閑話 忙しいパリス


「――んで、お前ホント何しに来たんだよ」


 ソファに座し、両肘を腿に付いて頭を抱えたパリスは、その嘆きを、机を挟んで向かいに座るミルウェイへ向けた。


「何しにって、用があるから呼んだのだけど?」


「……その用があれってか」


 あれ。パリスがびしりと指差した先、部屋の端で彼らに背を向け丸くなるスイレンの姿。

 小さくかたかたと震える彼は。


『恐ろしい……人の世はすえ恐ろしいところよ……』


 と、先程から小さくそれを繰り返すばかり。


「どういう触り方したんだよ。スイレンさん怯えてるじゃないか」


 たくっ、止める暇なく触りまくって。

 ミルウェイへ向き直ったパリスの顔が渋面に染まる。

 一方の彼女は、恍惚とした満足げな表情を浮かべていた。


「だって、渡しの精霊様となれば、大精霊様方と肩を並べる程の力を秘めた精霊様だよ? その上、人慣れしてらっしゃるのなら、触らないわけにはいかないじゃん。ヒョオくんはもう触らせてくれないもん」


「それは、そうだろ……。お前、ヒョオに対して何してきたと思ってる……」


 パリスの顔が憐れむように嘆くのは、当時のヒョオを思ってのことだ。

 それを不服とばかりにミルウェイはむっとする。


「だって、パリス兄が魔法に近いものを扱えるようになるには、ヒョオくんとパリス兄の繋がりを調べるのが早いと思ったんだから。事実、それが近道だったし」


 ふいっと彼女は顔を背けてしまう。

 拗ねてしまった。

 ふうと短くパリスは息をつく。

 少し言い過ぎたか。実際、彼独自の魔法に近い手段としての言紡ぎは、彼女の手助けなしには得られなかったものだ。


「その事に関しては感謝してる。けどな、興味に関しては程々にしておきなさい」


 まるで子供に言い聞かせるようなそれ。

 不満そうではあったが、ちらりとパリスの方を見やったミルウェイは、はーいと渋々返事をするのだった。




「――さて、本題だ」


 落ちたパリスの声で、その場の空気も色を変える。

 改めてミルウェイを見やった。


「俺をここに呼んだ用とやらはなに?」


「その前に確認。渡しの精霊様のあとでなくていいの?」


 彼女は部屋の端で丸くなったままのスイレンの背を見る。

 背は向けているけれども、意識だけはこちらへ傾けているのは伝わった。

 パリスもつられて向けていた視線を彼女へ戻して頷く。


「スイレンさんを呼んだのも、ミルの話を聞かせるためだったから問題ないよ」


「ん、そうだったの?」


「そう。その旨を伝えてからにしようと思ったけど、お前がいらんことするから」


 じろりと睨めつけると、ミルウェイは素知らぬ顔で顔を逸らす。


「……ミル」


 呆れたように頭を軽く振り、はあと重量のある嘆息をひとつ落とすと、それで、と本題を進めることにした。

 視線だけでさっさっと本題に入れと促す。


「……はいはい、本題に入りますよぉ。で、先に言っとく。今から話すことは中途報告であって、パリス兄の言う本題に入れるのは解析が完了してからになるから」


「……中途報告なら、わざわざ呼びつけなくても書面で送ってくれれば――」


「話は最後まで聞くっ」


 鋭くぎろと睨まれ、パリスは口をつむぐ。


「書面だと時間かかっちゃうし、実際に現物を目にしてもらった方がいいかと思って」


 そう言うと、ミルウェイは入室する際に手にさげていた大きな荷物を机に置いた。

 布包みのそれは、人が両手で抱えられるくらいの大きさはありそうだ。


「さて。ここから先の内容は、解析班員ミルウェイから、調査班長パリス殿への報告という領分になるから」


 ミルウェイのまとう空気が真剣なそれへと変じる。


「……これは風の大精霊シルフ様から預かったものなの」


 シルフの名に丸くなっていたスイレンが顔を上げた。


「なんでお前がそんな精霊と繋がりが……?」


 驚きを含んだパリスの声は無視して彼女は続ける。


「シルフ様の元に身を寄せられている精霊様が、精霊様を捕えていた輩と接触なさったそうで」


 スイレンが勢いよく振り返った。

 空の瞳が小さく震えていた。


「これはその際にシルフ様が回収なさった、精霊様が囚えられていた檻」


 結び目が解かれると、はらりと布包から姿を見せたのは言われたとおりに檻だった。

 檻というよりかは、鳥籠を模しているようにも見える。

 しかし、格子に陣が彫り込まれているのは趣味がいいとは言えない。


「この陣は……結界の類いか?」


「と、私は睨んでる。たぶん、これで囲いの役目を果たしていたんだと思う」


 沈黙が横たわる。


「……それに、この檻には紅魔結晶が散りばめられてて」


 息を呑む音が複数、室内に響いた。


「当時は魔力も濃かったんじゃないかと予想もされる」


「……それで、囚えられていたという精霊と、接触したという精霊は――」


 無事なのか――?

