閑話 暇なパリス
海路の旅の休所として点在する港町のひとつ。
ざん、ざざん、と波音が静かに響く町の騎士隊の屯所内にて。
「暇だぁ……ヒョオらが到着すんのも、まだ数日は要するみたいだしー……」
だらしない声がする。
ソファに寝転ぶ彼――パリスの姿がヒョオにみつかれば、行儀の悪いと苦言をもらすだろう。
こじまりとした印象はあれど、くつろぐには充分な広さの部屋。
屯所の客室。騎士隊精霊の森支部からの客人として訪れたパリスへ用意された部屋だった。
小さな港町ゆえに、屯所に勤めるのは配属された数名の騎士と、町の者で組まれた隊である。
騎士隊というよりも、町の自警団としての意味合いが強い。
日々様々な人々が訪れるからか、粗暴な者も多々の町。
治安は悪くない方だと思うが、良いわけでもないのが実状。
「暇だぁ……ホントに、暇だぁ……」
ソファに寝転んで抱え上げて読んでいた本を顔に被せる。
ここが自分が勤める支部ならば、やることは山程ではないがそれなりにある。だが、ここの自分はあくまで客人として招かれた立場。
好き勝手に振る舞うわけにもいかず、こうして時間を持て余しているのだ。
「その招いた本人も来ないし。何やってるんだよ、ミルのヤツは……」
本によってくぐもる声に、呆れの嘆息が混ざる。
まあ、彼女に招かれたと言っても、正確には彼女にこの屯所へ呼ばれた形なのだけれども。
要するに待ち合わせ場所だということ。
確かにこの町だったのはパリスとしては有り難い。精霊の森付近の街からは陸続きで移動はしやすい。
だが、一方で彼女は海路での移動になってしまう。それゆえに、彼女の到着が遅いのもまた仕方がないのかもしれない。が。
「あー……、暇だ……」
その事実が変わることはない。
何度目かのぼやきに、何度目かの嘆息――その、刹那。
「……――」
パリスの頭上で突如気配が生じた。
既に彼の手は、ソファ脇に立て掛けていた剣の柄を掴んでいた。
気配が彼めがけ降り落ちる。
直様に姿勢はそのまま、鞘から剣を引き抜き静かに構えたところで、きんっと甲高い音が室内に響き渡った。
こんなところでなぜ急襲が。もしや、現在調査中の案件関連か。
突然の事態であっても、パリスの思考は落ち着いていた。
顔に被いていた本を投げ、次は言紡ぎを――身体が自然とその思考にそって動いていく。
だから、パリスは目に映ったものを判ずることなく、粛々と行動に移していった。
あいたっ、と投げた本が当たったゆえに上がった声にも、その目に映った相手が目に見えて慌てている様子でも気付かない。
パリスは神経を研ぎ澄まし、今は傍らには居ない相棒を思い描いてその存在を確かめる。
彼との繋がり――糸を手繰り寄せ、己と結び付けるように意識を巡らせて息を落とす。言の葉を乗せて。
『言紡ぎ――炎を纏うは剣』
パリスは己の声に、静かに己のオドを絡ませ言の葉を落とす。
言語はより魔力が浸透しやすい精霊のそれ。
言の葉が室内に満ちるマナを震わせ、それはやがて、その願いに応えるべく伝達する――パリスと結ぶ精霊、ヒョオへと。
繋がる糸を通じ、震え返す。
そして、その糸を伝って火の気が走れば、パリスの身体を通じて発現――彼が手にした剣が炎をまとい始める。
言の葉を紡ぐことにより、結びを得ている精霊の力を少しばかり借り受ける――これを彼らは言紡ぎと呼ぶ。
魔法を扱うほどのオドは保有出来なかったパリスが、ヒョオらの協力の下に編み出した、魔法に代わる手段。
未だ確立は仕切れていない独自のものではあるが、近頃は精霊魔法の位置付けに類されるのではと論じられ始めている。
パリスの言紡ぎからその間は瞬。
炎をまとった剣にて薙ぎに入る寸前――。
「ち、ちょっと待った――っ!!」
ひどく慌てた声が上がった。
「本当にすみませんッス、スイレンさんっ!!」
ソファの上に正座をする人と白狼――平謝りするパリスの向かいに、前足で頭部をさするスイレンの姿だった。
「本の角って、思ったよりも鈍器になるんだなって勉強にはなったかな。だからまあ、もう気にするな」
「でも、剣で何か弾いたし、怪我とか……」
「ああ、あれは爪だ。いきなり構えられたから、こっちも反射的に爪出ちゃっただけだし――そもそもは、俺が急に真上から転移する形になったのがいけなかったし……って、あれ……?」
そこで初めて、スイレンは己の居る場が普段知る場とは違うことに気付くと、きょろと辺りを見回し首を傾げた。
「ここ、パリスの執務室でも自宅でもないな……?」
