青年は何を想う


 夜更けも過ぎた頃。

 どっぷりと夜に浸かる屋敷の執務室にて、この地の領主である青年ロイドは待っていた。

 照明に灯された火が、濃い夜の気配に怯えるように揺れる。

 待つ間の暇つぶしとして執務や雑務を行っていたら、この先の分にも手を付けてしまっていたようで、侍従に取り上げられてしまった。

 今は部屋に一人。暇つぶしは取り上げられてしまったし、さあ、どうするかと執務机に座したまま唸り始めた頃、ようやくロイドの待ち人が降り立った。

 ふわりと静かに降り立ったそれは、自慢の白の体毛をなびかせ、常に閉じたままの瞳を彼へと向ける。


「ちょっと遅くなっちまったねぇ。ロンド坊や、待たせたかい?」


 朗らかに笑う老狼に、苦笑を浮かべたロンドは立ち上がる。


「いいえ、大丈夫ですよ」


 そのまま応接用のソファへと腰をおろし、老狼も後に続くように向かいのソファへと向かった。

 老狼はソファには座らず、その前に座してロンドと向かい合う。


「それで、このおばばに話とはなんだい?」


「ええ、おばば様に報告をと思いまして」


 ロンドは改めて居住まいを正す。


「計画は一段階進んだとみて、魔物狩りや精霊狩りの者達へ撤収するよう伝達しました」


「そうかい」


「なのですが……」


「おや、何かあったのかい?」


 首を傾げる老狼に、ロンドはしばし言いにくそうに口ごもったあと、意を決したように重く口を開いた。


「……一部の者が、未だ戻りません」


「そうかい」


 だが、対して老狼の返答は軽い。

 ロンドは軽く眉を寄せるも、言葉を続ける。


「それに、各所の騎士隊が動いているとの報もあり、もしかすると、捕らえられた可能性も否定はできない状況になっております」


 腕を組んで深く息をつくロンドに、それでも老狼は、そうかい、と軽く返答をするだけで、ロンドの瞳に険が宿る。


「おばば様。これは少々、厄介な状況だとは思いませんか?」


「あたしは思わないね」


「なっ……んです、と……?」


 己を軽く睨むロンドには動じず、老狼はすました顔で告げる。


「ついでに言うとね。精霊も潜り込んでいるよ」


 そして、彼女は面白そうに笑った。


「――精霊王のお子殿がねぇ」


 瞳を薄く開き、喉奥でくつくつと笑う老狼を、ロンドは顔を険しくして思わず立ち上がる。


「なぜっ、それを先に言わないんだっ!!」


 夜の静寂を乱すけたたましい音に、老狼の顔が初めて歪んだ。

 不機嫌に染まる彼女の表情に、ロンドははっとしてすぐに座り直す。


「突然、申し訳ありませんでした」


 それでも、ロンドの表情は不服げで固い。


「ですが、どうしてそれを――」


「黙っていたかって――?」


 ロンドの言を老狼が遮った。

 その声音に温度はなく、ロンドは薄ら寒気を覚えた。


「簡単なことだよ、ロンド坊や」


 と思えば、温かみのある常の声音に戻る。

 しかし、薄ら開く老狼の蒼の瞳は、爛々とした何かを宿していた。


「――この現状は、あたしの望み通りに事が運んでいるからだよ」


 老狼は微笑むと、ゆっくりと座していた尻を持ち上げ立ち上がる。


「ここからは、あたしはあたしのために動くよ。ロンド坊やは、どうかこのおばばの邪魔はしないでおくれよ?」


 ロンドの横を通り過ぎる老狼を、彼は思わず立ち上がって振り返った。


「それは……それは――」


 その先の言葉を継げずに立ち尽くすロンドを、振り返った老狼の蒼の瞳が静かに見返す。

 温度のない瞳に見返されながら、ロンドは何とか言葉を声に乗せる。


「それは、私達を欺いていたということですか……?」


 震える手を握り込む。


「私だけでなく、先代である父を、先々代の祖父を、さらにその上の――我ら一族を、ずっと……」


 少しずつロンドの声は震えを帯びていく。


「この地を生き物が暮らせていけるほどに豊かにするため、おばば様はそのお知恵をずっと、ずっと前から、我ら一族へお貸しくださっていたのではなかったのですかっ――!!」


 きんっ、と夜の静寂を激しく揺さぶる叫び。

 老狼を見やるロンドの瞳に、静かな怒りの色が揺れ動く。


「その長年の計画がようやく私の代で、叶う手前まで及んでいるというのに……それなのに、おばば様は我らを欺いていたのですか。もう、後戻りは出来ないのですよ」


 静かな怒りの色に、苦しげな色が混ざる。

 黙ってロンドの言葉を聞いていた老狼が、ここでゆっくりと口を開いた。


「そうさね。おばばだって、今更戻る気もないさ。そんな時も、この老いぼれには残されていないからねぇ」


 閉ざされた老狼の蒼の瞳が、まぶた越しにロンドを見据える。


「この地を豊かな地にして、ロンド坊やら一族を護る――それがあたしに課されたそれ。おばばはね、ずっとそうしてきただけさ。決して、欺いていたわけではないさね」


「おばば、さま……?」


「……けどね、この老いぼれに残された時はないのさ。だから、ここからはロンド坊やには悪いけど、あたしはあたしのために動くよ」


「一体なんの話を――」


「あたしはあの人にこの地を託された。それはすなわち、あの人の――ロンド坊ややニニを護ることにもなるだろうさね」


 さあ、これでお喋りは終わりだねぇ。

 そう言葉で締めると、老狼はゆっくりとロンドへ背を向ける。


「――ロンド坊やも、覚悟はあるんだろう?」


 最後に老狼は肩越しに視線をロンドへ投じた。

 まぶた越しの彼女の視線を受け、ロンドは一瞬息を詰まらせるも、それでもしっかりと頷いてみせた。

 それに老狼は柔く笑むと、瞬きの間で彼女の気配は部屋から遠退いた。

 転移したのだろう。

 ロンドは緊張を解くように、深く息を吐き出した。

 結局老狼の真意はわからないままに終わった。

 けれども、自分達のことを想ってのことだというのはわかった気がした。


「……覚悟はとうにしている」


 じじっと照明の火が空気を食む。


「父様は精霊を使役する陣の開発中に、狂った精霊によって命を落とした」


 こつと静かな靴音が夜の室内に響き、バルコニーへと続く窓から領都を見下ろす。

 鏡のように硝子に映るロンドの顔の陰影は、揺れる照明によって揺蕩う。

 砂塵含む微風がかたんと小さく窓を叩いた。

 ロンドは父からこの地を託されたのだ。

 豊かなそれをこの地に――と。

 領都を見下ろす瞳を閉じ、ひとつ瞑目する。


「父様から託されたとはいえ、継いだその手法が外道だということは承知の上」


 だから、と。

 開かれた瞳に切な色が滲み、揺れ動く。


「まともな終わりは迎えまい」


 それは、とうに覚悟していること。

 心残りがあるとすれば、全てをいずれは知ることになるだろうニニだ。

 あの子は優しい子だから、その心を痛めてしまうだろう。

 もしかしたら、優しい子だからこそ憎むかもしれない。

 ロンドの口端に皮肉げな笑みが乗る。


「……それはちょっと、兄としては悲しいが、それでも――」


 大切な妹だからこそ、彼女はそのままで――。


「仄暗いことは全部、お兄さまが持っていくから」


 それが例え、彼女の笑みに影を落とすことに繋がったとしても。



 遠く、砂塵を抱き込む風が、くるりと渦を巻いて吹き抜けた。

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