幕章 行先は終

陣の解読


 王都。国で最も栄える都。

 その王都を一望できる高台に建てられたのが、王やその一家が暮らす王城だ。

 そして今日も王城は、勤め人らの忙しさでその賑わいを見せている。




「あ、ミルウェイ様」


 朝の一杯にとレモン果汁を足した白湯を片手に、王城の研究室へとやってきたミルウェイは、書類を手にした研修室員に出迎えられた。


「早速ですが、例の陣の復元が完了致しました」


 丁寧に差し出されたそれには、幾重にも重なる円形と、それに沿うように並ぶ文字の図形が描き出されていた。

 綺麗な陣だ。芸術としても評価されそうな程の――と、ミルウェイは見惚れかけてはっとする。

 誤魔化すように咳払いをひとつ落として。


「ありがとう。ここからの解読は私の仕事ですね」


 差し出された書類を受け取った。

 白湯入りのカップに口を付けながら、復元された陣の図形図に改めて目を通す。


「この並び、言葉にしては文法が変か……、いやでも、この文字は……この国ではみない文字だな……。やっぱり、最初に睨んだ通り地方の言葉…

…方言かな……?」


 ぶつぶつと呟き始めるミルウェイを研究室員は面白そうに眺める。


「本当にミルウェイ様は研究がお好きなのですね」


「……まあ、そうですね」


 しかし、対するミルウェイは愛想笑いに近い笑みを浮かべた。

 ほんの少しだけ困った色が滲む。

 ここが彼女の働く騎士隊支部ならば、そーなんですよっ、と嬉々として語り始めるところなのだが、ここは王城ゆえにそうもいかない。


「何度も言ってますが、私に対して敬称などは不要ですよ。私は王城の勤め人でなく、協力体制の呼びかけに応じた地方の一研究者です」


「私も何度も言っておりますが、ミルウェイ様は貴族家の方です。立場の違いは心得ております」


「と言っても、私の家は分家で――」


「――では、復元途中の陣がまだありますので、私はこれで失礼致します」


 丁寧な物腰で礼をしたあと、研究室員は議論を交わしている仲間の元へと戻って行ってしまった。

 あーだこーだと意見を交わしながら、机に広げられた紙にペンを走らせていく。

 あの様子ならば、あの陣の復元もそう時間はかからないだろう。

 それがちょっぴり羨ましい気もする光景だ。

 混ざりたいと思いつつ、ここでは家格が邪魔をする。

 彼らに遠慮が見えて、こちらも遠慮してしまうのだ。

 ミルウェイは諦めたように嘆息をひとつ落とすと、踵を返した。

 復元作業が進んでいないようならば手伝おうかなと、ちょっぴり淡い期待を抱いて研修室に立ち寄っただけで、もう他に人手は必要ないだろう。

 遠慮されて遠慮するのならば、初めに割り振られた通りに動いた方が互いに気楽だ。

 行儀悪く白湯を口に含みながら、王城の回廊を歩いて行く。

 すれ違うのは衛兵だったり、女中だったり、従僕だったりと皆忙しそうだ。

 そして、時折は国の要職に就いているだろう、所謂お偉い様ともすれ違ってしまうわけで。

 そこは素直に回廊の端に避けて頭を下げる。

 ここでいうお偉い様は貴族家の出の者もまだまだ多い。それも上流の出が。

 だが、近年は市井の出の者であっても、その能力を買われ城に上がる機会も増えてきたらしい。

 それはいい変化だとミルウェイは思っている。


「貴族社会なんて息苦しいだけだもんね」


 再び回廊を歩き始め、ひとりぼやく。

 ミルウェイも貴族家の出の者だ。

 しかし、実家は分家。代々、本家の商いの補佐を担っている。

 だからまあ、世間では下流貴族に部類されるのである。

 実際、貴族の端っこにぶら下がっているような家格だ。

 そのおかげで、ミルウェイも好きなことをさせてもらえているのだが。

 だから、ミルウェイは地方である海街の騎士隊支部に居る。

 あそこは港街ゆえに様々な人が訪れる。

 貴族家だからと態度を変えたりもしない。

 それがミルウェイの性に合った。

 勿論、様々な知識に触れられるという利点もあるが、一番の決めてはそれだったのかもしれない。

 だから、王城は息苦しい。

 貴族を貴族として見る者も多い。

 それが王都だからだ、というのもわかる。

 だが、ミルウェイは国の呼びかけに応じた地方の一研究者。

 研究室内においては、王城勤めの研究者の方が立場は上だ。

 そのはずなのに、貴族家の者だからと――。


「……やっぱり、この空気には馴染めないなあ」




   *




「――でも、支部基地よりも設備が充実してるのは王城ならではよね」


 先程までの鬱々とした気持ちは鳴りを潜め、ミルウェイは恍惚とした表情で本棚を見上げた。

 天井にまで届く高さの本棚には本がびっしりとあり、ミルウェイはよだれを垂らす勢いで凝視する。


「海街に流れるのは新しい知識。でも、王城にあるのは過去の知識――堪んないわぁ」


 いひひと怪しげな笑いがもれかけ、慌てて口をふさぐ。

 さっと視線を走らせれば、迷惑そうな顔をした人達の姿。

 ここは王城の資料室だ。

 主人のために資料を取りに来た者。作業机にて視察などの経路を組んでいる者達。

 様々な理由でここには人の出入りも多い。