「……ここは、あそこから離れた港町の屯所ッスよ。気付くの遅くないッスか?」
「この頃はパリスを印に転移してたからな、気付かなかった……。ああ、それで警戒心があったのか」
自分が慣れた場ではない上に、周りの者は敵ではなくとも味方でもないのだ。
そんな場に居て、立場ある者が警戒するなという方が難しいだろう。
ひとり納得するスイレンに、パリスは小さくなるばかりで、すみませんと小声で謝を重ねた。
そんなパリスをスイレンは見やると、くすりと小さく苦笑をもらす。
「もういい、俺が気にするなと言っているんだ。この話はこれで終わりだよ。――これじゃ、ヒョオの奴が煩くなるぞ」
「それは……ちょっと勘弁ッスね。宥めるのがめんど――大変ッスから」
言い直したことを隠すように、パリスもぎこちなく笑い返した。
*
「――それで? 俺はお前が呼んでいるという言を預かり、ここに居るんだが」
改めてソファに座り直したパリスは、同じく机を挟んでソファに座る白狼、スイレンの調子の変わった声に背筋を伸ばした。
これは友人としてのスイレンではなく、渡しの精霊としての声だ。
「その内容は?」
「いや、秘を理由に聞いてはいない」
「そうですか」
それっきり黙るパリスに、スイレンも何事かあったのだと悟る。
長い沈黙が横たわる中、パリスはスイレンへどうそれを切り出すか悩み、そして、意を決して口を開いた時――勢いよく、部屋の扉が開け放たれた。
「魔法師ミルウェイ、到着致しました」
パリスの入室許可を得ることなく、声と共に紺のローブをまとった女性が室内へずかずかと入って来る。
手には何やら大きな荷物。
「ミル……ノックくらいしろ」
すかさずパリスから小言が飛ぶも、ミルウェイは気にすることなく返した。
「パリス
悪びれる様子がないのも相変わらずであり、半ばパリスは諦めている。だが。
「常はいいけど、今は来客中だ。下がってろ」
パリスからミルウェイへ鋭い視線が向けられる。
そこで初めて、彼女は彼の向かいにある姿に気付いた。
「申し訳ないッス、スイレンさん」
「いや、俺は別段気にしない……が……?」
パリスの本日何度目かの謝に、スイレンも何度目かの気にしないとの返事。
だが、彼のその語尾が上がる。
妙な圧を含んだ横からの視線に、スイレンは無意識下で顔を背けた。
分厚い熱をはらんだ視線をミルウェイから感じる。
そう、この熱の温度は、好奇心、というものと似ている気がするなと、スイレンはぼんやりと考える。
「……ミル、よしな――」
よしなさい。何かを察したパリスが口を挟むも遅かった。
先程まで居た場にミルウェイの姿はなく、別から戸惑いの声が上がる。
「お、お前は何者なんだ!? というか、その妙な動きをする手を止めろっ!!」
パリスが視線を向ければ、その先にはソファの端に追いやられたスイレンの姿と、そんな彼へ眼鏡を怪しく光らせ迫るミルウェイという光景があった。
彼女の手の動きが、何と言えようか、ワキワキワナワナと妙な動きを見せている。
見るだけで鳥肌がたちそうな怖気がするのはなぜか。
彼女の眼鏡の奥では、好奇心で輝く瞳がスイレンを真っ直ぐに見つめていた。
「あ、紹介が遅れまして申し訳ありません。パリスの従妹、ミルウェイと申します。以後、お見知りおきを」
そのままの姿勢でさらりと自然な口調で名乗る彼女に、スイレンは奇怪なものを見る目を向ける。
「……俺は、お見知りおきはしたくない」
ふるふると首を横に激しく振る様は、拒の意を必死に示していた。
「ええっ! 私はパリス兄から、お触りが可能な懐っこい精霊様だとお聞きしていましたので、お会いできるのをとても楽しみにしていたのですが……?」
ワキワキワナワナの手がすとんと落ち、ミルウェイは不服そうな目でパリスを見やった。
同時にスイレンも、訝しむ色を多分に含んだ目をパリスへ向ける。
「パリス兄、なんだか聞いてた話と違うようなのだけども??」
「パリス、そんなことを彼女へ言っていたのか??」
二対の視線に迫られ、謂れのないことであるというのに、パリスは焦る気持ちに冷や汗がとまらない。
首をぶんぶんと横に振るなりして全力で否定を示したいのに、両者の圧にどうしてか動けない。
さながら蛇に睨まれた蛙だ。
そんな蛙パリスは胸中で絶叫する。
ヒョオよ、早く戻って来てくれ――と。
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