首を突っ込むことにしたねずみ(1)


「――俺は、ジルだ。なあ、その話……詳しく聞かせてくれねぇか……?」


 クッションの方を振り返ったジルに、当の彼からは訝るような声が返された。


「ジル……? その名、どこかで聞いた気がするな」


 クッションは記憶を手繰るように首を傾げたが、すぐに、まあいいか、と話を続けることにする。


「それで、ジルは何を知りたいんだい?」


「お前、さっき言ってただろ? 精霊がどうたらって」


「精霊とやらを操るためって部分かい?」


「そう、それ。精霊って、操れるもんなのか?」


 紅の瞳に険しい色を滲ませるジルに、クッションはさあねと肩をすくめる雰囲気を放つ。


「僕は、精霊とやらには会ったことも見たこともないんだ。そもそも彼らは、滅多に人前に姿を現さないじゃないか」


「……はあ、そう、なのか……?」


 ジルは瞳を瞬かせると、顎に手を添えて唸った。

 当たり前のように精霊と暮らしていたゆえ、精霊の彼らは恥ずかしがり屋だったのかと首をひねる。

 その際に手首に痛みが走り、縛られたような赤い痕があることに気付いた。


「……あいつら、きつく縛りやがって」


 唸るような呟きに。


「手酷くやられたようだね」


 憐れむクッションの声が重なり、その声色に妙な引っかかりを覚える。


「……まあ、そーだな。手足縛り上げられて、麻袋みたいのを被せられて、そっから記憶ねぇけど」


 軽く手首をさすりながら、ジルは裾を捲って足首を確認する。

 こちらも痛みと共に赤い痕が残っていた。

 全く遠慮も容赦もない。

 辟易と嘆息をこぼすと、クッションも声をもらした。


「そんな目に遭っても、君も諦めないっていうをするんだね」


 先程と同じ、憐れむような声だった。


「無駄だと思うんだけどな。諦めた方が随分と楽じゃないか」


 心底同情すると、クッションもまたある種の嘆息をこぼす。


「君もあの彼と同じで、ここを出て行くつもりなのかい? ……ああ、でなければ、詳しく聞かせて欲しいとは言わないか」


 諦めにも似た顔で彼は苦く笑った。


「お前、さっきから俺を誰と比べてんだよ。ちょっとばかし、いい気はしねぇんだけど」


 ジルが不機嫌に息をつけば、クッションはくつくつと面白そうに笑う。


「ああ、それは悪かったね。同檻の彼のことさ。その彼は、今はオド抽出の時間なんだけど、きっと今回も、隙を突いては逃げ出そうとしているはずだよ。性懲りもなく、ね」


 その声音に心配をする響きを感じ取り、ジルはぐっと言葉を飲み込む。

 事情も知らないのなら、下手な慰めはかけない方がいい。

 そして、クッションは繕うように笑うと話を続けた。


「話を戻そう。その精霊とやらの話は、その彼から聞いた話だよ。彼は隙を突いて抜け出して、大きな鳥籠のある地下に迷い込んだそうだ」


「……大きな、鳥籠?」


「ああ、そうさ。中央部には紅いきらめきが鎮座し、そこは魔力で満ちている場所だったようだ」


 緊張からか、ジルは無意識下に腿上で手を握る。その手が汗ばんでいた。


「彼はそのあとすぐに捕まってしまったそうだから、覚えているのはそこまでらしい」


 そこで言葉を切ったクッションは、呆れたように息をもらした。


「そこまでして抜け出たのならば、もっと探ればよかったものを。……全く、おマヌケ猫ちゃんだよ。それでこってり普段以上にオドを搾られて、へろへろになっちゃって」


 やれやれとかぶりを振るクッションは、悪態をつきながらも、その実、心配をしているようにジルには思えた。

 その想いが優しく感じて、思わず目元を和らげる。


「……その猫ちゃんとやらが、大切なんだな」


「勘違いしないでくれたまえ。へろへろで戻って来て、この僕がクッション代わりにされるのが耐えられないだけさ」


 ふいっとそっぽを向くクッションが可笑しく、ジルは、そうか、とだけもらしてくつくつと小さく笑った。


