。気配から精霊様だとは判ぜられるが、シルフ様でお間違いないのか? 私は精霊様とは結んではいないし、あまりそちら方面にも明るくない」


「……シルフ様でお間違いないかと。気配が尋常ではありませんので」


 それに。と、パリスは声を潜ませ続ける。


「まあ、その……シルフ様の仰る“ミルの嬢ちゃん”と、あのスイレンさんの反応から、一人だけ思い至る人物が居ます……」


「ん?」


 パリスの声音に混ざる微量な疲労に、付き合いの長い隊長が気付く。


「……おそらく、オレの従妹ミルウェイのことかと。彼女からもシルフ様のことを聞いたことがありますし」


「……お前、なんだか疲れてるか?」


「…………そうかもしれません」


 思い出しただけで疲れる、とげんなりとしたパリスへ、隊長が労るように声をかけた。


「あとで、胃の煎じ薬を持ってこさせようか……?」


「いえ、胃痛よりも頭痛……」


 パリスが痛む気のする頭を抑えて顔を上げると、一瞬にして動きを止めた。

 目を瞠るパリスを訝しみ、隊長もその視線の先を追うと、彼もまた同じように動きを止めた。

 スイレンの膝上に、見知らぬ幼子が座っていた。

 左右に髪を分けて結わえたそれを長く垂らす髪は白く、丸い瑠璃色の瞳の目は幼子特有の愛嬌がある。

 今度はなんだ。なにが現れた。

 パリスと隊長は互いに顔を見合わせ、瞬時にして思いを通じ合わせた。


「私も同行します。構いませんね? スイレン、シルフ」


 幼子の声は、その見目に似合わず否を唱えさせない力強さがあった。

 問う口調だが、既にそれは決定事項なのだろう。

 スイレンは不服そうにしながらも否は唱えず、シルフは面白そうに笑っている。


「あちらへの道も既に確保済みだ。姪が喚ばれた経路を辿れば、こちら側の証拠提示ともなるだろう。ご安心を、王よ」


 シルフが恭しく頭を垂れ、それを受け取る幼子の姿もまた自然だった。

 幼子の風体をした存在だが、大精霊が頭を垂れるのが当たり前の存在ということだ。


「ええ。心配はしていませんよ」


 くすくすと品よく笑う姿が見た目通りの幼子の仕草に見えず、パリスは今度こそ胃を抑えた。

 シルフは先程なんと口にしたか。

 王、という単語だった気のするのだが――。


「………………隊長。オレ、やっぱり胃の煎じ薬欲しいです」


 パリスと同じ可能性に行き着いたのだろう彼もまた、胃を抑えて身体を曲げた。


「………………私は吐きそうだ」


「………………じゃあ、吐き気止めも頼んできますね」


 部屋の外にて待機する隊員に言付けようと、パリスはよろけながら向かうのだった。




 こうして数日後。

 騎士隊が揃えた契約書、密書。魔法師らが解読した陣の内容。

 そして、大精霊シルフから下手人の情報を得ることが出来た。

 その情報の精度に、あとから裏取りした者らが驚いていたのは余談となるが、それが事をつつがなく進めるのに大いに助かったのは事実。

 王城ではそれらをさらに精査し、そして、特別隊が組まれることとなる。

 派遣先は――かの地、国の端に位置する領地。

 特別隊には選別された精霊も随行し、その中に精霊王の姿も在ったのではないかと噂された。

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