 いつもの奇行は、ここでは人の目が刺さる。

 己が、少しあれだ、という自覚がミルウェイにはあるので、ここは大人しく静かに作業に取り掛かるべきだろう。




 資料室に併設された個室となっている作業室に入るなり、ミルウェイは持ってきた書物を机に積み上げる。

 復元された陣を元に、取り敢えず触りを掴むため、思い立ったままに書物を広げていった。

 まっさらな紙の上をさらさらとペンが走っていく。


「……ああ、やっぱり。一番外側の文字並びは、結界だ……なにかを封する……いや、この並びは……」


 ぶつぶつと呟きながら、ペンで方程式を書き出しては、止まって再び書き出して。


「ここは違う」


 時折、しゃっしゃっと音を走らせながら線を引き、方程式に細かな修正を加えていく。

 それを繰り返し、少しずつだが陣は読み解かれ始める。

 静寂を埋めるのは紙を走るペンの音と、時を刻む秒針の音だけ。

 そうして、時計の長針が何周かしたのち。


「……行き詰まったぁ」


 がたん、とミルウェイは椅子の背にもたれて天井を仰いだ。

 ずれた眼鏡をなおしながら、はあと重い息を吐き出し視線を落とす。


「外側は比較的最近のものだった」


 とんとんと紙に書き出した方式を指で叩く。

 最近といっても、ここ百年くらいの間に開発された陣だ。

 そのくらいの年代ならば文献も新しく、王城で揃っていないことはまずない。

 だから、読み解くのはミルウェイにとっては苦でもなく、するすると読み解ける感覚ににんまりと笑ったくらいだ。

 問題はその内側の陣の図式だった。

 精霊が囚われていた檻。そこに施された意匠をまとった陣。

 その意匠部分を取り払って復元されたものが、ミルウェイに手渡されたものだ。

 檻の格子には紅魔結晶を砕いたものが使われていたという。

 そこから発さられる魔力を閉じ込め、檻内部を満たすことにより、精霊の自我を奪う。

 紅魔結晶の成分はオドだと解析結果が既に出ている。

 そして、オドは精霊にとっては毒だ。

 精霊がオドに多く触れると、時に壊れてしまうこともあるらしい。

 つまり、精霊を惑わし行動を制した上で、自我を奪うのは容易いだろう。

 それが内部の陣に組まれた効果だと、ミルウェイは睨んでいる。

 外側の陣に組まれていたのは、精霊の扱う認識阻害の効果を封するものだった。

 それにより、発見され露見するまでに時間を要してしまった要因の一つでもある。


「あーもう、外側と内側で使われている文字が違う。なんでさ」


 陣を外側と内側で分解して書き出した紙を手に取る。

 見比べるだけでわかる、文字の違い。

 それがミルウェイを行き詰まらせている原因だった。


「……悔しいんだけど、この私に解けない図式あるなんて」


 手にした紙を机に放ると、既に紙束や広げた書物で乱雑になっているそこに突っ伏した。

 あー、と呻く声がくぐもる。


「内側の図式は方言かと当たりをつけてたけど全然ちがったぁ。なんなのさ、あの文字。この国に居るなら、この国の言葉と文字で陣は組めよぉっ!」


 思わず叫べば、きんっと余韻が室内に反響した。

 と。


「あっ! 国っ!」


 突然、額に紙をくっつけながらミルウェイは顔を上げる。

 彼女に天啓の如くくだった閃き。その勢いのままに作業室を飛び出す。

 ややして、新たな書物を手に、ばたばたと騒がしい足音を立てながら戻って来ると、額にくっつけたままの紙を引き剥がして書物を繰っていく。

 片手で書物を繰りながら、もう片手は紙にペンを走らせ、目はそこを行ったり来たりと忙しない。


「……そうよ。かの地と謂われる領地は、この国の端に位置して、かつては隣国の領地だった時代もあったのよ」


 ぱらぱらと繰る頁に並ぶ文字は、隣国の――古語。


「隣国の言葉で綴られていたとしたら、当時はみつからなかった可能性も否定できない」


 精霊の自我を奪う魔法は国が禁――禁術、と定めて封したはず。

 だが、それが隣国の言葉で記されていたために、当時は気付かれなかった可能性は十分にある。

 そしてそれを、大切に大切に保管していたとしたら――?

 紙に方程式が連なっていく。

 ここがこうなり、そうしたらここはこうなって。

 ぶつぶつと呟きながら、ミルウェイの手は止まらない。

 時計の秒針が彼女を急かすように時を刻む。

 それからさらに、長針は何周したのだろうか。

 瞬きも忘れ動いていた目が、一点を見つめて見開かれる。

 見つめる先は、読み解かれた方程式により導き出された――解。


「……この解って――」


 震える声をなんとか抑えた。

 抑えるのに必死だった。


「次第に思考を鈍らせていく、つまりは――精霊を使役するための」


 やはり、それだった。

 それはかつて、国が禁術として封じたはずの魔法。

 精霊事件とも呼ばれる、かの事件の負の産物。

 それが残っていた。形を変えて残っていた。

 予感は嫌なものほどよく当たるとはこういうことか。

 まいったなあ、と。ミルウェイは疲れた息を吐き出すことしか出来なかった。

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