精霊と魔族(2)
「――そんで、舟の方は海街の騎士隊が調べてる」
そう言ってフウガは、家壁を背にして寄りかかると腕を組んだ。
「あそこの隊には今、信用できる嬢ちゃんがいるからな。最低限の情報だけだが、こっちが動き始めたってことも伝えてある」
「それが、私が居なかった間の出来事ってこと?」
フウガの枯れ葉色の瞳がティアを見やった。
「そうなんな。お前が無理に風を操るから、風が飛ばせなかったんだ」
「……別にそういうつもりはなかったんだけどな」
「じゃあ、なんだってんだよ」
彼が胡乱な目を向ければ、ティアは考え込む様子で黙り込み、ややして口を開く。
「……あの時はこうするしかないって、それだけしか考えられなかったから、それでたぶん、風達に頼んだんだと思う……けど……ごめん、私でもよくわかってないみたい」
彼女の琥珀色の瞳が沈んだ色を宿して揺れ、フウガを一直に見上げた。
「……もしかして、あれが操るってことなの……?」
揺れる声は不安か、恐れか。
泣くその手前のような表情をするティアの頭を、フウガが優しい手付きでくしゃくしゃと撫で回す。
「――そうだな。あれが“自然を操る”ってことだ」
琥珀色の瞳が震えた。
「だから今も、海の一部は無風になってんな。船が出せないと少しばかり騒ぎにもなってるみてぇだ」
さらに畳み掛けるようなフウガの言葉に、ティアは衝撃から俯きそうになる。
しかし、それをフウガは許さない。
俯きかけた彼女の顔を、頭を撫で回していた手で両頬を掴んで上向かせると、しかと自分の目を見させた。
力強い枯れ葉色の瞳に、怖気付いた琥珀色の瞳が怯えの色を浮かべる。
「――いいか、ティア。今のこの状況を風を使って把握しとけ。海の様子、街の様子、風の様子を」
琥珀色の瞳がはっとしたように見開くと、次の瞬間には風が彼らを取り巻き始める――ティアの元には、風のささやきが情報を落としていく。
「……何もわからない、場所がある」
ぽつりと落とされた彼女のささやき声。
心とも無く頼りない声だ。
「それが無風ということだ。それで街が困っているだろう? 騒ぎになっているだろう?」
こくん。静かに彼女は頷く。
「――いいか。今の状況をよぉーく覚えとけ。俺達精霊は、人の隣人。その隣人の生活を邪魔すんのはよくないことだ」
琥珀色の瞳は涙で潤み始め、揺れ動く。
だが、彼女は決してそれを零さなかった。
泣くのはずるい。だから、泣かない。
「ティアは精霊としてはまだ幼い。けど、並から外れた何かを有してる。だから、自身が持つ力に自覚を持て。……それが何故か、わかるな?」
「……うん。わかる」
「じゃあ、お前は大丈夫だ」
フウガはにしと笑いティアの両頬を放すと、先程とは違って荒い手付きで彼女の頭を撫で回す。
これは撫で回すというよりも掻き回すに近い。
乱暴のそれにティアの髪はぐしゃぐしゃに乱れていく。
乱暴で荒くて雑なフウガのそれだけれども、ティアにとっては優しくてあたたかなそれだった。
俯き、されるがまま。
風から得た街や海の現状。フウガの言葉。それらを自分の奥の、さらに深い所に刻み込む。忘れないように。
精霊としては幼い身なのに、秘めたる何たらは並を超えるらしい。
まずはそれを自覚するところからだ。
「――けどな、ティア」
落ちた呼び声に顔を上げる。
掻き回され髪は、まるで風嵐の中に居たようにめちゃくちゃだ。
「あの場でのあの判断、精霊としては間違っていねぇからな。そこは間違えんなよ」
ぽん、と軽くティアの頭を叩くフウガの手に、ティアは泣く一歩手前の顔ではにかんだ。
そんな彼らの横で佇む少年の姿。
話に入ることも出来ず、そして、振られることもなかった。
彼らの話に耳を傾けてはいたから、精霊間で何かあり、その何かで動いているのはわかった。
そう。わかっただけで、そこにジルが入り込める隙はない。
これはフウガとティアの話であり、精霊の話であるから。
魔族であり、単に彼らの隣でたまたま暮らすジルには、関係のない話だった。