 そう問うパリスの声は緊張からか揺らいでいた。それを努めて揺らがないようにしているのがわかった。

 いつの間にか彼らの近くに寄っていたスイレンも、どこか緊張した面持ちでミルウェイを見やる。


「囚えられていた精霊様達はシルフ様が保護なされたみたいよ。……保護できなかった精霊様もいらっしゃったようだけど。ただ、接触なさった精霊様については、詳しくは教えてくださらなかった」


「……なぜ――?」


 弱々しく問い返したのはスイレン。

 空の瞳が力なく揺れる。


「それは私にもわかりません。ですが、とりあえずは大丈夫、とだけは仰っていましたよ。シルフ様も心配なさっておいででした。接触なさった精霊様は、シルフ様の姪御様のようで」


「姪?」


 聞き返したのはパリスであり、ミルウェイもその声に彼を見やった。

 その横で空の瞳を大きく見開き、そっと安堵の息をついていたスイレンには気付かない。


「私もそれ以上は知らないよ」


「……そっか……まあ、とりあえず大丈夫なら、安心、していいんだよな……?」


「おそらくは」


「じゃあ、精霊を囚えていた輩のことは知らないか? もし騎士隊で捕えられたなら、進展も期待できるんだけど」


 期待する眼差しがミルウェイを見る。

 だが、彼女は首をゆっくりと横に振って否定した。

 途端、パリスの顔が苦笑に染まる。


「だよな。そううまくは事は運ばないよな」


「輩は海へと投げ出したとシルフ様が。海街支部の騎士隊で捜索してるけど、いまだ何も海からは上がってはいないと報告も預かってる。ああでも、幾つかこれと同じ檻は海から上がってる。転覆した舟からも」


「舟も転覆を……。海へ投げ出したのは精霊シルフの仕業か、それともその姪が?」


「さあ? 誰かまでは仰らなかったし、窺える雰囲気でもなかった」


 それはやはり、輩は精霊らが海へと投げ出したことを意味するのでは。

 つまり、精霊の手によって人の命が散ったということだ。

 パリスは言葉を紡げなかった。

 それはミルウェイも同様なのか、それっきり口を閉ざす。

 薄ら感じる寒気は怖気か。

 人と精霊は隣人。時に味方に、そして時に牙を剥く。


「――人は境界を踏み越えやすい。そして我々もまた、人との距離を見誤りやすい」


 パリスとミルウェイ、二対の瞳がスイレンを見やり――小さく身震いした。

 それを受け止めるは、煌々と光を宿した空の瞳。その瞳に映る感情の色は見いだせない。


「気を許しても、簡単に囲われてしまう。我々もまた、人との境界を侵している――パリスらから聞いた同胞が関わっているのではとの報、我々の答えはしかりだ。精霊が関わっているのでは、ではなく、関わっているというのが我々の見解となる」


「それはつまり――」


「我々精霊も、人と共に動こう。それが王の意だ。同胞には我々の裁きがある」


 パリスが目を瞠る。

 スイレンがそんな彼を見やり、くすりと笑う。


「俺を呼んだのも、今の話を聞かせるためだったのもあるのだろうが、この間の隊長殿らとの話、その答えを聞くためでもあったのだろう?」


 パリスが隊長に呼び出されたあの日。

 ヒョオに喚ばれ参じたスイレンと共に、精霊が関わっているのではとの示唆があった。

 ゆえに共に調査に乗り出してはくれないか、と。隊長はスイレンへと願い出ていた。

 その答えが、今パリスへと提示された。

 これは早々に隊長へと持ち帰らねばならない。


「実はそうなんッスよね」


 こういう時、どういう表情をしたらいいのか。ぎこちなく笑う。

 こうして彼らの協力が得られるのは嬉しい。

 けれども、それゆえに人の命が散っているのかもしれない。

 輩の行ったことは許されることではない。同情もしない。

 だが、いくら精霊へと手を出した輩だと言っても、人側が協力を願い出たことで人の命が散っていることに、何も思わない程に器用ではないのだ。

 だから、彼らとの距離感を間違えてはならないのだ。

 そして、友人だと言ってくれる彼に、なるべく手をくださせたくはないと思ってしまう。


「パリス、ひとつ言っておく」


 突としてスイレンが口を開く。


「俺はもう幾度も散らしてる」


 何を、とは言わなかったし、パリスも問わなかった。

 けれども、スイレンの空の瞳はしっかりとパリスを見ていた。


「それはオレもッスよ。……もう幾つもこの手で――だけど、なるべくそうならない形にしたい、とは思ってるッス」


「それは違いない」


 苦く笑うパリスに、スイレンは静かに同意を示す。

 そして、そんな複雑な空気を払うように、ぱんっと乾いた音が響いた。


「――さあ、私の話は終わり。私はこの檻に彫り込まれた陣を解析すべく、このまま王都へ向かうね」


 手をひたつ打ったミルウェイがすっくと立ち上がると、彼女へパリスとスイレンの視線が向く。


「王都?」


 聞き返したのはパリス。


「そう。紅魔結晶と違って、複雑に繊細に彫り込まてるから、解析しようにも弾かれちゃうの。……これはある種、芸術品と呼べるものだね」


 こんな用途で使われなければ感嘆していたところだ。


「王都なら、私の所属支部よりも設備は充実してるから。もう既に王都の方でも解析班が組まれて、解析準備に取り掛かってるはず。私ものんびりはしてられない」


 ミルウェイの瞳がきらきらと期待できらめいて見えるのは気のせいか。

 これがやる気に満ち溢れたものであるといいなと、パリスは黙したままに願う。


「――では、これで解散だな」


 その声にてお開きとなった。




 ミルウェイはすぐに屯所を去った。

 王都行きの馬車へ向かうその後ろ姿が、るんっと鼻歌が聞こえてきそうな程に軽やかで弾んで見えたのは、きっと気のせいだろう。

 パリスはヒョオの到着を待って、精霊の森支部へと戻るつもりである。

 そして、それにスイレンも同行することとなる。



 風が海を促し、船を運ぶ。

 ざざ、と波音が静かに響いた。

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