駆ける白狼、伏す獣の子


 船に揺られ、シシィとミントは港町にて船を下りていた。




『シシィさまっ! きれいなのぉーっ!』


 肩口で感嘆の声を上げるミントに苦笑をもらしながら、シシィは夜の露店通りを歩いていた。


「船はここまでだって言うし、既に夜だし、どこかで宿を探さないと……」


 この街は宿街でもあると言う。何処かで空部屋があるといいが。

 口中で呟きながら、露店通りを練り歩く。

 夜だというのに多くはないが少なくもない人の往来が、露店に夜の賑やかさをみせている。

 夜の露店に並ぶのは、様々な形のランプだった。

 中でもステンドガラスで造られたランプは人々の目を惹きつける。

 先程ミントが声を上げたのも、硝子を通した光が色をまとう鮮やかさに目を奪われたから。

 通りを歩く人々を鮮やかに照らし、光源となる火の揺れがその陰影すらも共に揺らす。

 その中をシシィはゆっくりと歩く。

 手持ちランプから置型のランプ。球状のものから、四角のものや花を模したもの。色んな形のものが露店に並んでいた。

 濃淡様々な青や赤、黄などの色に照らされながら、シシィは自然と考えていた。

 ティアの好みに合いそうな物はあるのかな――と。

 そして、詰めたように息を吐き出し、歩んでいた足が止まる。

 彼の後ろを歩いていた人たちが迷惑そうに眉をひそめて避けていく。


「……ははっ」


 乾いた笑いがもれた。


「ル――ちあを傷つけておいて、何を当たり前で当然のように……」


 ルゥ。そう言いかけて、やめた。

 彼女の真名が由来の、彼女に許されたその呼び名を口にするのは、今の自分にはまだ出来なかった。

 数日前に彼女と別れてから、あの時にどうすればよかったか、その答えを未だ見出だせずにいる――。




   *




 露店通りの外れで植木のある壇の端に座り込んだシシィは、ぼんやりと通りの賑わう様を眺めていた。

 宿の空部屋を探さないといけないと思うのに、どうにも動く気力が湧かない。

 はあと重い息を吐く。

 そんな彼の肩ではミントが心配そうに彼の顔を覗き込んでいたが、ふと彼女の感覚に訴えるささやきがあった。

 穏やかな夜風の力を借り、近くの植木がその身を揺らしてミントへささやく。

 ぴんと小さな両の耳を立ち上げ、背を伸ばして辺りを伺う。


『――――』


 ぱちりと瞳が瞬き、ミントはシシィの肩から飛び下りると駆け出した。

 それに半瞬遅れてシシィも気付く。


『あっ、ミントっ! どこ行くの!』


 静止の声にも振り返らないミントを慌てて追いかける。

 いつの間にか表通りを抜け裏通りに入っていた。それでもリスに追い付けないのは、やはり彼女も精霊だからか。

 やがて人の足で駆けることにもどかしさを感じたシシィは、瞬きひとつの間に白狼の姿へと転じた。

 その最中に布鞄は器用に頭から肩紐を潜らせて首から提げると、一気に地を蹴り付けた。

 それからややして、シシィは立ち止まるミントの後ろ姿を視界に認め、彼女の方も彼が追い付いたことに気配で気付いて振り返る。


『ミント、一体どうした――』


 の。と言いかけ、シシィは動きを止めた。

 一瞬自身の鼻を掠めた、その匂い。それに彼は碧の瞳を見開いた。

 ミントが小さな両の手で掴んだそれを、彼へ掲げるように持ち上げて訴える。


『これをね、どーぞくを助けた子に返してあげてって、言ってたの』


 ミントが持つそれは、赤いチェック柄のバンダナ。

 色褪せが目立つが、とても大切にされている様子だった。ほつれを縫い直した跡もある。


『その子もミントとおんなじ土の気を持ってるから、ミントにお願いしてきたの』


 とても大切なものみたいだから、返してあげて欲しいな。

 そう植木が訴えてきた。

 それならば、土の精霊として叶えてあげなくちゃ。

 たぶん、その子はとても草木に好かれている優しい子なのだと思う。

 なら、ミントが何とかしてあげなくちゃ。

 そう思い、鼻息が荒くなる。


『ミントもシシィさまたちに助けてもらったの。だから、ミントも助けたいの』


 シシィさま、とミントが呼びかけると、衝撃から立ち直ったシシィの身体がぴくりと跳ねた。

 それから。


『そうだね』


 とやおら微笑むと、シシィは身を屈める。

 しばし呆けていたミントもすぐに彼の意図を察し、バンダナを持ったまま彼の背へと駆け上る。


『僕も、そのバンダナの持ち主には覚えがあるんだ』