けれども、同じ場に居ることは許された。話を耳にすることも許された。
それはジルの言い分を彼らが受け入れてくれたということだ。
心配したいから。と。
――そういうふうに、受け取っていんだよな。
彼らの抱える何かは大きな事らしいから、もしかしたら、ジルが居ることを忘れているだけなのかもしれない。
そう思うと、奥底の深いところがつきりと小さく痛んだ。
だから、ジルは都合よく受け取ることにする。
そうしないと、改めて突き付けられた違いに潰されそうだったから。
◇ ◆ ◇
「……んで、やっぱこーなんよな」
精霊の隠れ家。その二階、共用の場の食堂にて、ジルの嘆息が落ちた。
すっかり夜に包まれたその場を、明かりを灯すこともなく暗闇が満たす。
窓越しに外をぼんやり眺める紅の瞳が揺らぎ、そして、何度目かの嘆息。今度は深かった。
この場にはジルの姿だけ。
フウガはあのあとに別れたきりで、未だ戻らない。
ティアはシシィとの自室に戻り、疲れた身体を休めているのだろう。
「俺は結局、事を知ったところで、待つことしかできねぇってのは変わんねぇんだよなぁ」
待って、心配するだけ。たった、それだけだ。
窓辺に引き寄せた椅子に浅く腰掛けると、座面のふちにかかとをかけて膝を立てた。
窓に寄りかかり、夜に揺れる街の灯りをぼんやりと眺めながら吐いた息は細く、輪郭もない夜の気配に溶けていく。
立てた膝を抱えたのは、輪郭もない夜の気配に臆したからか。
輪郭もなく、枠のない夜。夜の果ては知らない。どこまであるのか。
その膝頭に顎を乗せた。
時折、夜のその大きさに臆してしまうことがある。
まざまざと突きつけられるようで。ひとりだと突き付けられるようで――夜は苦手だ。ひとりは苦手だ。
ちらりと窓を見やり、すぐに視線を逸した。
硝子にほんのりと映った紅の色が、尾を引くように視界にちらつく。
紅の色は、自身の過去を示す色。突き付ける色――もうどこにも、帰る場所なんてない。
そして、今在る場所も今傍に在る存在も、自分との結び付きはすぐに解けてしまう緩いもの――かもしれなくて。
ふいに夜に満ちた部屋に、はっと小馬鹿にしたような笑いが響いた。
「……俺って案外、ここでの暮らし気に入ってたんだな」
「――そこは気に入ってるって断言する場面じゃないの?」
突として響いた夜に満たされた部屋を揺らす声に、ジルは弾かれたように顔を上げる。
部屋の入口にランプを手にしたティアが立っていた。
ランプの明かりが彼女の顔に陰影を落として揺らす。
「……怪我は、いいのか……?」
「ええ。おじさんのおかげでとりあえず」
少しだけ引っかかる言い回しだったが、ジルの中でそれが疑問という形を成す前に、ティアが部屋の照明へと火を灯し始めたので、彼もそれを手伝うため慌てて立ち上がった。
「部屋の明かりくらい点けなさいよ」
「……いや、何か。めんどくて」
ティアの手にしたランプを種火に照明に火を灯していくと、程なくしてあたたかな明かりが部屋を満たした。
薄らいだ夜の気配に、ジルは知らず息を緩く吐き出した。
「夜に臆するなら、明かりに包まれちゃえばいいのよ」
吐き出した息を今度は細く吸ってしまい、ひゅっと気道が狭まった気がした。
まるで見透かされたような言葉に、反射的に身を強張らせる。
のろのろと彼女へ視線を投じると、琥珀色の瞳が柔く細められて、ジルを見つめていた。
「そうすれば、私もおじさんもジルを見つけやすいし、帰りやすくていいじゃない」
「……帰りやすい? は? 帰ってくるの、か……?」
「は?」
「……いや……なんでもねぇ……」
途端に顔をしかめたティアにジルは軽くたじろぐ。
「何言ってるのよ。私もおじさんも、あとシシィも、あなたとここで暮らしてるんだから」
彼女は呆れたように息をついた。
「ここに帰って来るのは当たり前よ」
「当たり前、なのか……?」
「そう、当たり前よ。ジルが待ってるってわかってるうちは、ここが帰る場所。ここにはジルだけじゃなくて、おじさんもシシィも帰って来る場所だもの」