「話を戻すけど、その猫ちゃんとやらは、精霊が絡んでるとどこで知ったんだ?」


「捕まる際に、精霊、という単語を耳にしただけらしい。操れれば、と不穏な言葉ももらしていたとか――僕が知っているのはここまでさ」


 これ以上のものとなると、その彼から直接訊くしかないようだ。

 だが、確実にそれ以上のものが手にできるかといえば、そうとも限らない。


「それで十分だ。ありがと、クッション」


「僕はただ聞いた話を話しただけであって、礼を言われる程ではないよ」


 彼がふんっと鼻を鳴らす様は、相変わらずの気位の高さだが、ただ素直な言い方が出来ないだけなのかもしれない。

 と、ほんの短な間だが、接したジルがそう思う程度には、彼から人の良さが滲み出ている気がする。


「――ところで、ジル」


「なんだ」


「君はここから脱け出す気なのかい?」


 やはり始めに感じた憐れむ声。

 だが、そこに見え隠れするぬくもりにはもう、気付いている。


「ああ、そーだな。もう巻き込まれてんだ。だったら、開き直って首を突っ込むしかねぇじゃん」


 ジルは、にしし、と悪戯を思い付いた子供のような笑いをクッションへと向けた。


「それに、俺なら脱けるのも隠れるのも逃げるのも得意だ」


 そう言って笑みを深めたジルは、クッションが瞬く短な間にねずみへと変じてみせる。

 瞬間、息を呑んだ気配が彼からもれる。


「――驚いた。君、ねずみっ子だったのかい」


「まぁな。俺はもともと単なる獣で、魔物から昇華した魔族ってだけだけどよ」


「なるほどね。どうりで気配の強い魔族だと思った」


 感心するクッションに、ジルは何とも言えぬ気持ちで彼を見上げた。

 確かにクッションの魔族としての気配は薄い。

 だから、そんな言葉が口をついたのだろう。

 彼が眩しく見えるのはなぜだろうか。


「……クッションは、魔族である自分に自信はあるか?」


 弱々しく訊ねる。


「僕は野良犬として生きてきたんだ。親の顔も知らないし、魔族との合の子で他と少し違う。それなら、自分という存在を保てなきゃ、生き抜くのなんて無理さ」


「……自分という存在を、保つ」


「そうさ」


 力強く言い切るクッションの姿がなおさら眩しく、ジルは思わず目を細めた。


「なんだ、君は自分に自信が持てないのかい?」


「べ、別にっ……そうかも、しれない、けどさ……」


 咄嗟に否定の言葉を吐こうとし、しかし、すぐにそれを認める。

 そうなのだ。自信が持てないのだ。

 前よりかは随分、魔族である自分を受け入れられてはきたと思う。

 だが、それで自信が持てるかというとそうでもない。

 自信のなさの表れか。ジルは俯いてしまう。

 すると、クッションがわざとらしく大袈裟な嘆息を落とした。


「なら、自分自身の芯となるようなものをみつけるといい」


「芯となるもの……?」


 のろのろと顔を上げる。


「そうさ。自分は自分だと感じられる――そう思えるものをひとつでもいい、みつけてみたまえ」


 偉そうな口調。けれども、声音はどこか柔らかかった。

 芯となるもの。そんなものをみつけられるのだろうか。

 自信のなさからまた俯きそうになった。


「――」


 だが、ふいにその動きが止まる。

 自然と脳裏を過ぎた姿があった。

 カッパー色の瞳に、三毛柄の彼女。

 その彼女が自分を呼ぶ声――。

 呼ばれるだけで、そこに在るような気がする。

 はっと吐き出した息が揺れた。


「…………自分の中で、こんな大きくなってたのか」


 思わず零れる言葉。


「――へえ。ちょっとはマシな顔付きになったんじゃないのかい?」


 満足気で、生意気な呟きが聞こえた。



 ――心の奥底に、彼女の姿が確かとなって在った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る