 ゆっくりと身を起こし、シシィは歩き始めた。


『大丈夫。あの娘の匂いは覚えているから、すぐに見つけられるよ』


『本当?』


『うん、本当。……忘れられないもの』


 シシィの最後の言にミントは不思議そうに首を傾げるも、彼は鼻を掲げて風の運ぶ匂いを追い始める。

 はっきりと感じる懐かしいそれに、胸に甘い痛みが疼いた。

 こんなところに居たんだ――。

 逸る気持ちを抑えながらも、シシィは一歩を踏み出した。


 駆ける足はどうしてか軽かった。

 懐かしい匂いを嗅ぎ分けながら裏通りを曲がり、途中からどうしてか屋根上に上がり、とにかく彼女の軌跡を追う。

 だが、その足がふいが止まった。


『どうしたの?』


 背から訝しむミントの声を耳しながら、シシィは強くすんと鼻を鳴らした。


『……血の匂いだ』


 不穏な響きにミントの身体が強張る。


『でも、誰の……?』


 一気にシシィの心は焦燥一色に染まり、色の失った声は呆然と呟く。


『そんな、まさか……』


 解き放たれた矢の如く、シシィは一速に駆け出した。




   *




 いくら少しばかりのいざこざには慣れていると言えど、さすがにジャスミンの息も上がり始める。

 多勢に無勢、状況の見極め不足が無茶に繋がったか。

 どうして逃げに徹さなかったのか。己の行動を悔いるも、既に遅い。

 身体には幾つも剣による裂傷が走り、流れた赤は時間を食んで黒く固くなっていた。

 どうやらお相手さん方は、致命傷に繋がる怪我などは負わせたくないようで、決定打を与えられなく苦戦をしている様子だった。

 体重を乗せた体当たりを一人へ見舞ったところで、せめての足掻きか死角からの横薙ぎの剣が彼女へ迫る。

 が、瞬時に動いた両の耳が音を拾い、体当たりをした流れに任せて身体を倒して薙ぎを掻い潜る。頭上で空気を裂く音がした。

 直様に体勢を立て直すと、獣のように鋭く伸びた手先の爪で地面を掻いた。

 削られた石畳が礫を交えた砂塵となり、剣を振るった男の顔へ降りかかる。

 うおっと男は驚きの声を発し、思わず剣を落とした。目に入った砂が痛みを促す。

 これによって出来たすきをジャスミンは見逃さない。

 すでに転がる男らを避け、屋根上へと退避するために地を蹴り上げた。

 雲が月を隠す。くんっと背後から引っ張られた感覚。

 状況を理解する前に、つんのめたジャスミンは地へと強く叩きつけられ、瞬的に息を詰まらせる。

 後から追いかけてくる痛みに小さく呻いた。


「――っ」


 敵意に染まった紅の瞳が瞬時に男を振り返り睨みつける。


「……へっ、逃しはしねぇよ」


 ジャスミンの尾を引っ掴んだ男の背後から、別の男が姿を現した。

 雲に月が隠され、辺りは夜の気配が色濃くなるも、彼女の爛々とした紅の瞳はその夜すらも見通す。

 頭目らしき、にひるに笑うあの男だ。

 びゅっ、と不穏に夜風が鳴いた。


「喧嘩にはちったぁ慣れてる様子だけんども、数にゃどんな強者も勝てやしねぇ。世の中そんなもんさ」


 ぐるる、と獣の唸り声がジャスミンの喉から発せられ、紅の瞳の瞳孔が縦に伸び宿る鋭さが増すも、にひるな男に臆する気配はない。

 まるで手負いの獣そのものだな。

 嘲笑う気配がよりジャスミンを挑発する。唸る声が低くなろうと、嘲笑する気配は濃くなるばかり。

 悔しさに鋭い爪が地を掻き、線を引く。


「さて、お嬢ちゃんをいつまでも転がしとくのも忍びねえしな。ちょぉっと、お寝んねしててもらおうか。なに、傷つけはしないさ。大事な品だからな」


 にひるな男が小瓶を腰鞄から取り出すなり、ジャスミンの尾を引っ掴んだ男が彼女を取り押さえ、顎を上向かせる。

 小瓶の蓋が、きゅぽん、とこの場に似つかわしくない、可愛らしい音を響かせ口を開けた。

 ふわりと仄かな香りが、敏感なジャスミンの鼻腔を刺激した。

 眠り薬だ。薬草を融かしたそれは、飲めば次第に抗えない眠気が痺れを伴い眠りへと誘うのだ。

 ぐるると唸る声はもはや最後の足掻きにもならず、顔を背けようにも、それ以上の力で抑えられ抗えない。

 男女差。体格差。それが悔しい。

 知らず目尻に涙が滲む。

 そんなジャスミンを嘲笑うかのように夜風が路地を吹き抜け、雲が流れた。

 月光が再び辺りを照らし、それを遮るようにジャスミンの顔へ影が落ち――小瓶の口が彼女の口へあてがわれた。

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