その言葉に、ジルの紅の瞳が大きく震える。
一瞬目頭が熱を持った気がして、慌ててジルは頭を振った。
なにしてるのと訝しむ視線を近くから感じ、なんでもねぇよと頭に巻くターバンを深く被る。
「……俺、魔族だけど、いーのか?」
伏せた顔。か細い声がジルからもれる。
「なにを気にしてるのかまでは知らないけど、これは精霊とか魔族とかの話じゃなくて、私達とジルの話でしょ」
のろのろと顔を上げる。
「違う? ここで暮らしてるのは私達なんだから」
「……違わない、な」
「でしょ」
呆然とした面持ちで頷けば、ティアは軽く肩をすくめる。
やれやれと呆れている様子だった。
そして、彼女は用が済んだとばかりに身を翻す。
「ちょっと私、外に出てくるわ」
「は? 夕飯に来たんじゃねぇのか」
「……ええ。ジルのご飯食べられないのは残念だけど、私も私に出来ることしなくちゃ」
肩越しに振り返る琥珀色の瞳が申し訳無さそうに揺れ、最後にごめんなさいと一言謝ったあと、彼女は食堂を出て行った。
それから間もなくして、外から強めに風が吹き付けたのか、がたと一瞬だけ窓が揺れる。
外に目を向けても、室内が明るくなった今では、窓には鏡の如く己の姿が映るだけ。
だが、映った己の姿を透かした向こうに、白の影がくるりと旋回した気がして窓辺に駆け寄った。
が。
「気のせいだったか?」
鳥の姿へと転じたティアか、フウガかもと思ったが、目を凝らした先には夜の街が見えるだけだった。
「さぁて、どーするか」
窓枠にもたれ、手を後頭部で組む。
今夜も一人なのだろう。
やはり一人は寂しい。けれども、不思議ともう臆する気持ちはなかった。
だって、心配して待っているということを、彼女らは知っていてくれているから。そして、そのことをジルが知っているから。
「そういや、シオの奴大丈夫か……?」
自分のことが落ち着いてくると、他にも目を向ける余裕も出てくる。
そこでふと思い浮かんだ姿がシオだった。
彼女はあれから別れたっきりだ。
「ティアとシオが知り合いだったとはな――」
そこで紅の瞳がぱちりと瞬く。
「いや、知り合い――?」
異様な空気を漂わせていたような気がする。
ちらりと窓から夜空を見上げた。
頃合い的には丁度良さそうだった。
あの様子だ。今夜は彼女が集まりに顔を出すことはないのかもしれない。
だが、心配したいのならば訊きに行け。そう言ったのは彼女だ。
「……今夜は俺が行ってみっか」
彼女がもし何かに困っているのならば、何か力になれないだろうか。
そう思ってしまうのも、彼女がジルにとっても、仲間っぽい何かな間柄だからだろうか。
思わず手で口元に軽く触れ、そっと唇をなぞった。
今朝の感触は、未だここに残っている。
あれをそれと数えるべきなのかは悩んだままではあるが、でも、悩んだままでいいような気がする。
答えは出せぬままがいい。その方がきっと。
ジルとシオは魔族だ。
けれども、ジルはねずみでシオは猫だ。
隣に並んで歩いたとしても、それ以上でもそれ以下でもない。
それだけは、この先も変わることのないことだ。なのに。
そこに切なさがはらむのはどうしてか。
ジルがその先に繋がる何かへ手を伸ばすことは、きっとこの先もない。
――――――――――
近況ノートではお休みと伝えましたが、気付けばこうして投稿予約をしていました。いや、習慣って怖い(汗)
リアルの現状も諸々が終わり、一区切りはつけられたかなと。週末から仕事にも戻りましたし、あとは時が薬になってくれるかなと思います。
少しずつ日常に戻りながら、書き溜めの方ものんびり進めていき、こちらの更新もいつも通りにしていきます。
近況ノートは、もしかしたら更新する余裕なんてなくなるかもしれない、といろいろと動揺していたのだと思います。
お騒がせしました。
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